12. エリオットの気持ち
フィリーネの告げた、エリオットが婚約者であるという爆弾発言に全員が驚き目を見開いた。だってまさか、彼女がそんなことを言うとは思ってもいなかったのだ。
でも、一番驚いているのはエリオットだろう。
大きく目を見開いて、口を開いたまま動揺しているのがとてもわかりやすい。
「ああああの、フィリーネ?」
「…………」
困惑しながらエリオットがフィリーネの名前を呼ぶが、フィリーネは腕を掴む手に力を込める。よく見ると小刻みに震えているようで、エリオットははっとする。
両親からルーカスのことを言われて、辛い思いをしているのに……今ここでちゃんと味方にならないでどうするのだ。
エリオットは自らフィリーネの手を取って、サンフィスト男爵へ向く。
「フィリーネ様のことは、慕わせていただいています。……私のような若輩がと思うでしょうが、この気持ちに嘘偽りはありません」
「エリオット……」
勝手に行動したことを咎めることもせず、この一瞬の間でエリオットは身のふりかたを決めたのだ。フィリーネを、自分の持てるすべてを使って守ろうと。
サンフィスト男爵は驚いたまましばらく呆けていたけれど、すぐにはっとする。そして少し視線をさ迷わせた後、その視線は先にフィリーネをとらえた。
フィリーネは先ほどまでの強気の態度とは違って、どこか不安そうにしているのがわかる。けれどその手はエリオットを掴んだままで、彼のことを信頼しているのだということがサンフィスト男爵には伝わった。
自分の娘が、いつのまにかこんなにしっかりして、しかも婚約者を連れてくるなんて……そう考えると、なんだか寂しい。
「君は、エリオット殿と言ったね。いやあ、フィリーネはあまり人に気を許すような子ではないから、とても驚いたよ」
「いえ……」
「アクアスティード陛下の側近であれば、身元もしっかりしているし、何の問題もないだろう。それに、フィリーネがこんなにも君に想いを寄せているんだ。私は、それを反対することなんてできないよ」
優し気に微笑むサンフィスト男爵に、エリオットとフィリーネは驚く。
「サンフィスト男爵……」
「お父様……」
エリオットのことはあきらめて、すぐルーカスと結婚するように言われるのだとばかり思っていたのだ。それなのに、あっさりエリオットのことを認めてしまった。
やり取りを見ていたティアラローズも、驚いてしまう。けれど、無事に丸く収まりそうなことに関しては安堵する。
のだが、そう簡単に終わるわけはなかった。
「ふざけるな! フィリーネは、私の婚約者だぞ! ウエディングドレスだって、用意している! お金だって、渡してあるんだぞ!!」
「そ、それは……。ですが、私はフィリーネの気持ちも汲みたいといいますか……」
ルーカスが怒鳴り、サンフィスト男爵は精一杯反論をするが次第に小さくなっていく。普段から受け身の彼に、強気のルーカスを突っぱねるなんて無理な話だったのだ。
普段であれば、きっとこのままルーカスに押し負けてしまっていただろう。
けれど今は、エリオットがいる。
「ルーカス様のお考えは最もかもしれませんが、どうかフィリーネの気持ちをわかってあげてください」
「……ふざけるな、平民の分際で!! それほど私とフィリーネの婚約を破棄したいのなら、私がサンフィスト家に払った金と慰謝料をお前に払ってもらおうか! そうすれば、私は手を引いてやろう!」
「ちょっとルーカス、なんてことを言うの……っ!!」
エリオットがルーカスに意見をすると、逆上して烈火のごとく怒り出した。自分がどれほどフィリーネを愛しているか、お前にわかるのか!? ――と。
ルーカスはイラつく様子を隠すこともなく、「そうだな……」と思案するそぶりを見せ、内ポケットから取り出した紙にペンを走らせてエリオットに差し出した。
「ほーら、これを払えよ! そうしたら、フィリーネを俺から解放してやるよ! まっ! お前には無理だろうがな!!」
にやにや笑いながら、ルーカスはエリオットが紙を受け取るのを見る。
「…………」
「ちょ、こんな金額!」
エリオットの受け取った紙を覗き見て、フィリーネは顔を青くする。フィリーネが払える額でないのはもちろんだが、家名を持たないエリオットが払うことだって不可能だろう。
フィリーネはぎりっと唇を噛みしめ、自分は最低だと表情を歪める。ルーカスが逆上して怒鳴り散らすことなんて、少し考えればわかるはずだったのに。
優しいエリオットを巻き込んでしまったことに、後悔しかない。
「大丈夫ですよ、フィリーネ。泣かないでください」
「泣いてなんて……」
「でも、泣きそうです。フィリーネに似合うのは、笑顔ですから」
だから笑ってくださいと、エリオットはフィリーネに微笑む。
「では、この金額はすぐにお支払いさせていただきますね」
エリオットは涼しい顔で、内ポケットに入れていた紙と封筒に何かを書いていく。簡単に封を止めて、一通の手紙にして魔法をかける。
「羽ばたき、雲を突き抜けて飛び行け!」
すると、手紙は一瞬にしてその姿を鳥に変えた。大きな翼を羽ばたかせて、飛んで行った。
これで手紙を受け取った相手が、すぐにでも支払いの手続きをしてくれるだろう。ルーカスが何か言って、やっぱりやめたと言われたらたまったものではない。
なので、ある意味で先手を打ったのだ。
「な、なんだって……そんな高度な魔法、私だって使えないのに……」
あり得ないと、ルーカスは首を振る。
そんな彼に、エリオットはにこりと微笑む。
「これですぐに支払い手続きがなされますから、どうぞ確認をしてください」
「な、な、な……っ! そんなことが、信じられるわけないだろう! おい、すぐに調べろ!!」
余裕のエリオットに、ルーカスはすぐさま従者へ調べに行くよう命令した。
なんて怒涛の展開だろうか――と、ティアラローズは感嘆の息をもらす。
普段はあまり表へ出てこないエリオットは影が薄いように見えるけれど、非常に優秀で頼りになる。それは、アクアスティードがずっとエリオットを側近にしていることからも簡単にわかる。
優秀でなければ、アクアスティードの側近を続けることなんて出来はしない。
「ルーカス様、これ以上は見苦しいのではありませんか?」
「ティアラローズ様……! ですが、平民に払えるような金額ではありません。適当に、支払ったと告げてフィリーネを連れていく気かもしれません」
ルーカスの言葉を聞き、あきれてものも言えない。
――この人には言葉が通じないのかしら。
「エリオットはアクアスティード陛下の一番の側近です。それを否定することは、アクアスティード陛下を侮辱していることと受け取りますが?」
「そ、そういうわけでは……」
ティアラローズが厳しい口調で告げると、ルーカスは黙ってしまう。
大国であるマリンフォレストを敵に回すなんて、恐ろしくて誰も出来はしない。ティアラローズは息をつき呼吸を落ち着かせてから、フィリーネとエリオットに微笑みかける。
「ひとまず落ち着いたようで、安心ね。フィリーネも、上手くまとまってよかった。エリオットも、フィリーネを守ってくれてありがとう」
「ティアラローズ様、ありがとうございます」
「私ではまだまだ力不足ですが、精いっぱい頑張ります」
フィリーネもはにかむように笑い、エリオットも笑顔をつくる。
ルーカスが悔しそうにしているけれど、この処置はサンフィスト男爵……だと少し不安なので、自分の父親に頼もうと思うティアラローズだった。
***
ティアラローズは応接室に案内され、やっと落ち着くことができた。
サンフィスト男爵はすっかりエリオットのことを気に入ってしまったらしく、歓迎モードになっている。今は、フィリーネが別室で両親と話をしているので、ティアラローズとエリオットの二人で待っている状況だ。
エリオットはソファに座り、落ち着かない様子でティアラローズを見る。
「あの……ありがとうございました。フォローをいただけなければ、もっと長引いてしまったと思います」
「わたくしこそ、フィリーネを守ってもらって感謝しているもの。……そういえば、さっきの手紙はアクア様に?」
「はい、そうです」
予想はしていたけれど、気になっていた手紙の飛び先。どうやら、ティアラローズが考えていた通りアクアスティードの下へ送られていたらしい。
――それなら、きっとアクア様が迎えに来てくれるわね。
アクアスティードがきたらこれ以上の問題にならないこともあるが、エリオットの主人という立場でもあるので、きっとサンフィスト男爵へ挨拶をしたいと言うだろう。
「なら、しばらくここで待ちましょう……あら?」
「子供……?」
迎えが来るまで……とティアラローズが告げようとすると、ドアが少し開いて複数の目がこちらを覗き込んでいた。
「もしかして、フィリーネの弟妹かしら。いらっしゃい」
「わー、ティアラローズ様だ!」
「こんにちは」
挨拶をしながらわらわら入って来た子供は、五人。
ティアラローズはフィリーネに弟と妹がいることを聞いて知っていたけれど、いざ目の前にすると圧巻だ。
中でも一番年上だと思える少年が、代表して前に出た。
「すみません、妹たちがどうしてもと聞かなくて……」
「別に構わないわ。わたくしは、ティアラローズ・ラピス・マリンフォレスト。あなたは?」
「私はサンフィスト家の長子、アランです。年は、十六になります」
礼儀正しい姿は、好感が持てる。
フィリーネと同じ黄緑色の髪で、穏やかな雰囲気の優しそうな少年だ。
「わたくしはエレーナ、十五歳です」
「ルナ、十二歳」
「僕はルナの双子の弟のルイです」
「わたくしはナディア、十歳です」
全員が自己紹介をして、最後にエリオットも挨拶をする。
「私はエリオットです。マリンフォレストのアクアスティード陛下の側近をしています」
「ご丁寧に、ありがとうございます。まさか、姉にこんな素敵な殿方がいるとは存じていませんでした」
苦笑しながら告げるアランだが、その表情は嬉しそうだ。
フィリーネが幸せになれそうだということが、嬉しいのだろう。
「お恥ずかしい話ですが、当家はあまり金銭に余裕がありませんから……。妹たちが今後嫁ぐことを考えると、父も強くルーカス様にお断りの返事ができなかったのです」
なので、フィリーネを助けてくれたことにとても感謝しているのだという。
けれど同時に、もっと自分にも何か出来ることがあったのではと悔やんでいる。
「長子の私がもっとしっかりしていればよかったのですが……」
「アラン様はもう卒業といえ、まだ学生でしょう? 仕方がないわ」
「ティアラローズ様……ありがとうございます。ですが、今後はフィリーネ姉さまはもちろん、妹たちにも好きな男性の元へ嫁げるよう、私も事業を盛り上げていくつもりです。まだまだ、未熟者ではありますが」
16歳といえば、学園を卒業する年だ。
そうなると、アランはサンフィスト男爵の下で事業を手伝うことになる。それに意気込みを見せるが、そう簡単に盛り返すことは難しいとティアラローズは思う。
――業績をいきなり、しかも十六歳のアラン様が伸ばすのはきっと厳しい。
何か新しい策でもあればいいけれど――と思ったところで、ティアラローズは閃いた。
「そうだ、新しくスイーツのお店を開きましょう!」
「え……?」
突然の提案に、アランはもちろん、エリオットや下の妹と弟も驚くのだった。