11. フィリーネの実家
両手でも抱えきれないほどの薔薇を差し出して、君に愛を捧げよう。
この冬の時期に、こんなにも大輪の赤い薔薇を手に入れるのはそれはもう大変だった。けれど、それを自分のために用意した相手に……きっと恋に落ちるだろう。
いや、もう落ちているのかもしれない。
「フィリーネ、愛してる。さあ、今すぐに結婚しよう!」
「…………」
けれどその薔薇は、フィリーネの視線を受けて凍り付く。
「わたくしは、もう二度と貴方に会いたくなかったんですけどね……」
フィリーネはまるでゴミを見るように、目の前で薔薇を差し出すルーカスを見た。
***
時を遡ること、一時間前――。
ティアラローズの実家に帰省してから翌日の今日、あまり休むこともせずにフィリーネの実家へ行くこととなった。嫌なことはさっさと済ませてしまいたいという、フィリーネの希望だ。
さすがに隣国マリンフォレストの国王であるアクアスティードが一緒に行くわけにはいかないので、ティアラローズとフィリーネの二人で実家であるサンフィスト家へ行くという話になった。
玄関ホールには馬車が用意されていて、ちょうど出かけるところだ。
けれど、アクアスティードはどこか心配そうにティアラローズを見る。
今は心配して一緒に行こうかと告げているシュナウスをなだめているが、アクアスティードとしても同じ気持ちだ。
どうしようか考えて、後ろに控えていた側近に声をかける。
「エリオット」
「はい?」
どうかしましたか? そう告げながらやって来たエリオットに、アクアスティードは視線でティアラローズの方を示す。
「一緒に行ってこい」
「え? ですが、それは……」
「私は一人でも問題はない。でも、ティアラが心配だからな。それに、エリオットもフィリーネが心配じゃないのか?」
だから行って来いと告げるアクアスティードに、エリオットは苦笑する。自分の主人を一人にするのは憚られるが、気遣ってもらえたことは嬉しかった。
エリオットは少し悩みながらも頷いて、一緒に行くことを了承した。
「わかりました。ですが、お一人での行動はお控えくださいね」
「ああ、わかっている。……ティアラ、エリオットも一緒に連れていってくれ」
「アクア様!」
突然の申し出に、ティアラローズは驚くも、笑顔で了承する。
「お気遣いありがとうございます、アクア様。エリオットも、フィリーネをよろしくね」
「ティアラも無茶はしないこと。何かあれば、持ち帰って私に相談をして」
「はい。私でお力になれるといいのですが」
アクアスティードはティアラローズに念押しをし、エリオットは少し自信なさげに頷く。
主人であるアクアスティードの付き添いで貴族の屋敷へ行くことはよくあるけれど、まさか同僚……しかも告白をして恋人未満の女性の実家へ行くとは思っていなかったのだ。
もちろん、心配だし力になれるなら協力を惜しんだりはしないけれど。
粗相がないよう気を付けようと、エリオットは気を引き締める。
隣でそのやり取りを見ていたフィリーネは、くすりと笑う。
「わたくしの家は、緊張するようなところではないですよ。あまりおもてなしは出来ないかもしれませんが、ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます」
フィリーネの言葉にエリオットは礼を言い、少し安堵するように微笑む。
こうして、ティアラローズとフィリーネはエリオットと三人で、アクアスティードに向かいながらフィリーネの実家へと向かったのだ。
そして話は、冒頭に戻る。
きらきら瞳を輝かせるルーカスと、氷の女王のように冷たい目のフィリーネ。
両者の温度差が激しすぎる。
――というか、どうしてルーカス様がここにいるの?
ティアラローズの主催した仮面舞踏会で騒ぎを起こし、ラピスラズリへ強制送還させられた。そして、マリンフォレストからフィリーネには近づかないよう警告をしたのだが……どうやら意味がなかったらしい。
ティアラローズは小さくため息をつく。
この世界には、日本ほど明確な法がない。そもそも身分制度があるし、すべてが平等というわけにはいかない。もちろん、犯罪を犯した者を許すつもりは毛頭ないが。
マリンフォレストであればルーカスがフィリーネに近づかないよう配慮なりなんなり出来たかもしれないが、自国へ戻られてしまってはどうしようもない。
ティアラローズはフィリーネの隣まで歩いていき、困ったような表情でルーカスを見る。
「ルーカス様。わたくしの侍女を、あまり困らせないでくださいませ。それに、玄関前の庭先で……なんて。少し配慮が足りないのではなくて?」
「え……っ、ティアラローズ様!?」
なぜここに、という表情のルーカスに、ティアラローズは構わず言葉を続ける。
「フィリーネはわたくしの大切な侍女ですもの。里帰りの際に、一緒にご挨拶にきてもおかしいことはないでしょう?」
「それは、そうかもしれませんが……今や、ティアラローズ様はマリンフォレストの王妃ではありませんか。それが、わざわざ挨拶になんて」
男爵家であるフィリーネの立場を見下すようなルーカスの物言いに、ティアラローズは怒りがこみ上げる。自分の大切な侍女をそんな風に言われて、好感を持てるはずもない。
まあ、元から好感なんてなかったけれど。
フィリーネはルーカスを無視し、ティアラローズとエリオットに声をかける。
「とりあえず、中へどうぞ。今日は父もいるはずですから」
「ええ。ありがとう、フィリーネ」
三人が中に入ろうとすると、「待ってくれ!!」とルーカスが声を荒らげる。
「フィリーネ、結婚しよう。もう、ウエディングドレスだって準備をしているんだ」
この男はいったい何を言っているのだろうか――と、ティアラローズたちは思う。
確かに貴族間の政略結婚であれば、家同士が準備を進めることもある。けれどフィリーネは何度も嫌だと伝え、了承していない。
力のない貴族の令嬢であれば抗えないこともあるかもしれないが、フィリーネはティアラローズの侍女だ。ある意味、父親であるサンフィスト男爵よりも立場がしっかりしている。
フィリーネは大きなため息をついて、嫌そうな姿勢を崩すことなく告げた。
「それは何度もお断りしていますが?」
「フィリーネ、ああ、そうか。ほかに人がいたから恥ずかしかったんだね。私としたことが、配慮にかけてしまってごめん」
「違います」
これは切りがなさそうだなとティアラローズが思っていると、屋敷の奥からサンフィスト男爵が「何の騒ぎだ?」とやってきた。
まさか玄関先で役者がそろってしまうなんて。
「いったい何事だ! ……フィリーネ、帰ってきたのか。ルーカス様、応接室でお待ちいただいていたはずでは――ティアラローズ様!?」
「お久しぶりです、サンフィスト男爵」
「足を運んでいただきまして、申し訳ございません。フィリーネがお世話になっております」
全員を見回したサンフィスト男爵は、ティアラローズを見て慌てて礼をする。
なんども頭を下げて、とても腰の低いことがわかる。
「いいえ。わたくしの方が、いつもフィリーネに助けられていますから」
「お役に立てているようであれば、幸いです。さあ、こちらへどうぞ」
「ありがとう」
サンフィスト男爵は、ティアラローズを屋敷の中へと招き入れる。そしてその途中で、一緒にいるエリオットに気付く。
「こちらの方は?」
「彼は、アクアスティード陛下の側近のエリオットです。本日は、一緒に来れない陛下の代わりに来てくださいました」
「エリオットです。よろしくお願いいたします」
ティアラローズがエリオットを紹介すると、サンフィスト男爵はなるほどと頷いた。そして笑顔で握手を交わし、挨拶をする。
「大したおもてなしは出来ませんが、ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます」
少し穏やかな雰囲気になったと思ったのだが、ルーカスがエリオットを睨みつけるように見た。どうやら、フィリーネの近くにいたエリオットが気に食わなかったらしい。
「フィリーネは私と結婚するのだから、そんな不用意にほかの男に近付かないでくれ」
「…………」
ルーカスの言葉を聞くも、フィリーネはこれ以上の会話は無意味だと判断したのだろう。
顔を背けるようにして、そのままティアラローズとエリオットの間に立つ。
それを見て慌てるのは、サンフィスト男爵だ。
仮にも己の家より爵位が上の貴族だし、資金の援助だって受けている。
あまり機嫌を損ねたくないというのが、正直なところだろう。
「フィリーネ、そのような態度を取るものではない。ルーカス様は我が家のことをとても考えてくださっているんだ」
「そうだよ、フィリーネ。それに、私ならフィリーネを世界一幸せな花嫁にしてあげられる!」
いったいどこからそんな自信が出てくるのだろうか。
絶対零度のようなフィリーネの視線に、さすがのルーカスもびくりと体を震わせる。
「フィリーネ? ……君は、そんな冷たい表情をする子ではなかっただろう?」
可愛い笑顔を見せてくれと、ルーカスは告げる。
けれど、フィリーネに笑顔が浮かぶはずもなく。
サンフィスト男爵も、そんな様子のフィリーネに焦りつつ言葉をかける。
「フィリーネはいつも良い子だっただろう? あまり我儘を言って、困らせないでくれ。ね?」
どうやら、父親は完全にルーカスの味方のようだとフィリーネはあきらめる。
昔から、この父親は自分より上の立場の者には絶対に逆らえないのだ。常に相手の顔色を伺い、自分が不利になる条件でも二つ返事で受けてしまう。
ノーと言えないのだ。
だからこそ、フィリーネとルーカスの結婚話にも頷いてしまう。
でも、この結婚にお金というメリットがあることはフィリーネもわかっている。
フィリーネがルーカスと結婚すれば、幼い妹たちを金銭的な意味でも守ることが出来るし、辛い思いもさせなくて済むだろう。
ただ、そのメリットを考慮してもルーカスが嫌だった。
どうしようもないほどの、嫌悪感があるのだ。
フィリーネは、父親とルーカスへ視線を向ける。
「もういいのです。わたくしの人生を勝手に決める実家も、嫌だと言っているのにしつこいあなたも……」
「フィリーネ……」
その静かなフィリーネの声に、本気で怒っているということがわかった。
普段、フィリーネは本気で怒ることがほとんどないと言ってもいい。
ティアラローズに何かあれば怒りを現すが、自分に対することに関してはその感情が表に出ることはあまりない。
――どうしよう、本気で怒ってる!
これは絶対に、解決して帰らなければならないとティアラローズは思う。
フィリーネがここまで辛そうにしているのに、そこそこ話し合いをして次回に持ち越し……なんてことは、駄目だ。
けれど、フィリーネはティアラローズの王妃という立場を使い、この話に無理やり決着をつけることは望まないだろう。
ならばどうすればいい? ティアラローズが考えるが、そんな間を待たずに、フィリーネが動きを見せた。
フィリーネは、ぐいっとエリオットの腕を引っ張っる。
そしてはっきりと、告げたのだ。
「この方が、わたくしの婚約者ですから!」