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恋文

作者: 大野 倫

恋文

  拝啓

 

 啓助さん、お元気ですか。

 粉雪が灰色の空から音もなく舞い降り、町を覆いつくしています。冷たい空気が身体の芯まで忍び込み、道行く人たちは厚手のコートを着込み、身を固くして歩いています。

 

 そういえば今年の冬は特に厳しいのよ、そうお隣の服部さん家の幸恵さんがおっしゃっていました。


 老いた私にはこの寒さは堪えます。

 

 啓助さん、そちらはどうですか。

 

 暖かな陽射しがお顔を照らし、心地よい風が優しく髪を撫で、穏やかな陽気が辺りを包む。そのような素敵な日々を楽しく過ごされている、そう心より願います。

 

 あなたと会えなくなってからいく年月。

 

 淡雪のようにそっと、寂しさがゆるりゆるりと、私の心の底に降り積もってゆきます。

 しんっと音のない世界。

見渡す限りの白。

 貴方との思い出を振り返る時だけ、温かな想いが胸いっぱいに広がります。




 もう逢えないとは判っていても、貴方にもう一度逢いたい。一目御眼にかかりたい。そう想ってしまいます。


 起こりえないことを、夢想する私は愚かですね。

 

 貴方への手紙、届きますか。

返事が返ってこないと知っていることが悲しいです。

 ではまた近いうちに。

          進藤 響子

                 敬具






 「ちっ!」

 

 隣を泳ぐ、右頬にけして小さくない傷のある若者の、舌打ちする音が微かに聞こえます。

 

 私は枯れ木のような両腕を回し、なんとか溺れないよう水に浮かんでは水の中へ。浮いては沈み、また浮いてはまた沈む・・・それを何度も何度も繰りかえし、やっとのことで進むのです。骨と皮だけのような私の手足、老いはゆっくりとしかし確実に襲い掛かってきます。万人に等しく訪れることだとしても、直視し受け入れるには少々重く難しいことですね。

 

 ゆで卵に楊枝を四本刺したような私の身体。肩が上まで回らず肘先をぐるりぐるりと回し、それでも真ん中を我が物顔で進む私。

 

 のろのろと背泳ぎで進む私が目障りなのでしょう。傷の若者は邪魔だといわんばかりに、筋肉のついた太い腕を水に叩きつけました。私の横を追い抜こうと鍛えられた体の作り出す小さな波が、彼の不快さを私に伝え、溺れさせようと襲いかかってくるのです。

 

 ここは京都。伏見区は坂本竜馬が暗殺された寺田屋のほど近く、街の中にぽっと現れた小さな森のような場所。そこには、豊かな自然に少しだけ手を加えた公園があります。ここは冬でも木々の枝先に沢山の緑が茂り、市民の肺を澄んだ空気で満たしています。鳥たちが寒さを凌ぐ家。その公園のふちを沿うように細い川が流れ、春には両岸の桜並木が満開の花で空を隠します。

 

 屋形船に乗り、ゆっくりとした川の流れに身を任せると、幾重に重なった花びらが乱痴気騒ぎのように降り注いできます。永久とこしえのお伽話のように、美しい世界が現れるのです。その公園にある緩やかな丘の上に老朽化した建物がひとつ。その地下には市民のために造られたプールがあります。誰に聞いても汚いと評判で、いつ来ても塩素のきつい臭いが私の鼻をつんっと刺激しました。

 

 私は毎日のように、その水の中にいます。

 「ゆっくり泳ぐコース」は、全部で8コースあるうちの3コースを紐で区切り広く使えるようにしたコースです。二十五メートルを泳げる人なら誰でも泳いでよく、上手な人も下手な人もゆったりと楽しんでいます。自由に泳いでください、と書かれたプラスチックの表示書きが、競技の際に飛び込むところに置いてあります。

 

 不思議なもので、規則のない中でも暗黙の了解というものが生まれます。「ゆっくり泳ぐコース」で泳ぐ人が何人であろうと、い(・)つ(・)も(・)の速さで反時計回りにぐるぐると、順番を守り泳ぐのです。少しの人だけなら間隔を均等に空け、沢山の人で混んでいたら前の泳者の後ろにぴたり従者が主人に従うように。日本の行儀の良さが窺えますね。

 

 もう速くは泳げない私は、その流れに乗れずにいるのですけれど・・・。

 

 他には1コースごとの「上級者用泳ぐコース」がふたつと、「ゆっくり泳ぐコース」と同じく3コース分を使った「自由に遊ぶコース」があります。「自由に遊ぶコース」は小さい子も親御さんがいっしょなら遊ぶことができますので、お母さんが子供にクロールを教えていることもしばしば。そちらに目を向けると、幼稚園ぐらいの子供が、おしっこをし終わった様にブルッと震えました・・・よくある事です。

 

「響子さん、今日も頑張っていますね。」

 

 プールの壁に体を預け、水の浮力で一休みしていると、40歳ぐらいの女性が声をかけてきました。知り合いの木村さんです。


「いえいえ、休み休みですよ。もう体が思うようにならないものですから…。」


 毎日のように繰り返される挨拶に、私も日頃と変わらず答えました。


「なにを仰ってはるんですか!響子さんが頑張ってらっしゃるお姿を見ると、私も頑張ろうって思うんですよ!」


 木村さんは、朗らかな人柄が表れているお顔を笑顔にくずしました。笑ったときに出る、頬のしわがとても印象的です。


 私はひとつ頷きました。


「家の二番目の息子が、今度小学校に上がるんです。」


語尾が揚がる独特の話し方で、こちらまで元気になりそう。


「・・・・確か浩二君だったかしら?」


忘れやすくなった記憶の引き出しから、私は辛うじて覚えていた名前を口にしました。


「ええ浩二です。来年の四月から、下鳥羽にある伏見小学校に入るんです。今からランドセルを買ったり体操服のサイズを合わせたり。もう家のなか大騒ぎで!浩二も友達いっぱいつくるんだって張りきっちゃうし。もう大変です!」


そりゃあもう楽しそうに、木村さんは大変だ大変だと拍子良く言います。まるで祭のお囃子のように賑やかです。

 

「五歳ぐらいの男の子でしたら好奇心旺盛で、なんにでも興味を持って毎日楽しいでしょうね。」


私がそう言うと、

 

「そうみたいですね〜。眼をキラキラさせて、落書きしたりお茶碗壊したりしてますよ。躾がなってないのか、ほんとしょうがなくて。」


迷惑そうに仰っている姿から、けれど幸せな想いが、私の胸の奥のほうに届きました。

 

「木村さんもたのしそうですね。」

 

「そうですか?自分じゃわからないですけど。」

それでも笑顔で。

 

「・・・・・本当に楽しそうですよ。」

私は頬の筋肉がじんわり緩むのを感じました。

 

「じゃあ私はもう少し泳いできますね!」

両手を頭の上に合わせひとつ伸びをすると、まだまだ力が余っているようで、恰幅のよい体を揺すりながら勢いよく水の中へ潜っていきました。

 

 てのひらで水面を叩き、大きな水しぶきを上げながら離れていく木村さん。私があんな風に元気で暮らしていたのは何時ごろのことでしょう?ふっとそんな考えが浮かびます。


 啓助さんがいた時代。もう遠い昔のようで、私の好きだった貴方の匂いも思い出せません。





 「別れてくれ・・・そうあなたは仰いましたね。」

 

 そう私が言うと、お昼の後にお茶を飲んでいた啓助さんは、決まりが悪そうにそっぽを向きました。もう許してくれよ、そう言いたげに、まるで悪戯が見つかったわらべのようにこうべをたれ大きな肩を窄めています。明後日のほうを見ながら、それでも私の様子を伺っている姿がとても愛しく感じました。

 

「本当に驚いたんですからね。思いもよらなかったので頭が真っ白になりましたよ。」

申し訳なさそうな啓助さんの姿に、笑い出しそうなのをこらえ私は意地悪く言います。

 

「そのなんだ・・・」

啓助さんの声に間髪いれず、

 

「そのなんですか?」

 

 またも意地悪に問いかけました。啓助さんは、言葉は悪いですけど、ちょっかいをかけたくなる素養の持ち主だったんです。好きな子に意地悪をしてしまう男の子、その気持ちはとてもよく判ります。

 

 私も啓助さんも顔にしわが刻まれ始め、もう青年とは呼べなくなった頃。結婚して二十年以上過ぎても、私たちはまるで新婚のように若い恋人同士のように仲が良かったんです。お隣の服部さん家の智子ちゃんが言うには、そんな二人のことをラブラブと呼ぶそうです。ラブラブ・・・。

 

 夫の三歩後を歩かなければ嫁失格、そんな時代では本当に珍しいことだったと思います。確かに家を継ぐという意味では、子供を生まずに三十も後半になってしまったので、私の父や母、義父さん義母さんに子供はまだかいと顔を合わせるごとにせかされていました。けれども当人たちはのんびりしたもので、その内にできるだろうと焦らずどっしり構えていました。

結局、その後も子供を授かることはなかったのですけど・・・。

 

「別れてくれ」と啓助さんに告白されたのは、その時から遡ること十数年前。私が23歳だった夏、結婚して六年目のことでした。

 

 当時の世界情勢は不穏な空気に溢れ、日本がどこかに戦争をするのではと巷でうわさされ始めていました。案の定、日本は真珠湾を攻撃し戦争が始まってしまいましたし。勿論のこと若い啓助さんは兵隊とて徴集され、命の奪い合いの世界に駆り出されたのです。その時のことは言わぬが花でしょう、ただただ遣る瀬無さと悲しみに彩られていましたから。


 そうこうして人の心に暗い忘れ物を残した戦争が終わり、都市部では空爆によって焼け野原が広がっているなか、幸いなことに生家が地方の田舎にあった私は飢えとは無縁にすんでいました。家を失い食べ物も満足に口にできない大勢の方々と比べると、なんと恵まれていたのでしょう。重苦しい世相のなか私もけっして少なくない近しい人達を亡くしました。けれど、傷つきながらも生きて戻ってきてくれた啓助さんに、私は大きな安堵と沢山の感謝の気持ちで胸がいっぱいだったのです。

 これから啓助さんと幸せに暮らすんだと、自らを奮い立たせていたのを鮮明に覚えています。

 

 そんな矢先に言われたのです。別れようと・・・。

 

 まさに青天の霹靂。言葉が希望という芽を踏み潰すこともあるのだと、このとき知りました。

啓助さんを心底お慕いしていた私は内心の衝撃を抑え、


「なぜ別れようとおっしゃるのですか?」

そう聴きました。


 もちろんのこと心は嵐のように荒れ狂い、刀で何度も何度も切りつけられたかのような心持でしたが、なんとか落ち着いた声で啓助さんに理由を問うことができました。よくあそこまで冷静さを保てたものだと、今想い帰しても自分を褒めたいと思いうぐらいです。

 

「なぜなんですか、理由を聴かせて頂けませんか?」

平静を装い更に問いました。

 

「・・・・・・・・・・」

 沈黙が辺りを包み、音のない世界が私を掻き乱しました。

 

 二人とも黙りこみどれくらい経ったでしょうか、お顔を伏せながらおもむろに啓助さんは答えてくれました。

 

「僕では響子を幸せにはできないから・・・・・・。」

納得できないお答えに、

 

「なぜ幸せにできないと思うのですか?」

と少し強く言いました。


 また長い沈黙がおとずれます。


 私にとって永遠ともいえる数分が過ぎると観念したように、

「それは・・・・・・これだよ。」

自分の左目だった場所を指差しながら言いました。


 啓助さんは左の眼球を戦争で失っていたのです。


 何度目かの戦場で、敵の銃撃を避けようと窪地に飛び込んだ際、運悪く折れた木の枝が左目に刺さりました。もう少し深く刺さっていたなら、鋭利な枝が脳にまで達し絶命したかもしれないほどの重症だったそうです。その場でなんとか応急処置を施し一命は取り止めましたが、戦後何十年も過ぎたときに啓助さんはぽろっと「あれは痛かった。」と洩らしていました。余計なことを言ったと思ったのか、その後すぐに散歩に出かけてしまいましたけど・・・・・・私も誘って下さればよかったのに。


 その痛々しい大きな傷跡。やっと包帯が取れぼこぼことした赤黒い皮膚が、眉間から目尻まで走っています。


「その傷がどうしたとゆうのですか!」

けれども啓助さんを失うかもしれない恐怖に、私は胸の苦しみを段々抑えきれなくなり、声を荒げて問い詰めました。

 

「その傷があるから私は幸せにならないんですか!」

 決壊した堤防のように、溢れる気持ちが濁流となって啓助さんに、そして私にも襲い掛かります。

 

「そうだよ。この目では、君に楽な生活を送ってもらうことができないんだ。」


 重くゆっくりとした声が、興奮した私の体に染み込んできます。私を落ち着かせようとしてくださったのでしょうけど、その時の啓助さんは、まるで自分自身に言い聞かせているように見えました。

 

「小さい進藤家の財産も先の戦争でほとんど無くなってしまったし、この目では給料の良い仕事には就けないと思う。満足に暮らしていくこともできないんだ。これまではなんとか商売も上手くいき、君の実家の暮らしまでとはいかないまでも、其れなりの生活を送れていた。けれどそれも戦争で覚束つたなくなってしまった。これでは響子に楽をさせられない。響子は豊かな家で育ってきた、これからの慣れない貧しい生活に耐えられないだろ。」苦々しく言います。

 

「楽な生活が、私の幸せなんですか?」

 啓助さんが私のことを嫌いになったのではなく、私のことを気遣ってくれていたことに安堵しました。

 

「なんのとりえもない僕だ。君に楽をさせることぐらいしかないじゃないか!」

 

「楽な生活を私がしないと駄目なんですか?」

啓助さんを失うという不安が少しずつ消えていきます。

 

「響子は僕には勿体無いから・・・・・・。」やはりこちらを見ないで言います。

 私は衝動的に啓助さんの背中に抱きつきました。

 

「響子・・・。」呟く啓助さん。

 

「ふふっ。」笑みが漏れる私。

 

「嬉しいです。こんなに私のことを思って下さって!」

「いや、別れてくれと言っているんだけど・・・」

 狼狽した啓助さんがとても可笑しいです。

 

「私は別れませんよ。貴方といることが私の幸せなんですから。」

 

「しかし・・・・・・。」

尚も渋る啓助さん。

 

「駄目です。別れてあげません。お腹がすいたらご飯が美味しいでしょう。貧しさも幸せの引き立て役になりますよ。」

 

「・・・・・・・」

 

「もう諦めて下さいね。一生お供しますから。」

 それから啓助さんはなにか考えるかのように黙っています。


 それから重い口を開き、 

「いいのか?」

そんな一言。

 その自信のない物言いが啓助さんらしいです。

 

「えぇ、何度でも言います、貴方の人生にご一緒させてください。」

 

「・・・・・・ありがとう。本当にこの言葉しか君に返すことができない。」

 啓助さんの体から力が抜けるのを感じます。やっと私の啓助さんが戻ってきました。

 

「力を合わせ生きていきましょう。お慕いしています啓助さん。」

 不安という氷塊が溶け、涙となって私の両目から溢れました。普段、あまり泣くこともない私も、この時ばかりは嬉し涙をながしました。

 

「ありがとう響子・・・・・・・ありがとう。」

 抱きしめた体が小刻みに震えました。泣いてくれているのですか啓助さん?嬉しいです啓助さん。


 そうして私たちは何時までも何時までも抱き合っていたのです。まぁ私が啓助さんを抱きしめていた、というのが正確ですけど。この時の事が私達の絆をより太くしたのです。





「本当にあの時は驚きましたよ。」

 くすくす笑いながら言います。

 

「もう虐めないでくれ。」

肩をすぼめ小さくなっているのが可笑しいです。

 

「駄目ですよ。それほど大きなことだったんですから。」

「え〜と、今度どこかに出かけようか?」

誤魔化している様子に、もっと虐めたくなる衝動が沸きます。

 

「はいはい。どこに連れっていっていただけるんですか。」

久しぶりに啓助さんの背中に抱きつきました。


 もう何度もしているというのに、赤くなる啓助さん。しばらくこうして恥ずかしがってもらおうと、首にまわした腕の力を強めます。

 

「苦しいよ響子。」弱々しい啓助さんの呟き。

「駄目ですよ。当分このままですから。」笑顔で答えました。


 ずずず、啓助さんのお茶をすする音が、間の抜けたように我が家に響きました。






 それから私達はいろいろな所に住みました。幾つもの土地に住みいろいろな人と出会いましたが、最終的に京都は伏見に落ち着きました。ご近所の人達にも良くして頂き、一人暮らしとなった今では毎日誰かしら尋ねて下さいます。とても有難いことです。ここで私は、何十年も古書を売り買いし生計を立てています。儲けは微々たるものですが、泳ぐことだけが趣味の私にとっては十分なものです。


 古書屋「進藤」、朝は十時から夕方八時まで。火曜日はお休みですけど、皆様のご来店をお待ちしております。


 ただしプールで泳ぐときはやっておりませんけど。



  

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― 新着の感想 ―
[一言] とても印象に残る台詞がいくつかあって、それはこれから先もずっと心に残る気がします。よかったです。
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