第12話 雷神の鉄槌
庭へと向かう廊下を音弥と音彦の両名を先頭に歩く一行。
刻季は萌葱・華音を横にしながら憂鬱な気を漂わせてとぼとぼと後ろをついていく。
右にいる萌葱が心配そうに何度も顔色を伺うが、刻季はその視線に気づくことすらなかった。
ものすごく嫌そうにゆっくりと歩く刻季はあることに気がついた。
これ負ければ全てから解放されるのではないか?と
負ければ華音も愛想つかす上、華音の父親も完全に拒絶するはずだ。
そうすればこれからは学園生活をほそぼそと過ごすことができるし、卒業したら実家に帰って死ぬまでゆっくりと暮らすことになるだろう。
元々望んでいなかった学園への入学だったから、そうなることへの不満も文句もない。
そう思い立ったら突然、それが最善の答えだとどんどん思えてきた刻季は、その結果を導くために能力も使わずにただ負けようと試みることにした。
……が、
「刻季様、もし簡単に負けでもしたら色々嘘偽りを込めて学園中に噂を流してしまいます。生徒会長である私発信で」
まるで刻季の思考が読めるがごとく左にいる華音が言い放った。
その言葉が寸分の狂いなく刻季の思考にぶっ刺さる。
「具体的にいえば、私を性奴隷として散々甚振った挙句、まるで責任をとるようすもなく捨てた、とかですかね」
「華音っ?」
そんなことされては学園に通うことすらままならなくなる。
学園に未練など微塵もないが卒業せずに実家に帰ることはできないだろう。
「ちなみに、そのような噂を流した後も影では刻季様に仕えることをやめるなどあり得ませんので」
逃げ道をどんどんふさいでくる華音。というかすでに逃げ道がもうない。
横では華音の言葉に萌葱がため息をついている。
災難ね、と言っているようだった。
「あの~できれば、そういう噂はちょっとやめてほしいかな~なんて」
「もちろん、刻季様が簡単に負けることを選ばなければそんなことするわけないではないですか。それも刻季様に忠誠を尽くしている従者兼メイド兼奴隷の愛情とお受け取りください」
とんでもない愛情表現である。
とてもではないが恋愛経験のない刻季に処理できる案件ではないことは確かだろう。
恋愛経験の深い人でも対処出来るようなものではないのかもしれないが……。
「……わかったよ。やるだけやるよ」
「それはありがとうございます」
あきらめたように言う刻季に深々とお辞儀で返す華音。
「そのかわり、これ以上面倒なこと起こさないようにしてくれるかな?」
「善処いたします。……ですが刻季様自身が引き込まれる問題の数がこれから多くなっていく気がいたしますので、完璧にはいかないでしょう」
問題を起こす第一人者から巻き込まれ体質の認定をされた。
刻季の切実なる願いはどこにも届きそうではない。
面倒を無くすことは諦めて、数を減らしたり、対処するスピードを上げることに決めた刻季だった。
___________________________
「さあ、そろそろ始めなさい」
凛とした声で音彦が告げた。
場所は天原家の庭である。
着いた刻季は、いやいや庭って言ったよね!?と内心でかなり驚いていた。
それもそのはず、連れてこられたところは手入れのしてある庭だったのだが、その奥には手入れの施しようのないほどの原生林というものがあった。
見上げると屋久島の縄文杉か!いう具合の大きさの木がそびえていた。
要するにここは庭であって庭で無い場所なのだろう
実家の庭と比べてみるとここは未開のジャングルだった。
中には様々な動物――猿、猪、熊、ターザンまでいそうな立派な原生林だ。
師団の家はみんなこうなのか、と思ったが南雲家は違った。
南雲には原生林はなかったはずだ。
その証拠に、萌葱も驚きの顔を隠さずにあらわにしている。
萌葱がこの家に来たことがあるだろうが、まさかここまでの庭だとは思いもしなかっただろう。
原生林があることが師団にとって当たり前なのか、どうかはこの時の刻季には知る由もなかった。
呆然としている刻季へ音弥が言った。
「そろそろ始めてもいい?」
「あ、はい」
ボーっとジャングルを眺めていたことにようやく気付き音弥と向かい合った。
「刻季様、頑張ってください」
実の娘は、兄ではなく主を応援している。
それに音弥と音彦の手前返事をかえすことも出来ず、ただ華音にむかって苦笑を浮かべるだけで終わった。
「二人ともいいか?」
少しピリピリしたようすの音彦が確認をとると、刻季と音弥は頷いた。
「では、はじめ!」
開始の合図とともに音弥が呪文である言霊を唱える。
「天空神《Amateras》よ。我は汝の使者を名乗る者也」
その呪文が唱えられたと同時に雷が刻季へと突き刺さるように撃たれた。
轟音が鳴り響くが、その雷は刻季の元へ届くことは叶わなくただ魔力の吸収がされるだけだった。
魔法を使う際に呪文を唱える必要はない。
それは体内で魔力を形成して魔法へと変えるからだ。
尤も産まれたときからそのような技術が使えるわけではなく、魔術師や宗教徒になるためにまず最初に魔力の形成の訓練をする。
魔術師学校や宗教徒学校で一番初めに教わることがそれになる。
そして訓練をして初めて魔術師や宗教徒を名乗ることが出来るのだ。
それなら何故音弥が呪文を唱えたのかというと、単純に魔術の威力が上がるからだ。
呪文を唱えることによって魔術の純度が上がり、それが威力にも影響する。
それゆえに、魔法からは呪文を唱えるという行為が消えることなく今も残っているのだ。
しかし決闘では通常呪文を使うことが滅多にない。
1対1となると短期決戦が主流だからである。
遠距離魔術の場合はそれに該当しない内のひとつとなるが
閑話休題
ともあれ、音弥の詠唱した呪文が刻季に届くことなく消滅した。
その事実を前にして音弥は少し驚きの表情を浮かべている。
刻季が一歩近づくともう一発雷を放ってきた。
寄らせると危ないことになると察知したのだろう。
しかしそれもやはり刻季に届かずに消える。
実は先程から使っているこの魔術は天原家の継承魔術の一つである。
単純に雷を撃つことなら、ただの魔術師でも使うことが出来る。
しかし天原の魔術は天候を司る魔術――天空魔術だ。
天を司るという魔術は天原の名にふさわしく、この魔術があったからこそ天原は師団の一角を占めているといえるだろう。
音弥が放っている雷は一度雷雲を精製し、そこから雷を発している。
作ろうと思えば、上空を覆う程の雷雲の精製ができるだろうが、決闘で使用する必要はない。
一人を仕留めるために巨大な雷を落とす理由がないからだ。
刻季が一歩、まと一歩と進むと音弥は表情を徐々に曇らせながら、雷をいくつも放っていく。
音弥から放たれて刻季に到達すると魔術の消滅とともに轟音が何度も鳴り響く。
結局それらは全て刻季の魔力へと変化していっている。
雷一発ごとの魔力の量が尋常ではない。そのことからかなりの実力者だろうと刻季は推測した。
華音の兄というだけでほぼ実力者であるのはほぼ確実なのだが、
それでも魔力を使用する以上刻季の相手ではない。
魔術師など刻季の相手にもならない。
放たれた何回もの雷は全て刻季に吸収されている。
音弥の位置からは刻季の少し手前で突然消えているようにしか見えない。
一発が人を必ず気絶させるであろう威力なのにも関わらず、防御魔術の一つも張らないでいる目の前の少年に届くことなくただ魔術の消滅を目にする。
その事実が音弥を本気にさせた。
「ごめん、やっぱり少し侮ってたよ。魔術なしでここまでやれるって、何をしているのかはさっぱり分からないけど華音に勝ったって言うのは本当なんだね」
「ええ、まあ、そうですけど……」
華音なんかは嬉しそうにうんうんと首を振っている。
「それじゃ、わかってもらえたようなのでもう終わりにしませんか?」
「いやだよ」
提案するとすぐに拒否する音弥。
「せっかくだから最後までやりたいし、君の事も見極めたいし、今後の事も今決められるかもしれないからね」
「今後の事……?」
「まあ、終わったら話すよ。ほぼ僕の中で確定している事だけどさ」
「……?」
言葉を濁す音弥に何が言いたいのかまるでわからないといった表情を刻季はしている。
「それじゃ、いくよ」
どことなく飄々としていた音弥は一度瞬きすると、真剣そのものといった表情を浮かべて隙がまったく見えなくなった。
「雷神《Thor》よ、我は汝の使者を名乗る者也」
「我に神の力を貸し給え、我に神の魂を見せ給え。汝の力は地に裁きの雷を落とし、汝の魂は民に信仰の雷を落とす。力を貸し給え、魂を見せ給え、さすれば現は汝の御世となるだろう」
呪文を高らかに上げると上空一面に雷雲が立ち込め、忽ち夜になったかのように暗くなる。
ゴロゴロと白い龍がうごめいているように見える雷雲は辺りが暗いため相対的に輝いている。
「どう? これが僕の力だ」
「こんな力……、僕なんかに使っても良いんですか?」
「力は使わなきゃ意味がないよ。今は隠しといても後悔するだけだと思うしね。親父も何も言わないし良いってことでしょ」
音彦は先程から表情を変えずに状況を眺めている。
「さあ、構えて。これはそう簡単に破れるものじゃないからね」
刻季は念のため魔力の吸収範囲を広げる。
一筋でも雷が当たればその瞬間から意識がなくなるだろう。
「神よ、蠢く雷を落とし給え」
そう言霊を上げ終える、すると一段と上空では龍の咆哮さながらの音を鳴らす。
ピカッと光った瞬間、刻季の元へ一直線で雷が落とされる。
雷が刻季の元へ届くとそこにいる全ての者を対象とするような雷龍の咆哮が耳を劈き、視界を白ませた。
刻季に撃たれた雷はどこかにいるだろう雷神が裁きの鉄槌をくだしている様子に見えた。
ただその裁きの鉄槌も刻季には裁きへとならなかった。
刻季は裁かれる対象でなく裁く審判の者だったのだ。
視界と聴覚が回復し、全員は刻季のほうをみると、そこには耳をおさえて片目をつぶって平然としている姿だった。
すこしの光に取り囲まれてまるで天使に囲まれた神のように佇む刻季の姿は一層華音の精神に逃れられない呪縛の鎖で縛りつけた。
前回の決闘でも植え付けられたそれと今回の違いは、対象が華音だけか違うのかといったところだった。
そう。そこにいる皆が刻季の姿に見蕩れていた。神の御姿を見蕩れていた。
「すごい音だったなぁ。うわっ! まだキンキンしてるっ」
そんな誰も言葉を発せずに誰も動けないという状況を動かしたのは、他でもない刻季だった。
緊張感のかけらもない刻季の言葉に一同が気づいたようにハッとした。
「まだ眩しいし……。もっと手加減してくれてもいいのに……」
ブツブツ言っている刻季に呆れを通り越して少し情けなくなってくる萌葱だったが、それすらも慈愛から来る感情だったのだろう。
「勝者、羽間刻季」
音彦が突然発した言葉は刻季の耳を疑うものだった。
「えっ?」
ふいに対戦相手から目を外す。
そこで見る萌葱と華音の納得しているような表情はさらに混乱した。
「あの……、まだ終わって……ません……よね……?」
「いや終わりだ」
一言でぶった切る音彦になにがなんだかさっぱりわかっていない刻季は音弥を見た。
「僕の負けだよ。もう魔力も尽きちゃったしさ」
肩をすくめて言う音弥は、負けたというのにまるで悔しそうでなく、むしろ清々しさを露わにしていた。
「そうですか……?」
「ああ」
なんだか拍子抜けする決着のつき方だった。
力の半分も使わずに勝ってしまったのだ、それも当然だろう。
萌葱と華音が刻季の元へとやってくる。
「お疲れ。大丈夫だった?」
「うん。まだ耳がキーンとしてるけど……」
「あのね。あれをくらって『耳がキーンとしてる』で済むってことは大丈夫ってことなの」
まったく規格外なんだから、と華音が呟く。
「我が君、刻季様、あの……」
華音が顔を赤くしてもじもじしている。
今までの華音とは似ても似つかない表情と行動だ。
そう刻季と変わらない身長の女性がこのような格好をしていると少し変な気分を感じる刻季だった。
「格好良かったですっ」
「え? あ、ああ、ありがとう」
とろんと心酔しているような目で言う華音に刻季は困惑しながら返した。
萌葱がそれをみて、まさか本気で惚れちゃったの……?と怨念染みた様子で呟いているがそれが刻季に届くことは無かった。
風邪が治って書くぞ!と意気込んでいたらプロットが何故か全消去されてて、そこから書き直して遅れてしまいました。
久しぶりのバトルパートいかがでしたか?
楽しんでいただけたら幸いです。
やっぱり苦手だ……