幕間 責任
翌朝。
食堂。
---
瀧本は、いつも通りに朝食を食べていた。
昨夜のことは、なかったことになっていた。
少なくとも、表面上は。
---
スヨンが隣に座った。
---
「おはよう」
「......おはよう」
「昨日、ちゃんと寝た?」
「寝た」
「嘘」
「嘘じゃない」
「目の下にクマがある」
「元からだ」
「元からじゃない。私、毎日見てるから分かる」
---
瀧本は箸を止めた。
---
「......お前、毎日俺を見てるのか」
「見てない」
「今、見てるって言った」
「言ってない」
「言った」
「言ってない!」
---
スヨンの顔が赤くなった。
---
マルティネスが横から口を挟んだ。
「スヨン、お前、瀧本のこと好きなのか」
---
スヨンが固まった。
瀧本も固まった。
---
「好きじゃない!」
「好きじゃないなら、なんで毎日見てるんだ」
「見てない!」
「見てるって言った」
「言ってない!」
---
ヨナタンが無表情で言った。
「スヨン、お前は嘘が下手だ」
「嘘じゃない!」
「嘘だ」
「違う!」
---
スヨンは瀧本を睨んだ。
「あなたも何か言いなさいよ!」
---
瀧本は溜息をついた。
---
「あのなあ」
「何よ」
「俺は失恋したばかりなんだぞ」
「......」
「ナリンと別れて、まだ一ヶ月も経ってない」
「......」
「そんな簡単に次へ移れると思うか?」
---
沈黙。
---
マルティネスが言った。
「移れるだろ」
---
ヨナタンが言った。
「移れる」
---
ジョンソンが言った。
「お前なら移れる」
---
アブドゥルが言った。
「余裕だろう」
---
ピーターが言った。
「問題ない」
---
陳志明が言った。
「大丈夫だ」
---
全員が、瀧本を見ていた。
---
「お前だし」
---
全員が、同時に言った。
---
---
瀧本は絶句した。
---
「......お前ら」
「何だ」
「マジで悪魔だな......」
---
全員が笑った。
スヨンだけが、顔を真っ赤にして俯いていた。
---
---
---
同じ頃。
局長室。
---
柏木が呼び出されていた。
---
「座れ」
局長の声は、低かった。
---
柏木は座った。
---
局長は、柏木を見た。
その目は、怒りで燃えていた。
---
「柏木」
「はい」
「お前に、言いたいことがある」
「何でしょうか」
---
局長は立ち上がった。
窓に向かって歩いた。
---
「瀧本のことだ」
「瀧本が、何か」
「瀧本は、昨夜、逃げようとした」
「......」
「日本の騒ぎのせいで、仲間に迷惑をかけると思ったからだ」
「......」
「アルファチームが止めた。だから、今もここにいる」
---
局長は振り向いた。
---
「瀧本がなぜタイに来たか、知っているな」
「......ナリンを守るため、と聞いています」
「そうだ。瀧本は、ナリンを守るために全てを捨てた」
「......」
「日本での地位。警察官としてのキャリア。法的な安全。全てだ」
「......」
「連続殺人犯を殺して、裁判も受けずに逃げた。指名手配されているかもしれない」
「......」
「それでも、瀧本はナリンを守った。ナリンと一緒にいるために、全てを捨てた」
---
局長の声が、低くなった。
---
「だが、二人は別れた」
「......」
「なぜだか、分かるか」
---
柏木は黙っていた。
---
「お前のせいだ」
---
柏木の体が、固まった。
---
「俺の......?」
「そうだ。お前のせいだ」
---
局長は柏木の前に立った。
---
「ナリンは、お前のことが好きだ」
「......」
「最初から、そうだった。瀧本は、お前の代わりだった」
「......」
「瀧本も、それを知っていた。それでも、ナリンを守った」
「......」
「だが、タイに来て、お前に会って、ナリンの気持ちは変わらなかった」
「......」
「結果、瀧本は捨てられた」
---
局長の声が、怒りで震えていた。
---
「お前は、何をしていた」
「......」
「俺は、何度も言ったはずだ。身を固めろと」
「......」
「サラがいる。マリーがいる。そして、ナリンもいる」
「......」
「三人の女が、お前を待っている。なのに、お前は何もしない」
「......」
「曖昧な態度で、全員を宙ぶらりんにしている」
---
局長は机を叩いた。
---
「瀧本は、全てを捨ててナリンを守った!」
「......」
「なのに、お前は何だ!」
「......」
「女一人、選ぶ覚悟もないのか!」
---
---
柏木は、何も言えなかった。
---
局長は正しかった。
全て、その通りだった。
---
---
「俺は、お前を買っている」
局長は言った。
「戦闘の天才だ。チームを率いる才能もある」
「......」
「だが、この件に関しては、お前は最低だ」
「......」
「お前の曖昧な態度が、瀧本を傷つけた」
「......」
「お前の優柔不断が、ナリンを苦しめている」
「......」
「お前の無責任が、サラとマリーを宙ぶらりんにしている」
---
局長は椅子に座った。
---
「決断しろ」
「......」
「誰か一人を選べ。残りの二人には、はっきり断れ」
「......」
「それができないなら、三人全員に断れ。誰とも付き合わないと、はっきり言え」
「......」
「どちらにしても、曖昧なままにするな」
---
---
柏木は、ようやく口を開いた。
---
「......考えたことが、なかったんです」
「何を」
「恋愛を」
---
局長は眉をひそめた。
---
「考えたことがない?」
「はい。俺は、戦うことしか考えてこなかった」
「......」
「正義のために戦う。仲間を守る。それだけを考えてきた」
「......」
「サラやマリーやナリンの気持ちは......正直、分からなかった」
---
局長は溜息をついた。
---
「お前、本当に鈍いな」
「......自覚しています」
「自覚してるなら、なおさら悪い」
「......」
---
---
局長は立ち上がった。
---
「一つ、決めたことがある」
「何でしょうか」
「アルファチームは、俺が直接指揮する」
---
柏木の目が見開かれた。
---
「アルファチームを......?」
「そうだ。お前の指揮下から外す」
「なぜ」
「瀧本がいるからだ」
---
局長は続けた。
---
「お前と瀧本は、同じチームにいない方がいい」
「......」
「ナリンのことがある。瀧本も、やりづらいだろう」
「......」
「それに、お前には考える時間が必要だ」
「......」
「アルファチームは、俺が預かる。別部隊として動かす」
---
---
柏木は黙っていた。
反論できなかった。
---
---
「期限は、一ヶ月だ」
「一ヶ月......?」
「一ヶ月以内に、答えを出せ」
「......」
「サラか、マリーか、ナリンか。それとも、誰でもないか」
「......」
「答えが出なければ、俺は三人全員に事実を伝える。お前が何も考えていないことを」
「......」
「そうなれば、三人とも離れていくだろう。お前の自業自得だ」
---
---
柏木は黙っていた。
局長の怒りは、まだ収まっていなかった。
---
「それだけじゃない」
「......まだ、何か」
「あるに決まってるだろう!」
---
局長は再び机を叩いた。
---
「お前、組織をどうするつもりだった!」
「組織......?」
「階級はどうなってる!」
「......」
「指揮系統は! 報告体制は! 昇進基準は!」
「......」
「何もないだろう!」
---
柏木は言葉が出なかった。
---
「四十四人もいるんだぞ!」
「......」
「三チームに分けました、はい終わり! そんなわけあるか!」
「......」
「誰が誰に報告する! 誰が誰に命令できる! 曖昧なままだ!」
「......」
「ハーパーとルノーに任せたんじゃなかったのか!」
「任せました......」
「任せた!? お前が承認しなければ何も決まらないだろうが!」
---
局長は書類の束を柏木の前に投げた。
---
「これを見ろ! ハーパーとルノーが出した組織改編案だ!」
「......」
「二ヶ月前に提出されている! お前、読んだか!?」
「......読んでいません」
「読んでない! 二ヶ月間、放置だ!」
---
局長の顔が真っ赤になっていた。
---
「女のことだけじゃない! 組織運営も放置!」
「......」
「お前は何をやっていた! 戦闘だけか!?」
「......」
「総隊長だろう! 組織を動かす責任があるだろう!」
「......」
「任せたらこれか!? ふざけるな!!」
---
---
柏木は完全に黙り込んだ。
何も言えなかった。
全て、その通りだった。
---
---
局長は深呼吸した。
怒りを抑えようとしていた。
抑えきれていなかった。
---
「いい。もういい」
「......」
「お前には任せられん」
「......」
「アルファチームは俺が直接指揮する。別部隊だ」
「......」
「組織改編も、俺が監督する。ハーパーとルノーに直接指示を出す」
「......」
「お前は、自分のチームだけ見てろ。それすらできないなら、総隊長の肩書きも外す」
---
---
柏木は立ち上がった。
---
「......分かりました」
「分かったなら、行け」
「はい」
---
柏木は部屋を出た。
---
---
---
会議室。
緊急招集。
---
全員が集まっていた。
---
局長が前に立った。
---
「今日から、組織を改編する」
---
全員が注目した。
---
「アルファチームは、俺が直接指揮する。別部隊として動く」
---
ざわめきが起きた。
---
「柏木の指揮下から外れる。俺の直轄だ」
---
---
その瞬間。
ニコライが手を挙げた。
全力で。
---
「局長! ブラボーチームも局長の下に!」
---
カルロスも手を挙げた。
全力で。
---
「俺も! 支援班も局長の直轄で!」
---
局長はガン無視した。
---
「階級制度を導入する」
---
ニコライとカルロスは、手を挙げたまま固まっていた。
誰も突っ込まなかった。
---
「ハーパー、ルノー、ミュラー。お前たちに組織改編を任せる」
「......了解」
ハーパーは頭を抱えながら答えた。
「また一から作り直しですか」
「そうだ。今度は俺が直接承認する。二ヶ月も放置させん」
---
ルノーが溜息をついた。
「柏木は......」
「柏木には、考える時間が必要だ。組織運営からは一時的に外す」
「了解......」
---
ミュラーがメモを取り始めた。
参謀としての顔に戻っていた。
だが、額には冷や汗が浮かんでいた。
---
---
瀧本がマルティネスに囁いた。
「柏木さん、何やらかしたんだ」
「知らん。だが、相当やばいな」
「局長、あんなに怒ってるの初めて見た」
「ああ。M93Rをプレゼントしてくれた時とは別人だ」
---
ヨナタンが言った。
「ニコライとカルロス、まだ手を挙げてるぞ」
「......下ろせよ」
---
ニコライがゆっくり手を下ろした。
カルロスも下ろした。
二人とも、残念そうな顔をしていた。
---
---
サラがマリーに囁いた。
「何があったの」
「分からない。でも、柏木のことみたい」
「柏木が......」
「組織運営を放置してたらしいわ」
「......それだけ?」
「それだけじゃないと思う。局長の怒り方が、尋常じゃない」
---
---
局長は続けた。
---
「一週間以内に、新しい組織図を提出しろ」
「一週間......」
「階級、指揮系統、報告体制、昇進基準。全て明文化しろ」
「了解」
「俺が承認したら、即日施行だ」
---
ハーパーとルノーとミュラーは、顔を見合わせた。
三人とも、同じことを思っていた。
---
『また徹夜だ......』
---
---
会議が終わった。
全員が散っていった。
---
柏木は、一人で窓際に立っていた。
誰も、声をかけなかった。
---
---
廊下。
サラとマリーが並んで歩いていた。
---
「柏木、何かあったのかしら」
「分からないわ。でも、相当追い詰められてる」
「私たち、何かできることある?」
「......今は、そっとしておいた方がいいと思う」
「そうね」
---
二人は、柏木の背中を見た。
いつもより、小さく見えた。
---
---
---
夜。
参謀室。
---
ハーパー、ルノー、ミュラーが机に向かっていた。
書類が山積みになっていた。
---
「階級制度......どうする」
「軍式でいいだろう。分かりやすい」
「誰が何の階級になる」
「柏木は......総隊長だから、大佐相当か」
「ジョンソン、ニコライは中佐」
「瀧本は......」
「少佐か大尉だな」
「あいつ、階級似合わないな」
「似合わなくても、必要だ」
---
ルノーがコーヒーを飲んだ。
三杯目だった。
---
「指揮系統は」
「局長→チーム隊長→チームメンバー。シンプルに」
「アルファは局長直轄だから、別ラインだな」
「報告体制は」
「日報、週報、月報。全て文書化」
「柏木が読まなかったら意味ないぞ」
「今度は局長に直接上げる。柏木は経由しない」
---
ミュラーが眼鏡を外した。
目を擦った。
---
「柏木は、どうなるんだ」
「総隊長の肩書きは残るだろう。名目上は」
「実権は」
「チャーリーチームだけだな。当面は」
「......」
---
三人は黙った。
---
「柏木、大丈夫かな」
「大丈夫じゃないだろう。局長に、あそこまで言われて」
「自業自得だが......」
「自業自得だな」
---
ハーパーは書類に向き直った。
「とにかく、一週間で仕上げるぞ」
「ああ」
「寝るのは後だ」
「了解......」
---
---
参謀たちの長い夜が、始まった。




