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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
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第9話 突入

情報が重なったのは、柏木がウドンターニーに来て十一日目の夜だった。


 プラチャーから連絡が入った。組織が明後日の夜に移送を行う。ルートはウドンターニー北部の農道を使う。目的地は不明。対象人数は四人から六人。


 同じ夜、コミュニティラインから情報が入った。ウドンターニー北部の村の女性が、「隣村から子どもを含む複数の人間が連れて行かれた」と連絡してきた。三日前のことだった。子どもが一人か二人。女性が二人か三人。今は農場を改装した建物に囲われているらしい。


 二つの情報が、同じ場所と時間を指していた。


 スッティンが地図を広げた。


---


 テーブルに全員が集まった。


 スッティン、柏木、ペット、ノック。アレクセイはシェルターに残る。


 「ここだ」


 スッティンが地図の一点を指した。


 「コンケーン街道から外れた農道の先に、使われていない農場がある。三年前から犯罪組織が使い始めた。プラチャーも把握していたが、証拠がなくて動けなかった場所だ」


 「距離は」


 「ここからトラックで四十分。農道に入ってからが問題です。舗装されていない。夜は暗い」


 「入口は」


 ペットが地図を見て、タイ語で話した。スッティンが訳した。


 「一本道だ。農道の入口から農場まで、逃げ場がない。ペットはこの道を知っている。抜け道がある。農地の端を回る未舗装の道。トラックなら通れる」


 「なぜ組織はその道を使っていないんだ」


 スッティンが訳した。ペットが答えた。


 「雨季は使えない道だからだ。今は乾季だから通れる」


 「作戦はシンプルにする」


 柏木が言った。


 「メインの道から入るふりをして、農場の後方に回り込む。ペットが抜け道を運転する。俺とスッティンが建物に入る。ノックは車に残って、被害者が出てきたら受け入れる。アレクセイはシェルターで待機。以上だ」


 スッティンが全員を見た。


 誰も反対しなかった。


---


 翌日の夜、午後十時に出発した。


 ペットのトラック。荷台にシートを敷いた。被害者が乗れるようにしてある。


 柏木はショルダーホルスターにベレッタを収めた。マガジンを確認した。十五発。フルだ。予備マガジンを二本、ベルトに差した。合計四十五発。


 「使わずに帰る」


 スッティンが言った。


 「そのつもりだ」


 「でも」


 「でも持っていく。それだけだ」


 スッティンは何も言わなかった。


---


 農道に入った。


 ヘッドライトを消した。月明かりだけで走る。ペットは道を知っていた。速度を落とさなかった。柏木は助手席で地図を確認した。スッティンが後部座席でタイ語のメッセージをやり取りしていた。コミュニティラインへの最終確認だった。


 「状況に変化はあるか」


 柏木がスッティンに聞いた。


 「今のところ変化なし。四人という情報は変わっていない」


 「子どもは」


 「一人、という確認が取れた。七歳か八歳の女の子だと」


 ペットがタイ語で何か言った。


 スッティンが訳さなかった。


 「何と言った」


 「急ぐなと言いました。急ぐと間違える」


 柏木はペットを見た。


 ペットは前を見たまま運転していた。大きな手がハンドルを握っている。ポーと同じ道を、今夜また走っている。それがペットの顔に出ていた。


---


 農場の手前二百メートルで停まった。


 エンジンを切った。


 全員が降りた。


 柏木は闇の中で農場を見た。建物が二棟見えた。離れた場所に一棟。明かりが一棟にある。小さな明かりだった。窓の隙間から漏れている。


 「明かりがある棟に人がいる」


 「そうだろう」


 「もう一棟は」


 「倉庫だと聞いていた」


 「見張りは」


 「表に一人。建物の角に一人。情報ではそうなっている」


 「情報では、だな」


 スッティンは頷いた。


 柏木はベストのポケットから小型の懐中電灯を出した。赤いフィルターをかけた。夜目を潰さない光だ。自衛隊で使っていたやり方だった。


 「行く。ノックは車で待機。エンジンはかけておけ。すぐに出られるように」


 ノックは頷いた。


 「ペット、車の向きを変えておいてくれ。頭を出口に向けて」


 ペットは何も言わずにトラックに戻った。


---


 スッティンと二人で農場に近づいた。


 草が背丈まで伸びた農地の端を歩いた。足音を消した。自衛隊の夜間行動訓練が体に残っていた。


 表の見張りは建物の入口に座っていた。スマートフォンの画面を見ていた。顔が青白く照らされていた。若かった。二十代前半か。


 柏木はスッティンの腕を掴んで止めた。


 角の見張りを探した。


 いない。


 情報では角に一人いるはずだった。


 「いないな」


 小声で言った。


 スッティンが耳元で答えた。


 「中かもしれない」


 「それか、増えたか」


 「増えた?」


 「人数が変わっている可能性がある。最初から想定と違う」


 スッティンは少し黙った。


 「どうする」


 「変わらず進む。ただし動きを変える。表の見張りを先に無力化する。静かに」


 「できるか」


 「やってみる」


---


 表の見張りに近づいた。


 スマートフォンを見ていた。集中していた。


 柏木は背後から近づいた。草の上を歩いた。靴底がコンクリートに当たる寸前で止めた。


 残り三メートル。


 見張りがスマートフォンを置いた。


 あくびをした。


 立ち上がろうとした瞬間、柏木が後ろから腕を回した。頸動脈を圧迫した。十秒かからなかった。意識が落ちた。


 地面にゆっくり降ろした。


 「縛るものはあるか」


 スッティンがジップタイを出した。手首と足首を固定した。口にタオルを詰めた。


 「中に入る」


---


 ドアを開けた。


 想定と違った。


 人が多かった。


 情報では四人だった。実際は七人いた。


 女性が三人。子どもが二人。男が二人——被害者ではなく、組織の人間だ。


 七歳か八歳の女の子が一人。それより小さい、五歳前後の男の子が一人。


 子どもが二人いた。情報では一人だった。


 男二人が立ち上がった。一人が叫んだ。タイ語だった。何を言ったかは分からない。


 もう一人が懐に手を入れた。


---


 柏木はベレッタを抜いていた。


 構えた。CARシステム。銃を体の中心線に引き付ける。体ごと目標に向ける。


 「動くな」


 英語で言った。


 部屋が止まった。


 女性の一人が声を上げた。子どもが泣き始めた。五歳の男の子だった。


 懐に手を入れた男は止まっていた。手が途中だった。引き切っていない。


 「手を出せ。ゆっくり」


 柏木は言った。


 男は動かなかった。


 スッティンがタイ語で何か言った。


 男の目が動いた。出口を探していた。


 「ない」


 柏木は言った。


 男は動いた。


 予告なしだった。懐から出した手にナイフがあった。横に投げるように振った。柏木に向けたのではなかった。スッティンに向けた。


---


 柏木は引き金を引いた。


 狙ったのは右肩だった。


 外れた。


 右の上腕に当たった。


 男が倒れた。ナイフが床に落ちた。


 もう一人の男が走った。出口に向かって。


 柏木は追わなかった。


 「スッティン、怪我は」


 「ない。ナイフは当たっていない」


 「その男を見ていろ」


 床の男を指した。撃った男だ。倒れているが意識がある。右腕を抑えている。


 逃げた男のことは後だ。今は部屋の中だ。


 女性三人と子ども二人。全員が壁際に固まっていた。


 柏木はベレッタを下げた。完全には下げなかった。腰の高さで保持した。


 タイ語が分からない。


 スッティンに言った。


 「声をかけてくれ。俺たちは助けに来た、と」


---


 スッティンがタイ語で話した。


 女性の一人が答えた。泣いていた。


 子どもが泣いていた。五歳の男の子は母親らしい女性にしがみついていた。七歳の女の子は泣いていなかった。壁際に立って、柏木を見ていた。


 目が合った。


 柏木は女の子を見た。


 七歳だった。タイ人の顔をしていた。目が大きかった。泣かなかった。泣けなくなっているのかもしれなかった。


 柏木はしゃがんだ。目線を合わせた。


 何も言えなかった。タイ語が分からない。言葉がなかった。


 ただしゃがんで、目を合わせた。


 女の子は柏木の顔を見た。右目だけが動く顔を。ショルダーホルスターの銃を。それから、また柏木の目を見た。


 何かを判断するような目だった。


 それから、一歩だけ近づいた。


---


 「移動する。早く」


 スッティンが言った。


 「外に逃げた男がいる。応援を呼ぶかもしれない」


 「分かった」


 柏木は立ち上がった。


 床の男を見た。右腕から血が出ていた。


 「こいつはどうする」


 「置いていく」


 「死ぬかもしれない」


 「上腕だ。太い血管には当たっていない。死なない。プラチャーに連絡する。後で処置させる」


 柏木は男を見た。


 男は柏木を見ていた。痛みで顔が歪んでいた。怒りがあった。だが動けなかった。


 「動くなよ」


 英語で言った。


 男には分からないかもしれない。だが意味は伝わったはずだった。


---


 全員を外に出した。


 女性三人と子ども二人。スッティンが先導した。柏木が後ろを歩いた。


 農道に出た。


 ペットのトラックが待っていた。ヘッドライトは消えていた。エンジンが低くかかっていた。


 ノックが荷台から降りてきた。


 女性の一人と目が合った瞬間、ノックが何かを言った。タイ語だった。女性が崩れるように泣き始めた。


 ノックが受け止めた。倒れないように支えた。


 子どもが二人、荷台に乗せられた。七歳の女の子は自分で乗った。五歳の男の子はノックが抱き上げた。


 「乗れ」


 柏木はスッティンに言った。


 「逃げた男は」


 「分からない。だが時間がない」


 トラックが動き始めた。


---


 農道を走った。


 来た道とは違うルートをペットが取った。知っている道だった。暗い中を迷わずに走った。


 柏木は後部座席でベレッタを持ったまま後方を見ていた。


 追ってくる車はなかった。


 五分走った。


 十分走った。


 街灯が見えてきた。舗装道路に出た。


 「大丈夫だ」


 スッティンが言った。


 柏木はベレッタをホルスターに戻した。


 右手が少し震えていた。


 見えないように、腿の上で握った。


 三年のブランクがあった。日本では撃てなかった。タイに来て二週間弱、廃屋で訓練した。それが今夜、人間に向けて撃った最初の夜になった。


 外れた。狙った肩ではなく、上腕だった。


 だが上腕で良かったかもしれなかった。肩だったら関節が砕ける。上腕は筋肉だ。血管が太くなければ助かる。


 それは言い訳だろうか、と柏木は思った。


 分からなかった。


---


 シェルターに戻ったのは深夜一時を過ぎていた。


 アレクセイが待っていた。


 被害者の女性三人と子ども二人を受け入れた。アレクセイが一人ずつ確認した。外傷、脱水、衰弱の程度。子ども二人を先に診た。


 五歳の男の子は泣き疲れて、アレクセイの診察中に眠った。


 七歳の女の子はまだ泣いていなかった。


 アレクセイが膝をついて目線を合わせて、何か言った。英語だった。女の子は分からなかったと思う。だが声のトーンに何かがあったのか、女の子は小さく頷いた。


 「状態は」


 柏木がアレクセイに聞いた。


 「命に別状はない。女性の一人は足に傷がある。縫合が要るが、今夜中にできる。子どもは脱水気味だが、水と食事で回復する」


 「今夜中に縫合できるか」


 「そのために俺がいる」


 アレクセイはすでに器具を準備していた。


 「負傷者が出た」


 柏木は言った。


 「誰が」


 「俺が撃った男だ。右上腕。置いてきた。プラチャーに連絡が行っている」


 「太い血管か」


 「当たっていないと思う」


 「思う、ではなく」


 「解剖学的に、あの位置なら橈骨動脈には当たらない」


 アレクセイは少し考えた。


 「上腕動脈がある。ただし、あなたが言う位置なら外れている可能性が高い。プラチャーが動いてくれれば助かる」


 「動いてくれるか」


 「今夜は動いてくれると思う。逃げた男が組織に連絡していれば、現場はすでに騒ぎになっている。プラチャーも動きやすい」


 柏木は頷いた。


---


 庭に出た。


 煙草に火をつけた。


 右手がまだ少し震えていた。


 ウドンターニーの夜だった。虫の音がうるさかった。空が広かった。タイの空は日本より広く感じた。星が多い。


 人間に向けて撃った。


 それが今夜、初めて起きた。


 自衛隊にいた十五年間、一度もなかった。訓練だけだった。


 震えていた。


 怖かったのか、と柏木は考えた。怖かったかもしれない。だが怖さではない気がした。


 ナイフがスッティンに向かった。その瞬間、体が動いた。考えてから動いたのではなかった。体が先に動いた。


 引き金を引いてから、狙いがズレていることが分かった。肩ではなく上腕だと分かった。


 後悔するかどうか考えた。


 しなかった。


 あの状況で、あの選択以外がなかった。


 だが震えは止まらなかった。


 正しい反応だと思った。震えなくなったら、それは別の問題だ。


---


 アレクセイが庭に来た。


 縫合が終わったらしかった。手袋をはずしながら出てきた。


 「終わったか」


 「終わった。女性は眠っている」


 「子どもは」


 「二人とも眠っている。ノックがついている」


 アレクセイは柏木の手を見た。


 「震えているか」


 「少し」


 「初めてか、人に撃ったのは」


 アレクセイは柏木の隣に立った。ポケットから煙草を出した。


 「俺は戦場で人が死ぬのを何度も見た。最初に見た時、手が震えた。医者だから人の死に慣れていると思っていた。違った」


 「慣れないのか」


 「慣れる。だが最初の震えは正しい反応だ。あなたが今震えているのは、正しい」


 「俺も同じことを考えた」


 「似た人間だ」


 二人は煙草を吸った。


 「撃った男は死なないか」


 「プラチャーが動いてくれれば助かる。あなたの狙いも悪くなかった。上腕は選択肢として悪くない」


 「狙った場所じゃなかった」


 「だが結果は悪くなかった。実戦でそれが言えるなら、十分だ」


 柏木は煙草の煙を吐いた。


 「七歳の女の子が泣かなかった」


 少し間を置いて言った。


 アレクセイは答えなかった。


 「泣けなくなっているのか」


 「そうかもしれない。あるいは、もう安全だと感じているのかもしれない。どちらか、今夜は分からない」


 「明日には分かるか」


 「ノックが分かる。俺より、ノックに聞いた方がいい」


 柏木は頷いた。


 「今夜は眠れ」


 アレクセイが言った。


 「お前もか」


 「俺は慣れている。あなたは慣れていない」


 「正しいか正しくないか、それだけ確認したかった」


 「正しかった。スッティンが生きている。被害者が五人、シェルターにいる。それが答えだ」


 柏木は煙草を踏み消した。


 「そうだな」


 空を見た。


 ウドンターニーの夜空に、星が多かった。


 七歳の女の子が一歩だけ近づいてきた時の目を、柏木は覚えていた。


 何かを判断した目だった。


 その判断が何だったかは、分からなかった。


 だが明日、ノックに聞こうと思った。


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