第9話 突入
情報が重なったのは、柏木がウドンターニーに来て十一日目の夜だった。
プラチャーから連絡が入った。組織が明後日の夜に移送を行う。ルートはウドンターニー北部の農道を使う。目的地は不明。対象人数は四人から六人。
同じ夜、コミュニティラインから情報が入った。ウドンターニー北部の村の女性が、「隣村から子どもを含む複数の人間が連れて行かれた」と連絡してきた。三日前のことだった。子どもが一人か二人。女性が二人か三人。今は農場を改装した建物に囲われているらしい。
二つの情報が、同じ場所と時間を指していた。
スッティンが地図を広げた。
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テーブルに全員が集まった。
スッティン、柏木、ペット、ノック。アレクセイはシェルターに残る。
「ここだ」
スッティンが地図の一点を指した。
「コンケーン街道から外れた農道の先に、使われていない農場がある。三年前から犯罪組織が使い始めた。プラチャーも把握していたが、証拠がなくて動けなかった場所だ」
「距離は」
「ここからトラックで四十分。農道に入ってからが問題です。舗装されていない。夜は暗い」
「入口は」
ペットが地図を見て、タイ語で話した。スッティンが訳した。
「一本道だ。農道の入口から農場まで、逃げ場がない。ペットはこの道を知っている。抜け道がある。農地の端を回る未舗装の道。トラックなら通れる」
「なぜ組織はその道を使っていないんだ」
スッティンが訳した。ペットが答えた。
「雨季は使えない道だからだ。今は乾季だから通れる」
「作戦はシンプルにする」
柏木が言った。
「メインの道から入るふりをして、農場の後方に回り込む。ペットが抜け道を運転する。俺とスッティンが建物に入る。ノックは車に残って、被害者が出てきたら受け入れる。アレクセイはシェルターで待機。以上だ」
スッティンが全員を見た。
誰も反対しなかった。
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翌日の夜、午後十時に出発した。
ペットのトラック。荷台にシートを敷いた。被害者が乗れるようにしてある。
柏木はショルダーホルスターにベレッタを収めた。マガジンを確認した。十五発。フルだ。予備マガジンを二本、ベルトに差した。合計四十五発。
「使わずに帰る」
スッティンが言った。
「そのつもりだ」
「でも」
「でも持っていく。それだけだ」
スッティンは何も言わなかった。
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農道に入った。
ヘッドライトを消した。月明かりだけで走る。ペットは道を知っていた。速度を落とさなかった。柏木は助手席で地図を確認した。スッティンが後部座席でタイ語のメッセージをやり取りしていた。コミュニティラインへの最終確認だった。
「状況に変化はあるか」
柏木がスッティンに聞いた。
「今のところ変化なし。四人という情報は変わっていない」
「子どもは」
「一人、という確認が取れた。七歳か八歳の女の子だと」
ペットがタイ語で何か言った。
スッティンが訳さなかった。
「何と言った」
「急ぐなと言いました。急ぐと間違える」
柏木はペットを見た。
ペットは前を見たまま運転していた。大きな手がハンドルを握っている。ポーと同じ道を、今夜また走っている。それがペットの顔に出ていた。
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農場の手前二百メートルで停まった。
エンジンを切った。
全員が降りた。
柏木は闇の中で農場を見た。建物が二棟見えた。離れた場所に一棟。明かりが一棟にある。小さな明かりだった。窓の隙間から漏れている。
「明かりがある棟に人がいる」
「そうだろう」
「もう一棟は」
「倉庫だと聞いていた」
「見張りは」
「表に一人。建物の角に一人。情報ではそうなっている」
「情報では、だな」
スッティンは頷いた。
柏木はベストのポケットから小型の懐中電灯を出した。赤いフィルターをかけた。夜目を潰さない光だ。自衛隊で使っていたやり方だった。
「行く。ノックは車で待機。エンジンはかけておけ。すぐに出られるように」
ノックは頷いた。
「ペット、車の向きを変えておいてくれ。頭を出口に向けて」
ペットは何も言わずにトラックに戻った。
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スッティンと二人で農場に近づいた。
草が背丈まで伸びた農地の端を歩いた。足音を消した。自衛隊の夜間行動訓練が体に残っていた。
表の見張りは建物の入口に座っていた。スマートフォンの画面を見ていた。顔が青白く照らされていた。若かった。二十代前半か。
柏木はスッティンの腕を掴んで止めた。
角の見張りを探した。
いない。
情報では角に一人いるはずだった。
「いないな」
小声で言った。
スッティンが耳元で答えた。
「中かもしれない」
「それか、増えたか」
「増えた?」
「人数が変わっている可能性がある。最初から想定と違う」
スッティンは少し黙った。
「どうする」
「変わらず進む。ただし動きを変える。表の見張りを先に無力化する。静かに」
「できるか」
「やってみる」
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表の見張りに近づいた。
スマートフォンを見ていた。集中していた。
柏木は背後から近づいた。草の上を歩いた。靴底がコンクリートに当たる寸前で止めた。
残り三メートル。
見張りがスマートフォンを置いた。
あくびをした。
立ち上がろうとした瞬間、柏木が後ろから腕を回した。頸動脈を圧迫した。十秒かからなかった。意識が落ちた。
地面にゆっくり降ろした。
「縛るものはあるか」
スッティンがジップタイを出した。手首と足首を固定した。口にタオルを詰めた。
「中に入る」
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ドアを開けた。
想定と違った。
人が多かった。
情報では四人だった。実際は七人いた。
女性が三人。子どもが二人。男が二人——被害者ではなく、組織の人間だ。
七歳か八歳の女の子が一人。それより小さい、五歳前後の男の子が一人。
子どもが二人いた。情報では一人だった。
男二人が立ち上がった。一人が叫んだ。タイ語だった。何を言ったかは分からない。
もう一人が懐に手を入れた。
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柏木はベレッタを抜いていた。
構えた。CARシステム。銃を体の中心線に引き付ける。体ごと目標に向ける。
「動くな」
英語で言った。
部屋が止まった。
女性の一人が声を上げた。子どもが泣き始めた。五歳の男の子だった。
懐に手を入れた男は止まっていた。手が途中だった。引き切っていない。
「手を出せ。ゆっくり」
柏木は言った。
男は動かなかった。
スッティンがタイ語で何か言った。
男の目が動いた。出口を探していた。
「ない」
柏木は言った。
男は動いた。
予告なしだった。懐から出した手にナイフがあった。横に投げるように振った。柏木に向けたのではなかった。スッティンに向けた。
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柏木は引き金を引いた。
狙ったのは右肩だった。
外れた。
右の上腕に当たった。
男が倒れた。ナイフが床に落ちた。
もう一人の男が走った。出口に向かって。
柏木は追わなかった。
「スッティン、怪我は」
「ない。ナイフは当たっていない」
「その男を見ていろ」
床の男を指した。撃った男だ。倒れているが意識がある。右腕を抑えている。
逃げた男のことは後だ。今は部屋の中だ。
女性三人と子ども二人。全員が壁際に固まっていた。
柏木はベレッタを下げた。完全には下げなかった。腰の高さで保持した。
タイ語が分からない。
スッティンに言った。
「声をかけてくれ。俺たちは助けに来た、と」
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スッティンがタイ語で話した。
女性の一人が答えた。泣いていた。
子どもが泣いていた。五歳の男の子は母親らしい女性にしがみついていた。七歳の女の子は泣いていなかった。壁際に立って、柏木を見ていた。
目が合った。
柏木は女の子を見た。
七歳だった。タイ人の顔をしていた。目が大きかった。泣かなかった。泣けなくなっているのかもしれなかった。
柏木はしゃがんだ。目線を合わせた。
何も言えなかった。タイ語が分からない。言葉がなかった。
ただしゃがんで、目を合わせた。
女の子は柏木の顔を見た。右目だけが動く顔を。ショルダーホルスターの銃を。それから、また柏木の目を見た。
何かを判断するような目だった。
それから、一歩だけ近づいた。
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「移動する。早く」
スッティンが言った。
「外に逃げた男がいる。応援を呼ぶかもしれない」
「分かった」
柏木は立ち上がった。
床の男を見た。右腕から血が出ていた。
「こいつはどうする」
「置いていく」
「死ぬかもしれない」
「上腕だ。太い血管には当たっていない。死なない。プラチャーに連絡する。後で処置させる」
柏木は男を見た。
男は柏木を見ていた。痛みで顔が歪んでいた。怒りがあった。だが動けなかった。
「動くなよ」
英語で言った。
男には分からないかもしれない。だが意味は伝わったはずだった。
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全員を外に出した。
女性三人と子ども二人。スッティンが先導した。柏木が後ろを歩いた。
農道に出た。
ペットのトラックが待っていた。ヘッドライトは消えていた。エンジンが低くかかっていた。
ノックが荷台から降りてきた。
女性の一人と目が合った瞬間、ノックが何かを言った。タイ語だった。女性が崩れるように泣き始めた。
ノックが受け止めた。倒れないように支えた。
子どもが二人、荷台に乗せられた。七歳の女の子は自分で乗った。五歳の男の子はノックが抱き上げた。
「乗れ」
柏木はスッティンに言った。
「逃げた男は」
「分からない。だが時間がない」
トラックが動き始めた。
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農道を走った。
来た道とは違うルートをペットが取った。知っている道だった。暗い中を迷わずに走った。
柏木は後部座席でベレッタを持ったまま後方を見ていた。
追ってくる車はなかった。
五分走った。
十分走った。
街灯が見えてきた。舗装道路に出た。
「大丈夫だ」
スッティンが言った。
柏木はベレッタをホルスターに戻した。
右手が少し震えていた。
見えないように、腿の上で握った。
三年のブランクがあった。日本では撃てなかった。タイに来て二週間弱、廃屋で訓練した。それが今夜、人間に向けて撃った最初の夜になった。
外れた。狙った肩ではなく、上腕だった。
だが上腕で良かったかもしれなかった。肩だったら関節が砕ける。上腕は筋肉だ。血管が太くなければ助かる。
それは言い訳だろうか、と柏木は思った。
分からなかった。
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シェルターに戻ったのは深夜一時を過ぎていた。
アレクセイが待っていた。
被害者の女性三人と子ども二人を受け入れた。アレクセイが一人ずつ確認した。外傷、脱水、衰弱の程度。子ども二人を先に診た。
五歳の男の子は泣き疲れて、アレクセイの診察中に眠った。
七歳の女の子はまだ泣いていなかった。
アレクセイが膝をついて目線を合わせて、何か言った。英語だった。女の子は分からなかったと思う。だが声のトーンに何かがあったのか、女の子は小さく頷いた。
「状態は」
柏木がアレクセイに聞いた。
「命に別状はない。女性の一人は足に傷がある。縫合が要るが、今夜中にできる。子どもは脱水気味だが、水と食事で回復する」
「今夜中に縫合できるか」
「そのために俺がいる」
アレクセイはすでに器具を準備していた。
「負傷者が出た」
柏木は言った。
「誰が」
「俺が撃った男だ。右上腕。置いてきた。プラチャーに連絡が行っている」
「太い血管か」
「当たっていないと思う」
「思う、ではなく」
「解剖学的に、あの位置なら橈骨動脈には当たらない」
アレクセイは少し考えた。
「上腕動脈がある。ただし、あなたが言う位置なら外れている可能性が高い。プラチャーが動いてくれれば助かる」
「動いてくれるか」
「今夜は動いてくれると思う。逃げた男が組織に連絡していれば、現場はすでに騒ぎになっている。プラチャーも動きやすい」
柏木は頷いた。
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庭に出た。
煙草に火をつけた。
右手がまだ少し震えていた。
ウドンターニーの夜だった。虫の音がうるさかった。空が広かった。タイの空は日本より広く感じた。星が多い。
人間に向けて撃った。
それが今夜、初めて起きた。
自衛隊にいた十五年間、一度もなかった。訓練だけだった。
震えていた。
怖かったのか、と柏木は考えた。怖かったかもしれない。だが怖さではない気がした。
ナイフがスッティンに向かった。その瞬間、体が動いた。考えてから動いたのではなかった。体が先に動いた。
引き金を引いてから、狙いがズレていることが分かった。肩ではなく上腕だと分かった。
後悔するかどうか考えた。
しなかった。
あの状況で、あの選択以外がなかった。
だが震えは止まらなかった。
正しい反応だと思った。震えなくなったら、それは別の問題だ。
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アレクセイが庭に来た。
縫合が終わったらしかった。手袋をはずしながら出てきた。
「終わったか」
「終わった。女性は眠っている」
「子どもは」
「二人とも眠っている。ノックがついている」
アレクセイは柏木の手を見た。
「震えているか」
「少し」
「初めてか、人に撃ったのは」
アレクセイは柏木の隣に立った。ポケットから煙草を出した。
「俺は戦場で人が死ぬのを何度も見た。最初に見た時、手が震えた。医者だから人の死に慣れていると思っていた。違った」
「慣れないのか」
「慣れる。だが最初の震えは正しい反応だ。あなたが今震えているのは、正しい」
「俺も同じことを考えた」
「似た人間だ」
二人は煙草を吸った。
「撃った男は死なないか」
「プラチャーが動いてくれれば助かる。あなたの狙いも悪くなかった。上腕は選択肢として悪くない」
「狙った場所じゃなかった」
「だが結果は悪くなかった。実戦でそれが言えるなら、十分だ」
柏木は煙草の煙を吐いた。
「七歳の女の子が泣かなかった」
少し間を置いて言った。
アレクセイは答えなかった。
「泣けなくなっているのか」
「そうかもしれない。あるいは、もう安全だと感じているのかもしれない。どちらか、今夜は分からない」
「明日には分かるか」
「ノックが分かる。俺より、ノックに聞いた方がいい」
柏木は頷いた。
「今夜は眠れ」
アレクセイが言った。
「お前もか」
「俺は慣れている。あなたは慣れていない」
「正しいか正しくないか、それだけ確認したかった」
「正しかった。スッティンが生きている。被害者が五人、シェルターにいる。それが答えだ」
柏木は煙草を踏み消した。
「そうだな」
空を見た。
ウドンターニーの夜空に、星が多かった。
七歳の女の子が一歩だけ近づいてきた時の目を、柏木は覚えていた。
何かを判断した目だった。
その判断が何だったかは、分からなかった。
だが明日、ノックに聞こうと思った。




