第3話 期限
組織改編から三週間。
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アルファチームは、局長の指揮下で快進撃を続けていた。
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プーケット県。
海上での麻薬取引を制圧。
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瀧本は、ジェットスキーで逃走する犯人を追っていた。
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「バイクじゃないのか」
マルティネスが無線で言った。
「海だからな。バイクは無理だ」
「残念だな」
「残念だ。ジェットスキーは、建物に突っ込めない」
「突っ込むな」
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瀧本は犯人の船に追いついた。
ジェットスキーから飛び移った。
甲板で犯人を殴り倒した。
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「確保」
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海に落ちた。
ずぶ濡れになった。
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「瀧本、大丈夫か」
「大丈夫だ。濡れただけだ」
「また怪我したか」
「してない。今回は珍しく無傷だ」
「珍しいな」
「珍しいだろ」
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チョンブリー県。
違法カジノの摘発。
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ヨナタンが正面から突入した。
ブリーチングショットガンでドアを吹き飛ばした。
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「突入」
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中には、武装した警備員が十人。
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ヨナタンは無表情のまま、全員を三十秒で制圧した。
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「クリア」
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瀧本が後から入ってきた。
「お前、一人で終わらせるな」
「終わった」
「終わったじゃない。俺の出番がない」
「次は譲る」
「次も同じこと言うだろ」
「言わない」
「嘘だ」
「嘘じゃない」
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ジョンソンとマルティネスが入ってきた。
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「もう終わったのか」
「終わった」
「俺たちの出番は」
「ない」
「......」
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局長が無線で言った。
「効率的でいいじゃないか」
「効率的すぎます」
「贅沢を言うな」
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アルファチームは、三週間で十二の作戦を完了した。
全て成功。
犯人、合計百五十三人を確保。
死傷者、味方ゼロ。
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損害賠償請求は、八千万バーツに達した。
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ナターシャとラッタナーが、毎日のように書類と格闘していた。
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そして、日本から連絡が来た。
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局長室。
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局長は、一枚の書類を見ていた。
外務省経由で届いた、日本政府からの正式文書。
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『犯罪人引渡し請求書
被請求者:瀧本勝幸(38歳、元日本国籍)
容疑:殺人罪、銃刀法違反、公務員職権濫用罪
請求国:日本国』
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局長は書類を机に置いた。
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「来たか」
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会議室。
緊急会議。
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出席者は、局長、ハーパー、ルノー、ミュラー。
そして、外務省の担当官。
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「日本政府からの正式な引渡し請求です」
担当官が説明した。
「瀧本勝幸に対する逮捕状が、日本で発行されています」
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「容疑は」
「殺人罪。山本健二を射殺した件です」
「正当防衛ではないのか」
「日本の検察は、正当防衛を認めていません」
「なぜだ」
「勤務外であったこと。拳銃を不正に持ち出していたこと。そして、裁判前に国外に逃亡したこと」
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局長は腕を組んだ。
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「タイ政府の立場は」
「まだ決定していません。局長の意見を聞きたいと」
「俺の意見か」
「はい」
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局長は立ち上がった。
窓に向かって歩いた。
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「瀧本は、我々の仲間だ」
「......」
「タイ国籍を取得している。タイ国民だ」
「......」
「そして、王室犯罪対策局の隊員だ。王の剣だ」
「......」
「日本に引き渡すつもりはない」
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担当官は頷いた。
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「では、そのように報告します」
「ああ。頼む」
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担当官が去った後、ハーパーが言った。
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「日本は、引き下がりますかね」
「引き下がらないだろう」
「では、どうします」
「前回と同じだ」
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局長は椅子に座った。
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「タイ政府が正式に拒否する。日本が抗議する。タイが突っぱねる」
「国際問題になりますが」
「なってもいい」
「......」
「瀧本は、連続殺人犯を止めた。被害者を守った。それは正義だ」
「......」
「法と正義が一致しないなら、俺は正義を取る」
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同じ頃。
訓練場。
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瀧本は、バイクの整備をしていた。
陳志明が手伝っていた。
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「瀧本、エンジンの調子はどうだ」
「悪くない。お前のおかげだ」
「俺のおかげじゃない。BMWが頑丈なだけだ」
「それもある」
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スヨンが近づいてきた。
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「瀧本」
「何だ」
「局長が呼んでる」
「局長が? 何かあったのか」
「分からない。でも、重要な話らしい」
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瀧本は立ち上がった。
手を拭いた。
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「行ってくる」
「うん」
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スヨンは、瀧本の背中を見送った。
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局長室。
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「座れ」
「はい」
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瀧本は座った。
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「日本から、引渡し請求が来た」
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瀧本の顔が、固まった。
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「引渡し......」
「お前を日本に引き渡せという要求だ」
「......」
「殺人罪、銃刀法違反、公務員職権濫用罪。逮捕状が出ている」
「......」
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瀧本は黙っていた。
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「俺は、拒否した」
「......え?」
「タイ政府に、引渡しを拒否するよう進言した」
「......」
「お前は、タイ国民だ。タイの法の下にいる」
「......」
「日本に引き渡すつもりはない」
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瀧本は、局長を見た。
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「......いいんですか」
「いい」
「国際問題になりますよ」
「なってもいい」
「でも......」
「瀧本」
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局長は瀧本の目を見た。
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「お前は、正しいことをした」
「......」
「連続殺人犯を止めた。被害者を守った」
「......」
「それを罰する法があるなら、その法が間違っている」
「......」
「俺は、お前を守る。それが、上官の務めだ」
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瀧本は、何も言えなかった。
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目頭が、熱くなった。
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「......ありがとうございます」
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声が、かすれていた。
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その夜。
屋上。
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瀧本は、メンソールを吸っていた。
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日本からの引渡し請求。
逮捕状。
殺人罪。
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「......」
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覚悟はしていた。
いつか、こうなると。
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だが、局長が守ってくれた。
タイが、守ってくれた。
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「俺は......」
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足音が聞こえた。
振り向いた。
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スヨンだった。
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「何の話だったの」
「......」
「瀧本?」
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瀧本は、メンソールの煙を吐いた。
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「日本から、引渡し請求が来た」
「引渡し......?」
「俺を日本に引き渡せって」
「......」
「逮捕状も出てる。殺人罪だ」
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スヨンの顔が青ざめた。
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「そんな......」
「でも、局長が拒否してくれた」
「拒否?」
「ああ。タイは、俺を引き渡さない」
「......」
「守ってくれるって」
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スヨンは、少し安心した顔をした。
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「良かった......」
「......」
「本当に、良かった......」
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スヨンの目に、涙が浮かんでいた。
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「お前、なんで泣いてるんだ」
「泣いてない」
「泣いてる」
「泣いてない!」
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瀧本は少し笑った。
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「......ありがとう」
「何が」
「心配してくれて」
「心配なんか......」
「してただろ」
「......」
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スヨンは黙った。
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「......してたわよ」
「だろうな」
「うるさい」
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二人は、並んで夜空を見た。
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「瀧本」
「何だ」
「日本には、帰りたい?」
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瀧本は考えた。
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「......分からない」
「分からない?」
「日本には、もう何もない」
「......」
「家族もいない。友達もいない。仕事もない」
「......」
「あるのは、逮捕状だけだ」
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瀧本はメンソールを踏み消した。
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「でも、ここには仲間がいる」
「......」
「局長がいる。ジョンソンがいる。ヨナタンがいる」
「......」
「お前もいる」
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スヨンの顔が、赤くなった。
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「私は......」
「お前は、俺の仲間だ」
「仲間......」
「そうだ。大事な仲間だ」
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スヨンは、少し残念そうな顔をした。
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「仲間、ね......」
「何だ。不満か」
「不満じゃない」
「不満そうだぞ」
「不満じゃない!」
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瀧本は首を傾げた。
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「お前、最近変だな」
「変じゃない」
「変だ。顔が赤いし、泣くし」
「風邪よ」
「風邪で泣くのか」
「泣く風邪もある」
「ないだろ」
「ある!」
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瀧本は溜息をついた。
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「まあ、いい。風邪なら早く寝ろ」
「......」
「明日も訓練だ」
「......分かったわよ」
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スヨンは屋上を去っていった。
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瀧本は一人で残った。
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「......変な女」
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新しいメンソールに火をつけた。
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翌日。
タイ外務省。
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正式な声明が発表された。
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『タイ王国政府は、日本国政府からの犯罪人引渡し請求を拒否する。
瀧本勝幸氏は、タイ王国の国籍を有するタイ国民であり、タイ王国の法の下にある。
同氏の行為は、タイ王国において犯罪を構成しない。
よって、引渡しの法的根拠は存在しない。』
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日本のメディアが騒いだ。
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『タイ、引渡し拒否! 殺人犯を匿う』
『日本政府、強く抗議』
『外交問題に発展か』
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だが、国際社会の反応は、前回と同じだった。
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『連続殺人犯を止めた男を、なぜ日本は罰しようとするのか』
『被害者を守った英雄を、殺人犯呼ばわりするのは異常だ』
『日本の司法制度は、被害者よりも加害者を守るのか』
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日本政府は、前回の教訓を思い出した。
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あの時も、世界中から批判された。
タイ政府に正式に謝罪させられた。
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「......これ以上、騒がない方がいいのでは」
「しかし、世論が......」
「世論より、国際的な立場を考えるべきだ」
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日本政府は、静かに引き下がった。
抗議は続けるが、強硬手段は取らない。
そういう方針に落ち着いた。
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同じ頃。
柏木は追い詰められていた。
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局長室。
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「期限まで、あと一週間だ」
「......」
「答えは出たか」
「......」
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柏木は黙っていた。
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「サラか。マリーか。ナリンか。それとも、誰でもないか」
「......」
「答えろ」
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柏木は、ようやく口を開いた。
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「......考えました」
「考えた?」
「はい。この三週間、ずっと」
「それで」
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柏木は目を閉じた。
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「俺は......誰も選べません」
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局長は眉をひそめた。
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「選べない?」
「はい」
「なぜだ」
「俺には、その資格がない」
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局長は黙った。
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「サラも、マリーも、ナリンも......俺なんかには、もったいない」
「......」
「俺は、戦うことしかできない。組織も運営できない。請求書も処理できない」
「......」
「女を幸せにする自信がない」
「......」
「だから、誰も選べない」
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局長は溜息をついた。
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「お前、それは逃げだ」
「逃げ......?」
「そうだ。逃げだ」
「......」
「選ばないことで、傷つくのを避けようとしている」
「......」
「だが、選ばないことも、選択だ。全員を傷つける選択だ」
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柏木は何も言えなかった。
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「いい。分かった」
局長は立ち上がった。
「お前が選ばないなら、俺が三人に伝える」
「局長......」
「お前が何も決められなかったことを。何も考えていなかったことを」
「......」
「それで、三人がどう判断するかは、三人次第だ」
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柏木は頭を下げた。
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「......すみません」
「謝るな。謝られても、何も解決しない」
「......」
「お前は、戦闘に専念しろ。それしかできないんだからな」
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柏木は、部屋を出た。
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その夜。
局長は、サラとマリーとナリンを呼んだ。
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三人が、局長室に集まった。
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「座ってくれ」
「はい」
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三人は座った。
互いの顔を、ちらりと見た。
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「三人に、伝えることがある」
「......」
「柏木のことだ」
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三人の体が、固くなった。
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「俺は、柏木に聞いた。三人の中から、誰を選ぶのかと」
「......」
「柏木の答えは......誰も選べない、だった」
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沈黙。
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「選べない?」
サラが聞いた。
「そうだ」
「なぜ」
「自分には資格がない、と言っていた」
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マリーが眉をひそめた。
「資格がない?」
「ああ。女を幸せにする自信がない、と」
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ナリンは黙っていた。
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「これが、柏木の答えだ」
局長は言った。
「俺から言えることは、以上だ」
「......」
「後は、三人で考えてくれ」
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三人は、局長室を出た。
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廊下。
三人は、並んで歩いた。
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沈黙。
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「......そう、なのね」
サラが呟いた。
「選べない、か」
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マリーは無表情だった。
「予想はしていたわ」
「予想?」
「柏木は、そういう人よ。戦闘以外、何も見えない」
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ナリンは俯いていた。
「私のせいかもしれない......」
「あなたのせい?」
「私が、瀧本さんを傷つけた。柏木さんは、それを気にしているのかも」
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サラは首を振った。
「あなたのせいじゃないわ。柏木は、最初からこうだった」
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三人は、中庭のベンチに座った。
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「どうする?」
マリーが聞いた。
「どうするって?」
「このまま、待ち続ける?」
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サラは考えた。
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「......私は、待つわ」
「待つ?」
「柏木が、いつか気づくまで」
「いつまで?」
「分からない。でも、待つ」
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マリーは溜息をついた。
「私も、同じよ。待つしかない」
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ナリンは首を振った。
「私は......待てない」
「待てない?」
「私には、資格がない」
「......」
「瀧本さんを傷つけた。柏木さんを待つ資格なんて、ない」
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ナリンは立ち上がった。
「私は、身を引くわ」
「ナリン......」
「二人に、任せる。私は、もう......」
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ナリンは去っていった。
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サラとマリーが残された。
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「......減ったわね」
「減ったわ」
「ライバルが一人減った」
「そうね」
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二人は、顔を見合わせた。
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「でも、嬉しくないわ」
「私も」
「ナリン、泣いてた」
「見えた」
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沈黙。
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「柏木って、本当に罪な男ね」
「本当にね」
「自覚がないのが、一番たちが悪い」
「本当にそう」
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二人は、夜空を見上げた。
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「私たちは、どうする?」
「待つしかないわ」
「待って、報われるかしら」
「分からない」
「分からないのに、待つの?」
「待つわ。好きだから」
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マリーは少し笑った。
「私も、同じよ」
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夜風が、二人の間を吹き抜けた。




