幕間 崩壊
バンコク。
聖域制圧の報せが、政府内を駆け巡った。
混乱が始まった。
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プラソン・チャルーンポンの執務室。
国家安全保障会議副議長は、電話を握りしめていた。
手が震えていた。
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「何だと......ウィワットが捕まった?」
「はい。今朝、突撃隊が聖域を制圧しました」
「帳簿は」
「押収されました」
「通信記録は」
「押収されました」
「取引データは」
「全て、押収されました」
プラソンの顔から、血の気が引いた。
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帳簿には、全てが記録されている。
誰に、いくら払ったか。
いつ、どんな便宜を図ったか。
プラソンの名前も、当然、載っている。
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「......終わりだ」
電話を切った。
すぐに別の番号に電話した。
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「ピチットか。聞いたか」
「聞いた」
陸軍中将の声は、震えていた。
「どうする」
「知らん。俺に聞くな」
「お前も帳簿に載っているんだぞ」
「分かっている!」
「証拠隠滅は」
「無理だ。全て押収された」
「では、口封じを」
「誰の口を封じる。ウィワットは既に捕まった。俺たちが動けば、余計に怪しまれる」
「では、どうすれば」
「逃げるしかない」
「逃げる? どこへ」
「国外だ。タイにいたら、捕まる」
電話が切れた。
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プラソンは、机の引き出しを開けた。
パスポートがある。
現金もある。
「逃げるか......」
呟いた。
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だが、すぐに気づいた。
空港には、監視がいるだろう。
陸路で国境を越えるか。
だが、それも危険だ。
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「くそ......」
プラソンは頭を抱えた。
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同じ頃。
バンコク警察本部。
ソムチャイ大佐の執務室。
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ソムチャイは、書類をシュレッダーにかけていた。
狂ったように。
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「間に合え......間に合え......」
ウィワットとのやり取りの記録。
賄賂の受領書。
便宜を図った証拠。
全て、処分しなければ。
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部下が入ってきた。
「大佐、何をしているんですか」
「見て分からんのか! 邪魔するな!」
「しかし......」
「出ていけ!」
部下は、怯えた顔で出ていった。
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シュレッダーが止まった。
紙詰まりだ。
「くそ! くそ! くそ!」
ソムチャイは機械を殴った。
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携帯電話が鳴った。
非通知。
恐る恐る出た。
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「ソムチャイ大佐ですね」
知らない声だった。
「誰だ」
「王室犯罪対策局です」
血の気が引いた。
「我々は、ウィワット・チャロエンスックを確保しました。彼は、協力的です」
「......」
「あなたの名前も、出ています」
「......」
「逃げても無駄です。空港、港、国境、全てに手配が回っています」
「......」
「自首を勧めます。今なら、まだ司法取引の余地があります」
電話が切れた。
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ソムチャイは、電話を床に叩きつけた。
「終わりだ......終わりだ......」
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国会議事堂。
タナコーン・シリワット議員の事務所。
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七十代の老政治家は、窓の外を見ていた。
表情は、意外にも穏やかだった。
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秘書が入ってきた。
「先生、マスコミが集まっています」
「そうか」
「コメントを求められています」
「何も言うことはない」
「しかし......」
「何も言うことはない。帰れと伝えろ」
「はい......」
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秘書が出ていった後、タナコーンは椅子に座った。
引き出しを開けた。
拳銃があった。
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「五十年、政治をやってきた」
呟いた。
「最初は、国のためだと思っていた。いつから、道を外れたのか」
銃を手に取った。
「覚えていない。気づいたら、こうなっていた」
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銃口を見つめた。
「逮捕されて、裁判にかけられて、刑務所に入る。それが、私の最期か」
「それとも......」
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長い沈黙。
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タナコーンは、銃を引き出しに戻した。
「まだ、死ぬ時ではない」
立ち上がった。
「やれることをやろう。最後まで」
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電話を取った。
弁護士に連絡した。
「私だ。......ああ、そうだ。......自首する」
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陸軍本部。
ピチット中将の執務室。
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中将は、軍服を着替えていた。
私服に。
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「中将、どこへ行くのですか」
副官が聞いた。
「カンボジアだ」
「カンボジア?」
「知り合いがいる。匿ってもらえる」
「しかし、軍務が」
「軍務? そんなものは、もう終わりだ」
「中将......」
「俺は、逃げる。お前も、好きにしろ」
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ピチットは、鞄を持って執務室を出た。
廊下を歩いた。
出口に向かって。
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だが、出口には、人が立っていた。
白い制服。
金のエンブレム。
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「ピチット中将ですね」
ジョンソンだった。
隣にマルティネスがいた。
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「王室犯罪対策局です。ご同行願います」
「......逮捕か」
「任意同行です。今のところは」
「今のところは、か」
ピチットは笑った。
「逃げ切れると思ったんだがな」
「残念でしたね」
「ああ、残念だ」
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ピチットは、おとなしく連行された。
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夕方。
テレビのニュース。
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「本日未明、王室犯罪対策局が、サムットプラカーン県の物流会社を強制捜査しました」
「この会社は、東南アジア最大の麻薬集積拠点と見られており、CEOのウィワット・チャロエンスック容疑者が逮捕されました」
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「また、この事件に関連して、複数の政府高官が取り調べを受けています」
「国家安全保障会議のプラソン・チャルーンポン副議長は、現在、所在不明となっています」
「陸軍のピチット中将は、本日午後、王室犯罪対策局に任意同行されました」
「バンコク警察のソムチャイ大佐は、本日夕方、自宅で身柄を確保されました」
「与党のタナコーン・シリワット議員は、自ら警察に出頭しました」
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「政府内に激震が走っています」
「野党は、内閣総辞職を要求する声明を発表しました」
「首相は、緊急記者会見を開き、『徹底的な捜査を支持する』と述べました」
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チェンマイ。
突撃隊の拠点。
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全員が、テレビを見ていた。
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「すごいことになっているな」
ニコライが言った。
「政府が、ひっくり返りそうだ」
「ひっくり返ればいい」
柏木が答えた。
「腐った政治家は、全員引きずり出す」
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「プラソンは逃げたのか」
サラが聞いた。
「逃げた。だが、長くは続かない」
「なぜ」
「国際手配が出る。どこに逃げても、追いかける」
「世界中を?」
「必要なら」
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ファリダーが言った。
「タナコーン議員は、自首したそうですね」
「したらしい」
「意外です。逃げると思っていました」
「逃げる奴と、逃げない奴がいる。人それぞれだ」
「......そうですね」
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川島が聞いた。
「隊長、これからどうなるんですか」
「どうなる、とは」
「政府が混乱しています。俺たちは、どこまでやるんですか」
「最後までだ」
「最後?」
「腐敗を根絶するまでだ。政治家だろうが、軍だろうが、警察だろうが、容赦しない」
「......」
「俺たちは、王の剣だ。悪を断つために存在する」
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ジョンソンが入ってきた。
「局長から連絡だ」
「何と」
「『プラソンの居場所が分かった。確保に向かえ』」
「どこにいる」
「チャンタブリー県。カンボジア国境に近い」
「逃げようとしているな」
「逃がすのか」
「逃がさない」
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柏木は立ち上がった。
「アルファチーム、出動準備」
「了解」
「プラソンを確保する。国外に逃がすな」
「了解!」
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白い戦士たちが、動き始めた。
次の標的に向かって。




