第6話 日常
聖域崩壊から三ヶ月。
タイ国内は、激震に揺れていた。
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ウィワットの帳簿。プラソンの通信記録。詐欺コンパウンドの資料。
これらから芋づる式に、汚職と犯罪のネットワークが明らかになった。
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王宮警察が動いた。
警察が動いた。
軍警察が動いた。
毎日のように、逮捕者が出た。
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政治家。官僚。軍人。警察官。企業家。
地位に関係なく、容疑者は逮捕された。
「聖域の浄化」
メディアは、そう呼んだ。
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王室犯罪対策局は、捜査を各機関に引き継いだ。
突撃隊の大規模作戦は、一時停止。
事態が落ち着くまで、待機。
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だが、暇なわけではなかった。
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バンコク。王室犯罪対策局本部。
局長室。
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「新しい任務だ」
局長が言った。
「大規模作戦ですか」
柏木が聞いた。
「違う。日常任務だ」
「日常任務?」
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局長は書類を渡した。
「突撃隊は、タイ国内の重大犯罪にも対処する。これは、設立当初からの規定だ」
「重大犯罪」
「人質事件。立てこもり。武装強盗。テロ。そういったものだ」
「......つまり」
「SWATだ」
「SWAT」
「そうだ。タイ版SWATとして、各地の重大事件に対応する」
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柏木は書類を見た。
「既に、いくつか要請が来ている」
「来ている。バンコク警察から三件。チェンマイ警察から一件。プーケット警察から一件」
「五件」
「そうだ。選んで対応しろ」
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拠点に戻った。
全員を集めた。
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「新しい任務だ」
柏木が言った。
「大規模作戦ですか」
川島が聞いた。
「違う。日常任務だ」
「日常任務?」
「重大犯罪への対応だ。人質事件、立てこもり、武装強盗、テロ」
「......つまり」
ニコライが言った。
「SWATか」
「SWATだ」
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沈黙。
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「俺たちが、SWATを」
ジョンソンが言った。
「そうだ」
「麻薬王を倒した俺たちが」
「そうだ」
「装甲車を破壊した俺たちが」
「そうだ」
「三百人を制圧した俺たちが」
「そうだ」
「SWATを」
「そうだ」
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マルティネスが天を仰いだ。
「神よ......」
「神に祈っても変わらない」
「分かっている。だが、祈りたい」
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川島が呟いた。
「隊長......もう、これSWATやん......」
「SWATだ」
「俺たち、特殊部隊ですよね」
「特殊部隊だ」
「なのに、SWATですか」
「SWATだ」
「......」
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ニコライが言った。
「まあ、仕方ないだろう」
「仕方ない?」
「大規模作戦がないんだ。暇よりはマシだ」
「それは......そうだが」
「やることがあるだけ、ありがたいと思え」
「......そうですね」
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「最初の任務を発表する」
柏木が言った。
「バンコク市内。銀行強盗。犯人三人が人質を取って立てこもっている」
「銀行強盗......」
「人質は十二人。犯人は自動小銃で武装」
「自動小銃」
「AK系統と推定」
「AKか」
「いつものだな」
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「出動は」
サラが聞いた。
「即時だ。準備しろ」
「了解」
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バンコク市内。某銀行。
警察車両が取り囲んでいる。
報道陣も集まっている。
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白いハンヴィーが到着した。
一台だけ。
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「王室犯罪対策局、到着しました」
柏木が警察の指揮官に挨拶した。
「待っていました。よろしくお願いします」
「状況は」
「犯人三人。人質十二人。正面入口は封鎖されています。裏口は不明」
「要求は」
「逃走用の車両と、一億バーツの現金」
「交渉は」
「難航しています。犯人は興奮状態で、話が通じません」
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柏木は銀行を見た。
三階建て。ガラス張りの正面入口。
中に、人影が見える。
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「突入する」
「突入ですか」
「そうだ。交渉が通じないなら、実力行使だ」
「しかし、人質が」
「人質は救出する。俺たちを信じてくれ」
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作戦は単純だった。
正面と裏口から同時に突入。
閃光弾で目を眩ませ、制圧する。
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「アルファ、正面。俺とニコライとサラ」
「ブラボー、裏口。ジョンソンとマルティネスとヨナタン」
「マリーは狙撃支援。向かいのビルから」
「了解」
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全員が配置についた。
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「マリー、状況は」
「犯人三人を視認。一人は窓際。二人は奥。人質は床に伏せている」
「射線は」
「窓際の一人は狙える。残り二人は角度的に無理」
「了解。窓際の一人を頼む。合図で撃て」
「了解」
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「全員、準備はいいか」
「了解」
「三、二、一、実行」
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マリーが撃った。
窓ガラスが割れた。
窓際の犯人が倒れた。肩を撃ち抜かれていた。
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同時に、正面と裏口から突入した。
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柏木が最初に入った。
閃光弾を投げた。
爆発。白い光。
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犯人が目を押さえた。
柏木が距離を詰めた。
犯人の銃を叩き落とした。
顎に肘。
倒れた。
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ニコライが二人目に向かった。
犯人が銃を向けようとした。
遅い。
ニコライの拳が、犯人の腹に叩き込まれた。
犯人が屈んだ。
後頭部に手刀。
気絶。
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十秒で終わった。
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「制圧完了」
柏木が報告した。
「犯人三人、確保。人質十二人、全員無事」
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警察の指揮官が、唖然としていた。
「......十秒」
「十秒です」
「十秒で終わったんですか」
「終わりました」
「......」
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翌日。別の任務。
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チェンマイ。
武装した男が、元妻の家に立てこもっている。
元妻と子供二人が人質。
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「DV案件か」
ニコライが言った。
「DVだ」
「......また小さい案件だな」
「小さくても、人質がいる」
「分かっている」
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現場に到着した。
住宅街の一軒家。
警察が取り囲んでいる。
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「状況は」
「犯人は元夫。離婚調停中に逆上して、元妻と子供を人質に取りました」
「武装は」
「猟銃一丁」
「猟銃か」
「はい」
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柏木は家を見た。
二階建て。窓は閉まっている。
中から、男の怒鳴り声が聞こえた。
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「交渉は」
「試みましたが、話を聞きません。『復縁しなければ全員殺す』と」
「......」
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柏木は溜息をついた。
「突入する」
「お願いします」
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作戦は単純だった。
正面ドアを蹴破り、突入。
閃光弾で制圧。
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「俺一人で行く」
「一人でですか」
「相手は素人だ。一人で十分だ」
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柏木は正面ドアに近づいた。
蹴破った。
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中に入った。
リビング。
男がいた。猟銃を構えている。
その前に、女性と子供二人が震えていた。
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「来るな! 撃つぞ!」
男が叫んだ。
柏木は止まらなかった。
歩き続けた。
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「撃てない」
柏木が言った。
「な、何?」
「お前の指は、引き金にかかっていない」
「え」
男が自分の手を見た。
本当だった。緊張で、指が引き金から外れていた。
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その隙に、柏木が距離を詰めた。
猟銃を掴んだ。
捻り上げた。
男の手から、銃が落ちた。
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「終わりだ」
男の腕を捻り、床に押し倒した。
「あ、あ、あ......」
男は泣き始めた。
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「確保完了」
柏木が報告した。
「人質三人、全員無事」
所要時間、十五秒。
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翌日。また別の任務。
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プーケット。
武装強盗グループが、宝石店を襲撃。
店員と客、合わせて八人が人質。
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「今度は宝石店か」
マルティネスが言った。
「宝石店だ」
「犯人は」
「五人。全員、拳銃で武装」
「拳銃か。楽だな」
「楽だな」
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突入した。
三十秒で制圧した。
犯人五人、全員確保。
人質八人、全員無事。
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その後も、任務は続いた。
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バンコクの麻薬取引現場。
突入。制圧。二十秒。
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パタヤの違法カジノ。
突入。制圧。四十五秒。
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アユタヤの誘拐犯アジト。
突入。制圧。三十秒。
被害者救出。
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一週間で、七件の任務をこなした。
全て成功。
死者ゼロ。
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だが、隊員たちの士気は、微妙だった。
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拠点。食堂。
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「疲れた」
ニコライが言った。
「疲れたな」
ジョンソンが答えた。
「体じゃない。心が疲れた」
「分かる」
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マルティネスが言った。
「俺たち、何やってんだろうな」
「SWATだ」
「分かってる。でも、聖域の時は燃えたのに、今は......」
「燃えない」
「燃えない」
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川島が言った。
「三百人と戦った後だと、三人とか五人とか......」
「物足りない」
「物足りないです」
「贅沢だな」
「贅沢ですね」
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ヨナタンが無表情で言った。
「仕事があるだけマシだ」
「それはそうだが」
「文句を言うな。やることがある。それでいい」
「......」
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サラが言った。
「まあ、平和なのはいいことよ」
「平和か」
「大規模な犯罪組織がいないってことでしょう。それは、いいことよ」
「そうだな」
「私たちが暇ってことは、タイが平和ってことよ」
「......そう考えると、悪くないな」
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柏木は黙って聞いていた。
煙草を吸っていた。
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「隊長はどう思いますか」
川島が聞いた。
「どうとは」
「この状況。SWATみたいな任務ばかりで」
「......」
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柏木は煙草を消した。
「悪くない」
「悪くない?」
「ああ。人を助けている。それは、悪くない」
「でも、スケールが」
「スケールは関係ない。一人を助けるのも、百人を助けるのも、同じだ」
「......」
「目の前の人間を助ける。それが、俺たちの仕事だ」
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全員が黙った。
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「まあ」
柏木は続けた。
「大規模作戦がないのは、確かに物足りない」
「隊長も物足りないんですか」
「物足りない。正直に言えば」
「......」
「だが、いつか来る。また、大きな敵が現れる。その時まで、腕を錆びつかせないようにするのが、今の仕事だ」
「腕を錆びつかせない」
「そうだ。SWATでも、実戦は実戦だ。訓練より、よっぽど身になる」
「......そうですね」
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ニコライが笑った。
「隊長の言う通りだ」
「珍しく同意するな」
「珍しくない。いつも同意している」
「嘘だな」
「嘘じゃない」
「嘘だ」
「......まあ、半分くらいは同意している」
「半分か」
「半分だ」
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空気が、少し軽くなった。
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「よし」
柏木が立ち上がった。
「明日も任務がある。今日は早く寝ろ」
「了解」
「文句は、大規模作戦が来てから言え」
「了解」
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全員が散っていった。
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柏木は窓の外を見た。
バンコクの夜景。
平和な夜。
「......悪くない」
呟いた。
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だが、心のどこかで分かっていた。
この平和は、長くは続かない。
いつか、また、大きな敵が現れる。
その時まで、備えておく。
それが、俺たちの仕事だ。




