第5話 空白
チャンタブリー県。
タイ東部。カンボジア国境に近い。
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ハンヴィー二台が、山道を走っていた。
白い車体が、土埃で汚れている。
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「情報を確認する」
柏木が言った。
「プラソンは、国境の空白地帯に逃げ込んだ」
「空白地帯?」
川島が聞いた。
「タイでもカンボジアでもない場所だ。国境が曖昧な地域がある」
「そんな場所があるんですか」
「ある。地図上は線が引いてあるが、実際には誰も管理していない」
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ニコライが地図を見た。
「ここか。山岳地帯だな」
「そうだ。そして、そこには......」
柏木は少し間を置いた。
「特殊詐欺の拠点がある」
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「特殊詐欺?」
ファリダーが聞いた。
「日本や中国、韓国を狙った詐欺グループだ。国境の空白地帯に拠点を作り、そこから電話やネットで詐欺を行っている」
「なぜ、プラソンがそこに」
「繋がっていたんだろう。麻薬だけじゃない。詐欺にも手を出していた」
「......」
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「規模は」
サラが聞いた。
「情報では、構成員は百人以上。武装もしている」
「また百人以上か」
「そうだ。だが、今回は別の問題がある」
「何だ」
「カンボジア軍が動いている」
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全員が顔を見合わせた。
「カンボジア軍?」
「そうだ。カンボジア政府も、この詐欺拠点を問題視していた。今回、プラソンが逃げ込んだことで、一気に動いた」
「つまり、俺たちとカンボジア軍が、同時に動いている」
「そういうことだ」
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「競争になるな」
ジョンソンが言った。
「競争?」
「プラソンを先に確保した方が、手柄を取る」
「手柄の問題じゃない」
柏木が言った。
「プラソンをカンボジア軍に渡すわけにはいかない。奴はタイの犯罪者だ。タイで裁かれるべきだ」
「カンボジアが引き渡さなかったら?」
「引き渡させる。だが、そのためには、俺たちが先に確保する必要がある」
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「局長には連絡したのか」
マルティネスが聞いた。
「した。『先に確保しろ。外交問題は後で何とかする』と」
「『何とかする』か」
「そうだ」
「また『何とかする』だな」
「局長の口癖だ」
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二時間後。
国境地帯。
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山の中に、施設が見えてきた。
フェンスで囲まれた、複数の建物。
詐欺コンパウンド。
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「止まれ」
柏木が言った。
ハンヴィーが停止した。
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双眼鏡で施設を見た。
「建物が......八棟。フェンスは低い。監視塔はない」
「聖域より、防御は薄いな」
「詐欺師の拠点だからな。戦闘部隊じゃない」
「だが、武装はしている」
「している。AKを持った見張りが......六人見える」
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「カンボジア軍は」
川島がドローンを飛ばした。
モニターを見た。
「南東から接近しています。トラックが......五台。兵士は......五十人以上」
「五十人か」
「俺たちより多いな」
「多い。だが、俺たちの方が速い」
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「カンボジア軍との距離は」
「施設まで、向こうは約三キロ。俺たちは約一キロ」
「二キロの差か」
「ハンヴィーなら、五分で詰められます」
「よし。急ぐぞ」
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「作戦は」
ニコライが聞いた。
「単純だ。正面から突入。プラソンを見つけて、確保。カンボジア軍が来る前に撤収」
「時間は」
「十五分」
「十五分で百人を制圧するのか」
「全員を制圧する必要はない。プラソンだけだ」
「分かった」
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「全車両、前進」
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ハンヴィーが動き出した。
山道を下っていく。
施設に向かって。
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詐欺コンパウンド。
正門前。
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見張りが、白いハンヴィーに気づいた。
「何だ、あれは」
「軍か?」
「違う。白い車両なんて見たことない」
「止まれ!」
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ハンヴィーは止まらなかった。
加速した。
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「撃て!」
見張りがAKを構えた。
弾がハンヴィーの装甲に当たった。
弾かれた。
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M2が火を噴いた。
.50口径弾が、正門を粉砕した。
見張りが吹き飛んだ。
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「突入!」
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二台のハンヴィーが、施設内に突入した。
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中は混乱していた。
人々が走り回っている。
詐欺師たち。被害者たち。武装した見張りたち。
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「民間人に注意しろ! 撃つな!」
柏木が叫んだ。
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詐欺コンパウンドには、騙されて連れてこられた人間もいる。
彼らは被害者だ。
撃ってはいけない。
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「武装した奴だけを狙え!」
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ジョンソンがGAU-19を撃った。
だが、人のいない方向に。
建物の壁を粉砕した。
「威嚇だ! 武器を捨てろ!」
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見張りたちが、武器を捨て始めた。
戦う気力がなかった。
相手が違いすぎる。
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「プラソンはどこだ!」
柏木が叫んだ。
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一人の男を捕まえた。
「プラソンはどこにいる」
「し、知らない」
「嘘をつくな」
「本当に知らない! 偉い人が来たのは知っているけど、どこにいるかは」
「偉い人?」
「バンコクから来たって。VIP扱いで」
「どの建物だ」
「あ、あそこ。一番奥の建物」
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柏木は建物を見た。
他より大きい。窓にはカーテンが引かれている。
「あそこか」
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「ニコライ、ジョンソン、ここを押さえろ。俺とサラとヨナタンで、プラソンを確保する」
「了解」
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三人が走った。
建物に向かって。
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建物の前に、武装した男が四人いた。
スーツを着ている。
プラソンの護衛だろう。
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「止まれ!」
護衛が銃を構えた。
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柏木は止まらなかった。
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サラが閃光弾を投げた。
爆発。白い光。
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護衛たちが目を押さえた。
その隙に、柏木が飛び込んだ。
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一人目。銃を叩き落とした。顎に肘。倒れた。
二人目。腹に膝。屈んだところに、後頭部に手刀。倒れた。
三人目はヨナタンが対処した。無言で首を絞め、気絶させた。
四人目はサラが撃った。足を。倒れた。
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「クリア」
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ドアを蹴破った。
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中は豪華だった。
エアコンが効いている。革張りのソファ。大型テレビ。
詐欺で稼いだ金で、贅沢に暮らしていたのだろう。
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奥の部屋に、人の気配があった。
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柏木は静かに近づいた。
ドアを開けた。
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プラソンがいた。
椅子に座っている。
疲れ切った顔。
目の下に隈。
髪は乱れている。
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「......来たか」
プラソンは、柏木を見た。
「逃げ切れると思ったんだがな」
「思うのは自由だ」
「自由か。そうだな、自由だった。今までは」
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プラソンの手に、拳銃があった。
だが、構えていなかった。
膝の上に置いているだけだった。
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「撃つのか」
柏木が聞いた。
「撃たない」
「なぜ」
「疲れた。もう、疲れたんだ」
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プラソンは銃を床に落とした。
音が響いた。
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「私は、六十二歳だ。四十年、政治をやってきた」
「その四十年で、いくら稼いだ」
「数え切れない。百億バーツか、二百億バーツか。もう分からない」
「その金で、何を買った」
「何も。何も買えなかった」
「何も?」
「幸せは、買えなかった。家族も、友人も、全て金で繋がっていただけだ。金がなくなれば、誰もいなくなる」
「自業自得だ」
「そうだな。自業自得だ」
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柏木はプラソンに近づいた。
「立て」
「......」
「立て。タイに帰るぞ」
「帰って、どうなる」
「裁判を受ける。罪を償う」
「償えるのか。私の罪は」
「償えるかどうかは、お前が決めることじゃない。被害者が決めることだ」
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プラソンは、ゆっくりと立ち上がった。
「......分かった」
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サラが手錠をかけた。
「プラソン・チャルーンポン。あなたを、汚職、収賄、麻薬取引幇助、その他多数の容疑で逮捕します」
「......」
「黙秘権があります。弁護士を呼ぶ権利があります」
「弁護士か。今さら、何を弁護するんだ」
「それは、あなたが決めることです」
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外に出た。
施設は、既に制圧されていた。
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ニコライが報告した。
「確保者、八十七人。武装した見張りが二十三人。残りは詐欺師と被害者」
「被害者は」
「四十人以上。タイ人、中国人、ミャンマー人、ベトナム人......色々だ」
「保護しろ。後で、大使館に連絡する」
「了解」
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川島が駆け寄ってきた。
「隊長、カンボジア軍が接近しています。あと五分で到着します」
「間に合ったな」
「ギリギリです」
「ギリギリでいい。撤収するぞ」
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プラソンをハンヴィーに乗せた。
全員が車両に乗り込んだ。
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「撤収!」
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二台のハンヴィーが、施設を離れた。
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五分後。
カンボジア軍が到着した。
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指揮官が、施設を見渡した。
正門は粉砕されている。
建物には弾痕がある。
武装した男たちが、地面に伏せている。
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「......何が起きた」
「分かりません。我々が到着した時には、既にこの状態でした」
「プラソンは」
「いません」
「いない?」
「誰かが、先に連れ去ったようです」
「誰が」
「白い車両を見たという証言があります。白い制服の兵士」
「白い......」
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指揮官は、無線を取った。
「本部、こちら第三中隊。目標は既に確保されていた。白い制服の部隊に先を越された。......はい。......はい、タイの部隊だと思われます。......了解」
無線を切った。
「......やられたな」
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チャンタブリー県。
タイ領内。
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ハンヴィーが停止した。
全員が降りた。
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「任務完了だ」
柏木が言った。
「プラソンを確保した。カンボジア軍より先に」
「ギリギリだったな」
「ギリギリでも、勝ちは勝ちだ」
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プラソンは、ハンヴィーの中で黙っていた。
目が虚ろだった。
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「こいつ、どうする」
ニコライが聞いた。
「バンコクに連行する。局長に引き渡す」
「裁判か」
「裁判だ。全ての罪を、白日の下に晒す」
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サラが柏木の隣に来た。
「詐欺コンパウンドの被害者、どうなるの」
「カンボジア軍が保護するだろう。俺たちは、タイ政府を通じて連絡を取る」
「彼らも、救われるといいわね」
「救われる。俺たちが、そうする」
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夕日が沈んでいく。
白いハンヴィーが、金色に染まっていた。
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「帰るぞ」
柏木が言った。
「バンコクへ」
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二台のハンヴィーが、西に向かって走り出した。




