最終話 新生
バンコク。王宮。
異例の勅令が発布された。
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「王室犯罪対策局を設立する」
陛下の言葉だった。
タイ全土に、その報せが広がった。
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勅令の内容は、以下の通りだった。
一、王室犯罪対策局(Royal Crime Suppression Bureau)を設立する。
二、本局は、王家直轄の組織とする。警察にも軍にも属さない。
三、本局は、タイ国内のあらゆる場所において、捜査・逮捕の権限を有する。
四、本局の活動に対し、いかなる機関も干渉してはならない。
五、本局の予算は、王室より直接支出する。
六、本局の長は、余が直接任命する。
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政府は震撼した。
これは、王室が直接、治安維持に乗り出すという宣言だった。
警察でも軍でもない。
政治家の手が届かない。
完全に独立した、王家直轄の犯罪対策組織。
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プラソンは、勅令を読んで青ざめた。
「これは......」
「我々の手が、完全に届かなくなる」
ピチット中将が言った。
「王家直轄だ。干渉すれば、陛下に逆らうことになる」
「つまり......」
「終わりだ。我々には、もう何もできない」
タナコーン議員が、力なく座り込んだ。
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王宮警察本部。
ウィチャイ大佐が、勅令を手にしていた。
その顔には、静かな喜びがあった。
「大佐」
チャイロン少佐が入ってきた。
「見たか」
「見ました。王室犯罪対策局......」
「我々は、独立する」
「独立......」
「王宮警察ではなくなる。王家直轄の組織になる」
「それは......」
「もう、誰にも邪魔されない。政治家にも、軍にも、汚職警察にも」
ウィチャイは、窓の外を見た。
「本当の戦いが、これから始まる」
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勅令には、もう一つ、重要な内容があった。
「王室犯罪対策局の初代局長に、ウィチャイ・スリヤウォンを任命する」
ウィチャイ大佐から、ウィチャイ局長へ。
階級ではない。地位だ。
王家に直接仕える者としての、地位。
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「局長......」
チャイロンが呟いた。
「実感がないな」
「ないでしょうね」
「だが、やることは変わらない」
「はい」
「犯罪を潰す。人を守る。それだけだ」
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チェンマイ。
柏木班の拠点。
全員が集まっていた。
大佐——いや、局長からの連絡を受けた後だった。
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「王室犯罪対策局」
柏木が言った。
「俺たちは、そこに移籍する」
「王宮警察ではなくなるんですか」
川島が聞いた。
「そうだ。王家直轄の組織になる」
「具体的に、何が変わるんですか」
「権限が変わる。どこにでも踏み込める。誰にも邪魔されない」
「どこにでも......」
「今まで手が出せなかった場所にも、踏み込める」
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ニコライが言った。
「つまり、聖域がなくなる」
「そうだ」
「聖域?」
ファリダーが聞いた。
「今まで、政治的な理由で手が出せなかった場所がある」
柏木が説明した。
「汚職政治家や軍幹部が関わっている拠点。証拠があっても、踏み込めなかった」
「なぜ」
「捜査しようとした警察官が異動させられた。軍が立入禁止にした。記者が消された」
「そんな場所が......」
「ある。バンコク近郊に。東南アジア最大級の麻薬集積拠点だ」
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サラが言った。
「そこに、踏み込むの」
「そうだ。次の目標は、そこだ」
「今まで誰も手を出せなかった場所に」
「ああ。俺たちが、初めて踏み込む」
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ジョンソンが言った。
「規模は」
「今までで最大だ。構成員は三百人以上と推定されている」
「三百人」
「武装も重い。装甲車複数。重機関銃。対空ミサイルまであるという情報もある」
「対空ミサイル......」
「ヘリで接近できないかもしれない」
「どうやって攻めるんだ」
「これから考える」
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マリーが言った。
「面白くなってきた」
「面白い、か」
「ああ。今までは、雑魚ばかりだった。やっと、本物の敵が出てきた」
「本物の敵」
「政治家。軍。警察。その全部が守っていた場所。そこを潰す」
「......ああ」
「楽しみだ」
マリーの目が、光っていた。
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柏木は、全員を見渡した。
十五人。
様々な国から来た、様々な過去を持つ人間たち。
今は、王家直轄の犯罪対策組織の一員だ。
「俺たちは、新しい組織の核になる」
「核」
「そうだ。王室犯罪対策局の実働部隊。俺たちが、その第一陣だ」
「第一陣......」
「これから、仲間も増えるだろう。組織も大きくなる。だが、核は俺たちだ」
「了解」
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「一つ、言っておく」
柏木は続けた。
「これからの戦いは、今までより危険だ」
「分かっています」
「敵は、犯罪組織だけじゃない。政治家がいる。軍がいる。警察がいる」
「......」
「奴らは、俺たちを潰そうとしてくる。あらゆる手を使って」
「受けて立ちます」
ジョンソンが言った。
「俺たちは、ここまで生き延びてきた。これからも生き延びる」
「ああ。生き延びろ。全員」
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「最後に」
柏木は言った。
「陛下から、言葉をいただいた」
「また、ですか」
「ああ。新組織設立に際して」
全員が、姿勢を正した。
「『汝らは、余の剣である。悪を断ち、民を守れ。余は、汝らを信じている』」
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沈黙が落ちた。
重い言葉だった。
王の剣。
それが、自分たちだ。
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ニコライが口を開いた。
「剣か」
「ああ」
「悪くない」
「ああ」
「俺は、誰かの剣になったことはなかった。ロシア軍では、使い捨ての駒だった」
「......」
「だが、今は違う。王の剣だ。誇りを持てる」
「俺もだ」
マルティネスが言った。
「CIDでは、官僚主義に潰された。ここでは、違う」
「俺も」
ジョンソンが言った。
「やっと、本当の仕事ができる」
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川島が言った。
「隊長。俺は、隊長についてきてよかったです」
「そうか」
「自衛隊を辞めた時、どうしていいか分からなかった。でも、今は分かります」
「何が」
「俺がやるべきことが。俺がいるべき場所が」
「......」
「ここです。隊長の隣が、俺の居場所です」
「ありがとう」
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ファリダーが言った。
「私も、ここが居場所です」
「そうか」
「警察学校を出た時、理想がありました。正義を守る。悪を倒す。でも、現実は違った」
「汚職だらけだったな」
「はい。でも、ここは違います。本当に、正義のために戦える」
「ああ」
「だから、ここにいます。これからも」
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サラが、柏木の隣に来た。
「あなた、変わったわね」
「また言うのか」
「何度でも言うわ。最初に会った時より、ずっと......」
「ずっと?」
「人間らしくなった」
「......そうか」
「そうよ。笑うようになった。仲間を信じるようになった。弱さを見せるようになった」
「弱さ?」
「ゴーゴーバーで泣いたでしょう」
「泣いていない」
「嘘。動画に映っていたわ」
「......あの動画は消せ」
「消さない」
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全員が笑った。
柏木も、少しだけ笑った。
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「さて」
柏木は言った。
「新しい戦いが始まる」
「はい」
「王室犯罪対策局。俺たちの新しい名前だ」
「了解」
「聖域を潰す。東南アジア最大の麻薬拠点を」
「了解」
「準備を始めろ。一週間後に、作戦会議を行う」
「了解」
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十五人が、動き始めた。
新しい戦いに向けて。
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柏木は、窓の外を見た。
タイの空。青い空。
ここに来て、一年が経とうとしていた。
日本を出た時、何もなかった。
居場所も、目的も、希望も。
今は、ある。
仲間がいる。
使命がある。
王に認められた。
国民に愛された。
「......悪くない人生だ」
呟いた。
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ポケットから、煙草を取り出した。
火をつけた。
深く吸い込んだ。
「まだ、終わりじゃない」
呟いた。
「これからだ」
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新しい章が、始まろうとしていた。
王室犯罪対策局。
王の剣。
聖域を断つ者たち。
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柏木勇気の戦いは、続く。




