幕間 抗議
バンコク。外務省。
タイ外務大臣、ソムキット・チャイヤシットが記者会見を開いた。
普段は穏やかな表情の男が、今日は違っていた。
目に怒りがあった。
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「日本のメディアに対し、厳重に抗議する」
ソムキットの声は、静かだが鋭かった。
「日本の一部メディアは、我が国の治安機関の職員を、根拠のない憶測で誹謗中傷した」
「これは、タイ国民への侮辱である」
記者たちがざわついた。
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「柏木勇気は、タイ国籍を持つタイ国民である」
ソムキットは、一語一語を区切るように言った。
「彼は、タイの王宮警察に所属する正式な職員である」
「彼を『犯罪者』と呼ぶことは、タイ政府の職員を犯罪者と呼ぶことである」
「これは、タイ王国に対する侮辱である」
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「我々は、日本政府に対し、説明を求める」
ソムキットは続けた。
「日本のメディアは、なぜ、根拠のない報道を行ったのか」
「日本政府は、自国のメディアをコントロールできないのか」
「タイ国民が侮辱されているのに、日本政府は沈黙するのか」
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質問が飛んだ。
「大臣、これは外交問題になるのでしょうか」
「既に外交問題だ」
ソムキットは即答した。
「我が国の国民が、他国のメディアに誹謗中傷されている。これは、国家の尊厳に関わる問題だ」
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「日本との関係悪化を懸念する声もありますが」
「関係悪化を望んでいるわけではない。だが、我が国の国民を守ることは、政府の義務だ」
「具体的に、どのような対応を取るのですか」
「既に、在日タイ大使館を通じて、日本の各報道機関に厳重抗議を行った」
「また、日本外務省に対しても、公式に説明を求めている」
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記者会見は、三十分続いた。
ソムキットの言葉は、終始厳しかった。
タイ政府が、本気で怒っていることが伝わってきた。
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東京。在日タイ大使館。
大使自らが、日本の主要メディアに抗議文を送付した。
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「貴社の報道は、事実に基づいていません」
「柏木勇気氏は、タイ国籍を持つタイ国民であり、タイ王宮警察の正式な職員です」
「彼を『犯罪者』と断定する報道は、根拠がなく、名誉毀損に該当する可能性があります」
「タイ王国政府として、厳重に抗議します」
「今後、同様の報道が続く場合、法的措置を含む対応を検討します」
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抗議文は、テレビ局、新聞社、週刊誌に送られた。
各社の法務部門が、緊急会議を開いた。
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「これは、まずいぞ」
ある新聞社の編集局長が言った。
「タイ政府が公式に抗議してきている」
「柏木が日本人だと思っていた。タイ国籍を持っていたのか」
「持っていたらしい。つまり、我々は外国の公務員を犯罪者呼ばわりした」
「外交問題だ」
「訴えられる可能性もある」
「......記事を取り下げるか」
「取り下げるだけでは済まないかもしれない。訂正と謝罪が必要だ」
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週刊誌の編集部でも、同様の議論が行われていた。
「うちの記事が、一番ひどかった」
「『犯罪組織の一員だった可能性がある』と書いた」
「可能性と書けば、逃げられると思ったんだが」
「タイ政府相手には、通用しない」
「......謝罪記事を出すか」
「出すしかないだろう」
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テレビ局のワイドショーでも、トーンが変わった。
「先日の報道について、訂正があります」
司会者が、硬い表情で言った。
「柏木勇気氏について、『犯罪組織との関連が疑われる』と報道しましたが、これは事実に基づいていませんでした」
「柏木氏は、タイ国籍を持つタイ国民であり、タイ王宮警察の正式な職員です」
「事実確認が不十分なまま報道したことを、お詫びします」
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コメンテーターたちの態度も、手のひらを返したように変わった。
「私も、先日の発言を訂正します」
「柏木氏を『犯罪者』と決めつけるような発言をしましたが、これは不適切でした」
「タイ政府から抗議を受け、改めて事実を確認したところ、柏木氏は犯罪に関与していないことが分かりました」
「軽率な発言をしたことを、反省しています」
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SNSでも、流れが変わった。
「タイ政府が本気で怒ってる」
「やばい、外交問題になってる」
「柏木さん、タイ国籍持ってたのか」
「つまり、日本のメディアが外国の公務員を誹謗中傷したってこと?」
「それは、まずいでしょ」
「手のひら返しすごいな」
「でも、最初から調べればよかったのに」
「日本のメディアって、ほんと調べないで書くよな」
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擁護派が、勢いを増した。
「だから言っただろ、柏木さんは犯罪者じゃないって」
「タイでは英雄扱いされてる人を、日本だけが叩いてた」
「恥ずかしいわ、日本のメディア」
「同調圧力で叩いてた奴ら、今どんな気持ち?」
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批判派は、沈黙するか、論点をすり替えた。
「外交問題になるとは思わなかった」
「タイ政府が抗議するなんて、大げさじゃない?」
「でも、暴力で解決するのは間違っている」
「彼が英雄かどうかは、別の問題だ」
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だが、全体の流れは変わっていた。
「柏木=犯罪者」という論調は、急速に萎んでいった。
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日本外務省。
タイからの抗議を受け、緊急の対応協議が行われた。
「タイ政府が、公式に説明を求めている」
「どう対応する」
「メディアの報道は、政府の責任ではないと伝えるしかない」
「それで納得するか」
「しないだろう。だが、他に方法がない」
「タイとの関係は、重要だ。経済的にも、安全保障的にも」
「これ以上、悪化させるわけにはいかない」
「メディアに対し、非公式に自制を求めるか」
「それは、報道の自由を侵害する可能性がある」
「だが、外交問題を放置するわけにもいかない」
「......難しいな」
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結局、日本政府は曖昧な対応を取った。
「メディアの報道は、政府の責任ではありません」
「しかし、事実に基づかない報道が、両国関係に影響を与えることを懸念しています」
「メディア各社には、事実確認を徹底することを期待します」
これが、公式な回答だった。
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タイ政府は、この回答に満足しなかった。
だが、それ以上の追及は控えた。
目的は、達成されていた。
日本のメディアは、報道を訂正した。
柏木への誹謗中傷は、下火になった。
それで十分だった。
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チェンマイ。
柏木は、日本のニュースを見ていた。
訂正。謝罪。手のひら返し。
「......」
何も言わなかった。
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ニコライが隣に来た。
「タイ政府が守ってくれたな」
「ああ」
「どう思う」
「......ありがたい」
「それだけか」
「それだけだ」
「日本のメディアに、何か言いたいことはないか」
「ない」
「本当か」
「本当だ。どうでもいい」
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柏木は、テレビを消した。
「俺は、日本に認められたかったわけじゃない」
「じゃあ、何が欲しかったんだ」
「正しいことをしたかった。それだけだ」
「正しいことは、した」
「ああ」
「なら、いいじゃないか」
「ああ。いいんだ」
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川島が入ってきた。
「隊長」
「どうした」
「家族から、また連絡がありました」
「......何と」
「『報道が変わった。お前は犯罪者じゃなかったのか。よかった』と」
「......」
「謝罪は、ありませんでしたけど」
川島は、少し苦笑していた。
「でも、まあ、いいです。分かってくれれば」
「そうか」
「はい」
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サラが来た。
「日本のSNS、見た?」
「見ていない」
「手のひら返しがすごいわよ。昨日まで叩いていた人たちが、急に擁護し始めている」
「そういうものだ」
「腹が立たない?」
「立たない」
「なぜ」
「期待していなかったから」
サラは、少し悲しそうな顔をした。
「あなた、日本を完全に諦めているのね」
「諦めている」
「寂しくない?」
「......少しだけ」
「少しだけ」
「ああ。でも、ここには仲間がいる。それで十分だ」
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ファリダーが入ってきた。
「柏木さん。タイのSNSも見てください」
「何がある」
「お祝いのメッセージが、たくさん来ています」
「お祝い?」
「はい。『日本に勝った』『タイ政府が守ってくれた』『柏木さんはタイの英雄だ』」
「......」
「タイ人は、柏木さんの味方です。みんな」
柏木は、画面を見た。
タイ語のメッセージが、無数に並んでいた。
「ขอบคุณครับ(ありがとうございます)」
「คุณคือฮีโร่ของไทย(あなたはタイの英雄です)」
「เราภูมิใจในตัวคุณ(私たちはあなたを誇りに思います)」
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柏木は、小さく笑った。
「......ありがたいな」
「はい」
「俺は、タイ人になってよかった」
「私も、柏木さんがタイ人になってくれて、嬉しいです」
「......ありがとう」
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夜。
全員が集まった。
祝杯を挙げた。
ノンアルコールだったが。明日も作戦があるから。
「タイ政府に感謝だ」
ジョンソンが言った。
「陛下にも」
マルティネスが言った。
「そして、柏木にも」
ニコライが言った。
「俺に?」
「お前がいなければ、この部隊はない。お前がいたから、俺たちはここにいる」
「......」
「感謝している。本当に」
「俺も」
「俺も」
「私も」
全員が、柏木を見ていた。
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柏木は、少し照れくさそうだった。
「......ありがとう」
「素直だな」
「たまにはな」
「たまにか」
「ああ。たまにだ」
全員が笑った。
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チェンマイの夜。
十五人の仲間たち。
様々な国から来た、様々な過去を持つ人間たち。
だが、今は一つのチームだ。
タイの王に認められ、タイ政府に守られ、タイ国民に愛される、一つのチームだ。
「明日から、また戦う」
柏木が言った。
「了解」
十五人の声が、重なった。




