第9話 奔走
一週間が過ぎた。
全員が動いていた。
作戦を続けながら、同時に人材を探す。睡眠時間を削って、連絡を取り、交渉し、説得する。
条件は厳しかった。
タイに来ること。タイ国籍を取ること。危険な仕事をすること。給料は安い。保証はない。
それでも来る人間を探していた。
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柏木は諦めて、自衛隊時代の元部下に連絡を取った。
特殊作戦群で一緒だった人間。除隊して、今は民間にいる者たち。
三人に連絡した。
一人目は断った。家族がいる。子供が生まれたばかりだと。
二人目も断った。今の仕事が安定している。リスクを取る理由がないと。
三人目。
川島誠。三十二歳。元特殊作戦群の通信担当。柏木が小隊長だった頃の部下だ。
「タイですか」
電話の向こうで、川島の声が響いた。
「そうだ。来れるか」
「......今、何をしているんですか」
「対犯罪組織捜査班だ。王宮警察の下で動いている」
「王宮警察」
「そうだ」
「隊長らしいですね」
「何がだ」
「どこに行っても、戦っている」
沈黙があった。
「条件は厳しい。タイ国籍を取る必要がある。日本人じゃなくなる」
「......」
「断っても構わない。無理強いはしない」
「隊長」
「何だ」
「俺、今の仕事が嫌いなんです」
「何をしている」
「セキュリティ会社です。金持ちの護衛。つまらない仕事です」
柏木は黙って聞いていた。
「特殊作戦群を辞めてから、ずっと退屈でした。何のために訓練したのか分からなくなった」
「......」
「行きます。タイに」
「本当か」
「本当です。隊長の下で働けるなら、国籍なんてどうでもいい」
柏木は少し笑った。
「相変わらずだな」
「隊長も相変わらずですよ」
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アレクセイは、ウクライナ時代の知り合いに連絡を取った。
イーゴリ・ペトレンコ。三十八歳。元ロシア空軍パイロット。
ウクライナの前線で、アレクセイと一緒だった。負傷した兵士を運ぶヘリを操縦していた男だ。
「アレクセイか。久しぶりだな」
「久しぶりだ。元気か」
「生きている。それだけだ」
「今はどこにいる」
「ジョージアだ。トビリシ」
「何をしている」
「何もしていない。金がない。仕事もない」
アレクセイは説明した。タイのこと。柏木のこと。仕事の内容。
「......犯罪組織と戦うのか」
「そうだ」
「危険だな」
「危険だ」
「給料は」
「安い」
「条件は」
「タイ国籍を取ること」
「ロシア人じゃなくなるのか」
「俺はもうロシア人じゃない。お前もそうだろう」
沈黙があった。
「......そうだな」
「来るか」
「行く。どうせ、ここには何もない」
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サラは、元CIDの同僚に連絡を取った。
ダニエル・オブライエン。三十五歳。元米陸軍。ヘリの整備士だった。
「サラ? 本当にサラか?」
「本当よ。久しぶり、ダン」
「五年ぶりか。元気だったか」
「色々あった。今はタイにいる」
「タイ? 何をしている」
サラは説明した。
「......お前らしいな」
「どういう意味よ」
「正義のために戦っている。CIDの時と同じだ」
「そうかもしれない」
「俺も誘ってくれるのか」
「そうよ。来る?」
「条件は」
「タイ国籍を取ること」
「アメリカ人じゃなくなるのか」
「そうなる」
ダニエルは少し考えた。
「......俺、離婚したんだ」
「知らなかった」
「二年前だ。子供はいない。アメリカに残る理由がない」
「じゃあ」
「行く。面白そうだ」
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ニコライは、ロシア人コミュニティを当たった。
バンコクには、ロシアから逃げてきた人間が何人かいる。動員令を拒否した者。プーチン政権に反対する者。
その中に、一人の女性がいた。
ナターシャ・ソコロワ。二十九歳。元ロシア軍の事務官。
「事務の仕事か」
「そうだ。書類作成、予算管理、補給調達。そういう仕事だ」
「戦闘はないのか」
「ない。後方支援だ」
ナターシャは少し考えた。
「......私、ロシアを出たのは、軍にいたくなかったからよ」
「分かっている」
「でも、あなたたちの仕事は違う。犯罪者と戦っている」
「そうだ」
「それなら、意味がある」
「来るか」
「行くわ。ロシアには戻れないし、ここで何もしないのも退屈だから」
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ジョンソンは、元米軍の知り合いに連絡を取った。
エイブラハム・ワシントン。四十歳。元米陸軍のトラック運転手。イラクとアフガンで物資を運んでいた。
「ジョンソン? あのジョンソンか?」
「あのジョンソンだ。元気か、エイブ」
「元気じゃない。腰が痛い。年だな」
「お前はまだ若い」
「四十だぞ」
「俺より若い」
エイブは笑った。
「何の用だ」
ジョンソンは説明した。
「......タイか。行ったことがない」
「暑いぞ」
「イラクより暑いか」
「分からない。似たようなものかもしれない」
「仕事は運転か」
「そうだ。車両の運転と整備。できるか」
「できる。俺が運転できない車はない」
「じゃあ来い」
「条件は」
「タイ国籍を取ること」
「アメリカ人じゃなくなるのか」
「そうだ」
エイブは少し黙った。
「......俺の親父は、アメリカのために戦った。ベトナムで。お袋は、その親父を待っていた」
「......」
「でも、今のアメリカは、親父が戦った国とは違う。俺はそう思っている」
「来るか」
「行く。お前と一緒に戦える。それで十分だ」
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マルティネスは、ラテン系のコミュニティを当たった。
バンコクにもラテン系の人間がいる。数は少ないが、いる。
その中に、一人の男がいた。
カルロス・メンドーサ。三十三歳。メキシコ人。元メキシコ軍の通信士。
「通信の仕事か」
「そうだ。無線通信、暗号化、傍受。そういう仕事だ」
「なぜ俺なんだ」
「お前がメキシコ軍にいたと聞いた。通信担当だったと」
「誰から聞いた」
「バーで会った奴だ。名前は覚えていない」
カルロスは少し警戒していた。
「......俺は、メキシコから逃げてきた」
「知っている」
「カルテルに追われている」
「それも聞いた」
「危険だぞ。俺と関わると」
「俺たちは、カルテルより危険な連中と戦っている。お前が追われている理由なんて、どうでもいい」
カルロスは黙った。
「......タイ国籍を取れば、メキシコ人じゃなくなる」
「そうだ」
「カルテルも追いにくくなる」
「そうだな」
「......行く。他に選択肢がない」
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ファリダーは、タイ国内で探した。
警察学校の同期ではなく、別のルートで。
チェンマイのNGOで働いていた女性。
ラッタナー・ピチット。二十六歳。タイ人。元NGOスタッフ。事務と会計が専門。
「あなたが、あの捜査班の人?」
「そうです」
「噂は聞いています。王宮警察の特殊部隊。犯罪組織を次々に潰している」
「噂は大げさです。でも、間違ってはいない」
「私に何ができるんですか」
「事務です。書類作成、会計、予算管理。後方支援の仕事」
「戦闘は」
「ありません。あなたを戦場に送るつもりはない」
ラッタナーは少し考えた。
「......私、NGOを辞めたんです」
「なぜ」
「限界を感じたから。被害者を助けても、犯罪組織は減らない。根本的な解決にならない」
「俺たちは、根本を潰している」
「知っています。だから興味がある」
「来るか」
「行きます。タイ人だから、国籍の問題もないし」
ファリダーは少し笑った。
「あなたが初めてです。国籍の問題がない人」
「そうですか」
「他の全員、外国人なので」
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三週間が過ぎた。
全員が揃った。
チェンマイの拠点。会議室。
元のメンバー七人。新しいメンバー八人。合計十五人。
柏木は全員を見渡した。
日本人が二人。ロシア人が三人。アメリカ人が四人。メキシコ人が一人。タイ人が二人。ウクライナ出身が一人。イスラエル出身が一人。フランス出身が一人。
人種も国籍もバラバラだった。
共通点は一つだけ。
全員が、何かを捨ててここに来た。
国籍を捨てた者。家族を捨てた者。安定を捨てた者。過去を捨てた者。
そして、全員がタイ人になる。
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「自己紹介をしろ」
柏木が言った。
新メンバーが一人ずつ名乗った。
川島誠。日本人。通信担当。
イーゴリ・ペトレンコ。ウクライナ出身、元ロシア国籍。パイロット。
ダニエル・オブライエン。アメリカ人。ヘリ整備。
ナターシャ・ソコロワ。ロシア人。事務・経理。
エイブラハム・ワシントン。アメリカ人。運転・車両整備。
カルロス・メンドーサ。メキシコ人。通信・傍受担当。
ラッタナー・ピチット。タイ人。事務・会計。
そして、もう一人。
ヨナタン・レヴィ。三十七歳。イスラエル人。元モサド。
「モサドだと」
ニコライが眉を上げた。
「元モサドだ。今は違う」
「なぜここに」
「イスラエルに戻りたくない。理由は聞くな」
「役割は」
「何でもやる。戦闘も、諜報も、運転も」
柏木はヨナタンを見た。
「誰の紹介だ」
「サラだ。CID時代に一度会ったことがある」
サラが頷いた。
「彼は本物よ。信用できる」
「本物か」
「本物だ」
柏木は少し考えた。
「......いい。採用だ」
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最後の一人。
マリー・デュポン。三十一歳。フランス人。元フランス外人部隊。
「外人部隊?」
ジョンソンが聞いた。
「そうだ。五年いた」
「女性で外人部隊は珍しいな」
「珍しくない。数は少ないが、いる」
「役割は」
「狙撃だ。それと、車両の運転」
「狙撃か」
柏木はマリーを見た。
「腕は」
「八百メートルなら外さない」
「本当か」
「本当だ。疑うなら、試してみろ」
「誰の紹介だ」
「誰でもない。自分で来た」
「どうやってここを知った」
「噂だ。バンコクの外国人コミュニティで、あなたたちの話を聞いた」
「それで来たのか」
「そうだ。面白そうだと思った」
ニコライが言った。
「理由はそれだけか」
「それだけだ。他に理由が必要か」
「必要ない」
柏木は頷いた。
「採用だ」
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十五人。
七カ国の出身者。
全員がタイ国籍を取る。
全員が王宮警察のエンブレムを着ける。
全員がタイ国旗を背負う。
バラバラの過去を持つ人間たちが、一つのチームになる。
柏木は全員を見渡した。
「これから一ヶ月、訓練を行う。連携を確認する。その後、本格的な作戦に入る」
「了解」
十五人の声が重なった。
「一つだけ言っておく」
柏木は続けた。
「俺たちは、犯罪組織と戦う。金のためじゃない。名誉のためでもない。正しいことをするためだ」
誰も何も言わなかった。
「それが嫌なら、今すぐ出ていけ。止めない」
沈黙。
誰も動かなかった。
「いいだろう。では、始めよう」




