第7話 悪夢
出発前日。
バンコク郊外の王宮警察施設。
柏木たちは車両を受け取りに来ていた。
施設の奥に、四台の車が並んでいた。
黒いToyota Hilux Revoが三台。黒いToyota Fortunerが一台。
ナロンが説明した。
「チェンマイ用の車両だ」
柏木はHiluxに近づいた。
ボディに王宮警察のエンブレムが入っていた。金色の紋章。王冠と剣。見間違えようがない。
ルーフにはパトライトが取り付けられている。赤と青。
「目立つな」
「目立たせる。大佐の指示だ」
ナロンは車の周りを歩いた。
「サスペンションは強化済み。悪路でも問題ない。窓は防弾ガラス。通信機器も搭載している」
ニコライがボンネットを開けた。
「エンジンは」
「ノーマルだ。だが十分な出力がある」
ジョンソンが荷台を見た。
「ここに装備を積むのか」
「そうだ。カバーをかければ外から見えない」
マルティネスがパトライトを触った。
「これ、本当に使うのか」
「使う」
ナロンは柏木を見た。
「大佐からの伝言だ。『もう隠す必要はない。王宮警察の名を見せつけろ』」
柏木は頷いた。
「分かった」
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Fortunerの方も確認した。
アレクセイが後部座席を見た。
「広いな。担架が入る」
「そのために選んだ。医療キットを積んでおけ」
ファリダーが運転席を確認した。
「私が運転するんですか」
「そうだ。アレクセイは医療に集中しろ。運転は任せる」
「分かりました」
サラが四台を見渡した。
「編成は」
「Hilux一号車は俺、ニコライ、ジョンソン。突入班だ。二号車はマルティネスとサラ。裏口を押さえる。三号車は装備運搬。Fortunerはアレクセイとファリダー。医療と連絡」
「三号車は誰が運転する」
「交代で運転する。チェンマイまで七百キロある」
「七百キロか」
「十時間かかる。途中で休憩を挟む」
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翌朝。六時。
四台の車がバンコクを出発した。
高速道路を北へ。
パトライトは回していない。まだ目立つ必要はない。
七時間走った。途中で二回休憩した。
午後一時。チェンマイに入った。
市街地を抜けて、北へ向かった。
目的地は山間部だった。
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チェンマイ北部。山岳地帯。
麻薬製造拠点の情報は、王宮警察が掴んでいた。
元は農園だった場所。今は偽装されている。表向きはコーヒー農園。裏では麻薬を製造している。
規模は大きい。従業員は五十人以上。その半分が武装している。
「バンコクとは比べ物にならない」
サラが言った。
「武装した人間が二十五人以上。自動小銃は確実にある。ロケットランチャーがあるかもしれない」
「ロケットランチャーか」
ジョンソンが呟いた。
「ゴールデン・トライアングルだからな。武器は豊富だ」
マルティネスが地図を見た。
「アクセスは一本道か」
「そうだ。山道が一本。車で行ける道は他にない」
「待ち伏せされたら終わりだな」
「だから待ち伏せされる前に突っ込む」
柏木が言った。
全員が柏木を見た。
「どういう意味だ」
「フルアクセルで突入する。サイレンを鳴らしながら」
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ニコライが笑った。
「正気か」
「正気だ」
「山道を全速力で走って、サイレンを鳴らして、敵に気づかせるのか」
「そうだ」
「自殺行為じゃないか」
「違う。奇襲だ」
柏木は地図を指差した。
「敵は待ち伏せを想定している。静かに近づいてくる敵を。だが、フルアクセルでサイレンを鳴らしながら突っ込んでくる相手は想定していない」
「想定していないのは当然だ。そんな馬鹿はいない」
「だからやる」
サラが口を挟んだ。
「敵が準備する時間を与えることにならない?」
「与える。だが、それ以上に混乱を与える」
柏木は続けた。
「考えろ。お前たちは山の中の麻薬製造拠点にいる。突然、サイレンが聞こえる。パトライトが見える。王宮警察のエンブレムを付けた車が、フルアクセルで突っ込んでくる」
「......」
「しかも、車の中から銃を撃っている」
「撃ちながら突っ込むのか」
「そうだ。窓を開けて、走りながら撃つ。牽制射撃だ。当てる必要はない。敵を混乱させればいい」
ジョンソンが腕を組んだ。
「確かに......想定外だな」
「想定外だ。敵は何が起きているか分からない。王宮警察が来た。なぜ分からない。何をしていいか分からない。その混乱の隙に、突入する」
マルティネスが言った。
「狂っている」
「狂っている。だが、有効だ」
ニコライが首を振った。
「お前といると、退屈しないな」
「褒め言葉として受け取っておく」
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夕方。十八時。
山道の入り口に四台の車が停まっていた。
柏木は外に出て、煙草を吸った。
夕日が山を照らしている。空が赤く染まっている。
ジョンソンが隣に来た。
「本当にやるのか」
「やる」
「成功すると思うか」
「する」
「根拠は」
「俺たちだからだ」
ジョンソンは少し笑った。
「お前、自信があるな」
「ある。お前たち全員を信頼している」
「信頼か」
「そうだ。バンコクで二週間一緒に戦った。お前たちの動きは分かっている。お前たちも俺の動きを分かっている」
「......」
「だから成功する。それだけだ」
ジョンソンは頷いた。
「分かった。お前についていく」
「頼む」
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十九時。
日が沈んだ。
山道は暗くなった。ヘッドライトをつけた。
四台が一列に並んだ。
一号車が先頭。柏木が助手席。ニコライが後部座席。ジョンソンが運転。
二号車が続く。マルティネスが運転。サラが助手席。
三号車が続く。ニコライが後で合流する。今は空。
Fortunerが最後尾。ファリダーが運転。アレクセイが助手席。
柏木は無線を取った。
「全車、聞こえるか」
「二号車、聞こえる」
「三号車、聞こえる」
「Fortuner、聞こえます」
「これから突入する。作戦を確認しろ。一号車と二号車は全速力で突入。サイレンを鳴らす。走りながら牽制射撃を行う。敵を混乱させろ」
「了解」
「三号車は五百メートル後方で待機。突入後、合流しろ。Fortunerは一キロ後方で待機。負傷者が出たら対応しろ」
「了解」
「質問は」
沈黙。
「ないな。では、始める」
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柏木はパトライトのスイッチを入れた。
赤と青の光が回り始めた。
サイレンのスイッチを入れた。
甲高い音が山に響いた。
「行け」
ジョンソンがアクセルを踏み込んだ。
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エンジンが咆哮した。
Hiluxが山道を駆け上がる。砂利が跳ねる。車体が揺れる。
後ろで二号車のサイレンも鳴り始めた。
二台の車が、パトライトを回しながら、サイレンを鳴らしながら、山道を全速力で登っていく。
柏木は窓を開けた。
HK416を構えた。
「前方に見えたら撃て。当てる必要はない。頭を下げさせろ」
ニコライも窓を開けた。反対側だ。
「了解」
カーブを曲がった。
前方に明かりが見えた。
製造拠点だ。
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門の前に男が二人いた。見張りだ。
サイレンの音を聞いて、こちらを見ている。何が起きているか分からない顔だ。
柏木はHK416を撃った。
門の横の壁に着弾。牽制射撃だ。
男たちが慌てて伏せた。
Hiluxが門に突っ込んだ。
鉄製の門扉を跳ね飛ばした。
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敷地内に入った。
建物が複数ある。倉庫、事務所、宿舎。
人が走り回っている。叫び声が聞こえる。銃声が聞こえる。
混乱している。
柏木は撃ち続けた。窓から身を乗り出して、建物に向かって撃つ。当てる気はない。牽制だ。
ニコライも撃っている。反対側の建物に向かって。
「右に三人!」
ジョンソンが叫んだ。
柏木は右を見た。男が三人、AKを構えている。
「伏せろ!」
全員が頭を下げた。
AKの弾が車体に当たった。防弾ガラスが衝撃を受けたがが、貫通しない。
ジョンソンがハンドルを切った。車が急旋回。
柏木は窓から身を乗り出した。
HK416を撃った。三人のうち一人の足に当たった。転倒。残りの二人が物陰に隠れた。
「止めろ!」
ジョンソンが急ブレーキをかけた。
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柏木は車から飛び降りた。
サイレンはまだ鳴っている。パトライトはまだ回っている。
敵はパニックになっていた。
王宮警察の車が突っ込んできた。銃を撃ちながら。サイレンを鳴らしながら。何が起きているか分からない。
柏木は建物に向かって走った。
ベレッタを抜いた。体の中心に引き付ける。
建物の入口から男が飛び出してきた。AKを持っている。
距離、八メートル。
柏木は止まらなかった。
走りながら撃った。男の肩に当たった。AKが落ちた。
柏木は男を踏み越えて、建物に入った。
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中は暗かった。
廊下が続いている。奥で叫び声が聞こえる。
足音が近づいてくる。
柏木は壁に背をつけた。
角から男が飛び出してきた。
柏木は左手で男の銃を持つ手を掴んだ。外側に捻る。
右手のベレッタを男の脇腹に押し当てた。
「動くな」
男は動かなくなった。
柏木は男を押し倒して、奥に進んだ。
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外で銃声が続いていた。
ニコライとジョンソンが制圧を続けている。二号車のマルティネスとサラも合流したはずだ。
柏木は建物の奥に進んだ。
事務所らしい部屋があった。扉が閉まっている。
蹴り破った。
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中に男が一人いた。
五十代。太っている。高価そうな服を着ている。
机の上に現金と書類が散らばっていた。逃げる準備をしていたのだろう。
「動くな」
柏木はベレッタを向けた。
男は両手を上げた。
「撃つな。撃つな。金ならある。いくらでも払う」
「金は要らない」
「じゃあ何が欲しい。何でも言え」
「お前だ」
男の顔が引きつった。
「俺を......」
「お前がこの拠点のボスか」
「......そうだ」
「名前は」
「ウィラポン。ウィラポン・チャイナロン」
「ウィラポン。お前を逮捕する」
「逮捕? お前、警察なのか」
「王宮警察だ」
ウィラポンの顔から血の気が引いた。
「王宮警察......」
「そうだ」
柏木は近づいた。
「お前の拠点は終わりだ。お前の組織も終わりだ。ゴールデン・トライアングルに伝えろ。王宮警察が来る、と」
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三十分後。
制圧完了。
構成員三十一人を確保。死者なし。重傷者七人。
倉庫から大量の麻薬が押収された。ヘロイン、メタンフェタミン。末端価格で数十億バーツ相当。
製造設備も押収された。これでこの拠点からの供給は止まる。
柏木は敷地の中央に立っていた。
サイレンはまだ鳴っている。パトライトはまだ回っている。
周囲で部下たちが動いている。拘束した人間を一箇所に集めている。
ナロンに連絡した。王宮警察の応援が来る。
サラが近づいてきた。
「成功したわね」
「ああ」
「本当に狂った作戦だった」
「だが成功した」
「成功したわね」
サラは周囲を見回した。
「彼ら、完全にパニックだった。何が起きたか分からないって顔をしていた」
「それが狙いだ」
「分かっている。でも、見ていて怖かったわ」
「何が」
「あなたが」
柏木はサラを見た。
「撃ちながら突っ込んできて、止まらないで走り続けて、建物に一人で入っていった。迷いがなかった」
「迷う理由がない」
「普通は迷う。怖いから」
「怖くない」
「嘘でしょう」
柏木は煙草を取り出した。火をつけた。
「......怖い。だが、止まれない」
「止まれない?」
「止まったら、もっと怖くなる。だから止まらない」
サラは何も言わなかった。
ニコライが近づいてきた。
「柏木」
「何だ」
「今日の突入、俺の人生で一番狂っていた」
「そうか」
「だが、一番楽しかった」
ニコライは笑っていた。
ジョンソンとマルティネスも来た。
「見事だったな」
ジョンソンが言った。
「フルアクセルでサイレン鳴らしながら銃撃。悪夢だ。敵にとっては」
マルティネスが付け加えた。
「俺たちにとってもだ」
「だが、成功した」
「成功した」
ファリダーとアレクセイも合流した。
「怪我人は七人です。全員、命に別状はありません」
ファリダーが報告した。
「よくやった」
柏木は全員を見渡した。
七人。全員が無事だった。
「次の標的は」
ジョンソンが聞いた。
「明日決める。今日は休め」
「了解」
柏木は煙草を吸った。
山の夜は冷えていた。だが、体は熱かった。
ゴールデン・トライアングルへの第一歩を踏み出した。
これからが本番だ。




