第5話 連鎖
三日後。
サムットプラカーン。
バンコクの南東。工業地帯と港湾施設が広がる地域だ。
標的は人身売買組織。ボスの名前はチャイヨン・スリヤ。五十代。元軍人。陸軍の中佐だった男が、退役後に闇の世界に入った。
規模はソムサックより大きい。構成員は二十人以上。拠点は工場を改装した建物。二階建て。周囲には別の工場がある。夜間は人がいない。
「前回より難易度が上がる」
会議室で、サラが説明していた。
「構成員が倍以上。しかも元軍人がボスだ。組織に規律がある」
ジョンソンが言った。
「規律があるということは、訓練されているということか」
「おそらく。元軍人が何人かいるという情報もある」
マルティネスが腕を組んだ。
「厄介だな」
「厄介だ。だが、やることは変わらない」
柏木が立ち上がった。
「派手にやる。正面から叩く。恐怖を与える」
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「編成を変える」
柏木が言った。
「突入班は四人。俺、ニコライ、ジョンソン、マルティネス」
「俺も入るのか」
マルティネスが聞いた。
「足は大丈夫か」
「問題ない。走れる」
「なら入れ。人数が必要だ」
サラが言った。
「私は」
「裏口を一人で押さえろ。できるか」
「できる」
「ファリダーはサラと一緒だ。逃げてきた奴を捕まえろ。撃つ必要はない。足止めだけでいい」
「分かりました」
「アレクセイは車で待機。前回と同じだ」
「了解」
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夜。二十三時。
四台の車が工場の前に停まった。
柏木が先頭で降りた。黒のスーツに紅色のベスト。ネクタイは外している。オールバック。サングラス。ショルダーホルスターがベストの外側に剥き出しで、ベレッタが収まっている。
ニコライ、ジョンソン、マルティネスが続いた。三人は黒いスーツ姿。柏木に合わせた格好だ。
ダイヤモンド・フォーメーション。突入の基本陣形だ。
工場の正面に見張りが三人いた。
柏木たちを見て、何か叫んだ。
遅い。
柏木が走り出した。
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距離が縮まる。
十五メートル。十メートル。
見張りの一人が銃を抜いた。
ニコライが先に撃った。HK416。男の肩に当たり、銃が落ちた。
残り二人が逃げようとした。
ジョンソンが一人の足を撃った。転倒。
最後の一人が建物に向かって走った。
柏木が追った。
五メートルまで詰めた。
ベレッタを抜いた。体の中心に引き付ける。走りながら撃つ。
男の背中に当たった。防弾ベストを着ていた。衝撃で転倒した。
柏木は男を踏み越えて、建物に入った。
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中は暗かった。
工場の機械が並んでいる。使われていない。埃が積もっている。
奥に明かりが見える。
足音が聞こえた。複数。
「来るぞ」
柏木が言った。
四人が散開した。機械の陰に隠れる。
男たちが現れた。六人。全員が銃を持っている。AK。
「元軍人か」
ジョンソンが呟いた。
動きに訓練の跡があった。散開して、射線を確保している。素人じゃない。
「厄介だな」
マルティネスが言った。
「やることは変わらない」
柏木が答えた。
銃撃戦が始まった。
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機械の陰から撃ち合う。
相手は訓練されている。簡単には当たらない。
柏木は動いた。
機械から機械へ。遮蔽物を使いながら、距離を詰める。
相手もそれに気づいた。一人が柏木を狙って移動した。
柏木は待った。
男が機械の陰から顔を出した瞬間、撃った。
ベレッタ。五メートル。顔面を狙った。
外れた。
だが、男は怯んだ。その隙に距離を詰めた。
三メートル。
男がAKを向けた。
柏木は銃身を掴んだ。上に逸らす。発砲。弾は天井に当たった。
右手のベレッタを男の脇腹に押し当てた。
撃った。
防弾ベストがない場所だ。男が崩れた。
柏木はAKを奪った。
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奪ったAKで撃ち始めた。
腰だめ。体の軸で狙う。
一人の足を撃った。転倒。
別の一人が柏木に向かって突っ込んできた。
柏木は待った。
距離が縮まる。五メートル。四メートル。
男が発砲した。弾は柏木の横を抜けた。
三メートル。
柏木はAKのストックで男の顔面を殴った。
男が倒れた。
起き上がろうとした。
柏木はAKの銃口を男の頭に向けた。
「動くな」
男は動かなくなった。
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残り三人。
ニコライとジョンソンとマルティネスが処理した。
一人は足を撃たれて動けない。一人は腕を撃たれて銃を落とした。最後の一人は投降した。
「一階、クリア」
ジョンソンが言った。
「二階に行く」
柏木が先頭で階段を上がった。
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二階は事務所になっていた。
廊下の突き当たりに扉がある。
扉の前に男が二人立っていた。最後の護衛だ。
柏木は歩き続けた。
男たちが銃を向けた。
柏木は止まらなかった。
十メートル。八メートル。
「止まれ!」
柏木は答えなかった。
六メートル。
男の一人が発砲した。
弾は柏木の肩を掠めた。スーツが破れた。血が滲んだ。
柏木は止まらなかった。
五メートル。
ベレッタを撃った。一人の膝に当たった。崩れ落ちた。
もう一人が銃を向け直した。
柏木は距離を詰めた。三メートル。二メートル。
男の銃を持つ手を左手で掴んだ。外側に捻る。男が叫んだ。銃が落ちた。
右手のベレッタを男の顎下に押し当てた。
「案内しろ」
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扉を開けた。
チャイヨン・スリヤがいた。
デスクの後ろに座っている。白髪交じりの短髪。軍人の姿勢が残っている。背筋が伸びている。
手に銃はなかった。
「遅かったな」
チャイヨンが言った。
「待っていたのか」
「ソムサックが捕まった時から、次は俺だと思っていた」
「逃げなかったのか」
「逃げる場所がない。俺を匿う人間は、もういない」
柏木はチャイヨンを見た。
諦めた目だった。戦う気力がない。
「投降するか」
「する。条件がある」
「条件」
「部下の命を保証しろ。殺すな」
「殺す気はない。最初から」
チャイヨンは少し笑った。
「軍人だな。お前も」
「元軍人だ」
「分かる。動きを見れば分かる」
チャイヨンは立ち上がった。両手を上げた。
「俺の負けだ」
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制圧完了。
二十三時四十五分。
作戦開始から四十五分。
構成員二十二人を確保。死者なし。重傷者五人。
工場の地下から、監禁されていた被害者が見つかった。十四人。タイ人、ミャンマー人、カンボジア人。全員が若い女性だった。
ナロンが到着した。
「また派手にやったな」
「そういう指示だ」
「被害者は」
「十四人。保護が必要だ」
「手配する」
ナロンは部下に指示を出した。
柏木は煙草を取り出した。火をつけようとして、手が止まった。
肩から血が流れていた。
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アレクセイが駆け寄ってきた。
「見せろ」
「掠り傷だ」
「見せろ」
柏木はスーツのジャケットを脱いだ。紅色のベストも外した。シャツに血が染みている。
アレクセイがシャツを破いて、傷を確認した。
「浅い。縫う必要はない」
「だろう」
「だが、次はもっと深くなるかもしれない」
「分かっている」
アレクセイは傷口を消毒して、包帯を巻いた。
「お前、止まらなかったな」
「止まれなかった」
「違う。止まらなかった。撃たれても」
柏木は煙草に火をつけた。
「止まったら、もっと撃たれる」
「それは分かる。だが、普通は怯む。お前は怯まなかった」
「慣れだ」
「慣れか」
アレクセイは柏木を見た。
「お前の戦い方、俺には真似できない」
「真似しなくていい。お前は医者だ」
「そうだな」
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ニコライが近づいてきた。
「二連勝だ」
「まだ十組織残っている」
「ペースを上げるか」
「上げる。三日後に次をやる」
「休みはないのか」
「ない」
ニコライは笑った。
「お前らしい」
ジョンソンとマルティネスも来た。
「見事だったな、カシワギ」
ジョンソンが言った。
「何がだ」
「お前の動きだ。撃たれても止まらなかった。あれがCARシステムか」
「そうだ」
「俺にも教えてくれ」
「時間があればな」
マルティネスが言った。
「俺も学びたい。お前の戦い方は、俺たちとは違う」
「違うか」
「違う。流れるようだ。一つの動作が次に繋がっている。無駄がない」
柏木は煙草を吸った。
「訓練すれば、お前たちにもできる」
「本当か」
「本当だ。基本は同じだ。体の軸で狙う。止まらない。距離を詰める。それだけだ」
サラとファリダーも合流した。
「裏口から三人逃げてきた。全員捕まえた」
サラが報告した。
「怪我は」
「ない。私もファリダーも無傷」
「よくやった」
柏木は全員を見渡した。
七人。全員が無事だった。
「次の作戦まで二日ある。休め。ただし、酒は控えろ。体を鈍らせるな」
「了解」
全員が答えた。
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翌日。
バンコクの裏社会に衝撃が走っていた。
三日間で二つの組織が壊滅した。
ソムサック。チャイヨン。どちらも大物だった。どちらも警察や軍に繋がりがあった。それでも、潰された。
噂が広がった。
「黒いスーツの男たちが来る」
「正面から入ってくる」
「銃を撃っても止まらない」
「逃げても無駄だ。裏口にも待っている」
犯罪組織のボスたちは、怯え始めていた。
次は自分かもしれない。
逃げるべきか。隠れるべきか。投降すべきか。
だが、どこに逃げればいい。どこに隠れればいい。
王宮警察が動いている。御方の意思だ。逃げ場はない。
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捜査本部。
柏木は窓の外を見ていた。
バンコクの街並み。高層ビル。渋滞。喧騒。
この街から、犯罪を一掃する。
まだ十組織残っている。
だが、ペースは上がっている。チームの連携も良くなっている。
あと一ヶ月。
一ヶ月あれば、バンコクは綺麗になる。
サラが横に来た。
「考え事?」
「そうだ」
「次の標的のこと?」
「それもある」
「それも、ということは、他にもあるのね」
柏木は煙草に火をつけた。
「バンコクが終わったら、次はどこだ」
「まだ先の話でしょう」
「先の話でも、考えておく必要がある」
サラは窓の外を見た。
「チェンマイ。プーケット。パタヤ。犯罪組織はどこにでもいる」
「そうだ。バンコクだけじゃ終わらない」
「終わらないわね」
「終わらなくていい」
サラは柏木を見た。
「どういう意味?」
「終わらない仕事があるということは、俺たちの居場所があるということだ」
サラは少し笑った。
「あなた、変わったわね」
「よく言われる」
「前は、もっと無愛想だった」
「今も無愛想だ」
「少しマシになった」
柏木は煙草を吸った。
「仲間がいるからだ」
「仲間、ね」
「そうだ。お前たちがいるから、俺は戦える」
サラは何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑っていた。




