第3話 再会
バンコク。スクンビット通り。
退役軍人が集まるバーがあった。「ザ・ベテラン」という名前だった。看板には星条旗とビールジョッキが描かれている。
昼下がり。客は少なかった。
柏木、ニコライ、アレクセイ。三人でカウンターに座った。
バーテンダーは六十代の白人男性だった。右腕に海兵隊のタトゥーがある。
「何にする」
「ビール。三つ」
柏木が言った。
バーテンダーはビールを三つ出した。
「日本人か」
「そうだ」
「珍しいな。ここに来る日本人は少ない」
「人を探している」
「誰だ」
「元CIDの人間。三人いる。ジョンソン、マルティネス、サラ」
バーテンダーの手が止まった。
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「なぜ探している」
「仕事の話だ」
「どんな仕事だ」
「言えない」
バーテンダーは柏木を見た。それからニコライを見た。アレクセイを見た。
「お前たち、何者だ」
「元軍人だ。三人とも」
「どこの軍だ」
「俺は日本。この二人はロシア」
「ロシア?」
バーテンダーの目が鋭くなった。
「前線を離れた人間だ。今はタイにいる」
ニコライが言った。
「脱走兵か」
「そう呼ぶなら、そうだ」
バーテンダーは少し考えた。
「......ジョンソンなら知っている」
「ここに来るのか」
「来る。週に一度くらい」
「今日は」
「来るかもしれない。夕方になれば」
「待つ」
柏木はビールを飲んだ。
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三時間待った。
夕方になって、客が増え始めた。
ドアが開いた。
大男が入ってきた。黒人。百九十センチ近い。肩幅が広い。頭は坊主。顎に白い髭が生えている。
十二年前より老けていた。だが、目は変わっていない。
ジョンソンだった。
柏木は立ち上がった。
「ジョンソン」
男が柏木を見た。
しばらく沈黙があった。
「......カシワギ?」
「覚えていたか」
「忘れるわけがない。沖縄の訓練だろう。お前、片目を失ったのか」
「そうだ」
「何があった」
「長い話だ」
ジョンソンは柏木の隣に座った。
「話せ。時間はある」
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柏木は簡潔に説明した。
訓練事故。除隊。登録支援機関。タイへの移住。NGO。犯罪組織との戦い。そして今の仕事。
ジョンソンは黙って聞いていた。
「......お前らしいな」
「何がだ」
「正義のために戦っている。サラが言った通りだ」
「サラを覚えているか」
「覚えている。マルティネスもな」
「二人は今どこにいる」
ジョンソンは少し間を置いた。
「お前、二人を探しているのか」
「三人ともだ。お前も含めて」
「何のために」
「仕事の話がある」
「どんな仕事だ」
柏木はジョンソンを見た。
「タイ政府の対犯罪組織捜査班だ。人身売買、特殊詐欺、麻薬、武器密輸。全部を潰す」
「政府の仕事か」
「そうだ。だが、表には出ない。裏の仕事だ」
「金は」
「安い」
「危険は」
「高い」
ジョンソンは笑った。
「正直だな」
「嘘をついても意味がない」
「それで、俺たちに何を求めている」
「戦闘員だ。信頼できる人間が必要だ。金で動かない人間。正義のために戦える人間」
「俺たちがそうだと」
「そうだ」
ジョンソンはビールを注文した。一口飲んだ。
「......マルティネスはバンコクにいる。俺と同じだ」
「退役したのか」
「二年前にな。アフガンで足を撃たれた。完治したが、前線には戻れなくなった」
「今は何をしている」
「セキュリティ会社で働いている。だが、つまらないと言っていた」
「サラは」
ジョンソンは少し黙った。
「サラは......複雑だ」
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「複雑とは」
「CIDを辞めた。五年前だ」
「なぜ」
「上と揉めた。汚職の捜査をしていて、上層部の人間に行き当たった。だが、上から圧力がかかった。捜査を中止しろと」
「サラは従わなかった」
「従わなかった。だから辞めさせられた。名目上は自主退職だが、実質は追い出しだ」
柏木は黙った。
サラらしい、と思った。
「今はどこにいる」
「チェンマイだ。NGOで働いている。人身売買の被害者を支援する仕事だ」
「連絡は取れるか」
「取れる。だが......」
「何だ」
「サラは荒れている。CIDを辞めてから、ずっとだ。正義を貫いて、報われなかった。それで心が折れかけている」
柏木は窓の外を見た。
「俺と同じだな」
「何?」
「俺も同じだった。日本で正義を貫いて、報われなかった。会社を追い出されて、金もなくて、どうしようもなくなった」
「それでタイに来たのか」
「そうだ。ここで、報われた」
ジョンソンは柏木を見た。
「......サラにも、そういう場所が必要だと思うか」
「分からない。だが、会って話したい」
「分かった。連絡してみる」
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翌日。
マルティネスがバーに来た。
四十代前半。ヒスパニック系。髪は短く刈り込んでいる。体は引き締まっている。右足を少し引きずっていた。
「カシワギか。覚えているぞ」
「俺も覚えている」
「お前、片目になったな」
「そうだ」
「俺は片足だ」
「聞いた」
マルティネスは笑った。
「お互い、傷だらけだな」
「傷があっても戦える」
「そうだな。戦える」
マルティネスはジョンソンの隣に座った。
「仕事の話があると聞いた」
「ある」
「聞かせてくれ」
柏木は説明した。マルティネスは黙って聞いていた。
「......面白そうだな」
「面白いかどうかは分からない。危険なのは確かだ」
「危険は嫌いじゃない」
「金は安い」
「金はどうでもいい。今の仕事は金はいいが、退屈で死にそうだ」
「それで」
「俺は乗る」
マルティネスは即答した。
ジョンソンが言った。
「俺もだ」
柏木は二人を見た。
「理由を聞いていいか」
「理由?」
「なぜ乗る」
ジョンソンが答えた。
「お前だからだ」
「俺」
「沖縄の訓練で分かった。お前は本物だ。金で動かない。信念がある。そういう人間の下で働きたい」
マルティネスが頷いた。
「同感だ。今の仕事は金持ちの護衛だ。悪い奴を守る仕事だ。うんざりしていた」
「悪い奴を守る」
「そうだ。タイの金持ちには、ろくな奴がいない。犯罪で稼いだ金で、俺たちを雇っている」
柏木は黙った。
「お前の仕事は違う。悪い奴を捕まえる仕事だ。俺はそっちがいい」
マルティネスはビールを飲んだ。
「あとは、サラだな」
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三日後。
チェンマイ行きの飛行機に乗った。
柏木一人だった。ニコライとアレクセイはバンコクに残った。
チェンマイ空港に着いたのは午後だった。
タクシーで市内に向かった。
ジョンソンから聞いた住所。古いアパートの三階。
ドアをノックした。
返事がない。
もう一度ノックした。
「誰だ」
女の声だった。英語。低い声。
「カシワギだ。沖縄で会った」
沈黙があった。
ドアが開いた。
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サラ・コールマン。
十二年前より痩せていた。頬がこけている。目の下に隈がある。金髪は肩まで伸びて、手入れされていない。
だが、目は変わっていなかった。強い目。折れかけているが、まだ折れていない目。
「カシワギ」
「覚えているか」
「覚えている。あなた、片目になったのね」
「そうだ」
「何があったの」
「長い話だ」
サラは少し笑った。笑うのは久しぶりだという顔だった。
「入って。話を聞かせて」
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部屋は狭かった。ワンルーム。ベッドとテーブルと椅子だけ。窓から午後の光が入っている。
サラはコーヒーを入れてくれた。
柏木は話した。自分の過去。タイでのこと。そして、今の仕事。
サラは黙って聞いていた。
「......あなたも追い出されたのね」
「そうだ」
「私と同じ」
「聞いた」
「ジョンソンから?」
「そうだ」
サラはコーヒーを見つめた。
「正義を貫いて、報われなかった。馬鹿みたいよね」
「馬鹿じゃない」
「馬鹿よ。組織で生きていくには、上に従わなければいけない。それができなかった私は、馬鹿」
「俺も同じだった」
「あなたは違う。ここで報われたんでしょう」
「報われた。だから、お前にも同じ場所を提供したい」
サラは柏木を見た。
「仕事の話?」
「そうだ」
「ジョンソンとマルティネスも誘ったの?」
「誘った。二人とも乗った」
「......そう」
サラは窓の外を見た。
「私に何ができると思う?」
「捜査だ。お前はCIDで捜査をしていた。犯罪組織を追い詰める方法を知っている」
「知っているけど、使う場所がなかった」
「今はある」
「本当に?」
「本当だ」
柏木は煙草を取り出した。サラを見た。
「吸っていいか」
「いいわ」
柏木は火をつけた。煙を吐いた。
「お前は十二年前に言った。正義のために戦うと」
「覚えているの」
「覚えている。俺はあの時、答えられなかった」
「そうだったわね」
「今は答えられる」
サラは柏木を見た。
「俺も正義のために戦っている。金のためじゃない。命令のためでもない。見ていられないから、助ける。それだけだ」
「......」
「お前も同じだろう。だからCIDを辞めさせられた。上に従えなかったから」
「そうね」
「その信念を、ここで使え。俺たちと一緒に」
サラは長い間黙っていた。
窓の外で、鳥が鳴いていた。
「......一つ聞いていい?」
「何だ」
「なぜ私なの。他にも候補はいたでしょう」
「いなかった」
「いなかった?」
「金で動かない人間は滅多にいない。正義のために戦える人間はもっと少ない。お前はその両方を満たしている」
「買いかぶりよ」
「買いかぶりじゃない。沖縄で見た。お前は本物だった」
サラは少し笑った。
「あなた、変わらないわね」
「変わった部分もある」
「どこが」
「人間らしくなったと言われた」
「誰に」
「仲間にだ」
サラはコーヒーを飲み干した。
立ち上がった。
「分かった」
「来るか」
「行く」
「理由は」
「あなたが来たから」
「それだけか」
「それだけよ。十分でしょう」
柏木は煙草を灰皿に押し付けた。
「十分だ」
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一週間後。
バンコク。捜査本部。
七人が会議室に集まっていた。
柏木。ニコライ。アレクセイ。ファリダー。ジョンソン。マルティネス。サラ。
日本人一人。ロシア人二人。タイ人一人。アフリカ系アメリカ人一人。ヒスパニック系一人。白人アメリカ人女性一人。
人種がバラバラだった。派閥ができる余地がない。
柏木は全員を見渡した。
「これで全員だ」
「少ないな」
ジョンソンが言った。
「少ない。だが、質は高い」
「自信があるのか」
「ある。お前たち全員を知っている。信頼できる」
マルティネスが言った。
「俺たちも、お前を信頼している」
「だから来た」
サラが付け加えた。
柏木は頷いた。
「これから仕事の説明をする。長くなる。覚悟しておけ」
「覚悟はできている」
ニコライが言った。
「俺たち全員、そのために来た」
柏木はテーブルの上に書類を広げた。
「では、始める」




