第2話 憲兵
翌日。
ファリダーが被害者のリストを持ってきた。四十四人分の経歴書。
柏木は一人ずつ目を通した。
三時間かかった。
結論は出た。
「駄目だ」
柏木はリストをテーブルに置いた。
「駄目ですか」
「駄目だ」
ファリダーは少し落胆した顔をした。
「理由を聞いてもいいですか」
「心が折れている」
「......」
「全員がそうだ。犯罪組織に捕まり、抵抗できず、言いなりになった。元軍人が三人いたが、三人とも同じだ。反抗する気力を失っていた」
ニコライが言った。
「戦えないということか」
「戦えない。現場に出れば、また折れる。敵を見た瞬間に動けなくなる。PTSDだ」
アレクセイが頷いた。
「俺も何人か診た。症状が出ている。夜中に叫ぶ。些細な音で怯える。回復には年単位の時間がかかる」
「年単位か」
「そうだ。しかも、回復しても戦闘員として使えるかどうかは分からない。心の傷は、体の傷より治りにくい」
沈黙が落ちた。
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柏木は煙草を取り出した。火をつけた。
「ジャック・リーチャーが歩いてたら引きずってでも連れてこい」
全員が柏木を見た。
「......何ですか、それ」
ファリダーが聞いた。
「冗談だ」
「冗談ですか」
「そうだ」
ニコライが笑った。
「お前が冗談を言うとは思わなかった」
「俺だって言う」
「初めて聞いた」
「切羽詰まっているからだ」
柏木は煙草を吸った。煙を吐いた。
「......ジャック・リーチャーか」
アレクセイが呟いた。
「知っているのか」
「小説だろう。元米軍のMPが主人公の。アメリカで人気だと聞いた」
「MP?」
ファリダーが聞いた。
「ミリタリー・ポリス。憲兵だ」
柏木は煙草を見つめていた。
何かが頭の隅に引っかかった。
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「......思い当たる人間がいる」
柏木が言った。
全員が黙った。
「米軍の憲兵隊だ」
「知り合いがいるのか」
「いた。特殊作戦群にいた頃、米軍との合同訓練があった。相手は米陸軍CIDだった」
「CID?」
「Criminal Investigation Division。陸軍犯罪捜査司令部。軍内部の重大犯罪を捜査する部隊だ」
ニコライが腕を組んだ。
「合同訓練で何をした」
「対テロ訓練だ。人質救出のシミュレーション。俺たちが突入班、彼らが捜査班という設定だった」
「それで」
「......あいつらは本物だった」
柏木は窓の外を見た。
「ジャック・リーチャーのような連中だった。体がでかくて、頭が切れて、信念がある。金で動く人間じゃなかった」
「今はどこにいる」
「分からない。十年以上前の話だ。もう軍にいないかもしれない」
アレクセイが言った。
「連絡は取れるか」
「取れない。連絡先を交換していない。軍の訓練だ。個人的な繋がりは作らなかった」
「名前は覚えているか」
柏木は少し考えた。
「......三人いた。男が二人。女が一人」
「女?」
「そうだ。CIDには女性捜査官もいる。あの女は......強かった」
ファリダーが身を乗り出した。
「名前は」
「男の一人はジョンソン。もう一人はマルティネス。女は......」
柏木は眉をひそめた。
「思い出せない。ファーストネームはサラだったと思う。ラストネームが出てこない」
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ニコライが言った。
「手がかりはそれだけか」
「それだけだ」
「探せるか」
「分からない。米軍のデータベースにアクセスできれば可能だが......」
「できないだろう」
「できない。だが、別のルートがある」
「何だ」
「米軍の退役軍人コミュニティだ。バンコクにもある。元米軍の人間が集まる場所がある」
アレクセイが言った。
「そこに行けば分かるか」
「分からない。だが、手がかりになるかもしれない」
柏木は煙草を灰皿に押し付けた。
「明日、行ってみる」
「俺も行く」
ニコライが言った。
「俺も」
アレクセイが言った。
「私も——」
「お前は残れ」
柏木がファリダーを見た。
「なぜですか」
「米軍の退役軍人コミュニティに、タイ警察の人間が来たら警戒される。お前は別の仕事をしろ」
「何をすればいいですか」
「プラチャーに連絡して、最新の犯罪組織情報をもらえ。リストを作っておけ」
「分かりました」
ファリダーは不満そうだったが、頷いた。
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夜。
柏木は一人で屋上にいた。
煙草を吸いながら、バンコクの夜景を見ていた。
合同訓練のことを思い出していた。
十二年前。沖縄。
米陸軍CIDのチームが来ていた。対テロ訓練の一環だった。特殊作戦群の突入班と、CIDの捜査班が連携するという設定だった。
三日間の訓練だった。
最初は互いに警戒していた。言葉の壁もあった。だが、訓練が進むにつれて、壁は低くなった。
ジョンソン。黒人の大男。声が低くて、動きが速かった。
マルティネス。ヒスパニック系。陽気だが、目は笑っていなかった。戦場を知っている目だった。
そして、サラ。
金髪。百七十センチ以上あった。女だが、男と同じ訓練をこなした。射撃の腕は柏木と互角だった。
訓練の最終日、サラが言った。
『あなたは何のために戦うの』
柏木は答えた。
『命令だから』
サラは首を振った。
『嘘。あなたの目は、命令で動く人間の目じゃない』
柏木は何も言えなかった。
サラは続けた。
『私は正義のために戦う。悪い奴を捕まえるために。あなたも同じでしょう』
柏木は答えなかった。
だが、サラは笑った。
『答えなくていい。分かるから』
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あれから十二年。
柏木は左目を失い、自衛隊を辞め、日本を出て、タイに来た。
サラは今、どこにいるのか。
まだ軍にいるのか。退役したのか。生きているのか。
分からない。
だが、もし見つけられたら。
もし、あの時の言葉が本当だったら。
柏木は煙草を捨てた。
「正義のために戦う、か」
呟いた。
明日、探しに行く。
見つかるかどうかは分からない。だが、何もしないよりはマシだ。




