第25話 突入
二十三時。
月のない夜だった。
柏木とニコライは、廃工場の裏手に潜んでいた。鉄条網から三十メートル。木の陰に隠れている。
裏口の見張りが見える。
壁に寄りかかって、スマートフォンをいじっていた。顔が画面の光に照らされ、男は周囲を見ていない。
柏木は手信号を出した。
行け。
ニコライが動く。
音がしない。百九十センチの大男が、影のように滑っていく。木から木へ。草を踏む音すら聞こえない。
鉄条網に近づいた。
裏口の横に、鉄条網が緩んでいる場所がある。持ち上げれば人が通れる程度の隙間ができる。
ニコライが鉄条網をくぐった。
見張りとの距離、十メートル。
八メートル。
五メートル。
見張りはまだスマートフォンを見ている。
三メートル。
ニコライの腕が伸びた。
左手が見張りの口を塞いだ。右腕が首に回り、締め上げる。
見張りの体が痙攣。スマートフォンが男の手から滑り落ちる...だが、音はしなかった。ニコライの足が受け止めていた。
十秒。
見張りの体から力が抜けた。
ニコライは見張りを地面に横たえた。呼吸を確認。生きている。気絶しているだけだ。
手信号。
クリア。
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柏木が鉄条網をくぐり、ニコライと合流した。
裏口の扉を確認する。
金属製だ。鍵がかかっている。
ニコライが見張りのポケットを探ると、鍵が出てきた。
音を立てないように、ゆっくりと開ける。
中は暗かった。廊下が続いており、その奥に明かりが微かに見える。
柏木が先に入った。
ベレッタを抜き、構える。CARシステム。銃を体の中心に引き付け、両肘を体に寄せる。銃口を前に向けたまま、体ごと進む。
ニコライが後ろについた。グロックを構え、後方を警戒しながら柏木の背中を守る。
廊下を進んだ。
足音を殺し、壁際を歩く。影に溶け込むように。
右側に扉があった。
柏木は手信号を出す。
止まれ。
扉に耳を当てた。
中から声が聞こえる。タイ語だ。複数の声。笑い声も混じっている。
柏木は指を三本立てた。
三人。
ニコライが頷いた。
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柏木は深呼吸した。
一度だけ。
扉を蹴り開けた。
部屋の中には三人。テーブルを囲んで、酒を飲んでいた。机の上にはカードが散らばっている。
一人が立ち上がった。腰に手を伸ばし、銃を抜こうとしている。
柏木は体ごとその男に向いた。
銃声。
弾は男の肩に当たり、叫んで倒れた。
二人目が銃を抜いた。柏木より早い。
だが柏木は止まらなかった。
前に出る。銃を持った男の腕を左手で払い、銃口を逸らす。発砲音。弾は壁に当たった。
柏木は右手のベレッタを男の腹に押し当てた。
銃声。
男が崩れる。
三人目がテーブルの下に潜り込もうとしていた。武器を持っていない。
柏木は三人目の襟首を掴んで引きずり出し、顔面を床に叩きつけた。動かなくなる。
三秒。
三人を無力化した。
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ニコライが部屋に入ってきた。
「早いな」
「遅れる理由がない」
柏木は倒れた男たちを見た。
一人目は肩を撃たれて気絶している。二人目は腹を撃たれて動かない。三人目は顔面を床にぶつけて気絶している。
柏木は二人目の銃を拾った。古いリボルバー。使えない。捨てた。
一人目の腰を探る。何もない。
「武器が少ない」
ニコライが言った。
「ここは詰め所だ。武器庫じゃない」
「本棟に行けばあるか」
「あるはずだ」
柏木は廊下に戻った。
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右側の棟を抜けた。
本棟との間に、十メートルほどの空間がある。
明かりが漏れている。本棟の一階だ。
柏木は立ち止まった。
本棟の入口に一人。AKを持っている。立ったまま、煙草を吸っていた。
柏木は距離を測った。
十五メートル。
遠い。CARシステムの有効距離を超えている。
ニコライが横に来た。
「俺がやる」
「当たるか」
「十五メートルなら当たる」
ニコライはグロックを構えた。両手で保持し、腕を伸ばす。正統的な構え方だ。
銃声。
男の胸に当たり、倒れた。AKが地面に落ちる。
音が響いた。銃声は隠せない。
「急ぐぞ」
柏木が走った。
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本棟の入口に着いた。
倒れた男からAKを拾う。
AK-47。7.62ミリ弾。マガジンは三十発。重い。だが火力がある。
柏木はAKを構えた。
右手でグリップを握り、左手でハンドガードを支える。ストックは肩に当てない。体の前で保持する。
CARシステムの応用。ライフルを体の中心に引き付け、腰の高さで構える。体ごと目標に向ける。
近距離なら、これで当たる。
「入るぞ」
柏木が先に入った。
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本棟の中は暗かった。
廊下が左右に伸びている。正面に階段。
左の廊下から足音が聞こえた。
柏木は体ごと左を向いた。
男が二人、走ってくる。銃声を聞いて駆けつけたのだろう。一人がAKを持ち、もう一人は拳銃。
距離、八メートル。
柏木はAKを撃った。腰だめのまま、体の軸で狙う。
三発。
AKの男が倒れた。
拳銃の男が足を止め、銃を向けようとする。
柏木は前に出た。
距離を詰める。五メートル。四メートル。
男が発砲。弾は柏木の横を抜けた。
三メートル。
柏木は止まらなかった。
左手でAKのバレルを掴み、振った。銃身が男の拳銃を弾く。拳銃が飛んだ。
同時に右手がベレッタを抜いていた。
男の顔の前に銃口を突きつける。
「動くな」
男は動かなかった。
柏木は男を床に押し倒し、ニコライに任せた。ニコライが手首を縛る。
柏木は倒れたAKの男に近づいた。マガジンを抜く。ベルトに予備が二本あった。拾う。
AKの弾が増えた。三十発のマガジンが三本。合計九十発。
火力が逆転した。
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階段を上がった。
二階。廊下の両側に扉が並んでいる。全部で六つ。
どこかから泣き声が聞こえた。女の声。
「被害者がいる」
ニコライが言った。
「分かっている」
柏木は最初の扉に近づいた。鍵がかかっている。蹴り破った。
中に人がいた。
女が三人。若い。二十代か、もっと若いかもしれない。部屋の隅で固まっている。怯えた目で柏木を見ていた。
柏木はAKを下ろした。
「助けに来た。外に出ろ」
タイ語だった。スッティンから習った言葉だ。
女たちは動かない。
柏木は銃をニコライに渡し、両手を見せた。
「大丈夫だ。もう安全だ」
一人が立ち上がった。おそるおそる、柏木に近づく。
「本当に、助けに来たの」
「本当だ。外に仲間がいる。そこまで連れていく」
女は泣き出した。
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六つの部屋を全部開けた。
被害者は二十三人。女が十八人。男が五人。タイ人、ラオス人、ベトナム人。
全員を階段に集めた。
「ここから出る。静かについてこい」
柏木が先頭に立った。AKを構えている。
ニコライが最後尾。後方を警戒。
階段を降りた。
一階の廊下に出る。
左側から足音。
柏木は被害者たちを壁際に寄せた。
「動くな」
自分は廊下の中央に出た。
男が三人、走ってくる。全員がAKを持っている。
距離、十メートル。
柏木の体が動いた。
低くなる。AKを腰の高さで構える。体の軸を敵に向ける。
一発目。先頭の男の胸。
前に出ながら、二発目。二人目の腹。
さらに前に出る。三発目。三人目の足。
三人が倒れた。
三人目はまだ動いていた。銃を向けようとしている。
柏木は止まらなかった。
距離を詰め、AKのストックで男の顔面を殴った。男が倒れる。
そのまま屈み込み、男のAKを奪った。マガジンを抜く。ベルトに挟む。
立ち上がる。
一連の動作に淀みがなかった。撃つ、進む、殴る、奪う。流れるように繋がっていた。
四本目のマガジン。
弾薬は潤沢になった。
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裏口に戻った。
アレクセイとファリダーが待っていた。
「二十三人だ。保護しろ」
柏木が言った。
ファリダーが被害者たちに近づいた。
「大丈夫です。私は警察です。安全な場所に連れていきます」
被害者たちの顔が少し緩んだ。警察の制服が効いている。
アレクセイが負傷者を確認した。被害者の中に、怪我をしている者が何人かいた。
「軽傷だ。応急処置で済む」
「頼む」
柏木は建物の方を振り返った。
「まだ終わっていない」
「中に残っているのか」
「分からない。確認する」
柏木はAKを構えて、また中に入っていった。
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本棟を隅々まで確認した。
一階に組織の人間が二人、隠れていた。倉庫の中だ。
柏木が扉を開けた瞬間、銃声。弾が柏木の横を抜けた。
柏木は扉の陰に隠れた。
「投降しろ。抵抗しても無駄だ」
返事は銃声だった。
柏木は床に伏せた。扉の隙間からAKの銃口を突き出す。
音で位置が分かる。
三発。
悲鳴。
「もう一度言う。投降しろ」
沈黙。
それから、金属が床に落ちる音がした。
「……撃たないでくれ」
柏木は立ち上がり、扉を開けた。
男が二人。一人は足を撃たれて倒れている。もう一人は両手を上げて立っていた。
柏木は両手を上げている男に近づいた。
「武器を捨てろ」
男は腰のナイフを抜いて、床に落とした。
柏木は男を壁に向かせ、手首を縛った。
もう一人は足を撃たれて動けない。放っておく。アレクセイが後で処置する。
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建物の外に出た。
ニコライが待っていた。
「終わったか」
「終わった」
「何人だった」
「組織の人間は十二人。負傷者が複数。残りは拘束した」
「被害者は」
「二十三人。全員保護した」
ニコライは空を見上げた。まだ月は出ていない。星だけが見える。
「二人で十二人か」
「そうだ」
「お前の動き、見ていた」
「どうだった」
「止まらなかった。撃ちながら進んで、殴って、奪って、また撃つ。一連の流れだった」
柏木は黙っていた。
「訓練でやったのか」
「いや」
「じゃあ何だ」
「分からない。体が勝手に動いた」
ニコライは少し笑った。
「嘘だな」
「嘘じゃない」
「じゃあ、本能か」
「そうかもしれない」
柏木はAKを肩にかけた。ベレッタはホルスターに戻っている。
ベレッタの弾は四十一発残っていた。AKの弾は敵から奪ったもので戦った。
敵の武器を奪い、敵の弾を使い、自分の弾を残す。
近接戦闘の中で敵を無力化し、その流れで装備を奪取する。
CARシステムは、そこまで拡張できることが分かった。
銃を撃つ。前に出る。格闘で崩す。武器を奪う。また撃つ。
一つの動作が次の動作に繋がる。止まらない。流れる。
まだ粗い。まだ完成していない。だが、形が見えた。
柏木の中で、何かが芽生えていた。
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ペットが車を回してきた。
被害者たちを乗せた。一度に全員は乗れない。二往復することになった。
スッティンが無線で報告した。
「プラチャー刑事に連絡した。警察が来る」
「チャイロン少佐は」
「動けないと言っていた。だがプラチャーは来る」
「分かった」
柏木は煙草を取り出した。
火をつけようとして、手が震えていることに気づいた。
アドレナリンが切れ始めている。
「大丈夫か」
ニコライが聞いた。
「大丈夫だ」
「手が震えてるぞ」
「分かっている」
柏木は煙草に火をつけた。深く吸い込む。
「生き残ったな」
「ああ」
「言った通りだ」
「何がだ」
「死ぬわけにいかないから、死なない」
ニコライは笑った。
柏木も少しだけ笑った。
遠くでサイレンの音が聞こえ始めた。




