第22話 再会
スッティンのシェルターは、ウドンターニー市街から車で二十分の場所にあった。
ファリダーが運転する警察車両に四人が乗り込んだ。ニコライは後部座席で膝を抱えるような姿勢になっている。車が小さすぎる。
「窮屈か」
柏木が聞いた。
「ロシアの車はもっと大きい」
「タイの車は小さい。慣れろ」
「慣れる前に足が攣る」
アレクセイが隣で言った。
「お前は足が一本少ないんだから、スペースに余裕があるだろう」
「余裕はない。義足は曲がらない」
「じゃあ外せ」
「外さない」
ファリダーがバックミラー越しに後部座席を見た。
「静かにしてくれない? 運転に集中できない」
「お前が小さい車を選んだからだ」
アレクセイが言った。
「これしかなかったんです」
「嘘だろう」
「本当です」
「もっと大きいのがあったはずだ」
「なかったです」
「あった」
「なかったです」
「あった。俺は見た」
「いつですか」
「前にシェルターに来た時」
「あれは署長の車です。使えません」
「署長に頼め」
「頼めません」
「なぜだ」
「署長は私を嫌ってます」
柏木が口を挟んだ。
「なぜ嫌われてる」
「しつこいからです」
アレクセイが即座に言った。
「ほら、自分で認めた」
「認めてません。署長が勝手にそう思ってるだけです」
「署長は正しい」
「正しくないです」
「正しい」
「正しく——」
「その話はもういい」
柏木が遮った。
車内が静かになった。
三十秒後、ニコライが言った。
「足が攣りそうだ」
「我慢しろ」
「限界だ」
「あと十分だ」
「十分は長い」
「黙れ」
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シェルターに着いた。
平屋建ての古い建物。周囲には木が生い茂っている。入口の前に、見覚えのある男が立っていた。
スッティン・パイブーン。
三十代半ば。痩せた体格。日焼けした肌。目の下に隈がある。三ヶ月前より、少しやつれていた。
柏木が車を降りた。
スッティンが近づいてきた。
「柏木」
「ああ」
二人は握手した。それだけだった。言葉は少なくていい。
スッティンはアレクセイを見た。
「戻ってきたか」
「ああ」
「日本はどうだった」
「寒かった」
「そうか」
それからニコライを見た。見上げた。
「……誰だ」
「ニコライ・ヴォロノフ。日本で合流した」
「何者だ」
「元ロシア軍。大尉だった」
スッティンはニコライを見た。ニコライはスッティンを見下ろした。
「よろしく」
ニコライが言った。タイ語ではなく、英語だった。
「……よろしく」
スッティンが答えた。
それからファリダーを見た。
「なぜいる」
「一緒に動くことになった」
柏木が答えた。
「一緒に?」
「そうだ」
「彼女は警察だぞ」
「知っている」
「問題にならないか」
「なる。だが仕方ない」
スッティンはファリダーを見た。ファリダーはスッティンを見た。
「お久しぶりです」
「ああ。久しぶりだ」
「また質問があるんですけど」
スッティンの顔が曇った。
「今か」
「今じゃなくてもいいです。後で」
「後でも嫌だ」
「でも——」
「後にしろ」
柏木が言った。
ファリダーは口を閉じた。
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シェルターの中に入った。
食堂のテーブルに五人が座った。ノックが茶を出してくれた。柏木を見て、小さく頭を下げた。柏木も頭を下げた。
「ペットは」
「今は出ている。移送の仕事だ」
「今も動いているのか」
「小さい仕事だけだ。サーンの件には手を出していない」
柏木は頷いた。
「状況を聞かせてくれ」
スッティンは茶を一口飲んだ。
「サーンが出てきたのは三ヶ月前だ。保釈金は五百万バーツ」
「五百万」
「政治家が払った。名前はまだ分からない」
「その政治家は」
「地方議員だと聞いている。ウドンターニーではなく、ノーンカーイの方だ」
ノーンカーイ。ラオスとの国境の県だ。
「サーンは出てきてすぐに動き始めた。国境沿いに新しい拠点を作っている。メコン川のこっち側だ」
「タイ領内か」
「そうだ。だが警察は動かない。上から圧力がかかっている」
ファリダーが口を挟んだ。
「それは本当です。チャイロン少佐も動けない状態です」
スッティンはファリダーを見た。
「少佐と話したのか」
「はい。先週」
「何と言っていた」
「時間がかかる、と」
「時間か」
スッティンは苦い顔をした。
「時間をかけている間に、何人が犠牲になるか分からない」
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柏木は言った。
「コンパウンドの場所は分かっているか」
「大体は。メコン川から五キロほど内陸。廃工場を改装している」
「規模は」
「建物が三棟。鉄条網で囲まれている。監視塔が二つ」
「人数は」
「分からない。中にいる被害者の数も、組織の人間の数も」
「武装は」
「自動小銃を見た者がいる。AKだろう」
ニコライが言った。
「AKか。懐かしい」
「懐かしがってる場合じゃない」
アレクセイが言った。
「分かっている」
柏木はスッティンを見た。
「偵察は」
「近づけない。周囲にも見張りがいる」
「見張りの数は」
「昼間は二人。夜は四人に増える」
「交代の時間は」
「朝六時と夕方六時」
「入口は」
「正面に一つ。裏口があるかどうかは分からない」
柏木は頷いた。情報は少ない。だが、ゼロよりはマシだ。
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「一つ、返してもらうものがある」
柏木が言った。
スッティンは立ち上がった。
「分かっている」
奥の部屋に消えた。三十秒ほどで戻ってきた。手に黒い布袋を持っている。
テーブルの上に置いた。
柏木は袋を開けた。
ベレッタM92FSが入っていた。
ポーの遺品だった。
柏木がタイに来た時、スッティンから受け取った銃だ。二十四歳で死んだスタッフが持っていたもの。日本に持ち込めなかったから、スッティンに預けていた。
柏木はベレッタを手に取った。重さを確認した。グリップを握った。
古い銃だ。製造から何年経っているか分からない。フレームに傷がある。だが機関部はきれいだった。スッティンが整備してくれていた。
マガジンを抜いた。弾は入っていない。
「弾は」
スッティンが別の袋を出した。中にマガジンが三本入っている。
「四十五発。これが全部だ」
「十分だ」
柏木はマガジンを一本取り出し、ベレッタに装填した。スライドを引いて、初弾を薬室に送り込んだ。
ショルダーホルスターにベレッタを収めた。
重さが戻ってきた。肩に、胸に、馴染む重さが。
ポーが持っていた銃。ポーの分も、という言葉を思い出した。
「やっとだな」
アレクセイが言った。
「ああ」
「丸腰は落ち着かなかっただろう」
「落ち着かなかった」
ファリダーが柏木を見た。
「その銃……」
「ポーのものだ」
スッティンが答えた。
「死んだスタッフが持っていた銃です。柏木に託しました」
ファリダーは少し黙った。
それ以上は聞かなかった。
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ニコライが言った。
「俺の銃が要る」
柏木が頷いた。
「日本で使ったグラーチは」
「置いてきた。持ち出せるわけがない」
当然だった。日本の空港のセキュリティを銃を持って通過するのは不可能だ。
「何が要る」
スッティンが聞いた。
「拳銃一丁。9ミリか、.45口径。弾は百発あれば十分だ」
「手配できるか分からない。チャイロン少佐に当たってみる」
「頼む」
アレクセイが言った。
「俺は銃はいらない。医療器具の補充が欲しい」
「何が必要だ」
「止血剤。縫合糸。抗生物質。鎮痛剤」
「戦場の準備だな」
「戦場になるからな」
スッティンは頷いた。
「手配する」
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ファリダーが言った。
「私は」
四人がファリダーを見た。
「何も要らないのか」
柏木が聞いた。
「要りません。警察官なので、自分の装備があります」
「使い物になるか」
「なります」
「本当か」
「本当です。射撃は得意です」
「どのくらい得意だ」
「警察学校で一位でした」
「首席の次は射撃一位か」
「そうです」
「自慢が多いな」
「事実を言ってるだけです」
アレクセイが呟いた。
「射撃場と実戦は違う」
「分かってます」
「本当に分かってるか」
「分かってます」
「分かってない」
「分かってます」
「分かって——」
「その話はもういい」
柏木が遮った。
もう何度目か分からない。
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スッティンが立ち上がった。
「今夜はここに泊まれ。部屋を用意する」
「ああ」
「明日、偵察に行く。場所を見ておいた方がいい」
「分かった」
スッティンは出て行こうとして、足を止めた。
振り返って、柏木を見た。
「柏木」
「何だ」
「……戻ってきてくれて、ありがとう」
柏木は少し黙った。
「礼を言うのは早い。まだ何も終わっていない」
「分かっている。でも、言いたかった」
スッティンは出て行った。
部屋に五人が残った。
ニコライが言った。
「いい男だな」
「ああ」
「お前の上司か」
「上司というか。依頼主だ」
「金は出るのか」
「給与は出ない。生活費だけだ」
「生活費」
「月五千バーツ。日本円で二万くらいだ」
ニコライは少し考えた。
「ロシア軍より安いな」
「ここはそういう場所だ」
「分かった。五千バーツでいい」
アレクセイが言った。
「俺も月五千バーツだ。三年間ずっと」
「慣れたか」
「慣れた。居場所と目的がある。金より価値がある」
「そういうものか」
「そういうものだ」
ファリダーが言った。
「私は給料が出ます」
三人がファリダーを見た。
「警察官なので」
「自慢か」
アレクセイが言った。
「事実です」
「事実が自慢になることもある」
「なりません」
「なる」
「なりません」
「なる」
「なり——」
「その話はもういい」
柏木が遮った。
本当に、もう何度目か分からない。




