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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか!  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
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第20話 線の先

深夜一時。


 川口のビジネスホテル。柏木はスマートフォンを握ったまま、窓際に立っていた。


 タイは今、午後十一時。スッティンは起きているだろうか。


 ベッドの端でアレクセイが義足を外している。ニコライは隣のベッドに横になっていたが、目は開いていた。眠る気配がない。


 「迷ってるのか」


 アレクセイが聞いた。


 「いや」


 迷ってはいない。ただ、どう切り出すか考えていた。


 ホアンのスマートフォンから出てきたタイ語のメッセージ。日本語が話せる若者を集めろ。送り主の番号はウドンターニー周辺。


 点と点が線になりかけている。その線がどこに繋がるか、確かめる必要があった。


 柏木は画面をタップした。


 *「起きてるか」*


 送信。


---


 三分後、既読がついた。


 返信が来る。


 *「起きてる。どうした」*


 電話に切り替えた。二回のコールで繋がる。


 「柏木か」


 スッティンの声。少し疲れているが、起きていた声だ。


 「ああ。悪いな、夜中に」


 「構わない。で、何かあったか」


 単刀直入に聞く男だ。柏木は嫌いじゃなかった。


 「一つ確認したい。ウドンターニー周辺で、日本語話者を集めている組織に心当たりはあるか」


 電話の向こうで、何かが動く音がした。椅子を引いたのかもしれない。


 しばらく沈黙があった。


 「……ある」


 スッティンの声が低くなっていた。


---


 「サーン・トンカムだ」


 その名前を聞いた瞬間、柏木の眉が動いた。


 サーン・トンカム。柏木が単独で本拠地に乗り込んで捕まえた男。プラチャーに引き渡して、警察が動いたはずの男。


 「出てきたのか」


 「三ヶ月前に保釈された」


 「保釈」


 「金を積んだ。タイの司法は動く」


 知っている。プラチャーもチャイロンも、最初からそれを警告していた。


 「出てきて、何をしている」


 「国境だ。ラオスとの国境沿いに、新しい拠点を作っている。詐欺のコンパウンド。鉄条網で囲まれた施設で、外国向けの詐欺電話をかけさせている」


 「日本向けか」


 「そうだ。日本語が話せる人間を集めている。タイ人、ラオス人、ベトナム人、それから日本人も」


 柏木は目を閉じた。


 点が線になった。線がウドンターニーに戻っていた。


---


 「なぜ連絡しなかった」


 柏木は聞いた。


 電話の向こうで、スッティンが息を吐く音がした。


 「……悪かった」


 「悪かったじゃない。理由を聞いている」


 「サーンが出てきた時、俺のところに人が来た。サーンの組織の人間だ」


 「脅しか」


 「ああ。お前の家族がどこにいるか知っている、と」


 柏木は何も言わなかった。


 スッティンには妻がいる。子供が二人いる。ウドンターニーに住んでいる。柏木はそれを知っていた。


 「だから動けなかった。三ヶ月、何もできなかった」


 「……」


 「お前を呼んだのは、もう限界だからだ。一人じゃ無理だ」


 柏木は窓の外を見た。川口の夜景。工場の明かりが点在している。


 「家族は今どうしてる」


 「チャイロン少佐の伝手で、安全な場所に移した。昨日だ」


 「昨日か」


 「だから今、電話に出られる」


 なるほど、と柏木は思った。三ヶ月間、スッティンは動けなかった。家族を人質に取られていたから。昨日やっと家族を逃がして、今夜初めて話せるようになった。


 タイミングが良かったのか悪かったのか。どちらにしても、状況は動いている。


---


 「戻る」


 柏木は言った。


 「いつだ」


 「二、三日後になる。こっちの片付けがある」


 「分かった。待っている」


 「一つ確認する」


 「何だ」


 「プラチャーとチャイロンは動けるか」


 スッティンは少し間を置いた。


 「プラチャーは動ける。チャイロンは……分からない。上から圧力がかかっている」


 「サーンの繋がりか」


 「おそらく。政治家の名前が出ている」


 厄介だな、と柏木は思った。だが予想の範囲内でもある。


 「分かった。戻ったら話す」


 「気をつけろ」


 「お前もな」


 電話を切った。


---


 部屋が静かになった。


 アレクセイが立ち上がる。義足をつけ直している。


 「聞こえた」


 「ああ」


 「サーン・トンカムか。お前が捕まえた男だな」


 「そうだ。出てきた」


 ニコライがベッドから起き上がった。


 「誰だ、その男は」


 「タイで俺が捕まえた人身売買の仲介者だ。警察に渡した。金を積んで出てきた」


 「出てきて、また動いている」


 「そうだ」


 ニコライは少し考えた。それから言った。


 「日本の若者を集めて、タイに送っている。その窓口がボドイだった」


 「そういうことだ」


 「お前はタイに戻るのか」


 「戻る」


 「一人でか」


 柏木はニコライを見た。


 「俺も行く」


 アレクセイが言った。当然のように。


 「分かっている」


 「俺は」


 ニコライが言いかけて、止まった。


---


 柏木はニコライを見た。


 ニコライは窓の方を見ていた。川口の夜景が広がっている。


 「日本にいる理由がなくなった」


 「ボドイの件は片付いた」


 「そうだ。だが」


 ニコライは少し黙った。


 「お前たちと動いて、久しぶりに意味のあることをした気がする」


 アレクセイが口を開きかけた。ニコライが先に続けた。


 「タイに行く。ビザは」


 「チャイロン少佐に頼む。俺とアレクセイの時と同じだ」


 「通るか」


 「通る。少佐は融通が利く」


 ニコライは柏木を見た。


 「決めた」


 柏木は頷いた。


 アレクセイが横から口を挟んだ。


 「タイは暑いぞ」


 「知っている」


 「義足が蒸れる」


 「それはお前の問題だ」


 「お前も足を失ったら分かる」


 「失う気はない」


 柏木は二人の会話を聞きながら、少しだけ口の端を上げた。


 こいつらは変わらない。どこに行っても変わらない。


---


 翌日から、柏木は四人の様子を見て回った。


 アン・ティン・ミンには労働基準監督署への申告手続きを進めた。弁護士を紹介して、書類を揃えた。


 「柏木さん、また行くんですか」


 アンが聞いた。


 「ああ」


 「また戻ってきますか」


 「戻る」


 アンは少し笑った。


 「信じます」


 「信じなくていい。事実だから」


---


 チャウは物品販売から完全に手を引いていた。ホアンたちが消えたことで、ルートが途絶えた。


 「工場の仕事だけに戻ります」


 チャウが言った。顔色が以前より良くなっている。


 「そうか」


 「柏木さん」


 「何だ」


 「ありがとうございます。それだけ言いたかった」


 柏木は何も言わなかった。ただ頷いた。


---


 ズンには駅前で会った。


 「在留資格の問題は消えた。佐藤が逮捕されたからな」


 「はい」


 ズンの顔が少しだけ緩んでいた。二年ぶりに見る表情だった。


 「借金はまだ残っている」


 「百二十万くらいです」


 「時間はかかるが、正規のルートで返せる。焦るな」


 「はい」


 ズンは柏木の顔を見た。


 「柏木、また行くんですか」


 「ああ」


 「タイですか」


 「そうだ」


 ズンは少し考えてから言った。


 「向こうでも、同じことをするんですか」


 「同じことって何だ」


 「見ていられないから、助ける」


 柏木は煙草を取り出した。火をつけた。


 「そうだな」


 「かっこいいですね」


 「かっこよくない。ただの性分だ」


 ズンは笑った。本当に笑った。


---


 ミンにも会った。


 給与から引かれていた三万円の件は、労働基準監督署に申告する準備ができた。


 「これ、取り戻せるんですか」


 「取り戻せる。時間はかかるが」


 ミンは柏木を見た。何か言おうとして、言えなかった。代わりに深く頭を下げた。


 「ミン」


 「はい」


 「頭を上げろ」


 ミンが顔を上げた。


 「お前は何も悪くない。悪いのは制度と、それを利用した奴らだ」


 ミンの目が赤くなった。泣かなかった。唇を噛んで、こらえた。


 「柏木さん」


 「何だ」


 「俺も、いつか誰かを助けられるようになりたいです」


 柏木は煙草を吸った。煙を吐いた。


 「なれる」


 「本当ですか」


 「お前が決めることだ。俺が保証することじゃない」


 ミンは頷いた。強く頷いた。


---


 三日目の朝。成田空港。


 柏木とアレクセイとニコライ。三人で出発ロビーに立っていた。


 チャイロン少佐がニコライのビザを手配してくれた。短期滞在、九十日。職業欄にはコンサルタントと書いてある。


 「コンサルタント」


 ニコライが搭乗券を見ながら言った。


 「何をコンサルするんだ、俺は」


 「暴力だ」


 アレクセイが答えた。


 「暴力のコンサルタントか」


 「お前の得意分野だろう」


 「違いない」


 柏木は二人の会話を聞きながら、搭乗口の方を見た。


 日本を離れる。四人を残して。


 だが今回は違う。前回は追い出されるように出ていった。今回は戻るために出ていく。


---


 搭乗が始まった。


 三人は列に並んだ。


 柏木の隣にいた女性が、サングラスをかけた柏木を見て、少し体を離した。


 いつものことだ。


 「お前、その格好は何とかならないのか」


 アレクセイが言った。


 「何がだ」


 「サングラスにオールバック。紅色のベスト。ショルダーホルスター」


 「ホルスターは空だ。銃は持ち込めない」


 「見た目の問題だ。ヤクザにしか見えない」


 「よく言われる」


 「直す気はないのか」


 「ない」


 ニコライが横から口を挟んだ。


 「俺は好きだぞ、その格好」


 「お前の美的感覚は信用できない」


 「なぜだ」


 「ロシア人だからだ」


 「差別だな」


 「事実だ」


 列が進んだ。


 タイへの扉が、また開いていた。


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