幕間 狂騒曲
王宮での戦闘から三日後。
Netflixのドキュメンタリー班は、バンコクの安ホテルで祝杯を上げていた。
「最高の映像が撮れた」
ディレクターのマイクが言った。アメリカ人。四十代。禿げかけている。
「王宮の中で格闘戦だぞ。しかも全員ボロボロになりながら戦ってる。救急車で運ばれるところまで撮った。完璧だ」
「でもマイク、俺たちも死にかけましたよね」
カメラマンのトムが言った。
「撮影中に三回撃たれかけた。一回は本当にかすった」
「かすっただけだろ。死んでない」
「死んでないですけど」
「なら問題ない」
「その論法、局長と同じですね」
「局長は正しい」
音声担当のサラが言った。
「でも、本当にいい映像ですよ。瀧本がトゥクトゥクで王宮に突っ込むところ。建物の中まで三輪車で入っていくところ。あれ、映画でもやらない」
「やらないよな。普通は」
「でも瀧本はやった」
「だから撮った」
マイクはビールを飲み干した。
「前回のドキュメンタリーは二億三千万人が見た。今回はもっと行くぞ。王宮の戦いだ。格闘スターに教わった技を実戦で使ってる。しかも敵は本物のテロリスト。脚本家が書いても、こんな話は通らない」
「通らないですね」
「でも現実に起きた。だから撮った」
「俺たち、よく生きてますね」
「生きてる。それが大事だ」
一週間後。
Netflixはドキュメンタリーの緊急制作を発表した。
タイトルは『TAKIMOTO II —— 王宮の死闘』。
前作の続編。王宮での戦いを中心に、半年間の訓練、テロとの戦い、そして逮捕劇までを描く。
放送日は未定。だが、世界中のメディアが取り上げた。
「あの男が帰ってきた」
「今度は王宮でトゥクトゥク」
「格闘スター直伝の技を実戦投入」
ネット上では、前回のドキュメンタリーの切り抜きが再び拡散された。
ロサンゼルス。
ジャン・クロード・ヴァンダムは、自宅のジムでニュースを見ていた。
「王宮の戦い? 瀧本が?」
彼はすぐにNetflixに電話した。
「俺の弟子が王宮で戦ったって? 映像を見せろ」
「ヴァンダムさん、まだ編集中で——」
「編集中でもいい。見せろ」
Netflixは断れなかった。ヴァンダムは前作のドキュメンタリーで最も印象的なシーンを提供した人物だ。
映像が送られてきた。
ヴァンダムは自宅のスクリーンで見た。
王宮の広間。
瀧本がスペツナズの男と対峙している。
ボロボロだ。左腕が動かない。右腿を撃たれている。鼻が折れている。
それでも立っている。
男が攻撃してくる。瀧本が投げられる。床に叩きつけられる。
また立つ。
また投げられる。
また立つ。
「……いいぞ、瀧本」
ヴァンダムは拳を握った。
映像が続く。
サラが男の足首を掴んだ。
瀧本が跳んだ。
回転した。
540度。
回し蹴りが男の側頭部を捉えた。
男が吹っ飛んだ。
ヴァンダムは立ち上がった。
「やった! やったぞ! 540度だ! 俺が教えた! 俺が!」
彼は妻に向かって叫んだ。
「見たか!? 瀧本が540度回転蹴りを実戦で使った! 俺が教えたんだ!」
「聞こえてるわよ。隣の家まで聞こえてるわよ」
「聞こえていい! 世界中に聞こえていい!」
ヴァンダムはすぐにSNSに投稿した。
「私の弟子、タキモトが王宮で540度回転蹴りを使った。私が教えた。私の技だ。彼は最高の弟子だ」
投稿は一時間で百万いいねを超えた。
バンコク。トニー・ジャーの自宅。
トニー・ジャーも映像を見ていた。
瀧本がムエタイの技を使っている。膝、肘、膝、肘。流れるように打撃を繰り出している。
「速くなった」
トニー・ジャーは微笑んだ。
「半年前は荒かった。今は滑らかだ。俺が教えた甲斐があった」
彼もSNSに投稿した。
「タキモトは私の誇りです。彼のムエタイは、もう荒くない」
ジャカルタ。イコ・ウワイスの自宅。
イコ・ウワイスはスマホで映像を見ていた。
瀧本がシラットの動きを使っている。流れの中で攻撃と防御を行っている。止まらない。
「流れを掴んだな」
イコは師匠のミリョク・ヤンに電話した。
「師匠、見ましたか」
「見た」
「瀧本、シラットを使ってました」
「使っていた。サラも使っていた。二人とも、よくやった」
「師匠が教えた甲斐がありましたね」
「ある。だが、まだ伸びる。次に会ったら、もっと教えてやる」
香港。サモ・ハン・キンポーの自宅。
サモ・ハンは映像を見て笑っていた。
ジョンソンが戦っている。体重を活かした戦い方。重くて速い。一人を殴り倒し、別の一人を投げ、三人目に組み付いている。
「あの黒人、よくやってる」
サモ・ハンは満足そうだった。
「体重を活かすってのは、こういうことだ。デブは強い。覚えておけ」
隣にいた息子が言った。
「父さん、デブって言っちゃダメだよ」
「俺がデブだからいいんだ」
ドイツ。スコット・アドキンスの自宅。
スコット・アドキンスは映像を見て頷いていた。
ニコライが蹴りを放っている。見えない蹴り。軌道が読めない。
「いい蹴りだ。俺が教えた通りだ」
だが、次の瞬間、ニコライが撃たれた。右足に。倒れた。
「……くそ」
スコットは顔をしかめた。
「でも、その後も戦ってる。足を撃たれても、這ってでも戦ってる。根性がある」
彼はSNSに投稿した。
「ニコライは最高の生徒だった。彼の回復を祈っている」
アメリカ。マイケル・ジェイ・ホワイトの自宅。
マイケルは映像を見て叫んでいた。
マルティネスが戦っている。殴り、蹴り、投げ、締める。何でもあり。脇腹を切られても戦い続けている。
「そうだ! それでいい! 止まるな! 戦え!」
マルティネスが崩れ落ちた。血が流れている。
「……くそ」
マイケルは拳を握った。
「でも、生きてる。生きてるんだろうな」
彼はNetflixに電話した。
「マルティネスは生きてるのか」
「生きてます。入院中ですが、命に別状はありません」
「よかった」
マイケルは息を吐いた。
「あいつに伝えてくれ。よくやったって」
タイ。ブアカーオ・バンチャメークの自宅。
ブアカーオは映像を見ていた。
局長が戦っている。警察本部で。警官たちを相手に。ムエタイで。
「いい動きだ」
ブアカーオは微笑んだ。
「俺が教えた通りだ。肘の角度、膝の入れ方、全部正しい」
局長が撃たれた。左腕を。
「……」
だが、局長は止まらなかった。そのまま戦い続けた。
「いい根性だ」
ブアカーオは頷いた。
「俺の弟子にふさわしい」
ロサンゼルス。ヴァンダムの自宅。二日後。
ヴァンダムはNetflixの幹部と電話していた。
「だから言ってるだろう。瀧本を主演にしろ」
「ヴァンダムさん、彼は俳優じゃないんです」
「俳優じゃなくていい。本人役だ。本人を本人が演じる。最高じゃないか」
「でも、彼は今入院中で——」
「退院したら撮ればいい」
「映画を撮るんですか?」
「当然だ。ドキュメンタリーもいいが、映画にすればもっといい。俺も出る。トニー・ジャーも出る。イコ・ウワイスも出る。全員出る」
「全員出るって——」
「俺たちが教えた技を、瀧本が使う。それを映画にする。脚本は要らない。全部本当のことだからな」
「いや、でも——」
「考えておけ」
ヴァンダムは電話を切った。
妻が聞いた。
「また無茶言ったの」
「無茶じゃない。最高のアイデアだ」
「瀧本さんに許可取ったの」
「取ってない」
「取りなさいよ」
「取る。退院したら」
バンコク。病院。
瀧本は病室のベッドで、スマホを見ていた。
ヴァンダムのSNS投稿が表示されている。
「私の弟子、タキモトを主演にした映画を作るべきだ。Netflixに提案した。彼は最高のアクションスターになれる」
瀧本は天井を見た。
「……勝手に話進めてる」
隣のベッドでマルティネスが笑った。脇腹が痛そうだった。
「お前、映画スターになるのか」
「ならない」
「でもヴァンダムが言ってる」
「勝手に言ってる」
「断れるのか」
「……」
瀧本は黙った。
ヴァンダムの目を思い出した。あの目で「やれ」と言われたら、断れる気がしなかった。
「……考えないことにする」
「逃げるな」
「逃げる。今は怪我人だ。考える義務はない」
「怪我人は怪我人らしくしてろってことか」
「そうだ」
「じゃあ俺も考えない」
「そうしろ」
二人は天井を見た。
外からサイレンの音が聞こえた。
バンコクは、まだ騒がしかった。
Netflixのドキュメンタリー班は、病院にも来ていた。
「瀧本さん、インタビューいいですか」
「嫌です」
「でも、世界中が待ってます」
「待たせとけ」
「ヴァンダムさんが、あなたのコメントを求めてます」
「ヴァンダムさんには、勝手に話を進めるなと伝えてください」
「それ、本人に言えますか」
「……」
瀧本は黙った。
言えない。絶対に言えない。
「……インタビューは退院してからで」
「いつ退院ですか」
「三ヶ月後」
「三ヶ月待ちます」
「待つな」
「待ちます。俺たちはドキュメンタリー班です。待つのが仕事です」
瀧本はため息をついた。
「こんなんで死んでたまるかボケェ」
「それ、名言ですね。使っていいですか」
「使うな」
「使います」
「だから使うなって」




