第9話 乱戦
広間に全員が突入した。
突撃隊。対策局捜査官。総勢二十九名。
対するテロリストは五十人以上。全員が自動小銃を持っている。
だが、それだけじゃなかった。
動きが違う。構えが違う。目が違う。
こいつら全員、訓練を受けている。それも、並の訓練じゃない。
王宮に突入するような作戦を実行できる連中だ。当然、全員がエース級だ。
ジョンソンが叫んだ。
「散開! 懐に入れ! 撃たせるな!」
全員が走った。
瀧本は一人目に飛びかかった。
銃身を掴む。男が抵抗した。普通なら、ここで銃を奪える。だが奪えなかった。男の腕力が強い。
膝を腹に入れた。男が屈まない。腹筋が硬い。効いていない。
男が頭突きを放ってきた。瀧本の額に直撃。視界が白くなった。
よろめいた瞬間、男が銃床を振り下ろしてきた。肩に直撃。激痛。左腕が痺れた。
瀧本は歯を食いしばって蹴りを放った。男の膝に入った。ようやく男がよろめいた。その隙に肘を顎に叩き込む。倒れた。
一人倒すのに、これだけかかった。
振り向くと、二人目が銃を構えていた。
撃たれた。左肩に激痛。
倒れなかった。走った。男の懐に入り、肘を叩き込んだ。男が崩れる。
だが左腕がもう動かない。
広間は地獄だった。
ジョンソンが三人を相手にしていた。サモ・ハン直伝の重い拳。だが相手も強い。一人を殴り倒しても、別の一人が蹴りを放ってくる。ジョンソンの顔面に入った。よろめいた隙に、背後から銃床が振り下ろされた。背中に直撃。ジョンソンが膝をついた。
立ち上がろうとした。別の男が蹴りを放った。脇腹に入った。ジョンソンが倒れた。
それでもジョンソンは男の足を掴み、引き倒し、マウントを取って殴った。男が動かなくなった。だがジョンソンも立ち上がれない。脇腹を押さえている。肋骨が折れている。
ニコライがスコット・アドキンス直伝の蹴りを放った。一人の顔面に直撃。男が吹っ飛んだ。
だが二人目が銃を構えた。撃たれた。右足に激痛。ニコライが倒れた。
床に転がりながら、近づいてきた男の足を払った。男が倒れる。ニコライは這うように男の上に乗り、首を絞めた。
別の男が蹴りを放ってきた。ニコライの背中に直撃。呼吸が止まった。それでも手を離さなかった。男が動かなくなるまで絞め続けた。
だがニコライはもう動けない。右足は血まみれ。動脈に当たっている。止血しなければ死ぬ。
陳志明が詠春拳の連打を繰り出していた。ドニー・イェン直伝。だが相手も強い。連打を捌かれた。カウンターの肘が顔面に入った。陳志明がよろめいた。
別の男が銃を構えた。撃たれた。右腕に激痛。血が飛んだ。
片腕で戦うしかない。左拳だけで連打を繰り出した。一人を倒した。だが二人目の蹴りが腹に入った。陳志明が屈んだ。後頭部に肘が落ちてきた。床に倒れた。
意識が遠のきかけた。それでも立ち上がろうとした。男が銃床を振り下ろしてきた。背中に直撃。陳志明は動けなくなった。
マルティネスが暴れていた。マイケル・ジェイ・ホワイト直伝の総合格闘技。だが相手も強い。五人を相手に、殴り、蹴り、投げ、締める。一人を倒す。二人を倒す。だが三人目の蹴りが膝に入った。よろめいた。四人目がナイフを振るった。
脇腹を切り裂かれた。深い。内臓に届いている。
「くそがあああ!」
マルティネスは叫びながら、ナイフを持った男の腕を掴み、へし折った。そのまま男を投げ、別の男にぶつけた。
だが血が止まらない。視界がぼやける。膝をついた。
サラがミリョク・ヤン直伝のシラットで戦っていた。流れるような動き。三人を倒した。だが四人目が強かった。サラの肘を捌き、カウンターの膝を入れてきた。腹に直撃。息が詰まった。
よろめいた隙に、別の男がナイフを振るった。サラの腕を切り裂いた。深い。骨が見えている。
サラは悲鳴を上げなかった。切られた腕を無視して、男の顎に肘を叩き込んだ。男が倒れた。
だがサラも膝をついた。腕から血が流れ続けている。
ンゴマとアブドゥルが十人以上に囲まれていた。
ンゴマの顔面に拳が入った。鼻が折れた。血が噴き出した。それでも殴り返した。男が倒れた。だが別の男の蹴りが膝に入った。関節が悲鳴を上げた。ンゴマが倒れた。
アブドゥルがンゴマを庇おうとした。背後から銃床が振り下ろされた。後頭部に直撃。アブドゥルが崩れ落ちた。意識がない。
ンゴマは這うように男に組み付いた。首を絞めた。別の男が蹴ってきた。肋骨に入った。折れた。肺に刺さった。それでも離さなかった。男が動かなくなるまで。
ンゴマはそのまま動かなくなった。呼吸が止まりかけている。
瀧本とヨナタンが駆けつけた。
ヨナタンがナイフを投げた。一人の肩に刺さった。クラヴマガ。だが男は倒れなかった。ナイフを抜いて、投げ返してきた。ヨナタンの腹に刺さった。
「ぐ……っ」
ヨナタンが膝をついた。腹からナイフが生えている。
瀧本が男に飛びかかった。肘を叩き込んだ。男が崩れた。
振り向くと、ヨナタンが倒れていた。腹から血が流れている。
広間の奥で、テロリストの一団が階段を駆け上がっていった。十五人ほど。
「止めろ!」
ジョンソンが叫んだ。だがジョンソンは立てない。肋骨が折れている。
ニコライは足を撃たれて動けない。
陳志明は背中を打たれて倒れている。
マルティネスは脇腹を切られて血まみれだ。
サラは腕を切られて血が止まらない。
ンゴマは呼吸が止まりかけている。アブドゥルは意識がない。ヨナタンは腹にナイフが刺さっている。
立っているのは、瀧本だけだった。
左肩を撃たれている。左腕が動かない。頭から血が流れている。全身が痛い。
それでも、追うしかない。
「俺が行く」
瀧本は走った。
階段を駆け上がった。
待ち構えていた男に飛びかかった。銃を払い、肘を叩き込んだ。男が崩れた。
二人目が蹴りを放ってきた。強い。ブロックした右腕が痺れた。片腕で戦うしかない。
膝蹴りを放った。腹に入った。男が屈んだ。肘を落とした。倒れた。
三人目、四人目が同時に来た。
一人の銃を掴み、引き寄せた。もう一人に男をぶつけた。二人がもつれた。そこに蹴りを放った。二人とも階段を転げ落ちた。
五人目が銃を構えた。撃たれた。右腿に激痛。
倒れなかった。走った。男の懐に入り、頭突きを叩き込んだ。男が崩れた。
まだ十人いる。
サラが追いついてきた。腕から血を流しながら。
「一人で行くな」
「お前、その腕で」
「まだ動ける」
二人で階段を駆け上がった。
二階の廊下で、乱戦になった。
瀧本とサラで十人を相手にした。
狭い廊下。だが敵も強い。一人を倒す間に、別の一人が殴りかかってくる。
瀧本の顔面に拳が入った。よろめいた。蹴りが腹に入った。屈んだ。後頭部に肘が落ちてきた。床に手をついた。
サラが男を蹴り飛ばした。だがサラも限界だった。腕から血が流れ続けている。顔が青い。
それでも戦った。
一人、また一人と倒していく。
残り五人になった時、マルティネスが追いついてきた。脇腹を押さえながら。血が滴っている。
「まだ……戦える……」
三人で五人を倒した。
全員が限界だった。
廊下の奥に、扉があった。
蹴破った。
中にテロリストが五人。部屋の奥に金庫がある。
そして、その中央に、男が立っていた。
他の四人とは、格が違う。
大きい。瀧本より頭一つ高い。百九十センチは超えている。体重は百キロ近いだろう。だが脂肪ではない。全身が筋肉の鎧で覆われている。
顔に三本の傷がある。左の眉から頬まで、斜めに走っている。古い傷だ。刃物でつけられたものだ。
目が死んでいる。感情がない。殺意すらない。ただ、仕事をしに来た。そういう目だ。
構えに無駄がない。重心が低い。両手を前に出し、組みに来る構え。サンボだ。ロシアの格闘技。関節技と投げを主体とする。
瀧本は男を見た。背筋が凍った。
こいつは、今まで戦った誰とも違う。
「スペツナズか」
男が口を開いた。低い声。アクセントのある英語。
「ヴィクトル・ザハロフ。元スペツナズ・アルファ」
アルファ。ロシア連邦保安庁の対テロ特殊部隊。世界最強の特殊部隊の一つ。
「お前は」
「瀧本勝幸。元白バイ」
「白バイ?」
ヴィクトルの眉がわずかに動いた。嘲笑ではない。困惑だ。
「交通警察が、なぜここにいる」
「長い話だ」
「聞く時間はない」
ヴィクトルが構えた。
瀧本も構えた。左腕は動かない。右腿を撃たれている。片足で立っているのがやっとだ。
「サラ、マルティネス、金庫を守れ」
「瀧本、お前一人で——」
「俺がやる」
瀧本はヴィクトルに向かって走った。
ヴィクトルが動いた。
速くない。だが、間合いが読めない。
瀧本は蹴りを放った。ヴィクトルが半歩下がった。届かない。
距離を詰めようとした。ヴィクトルが踏み込んできた。瀧本の蹴り足を掴んだ。
「クソっ——」
引かれた。バランスを崩した。
ヴィクトルが体を回転させた。瀧本の体が宙を舞った。投げられた。床に叩きつけられた。
息が止まった。背中に激痛。肺から空気が全部抜けた。
立ち上がろうとした。ヴィクトルが上から落ちてきた。膝が腹に入った。内臓が潰れそうだった。口から血が出た。
ヴィクトルが腕を取った。関節を極めようとしている。肩が外れる。折れる。
瀧本は必死で体をひねった。腕を引き抜いた。だがヴィクトルはすぐに次の技に移った。首を絞めてきた。腕が首に巻きついた。鉄の万力だ。
視界が暗くなりかけた。
「く……そ……がっ……!」
瀧本は肘を後ろに突いた。ヴィクトルの腹に入った。力が一瞬緩んだ。その隙に逃げた。
這うように距離を取った。立ち上がった。息が荒い。心臓が爆発しそうだ。
ヴィクトルも立ち上がった。涼しい顔をしている。息一つ乱れていない。
「お前の動き、読みやすい」
「……」
「ムエタイとシラットの混合。攻撃的だが、防御が甘い。組まれたら終わる」
全部見抜かれている。一分も戦っていないのに。
「何人殺した。そのスタイルで」
「数えてない」
「嘘だな。顔を見れば分かる。素人の延長だ。実戦経験が浅い」
ヴィクトルが一歩前に出た。
「俺は三百人以上殺した。チェチェン。シリア。ウクライナ。お前が何十人殺そうと、俺には勝てない」
瀧本は歯を食いしばった。
「テメェなんぞに……!」
瀧本は走った。
ヴィクトルが構えた。組みに来ると読んでいる。
瀧本は組まなかった。
フェイント。蹴りを出すふりをして、膝を入れた。ヴィクトルの腹に入った。ヴィクトルが少し屈んだ。
効いた。
続けて肘を振り上げた。ヴィクトルの顎を狙った。
一瞬——トニー・ジャーの姿が重なった。
肘がヴィクトルの顎を捉えた。
ヴィクトルの頭が揺れた。よろめいた。
「この……っ!」
だがヴィクトルは倒れなかった。腕を掴んできた。また投げられる。
瀧本は体を回転させた。腕を引き抜きながら、肘を側頭部に叩き込んだ。
一瞬——イコ・ウワイスの姿が重なった。
シラットの肘が、ヴィクトルのこめかみに入った。
ヴィクトルがよろめいた。
効いている。
だがヴィクトルはすぐに体勢を立て直した。目が変わった。死んでいた目に、光が灯った。獣の目だ。
「……いいだろう」
声が低くなった。
「少しは楽しめそうだ」
ヴィクトルが踏み込んできた。
速い。さっきの三倍は速い。
拳が飛んできた。ブロックした。衝撃で体が吹っ飛んだ。壁に叩きつけられた。背骨が軋んだ。
「がっ——」
立ち上がろうとした。ヴィクトルが迫ってきた。蹴りが腹に入った。息が止まった。膝が顔面に入った。鼻が折れた。血が噴き出した。
床に倒れた。
視界が赤い。血が目に入っている。
ヴィクトルが見下ろしていた。
「終わりだ」
サラが飛び込んできた。
シラットの肘がヴィクトルの側頭部を狙った。
一瞬——ヤヤン・ルヒアンの姿が重なった。
ヴィクトルが腕でブロックした。サラの肘を掴み、引き、投げた。サラが壁に叩きつけられた。ずり落ちた。動かない。
「サラ!」
マルティネスが突っ込んできた。拳を振り回した。
一瞬——マイケル・ジェイ・ホワイトの姿が重なった。
ヴィクトルが躱した。カウンターの膝がマルティネスの脇腹に入った。切られた傷口に直撃。血が飛び散った。マルティネスが悲鳴を上げた。崩れ落ちた。動かない。
二人とも倒れた。
十秒かかっていない。
瀧本は床に手をついた。
血が滴っている。自分の血だ。
立ち上がろうとした。足が震えている。腕が震えている。視界がぼやけている。
それでも、立ち上がった。
「……舐めんな」
「なぜ立つ」
ヴィクトルが首を傾げた。本当に分からないという顔だ。
「もう限界だろう。片腕は動かない。片足は撃たれている。鼻は折れている。内臓も損傷している。立っているのが奇跡だ」
「うるせえ……」
「降伏すれば、殺さない。任務は金庫の中身だ。お前たちではない」
「うるせえって……言ってんだろ……」
瀧本は構えた。片腕。片足。立っているのがやっと。
ヴィクトルが一歩近づいた。
「なぜ戦う。何のために」
「……」
「金か。名誉か。国か」
「違う」
「なら何だ」
瀧本の脳裏に、声が聞こえた。
スヨンの声だった。
結婚式の朝。白いドレスを着て、笑っていた。
『守って』
あの日、守れなかった。
目の前で撃たれた。腕の中で死んだ。
もう二度と、あんな思いはしない。
させない。
「約束だ」
「約束?」
「テメェには……分からねえよ」
瀧本は拳を握った。
「こんなんで……死んでたまるか……ボケェッ!」
ヴィクトルが踏み込んできた。
組みに来る。分かっている。組まれたら終わる。
だが、躱せない。体が動かない。
組まれた。ヴィクトルの腕が首に巻きついた。
終わる。
ヴィクトルが体を回転させた。投げようとしている。
その時、床から手が伸びた。
サラだった。意識を取り戻していた。血まみれの顔。だが目は生きている。
サラの手が、ヴィクトルの足首を掴んだ。
「今……っ!」
ヴィクトルのバランスが崩れた。一瞬。ほんの一瞬。
瀧本は首に巻きついた腕を振りほどいた。体をひねった。
距離が開いた。
一歩。それだけの距離。
だが、それで十分だった。
瀧本は跳んだ。
右足で床を蹴った。撃たれた足が悲鳴を上げた。構わない。痛みなんか、どうでもいい。
体が浮いた。
回転した。
一瞬——ヴァン・ダムの姿が重なった。
あの日の訓練。何百回も蹴った。何百回も失敗した。
『いつか使う機会がある』
今だ。
今しかない。
540度。一回転半。
全身の筋肉が軋んだ。骨が悲鳴を上げた。
関係ない。
踵がヴィクトルの側頭部に向かっていく。
ヴィクトルの目が見開かれた。初めて、驚きの表情を見せた。
瀧本は叫んだ。
言葉にならなかった。
「——ッッッァァァァァ!!」
ただの咆哮だった。
踵がヴィクトルのこめかみを捉えた。
全体重を乗せた。全人生を乗せた。スヨンとの約束を乗せた。
音がした。鈍い音。骨が砕ける音。
ヴィクトルの体が横に吹っ飛んだ。壁に叩きつけられた。壁にヒビが入った。ずり落ちた。
動かない。
瀧本は着地に失敗した。床に崩れ落ちた。
右足が折れている。回転の衝撃で限界を超えた。
立てない。
もう、立てない。
だが——
勝った。
残りの四人が動こうとした。
その時、扉が蹴破られた。
ジョンソンが立っていた。肋骨が折れているはずだ。顔が土気色だ。それでも立っていた。
「……遅くなった」
ジョンソンは四人に向かって歩いた。
四人が銃を構えた。
ジョンソンは止まらなかった。
撃たれた。肩に。
止まらなかった。
一人目の銃を払い、頭突きを叩き込んだ。崩れた。二人目の腹に膝を入れた。崩れた。三人目を掴んで投げた。四人目の顔面を殴った。
四人とも倒れた。
ジョンソンも倒れた。
静寂が訪れた。
瀧本は天井を見ていた。
視界がぼやけている。意識が遠のきかけている。
「……終わったか」
声が出た。自分の声だと分からなかった。
「終わった」
誰かが答えた。サラの声だった。かすれている。
「金庫は」
「無事」
「……そうか」
瀧本は笑おうとした。顔が動かなかった。
「こんなんで……死んでたまるか……」
それだけ言って、意識が落ちた。
救急車が到着したのは、それから十五分後だった。
広間は地獄だった。
倒れた突撃隊員。倒れた捜査官。倒れたテロリスト。血だまり。割れた柱。穴だらけの天井。
救急隊員たちが駆け回っていた。
「こっち、心肺停止!」
ンゴマだった。肋骨が折れて、肺に刺さっていた。呼吸が止まっている。心臓も止まっている。
救急隊員がCPRを始めた。胸骨圧迫。人工呼吸。
「AED準備!」
パッドを貼った。
「クリア!」
電気が流れた。体が跳ねた。
心電図を見た。
フラット。
「もう一度! クリア!」
体が跳ねた。
フラット。
「もう一度!」
三度目。
心電図が動いた。
「戻った! 心拍再開!」
だが、まだ危険だ。脳に酸素が行っていなかった時間が長い。後遺症が残るかもしれない。
「こっちも危険! 出血多量!」
マルティネスだった。脇腹の傷が深すぎた。内臓が損傷している。血圧が下がっている。
「輸血! 輸血を!」
「O型が足りない!」
「本部に連絡! 血液を確保しろ!」
「腹部刺創! 緊急手術が必要!」
ヨナタンだった。ナイフが腸を傷つけていた。このままでは腹膜炎を起こす。
「右足貫通銃創! 動脈損傷!」
ニコライだった。止血しないと失血死する。だが、動脈の損傷が大きい。
「これ、神経も傷ついてる可能性がある」
「歩けるようになるか」
「分からない。最悪の場合——」
言葉が途切れた。
「後頭部強打! 意識不明!」
アブドゥルだった。瞳孔が開いている。脳震盪か、それ以上か。
「この人、何発撃たれてるんだ!?」
瀧本だった。左肩と右腿を撃たれ、鼻が折れ、全身打撲。
「まだ息がある! 搬送!」
ストレッチャーが並んだ。
瀧本。ジョンソン。ニコライ。マルティネス。サラ。陳志明。ンゴマ。アブドゥル。ヨナタン。
九人が担架で運ばれていった。
残りの隊員たちも、全員が何かしら負傷していた。自力で歩ける者はほとんどいなかった。
救急車が次々と出発していった。
サイレンが鳴り響いた。
ンゴマを乗せた救急車の中で、心臓がまた止まった。
「心停止! CPR再開!」
胸骨圧迫。
「クリア!」
AEDが作動した。
体が跳ねた。
フラット。
「クリア!」
体が跳ねた。
心電図が動いた。
「戻った!」
だが、血圧が低い。意識がない。
「病院まで持つか」
「持たせる」
病院に着いた時、緊急手術室が三つ同時に稼働した。
マルティネス。ヨナタン。ンゴマ。
三人が同時に手術を受けた。
ンゴマは手術中に心臓が三度目の停止を起こした。蘇生した。だが、医師は首を振った。
「危篤です。今夜が山です」
夜が明けた。
ンゴマは山を越えた。心臓は動いている。だが、意識が戻らない。
マルティネスは六時間の手術を終えた。内臓の損傷を修復。輸血四リットル。命に別状なし。
ヨナタンは四時間の手術を終えた。腸の損傷を修復。感染症のリスクがある。
ニコライは三時間の手術を終えた。右足の動脈を修復。だが、神経が損傷していた。
「歩行に障害が残る可能性があります」
医師が言った。
「どの程度」
「分かりません。リハビリ次第です。最悪の場合、杖が必要になるかもしれません」
ニコライは天井を見ていた。何も言わなかった。
瀧本は二時間の手術を終えた。左肩と右腿から弾を摘出。鼻の骨を整復。全身打撲。
目を覚ましたのは、昼過ぎだった。
白い天井が見えた。
体中が痛い。動かない。
隣のベッドに誰かがいる。目を動かした。
サラだった。腕に包帯を巻いている。点滴に繋がれている。目が合った。
「……起きた」
「起きた」
「ンゴマは」
「山を越えた。でも、まだ意識が戻らない」
「……そうか」
「ニコライは、足に後遺症が残るかもしれない」
「……そうか」
瀧本は天井を見た。
「勝ったのか」
「勝った。王宮を守った。書類も無事」
「……代償は」
「大きい」
「ああ」
瀧本は目を閉じた。
「それでも……全員、生きてる」
「生きてる」
「それだけで……十分だ」
局長が病院に来たのは、その日の夕方だった。
集中治療室を回り、全員の顔を見た。
瀧本の病室に来た時、瀧本は目を開けていた。
「局長」
「起きていたか」
「起きてます」
「報告を聞いた。よくやった」
「全員、ボロボロです」
「知っている」
「ニコライは、歩けなくなるかもしれない」
「知っている」
「ンゴマは、まだ意識が戻らない」
「知っている」
局長は窓の外を見た。夕日が沈んでいく。
「それでも、全員生きている」
「……はい」
「死者は、いない」
「……はい」
「王宮を守った。書類を守った。黒幕を全員炙り出せる」
「……はい」
局長は瀧本を見た。
「代償は大きい。だが、無駄ではない」
「……」
「お前たちが守ったものは、これからタイを変える。汚職を根絶し、正義を取り戻す。その礎になる」
瀧本は天井を見た。
「それなら……良かった」
「本当に、よくやった」
局長は病室を出て行った。
夜になった。
病室は静かだった。
瀧本は天井を見ていた。眠れなかった。
体中が痛い。だが、痛みより、別のことを考えていた。
ニコライのこと。ンゴマのこと。マルティネスのこと。
全員がズタボロになった。
それでも、誰も死ななかった。
「こんなんで……死んでたまるか……ボケェ」
呟いた。
誰も聞いていなかった。
それでいい。
瀧本は目を閉じた。
眠れないまま、朝を待った。




