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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
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第13話 メッセージ

株式会社グローバルキャリアの事務所に、柏木勇気がいなくなって三週間が経った。


 山本隆二は自分のデスクで、画面を見つめたまま動けないでいた。


 三十四歳。営業担当歴八年。外国人労働者の支援業務に携わって三年になるが、相談対応をまともにやったことはほとんどない。柏木が全部片付けていたからだ。


 今、目の前に積まれているのは柏木が残した案件の引き継ぎ資料だった。


 三百二十七人分。


 一人ひとりの在留状況、就労先、相談履歴、支援計画の進捗、生活上の問題点。柏木はそれを全員分、几帳面な文字で記録していた。備考欄には時折、短い注記が入っている。


 *「要注意。不法就労の勧誘を受けている可能性。月次で状況確認すること」*


 *「借金返済が困難な水準。送金額の見直しを本人と協議すること」*


 *「連絡が取りにくくなっている。理由を確認すること」*


 山本はそれを読んだ。読んで、閉じた。


 三百二十七人を、山本と佐藤と田中の三人で分けた。一人あたり百人強。報告書の締め切りは来月だ。相談対応の記録も要る。


 電話が鳴った。山本は受話器を取った。


 「もしもし、グローバルキャリアの山本ですが」


 相手はベトナム語訛りの日本語で、早口に何かを言った。山本には半分しか聞き取れなかった。


 「すみません、もう少しゆっくり話してもらえますか」


 相手は繰り返した。それでも聞き取れなかった。


 「えっと、担当者に確認して折り返します」


 電話を切った。


 担当者は自分だった。


---


 同じ頃、東京都足立区の古いアパートの一室で、ズンは壁を見ていた。


 三十歳。ベトナム・ハノイ出身。来日して二年と四ヶ月。食品加工工場で働いている。


 給与明細が机の上にある。今月の手取り。そこから家賃を引いて、送出し機関への返済を引いて、兄の分の借金返済を引いて、食費と光熱費を引くと、手元に残るのは六千円だった。


 先月も同じだった。先々月も。


 柏木からの送金が、今月は来ていない。


 ズンはスマートフォンを取った。柏木への連絡先を開いた。何度かメッセージを送ったが、既読がつかない。


 工場の同僚のベトナム人が、先週また声をかけてきた。いい仕事がある。夜だけでいい。月に十万は稼げる。


 ズンは断った。


 今月は断れた。


 来月は分からない。


---


 神奈川県川崎市の小さなアパートで、アン・ティン・ミンはスマートフォンの画面を見ていた。


 二十五歳。来日してまだ四ヶ月。技能実習ではなく特定技能一号で入国した。建設補助の仕事をしている。


 ナリン・チャットウィットのSNSアカウントに、見慣れない投稿があった。タイ語と日本語が混じった文章で、柏木という名前が出ていた。


 アン・ティン・ミンはタイ語が読めない。だが日本語の部分は読めた。


 *「柏木さんはタイで活動しています。元気です」*


 アン・ティン・ミンはその文章を三回読んだ。


 タイにいる。


 生きている。


 スマートフォンのメッセージアプリを開いた。柏木への連絡先がある。退職前に教えてもらった個人の番号だ。


 「柏木さん。ミンです。困っています。助けてください」


 送信した。


 返信を待った。


---


 埼玉県川口市のアパートで、チャウはテーブルに伏せていた。


 二十三歳。ベトナム・ホーチミン出身。家族の商売が失敗して来日した。飲食店で働いている。


 勤め先のオーナーが、今日また言った。


 「もっと稼ぎたいなら、知り合いを紹介してやる」


 チャウは曖昧に笑った。断り方が分からなかった。はっきり断れば仕事を失うかもしれない。仕事を失えば在留資格も失う。帰国すれば借金だけが残る。


 柏木ならどうすると思いながら、テーブルに伏せたまま、答えが出なかった。


---


 東京都江戸川区のシェアハウスで、ミンは一人で夕食を食べていた。


 二十八歳。溶接の技術を持っている。だが今の職場で任されているのは単純な組み立て作業だ。給与は技術職の水準ではない。研修費用として毎月三万円が給与から引かれている。契約書にそう書いてあったと言われれば、返す言葉がなかった。


 柏木に一度だけ、その契約書を見せたことがある。


 柏木は契約書を読んで、黙った。それから「これは問題があります。確認します」と言った。


 翌月、引かれる金額が半分になった。柏木が何をしたかは分からなかった。


 今月はまた、三万円引かれていた。


 柏木はいない。


 ミンはスマートフォンを取り出した。メッセージを打ちかけた。それから止めた。


 柏木は辞めた。もう担当者ではない。迷惑をかけることになる。


 送信しなかった。


---


 グローバルキャリアの事務所では、田中が電話を切った直後に佐藤の席に歩み寄った。


 「ベトナム人から電話があった。何を言ってるか全然分からなかった」


 「俺も今日三件あった。全部途中で切れた」


 「柏木さん、どうやって対応してたんだろ」


 佐藤は少し考えた。


 「分からない。でも柏木さん、ベトナム語できたわけじゃないだろ」


 「じゃあなんで」


 二人は少し黙った。


 柏木の席は今、空になっている。引き継ぎ資料だけが残っていた。誰もその席に座ろうとしていなかった。何となく、座れない空気があった。


 「矢崎部長に新しい人を入れてもらうしかないな」


 「それまでどうするんだよ」


 「分からない」


 窓の外で、冬の東京の空が灰色に曇っていた。


---


 その夜、ズンのスマートフォンに通知が来た。


 柏木からではなかった。


 ナリンからだった。


 *「柏木さんに連絡しましたか。今すぐしてください。彼はタイにいます。でも繋がります」*


 ズンは画面を見た。


 それからもう一度、柏木へのメッセージを送った。今度は長く書いた。自分の状況を全部書いた。兄の借金のことも書いた。工場の同僚に声をかけられていることも書いた。


 送信した。


 画面を見つめながら、ズンは返信を待った。


---


 タイ、ウドンターニー。


 深夜、シェルターで柏木のスマートフォンが鳴り始めた。


 メッセージが連続で届いていた。


 アン・ティン・ミン。ズン。


 柏木は画面を見た。


 読んだ。


 もう一度読んだ。


 脇腹の傷がまだ鈍く痛んでいた。


 煙草に火をつけた。


 スッティンの部屋に明かりがついていた。


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