第4話 再編
バンコク。首相官邸。会議室。
局長ウィチャイは、十二人の男たちと向き合っていた。首相、副首相、国防大臣、内務大臣、法務大臣、与党幹事長、野党党首、陸軍司令官、海軍司令官、空軍司令官、警察庁長官、そして国王陛下の側近。タイの権力者が一堂に会していた。
議題は一つ。王室犯罪対策局・特殊強襲部隊の処遇について。
最初に口を開いたのは、野党党首だった。七十代の老人。白髪に深い皺。だが、目は鷹のように鋭い。
「解散すべきだ」
声は静かだったが、会議室の空気が張り詰めた。
「突撃隊は反乱を起こした。元総隊長が部下を殺し、国外に逃亡しようとした。こんな組織を存続させる理由がどこにある」
与党幹事長が反論した。「しかし、反乱を鎮圧したのも突撃隊です。瀧本隊員が柏木を射殺した」
「だから何だ」野党党首は一蹴した。「内輪揉めを内輪で解決しただけだ。そもそも、あんな危険な男を総隊長に据えていたこと自体が問題ではないか」
内務大臣が割って入った。「解散は現実的ではありません。突撃隊の戦果を無視することはできない。麻薬組織の壊滅、人身売買の摘発、汚職政治家の逮捕。彼らがいなければ、タイの治安は今よりはるかに悪化していた」
「戦果があれば何をしても許されるのか」
「そうは言っていない。だが解散は——」
「縮小だ」
首相の声が、静かに響いた。全員が口を閉じた。
「解散はしない。だが、縮小する。これが落とし所だ」
野党党首が眉をひそめた。「縮小とは、具体的に何を指す」
「人員を削減する。現在の三分の一以下に。大規模な部隊ではなく、少数精鋭の特殊チームとして再編する」
首相は淡々と続けた。「これなら、突撃隊の機能は維持できる。同時に、反乱のような事態が再発するリスクも減らせる」
陸軍司令官が発言した。「装備はどうする。ヘリや車両、重火器を民間組織が持つのは危険だ」
「返還させる。必要な時は、軍から借用する形にする」
「それなら許容範囲だ」
警察庁長官が手を挙げた。「削減された人員は、どうなりますか」
「王室犯罪対策局の捜査官として配置転換する。戦闘部隊ではなく、捜査部門に」
野党党首はまだ不満そうだった。「縮小だけで十分なのか。責任者の処分はどうする」
「柏木は死んだ。反乱に加担した隊員は逮捕され、裁判を待っている。これ以上何を求める」
「局長の責任だ。部下の反乱を防げなかった責任がある」
会議室が静まり返った。全員の視線が局長ウィチャイに集まった。
局長はゆっくりと立ち上がった。
「責任は取る」
野党党首の目が光った。「辞任するのか」
「いいや」
局長は微笑んだ。穏やかな、しかし底の見えない笑み。
「責任の取り方は、辞任だけではない。私は突撃隊を再建する。反乱を起こさない、より強固な組織として。それが私の責任の取り方だ」
野党党首の顔が歪んだ。「詭弁だ。そんな——」
「よろしい」
静かな声が会議室に響いた。国王陛下の側近だった。初めて口を開いた。
「陛下は、局長の続投を望んでおられる」
全員が凍りついた。
「突撃隊の縮小はやむを得ない。だが、局長の更迭は認めない。これが陛下のご意向だ」
野党党首は何か言おうとした。だが、言葉が出なかった。国王の意向に逆らうことは、誰にもできない。
首相が頷いた。「では、そのように。突撃隊は縮小。局長は続投。装備は軍に返還。人員は対策局に配置転換。これで決定とする」
異論は出なかった。
会議が終わった。
廊下を歩く局長に、陸軍司令官が声をかけた。
「局長、一つ聞きたいことがある」
「どうぞ」
司令官は周囲に人がいないことを確認してから、声を低くした。
「あなたは、本当に突撃隊を縮小するつもりなのか」
局長は足を止めた。「もちろんだ。三分の一以下に縮小する。約束通り」
司令官は局長の目を見た。「だが、対策局の捜査官として配置転換される人員は、全員が元戦闘要員だ」
「そうだ」
「彼らは、必要があれば、いつでも戦闘に復帰できる」
局長は何も答えなかった。ただ、微笑んでいた。
「突撃隊は縮小した。だが、対策局の戦力は増強された。違うか」
沈黙が答えだった。
司令官は溜息をついた。「やはり、そういうことか。あなたは恐ろしい男だ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めていない」
「司令官」局長は司令官の肩に手を置いた。「私はタイを守りたいだけだ。そのためには戦力が必要だ。政治家たちは反乱を恐れている。だから縮小を求めた。その恐れは理解できる」
「だから表向きは縮小した」
「そうだ」
「実質は——」
「何も変わらない。いや、むしろ強くなる」
司令官は首を振った。「陛下は、このことをご存知なのか」
局長の目が一瞬だけ鋭くなった。「陛下は、全てをご存知だ。陛下はタイを守ることを望んでおられる。そのために必要なことを、私は実行しているだけだ」
司令官は黙った。これ以上何を言っても無駄だと悟った。
「……ヘリが必要な時は、言ってくれ」
局長はにっこりと笑った。「ありがとう。頼りにしている」
首相官邸を出て、車に乗り込んだ。運転席にはハーパーがいた。
「どうでしたか」
「予定通りだ」
「縮小が決定した?」
「ああ。三分の一以下に」
ハーパーはバックミラー越しに局長を見た。「……笑ってますね」
局長は窓の外を見ていた。バンコクの街並みが流れていく。
「笑っているか?」
「笑ってます。とても楽しそうに」
「そうか」
局長は煙草に火をつけた。煙を吐き出しながら言った。
「ハーパー、人員の再配置を始めろ」
「了解。突撃隊に残す人員は決まっていますか」
「ああ。十一人だ」
局長は名前を挙げた。「瀧本。ジョンソン。ニコライ。マルティネス。サラ。アレクセイ。ヨナタン。ジェームズ。陳志明。ファリダー。ナリン」
「ファリダーとナリンは元反乱者ですが」
「王の恩赦を受けた。王の命令で突撃隊に残す」
「……なるほど」
「残りは対策局の捜査官だ。いつでも戦闘に復帰できるよう、訓練は継続させろ」
「了解」
車はバンコクの道を走り続けた。
「局長」ハーパーがまた声をかけた。「パイロットはどうしますか。イーゴリが死んでゼロです」
局長は煙草を吸った。「軍から借りる。必要な時だけ」
「自前で雇わないのですか」
「雇わない。ヘリを持たない部隊がパイロットを雇う理由がない。政治家どもに突っ込まれる」
「……なるほど」
「表向きは、突撃隊は縮小した。ヘリも持たない。パイロットもいない。武装も最小限。小さな特殊チームに過ぎない」
局長は煙を吐いた。
「だが、必要な時には——」
「軍のヘリが飛び、対策局の捜査官が銃を取る」
「そういうことだ」
ハーパーは小さく笑った。「局長は本当に腹黒いですね」
「褒め言葉として受け取っておく」
「褒めてます」
窓の外では夕日が沈んでいた。オレンジ色の光がバンコクの街を染めていた。
新しい突撃隊が、生まれようとしていた。
翌日。
突撃隊本部。講堂。
全隊員が集められていた。元メンバー、新隊員、支援班。総勢三十名以上が、椅子に座っている。
壇上に局長が立った。
空気が張り詰めている。全員が何かを察していた。会議の結果がどうなったか。噂は既に広まっている。
「単刀直入に言う」
局長の声が講堂に響いた。
「突撃隊は、縮小される」
ざわめきが起きた。予想はしていた。だが、実際に言葉として聞くと、衝撃は違った。
「人員は三分の一以下になる。十一人だ。残りは、王室犯罪対策局の捜査官として配置転換される」
ざわめきが大きくなった。
「名前を読み上げる。呼ばれた者が、突撃隊に残る」
局長は紙を見た。
「瀧本勝幸。マーカス・ジョンソン。ニコライ・ヴォロノフ。ルイス・マルティネス。サラ・コールマン。アレクセイ・ヴォロノフ。ヨナタン・レヴィ。ジェームズ・ウィルソン。陳志明。ファリダー・チャンチャイ。ナリン・チャットウィット」
十一人の名前。
それ以外の者は、呼ばれなかった。
沈黙が落ちた。
そして、爆発した。
「ふざけるな!」
最初に立ち上がったのは、ンゴマだった。コンゴ出身。元傭兵。突撃隊に入るために、全てを捨ててタイに来た男。
「俺は人を守るためにここに来た! 捜査官だと? 書類仕事で誰が守れる!」
「ンゴマ、落ち着け」ニコライが言った。
「落ち着けるか!」ンゴマは椅子を蹴った。「俺はコンゴを捨てた。家族を捨てた。金も、名前も、過去も、全部捨てた。タイ国籍を取った。何のためだと思ってる。守るためだ! 目の前で苦しんでいる人間を、この手で守るためだ!」
アブドゥルも立ち上がった。エジプト出身。元軍人。
「俺も同じだ。エジプトには帰れない。帰ったら殺される。タイが俺の国だ。突撃隊が俺の居場所だ。現場に出られなくなったら、俺に何が残る」
ピーターも立った。ナイジェリア出身。軍医だった男。
「俺たちは捨て駒か。使えなくなったら、ポイか。そういうことか、局長」
講堂が騒然となった。新隊員たちも動揺している。彼らも同じだ。母国を捨て、タイ国籍を取り、突撃隊に入った。それが、入隊半年で捜査官に回される。
「黙れ」
局長の声は、静かだった。だが、講堂が静まった。
「お前たちの気持ちは分かる。だが、これは政治的な決定だ。反乱が起きた。突撃隊は縮小しなければならない。そうしなければ、解散させられていた」
「知ったことか!」ンゴマが叫んだ。「政治なんか知るか! 俺は守るためにここに来たんだ!」
ンゴマは壇上に向かって歩き出した。目が血走っている。
「ンゴマ、やめろ」ジョンソンが立ち上がった。
「うるさい! お前は残る側だろう! 俺の気持ちが分かるか!」
ンゴマは壇上に飛び乗った。局長に向かって突進した。
局長は動かなかった。
ンゴマの拳が局長の胸ぐらを掴んだ。
「俺に戦わせろ! 俺から戦いを奪うな!」
局長は、ンゴマの目を見た。動じていない。
「殴りたいなら、殴れ」
「……」
「お前の怒りは正しい。俺を殴る権利がある。殴れ」
ンゴマの拳が震えた。振り上げた。だが、振り下ろせなかった。
「……くそ」
ンゴマは局長を突き放した。壇上に座り込んだ。頭を抱えた。
「くそ……くそ……」
アブドゥルとピーターも、力が抜けたように椅子に戻った。
講堂は静まり返っていた。
局長は、ゆっくりと口を開いた。
「お前たちに、本当のことを言う」
全員が顔を上げた。
「これは、表向きの話だ」
「……どういう意味だ」ンゴマが顔を上げた。
「突撃隊は縮小した。これは事実だ。だが、お前たちが対策局に行くのは、左遷ではない」
局長は講堂を見渡した。
「お前たちは、対策局の捜査官になる。だが、訓練は続ける。装備も維持する。いつでも戦闘に復帰できる状態を保つ」
「それは……」
「必要な時が来たら、お前たちは銃を取る。ヘリに乗る。戦場に行く。突撃隊の名前は使えない。だが、やることは同じだ」
沈黙が流れた。
「政治家どもは、突撃隊が縮小したと思っている。実際には、何も変わっていない。いや、むしろ強くなっている。対策局の捜査官として、お前たちは表立った監視から外れる。より自由に動ける」
ンゴマが立ち上がった。「つまり……俺たちは、まだ現場に出られるのか。守れるのか」
「守れる。守らせる。約束する」
局長はンゴマの目を見た。
「俺は、お前たちを捨てない。お前たちは俺の部下だ。タイを守る戦士だ。それは、肩書きが変わっても同じだ」
ンゴマは黙った。しばらく局長を見つめていた。
そして、深く頭を下げた。
「……すまなかった。胸ぐら掴んで」
「気にするな。俺も若い頃は、上官を殴ったことがある」
「本当ですか」
「嘘だ」
講堂に、小さな笑いが起きた。張り詰めていた空気が、少しだけ緩んだ。
「もう一つ、言っておくことがある」
局長の声が、また真剣になった。
「突撃隊に残る十一人。お前たちは、精鋭だ。少数精鋭。一人で十人分の働きを求められる」
瀧本が口を開いた。「俺、一人で百人分くらい働いてますけど」
「黙れ」
「はい」
また笑いが起きた。今度は少し大きい。
「チーム名は廃止する。アルファもブラボーもチャーリーも、もうない。お前たちは、一つのチームだ。突撃隊。それだけだ」
ジョンソンが頷いた。「了解」
ニコライも頷いた。「了解」
他のメンバーも、次々と頷いた。
局長は、講堂全体を見渡した。
「最後に、一つだけ」
全員が局長を見た。
「お前たちは、家族だ。突撃隊に残る者も、対策局に行く者も。肩書きは違っても、同じ釜の飯を食った仲間だ。それを忘れるな」
誰も何も言わなかった。
だが、空気が変わっていた。さっきまでの怒りと絶望は、消えていた。
「以上だ。解散」
隊員たちが立ち上がった。三々五々、講堂を出ていく。
ンゴマがアブドゥルとピーターのところに行った。何か話している。さっきまで怒りに燃えていた目が、今は落ち着いている。
瀧本が局長のところに来た。
「局長、さっきの『上官殴った』って話」
「嘘だと言っただろう」
「本当は?」
「……三回殴った」
「やっぱり」
瀧本は笑った。局長も、少しだけ笑った。
講堂から人が減っていく。
ジョンソンが局長の隣に立った。
「うまくやりましたね」
「うまくやった、か」局長は煙草を取り出した。「本当のことを言っただけだ」
「本当のこと?」
「ああ。俺は、あいつらを捨てない。それは本当だ」
局長は煙草に火をつけた。
「政治家どもには嘘をついた。だが、部下には嘘をつかない。それが俺のやり方だ」
ジョンソンは何も言わなかった。ただ、頷いた。
窓の外では、太陽が昇り始めていた。新しい一日が始まろうとしていた。
新しい突撃隊の、最初の日が。




