幕間 葬送
王立病院。
黒塗りの車列が到着した。
先導車。警護車。そして、王室の紋章を掲げた車。
国王陛下の車列だった。
病院の玄関で、局長が出迎えた。
最敬礼。
「陛下。お越しいただき、光栄です」
国王は車を降りた。
穏やかな表情。だが、目には憂いがあった。
「瀧本の容態は」
「安定しております。意識も戻りました」
「そうか。会いたい」
「はい。ご案内いたします」
ICU。
局長が、病室のドアを開けた。
「瀧本、陛下がお見えに——」
言葉が止まった。
ベッドは、空だった。
シーツが乱れている。点滴のスタンドが残されている。窓から、朝の光が差し込んでいる。
だが、瀧本はいなかった。
局長は、数秒間、固まっていた。
「......瀧本」
呟いた。
「あの馬鹿野郎、どこに——」
国王が、局長の横に立った。
空のベッドを見た。
「いないのか」
「申し訳ありません、陛下。瀧本は——」
国王は、小さく笑った。
「いい」
「陛下?」
「あの男らしい」
国王は、空のベッドを見つめた。
「じっとしていられない男だ。撃たれても、倒れても、立ち上がる」
「......」
「見舞いに来た私より、先に動いていたか」
局長は、頭を下げた。
「申し訳ありません。必ず見つけ出して——」
「追うな」
「陛下?」
「追うな。あの男には、あの男の戦い方がある」
国王は、窓の外を見た。
「今日は、葬儀だな」
「はい。キム・スヨンの葬儀です」
「瀧本は、出るだろう」
「......はい。必ず」
「なら、そこで会える」
バンコク郊外。王室墓地。
空は曇っていた。
灰色の雲が、低く垂れ込めている。
墓地の入口には、警備が敷かれていた。
突撃隊の隊員たち。白い制服。黒い腕章。
報道陣は、遠くに規制されていた。
だが、望遠レンズが、墓地の中を狙っていた。
墓地の中央。
白い棺が、置かれていた。
花で囲まれている。白い花。スヨンが好きだった花。
棺の前に、椅子が並べられていた。
突撃隊の隊員たち。全員が、白い制服を着ていた。
ジョンソン。マルティネス。ニコライ。サラ。陳志明。
アブドゥル。ピーター。ンゴマ。アレクセイ。
ハーパー。ルノー。ミュラー。
レイチェル。ナターシャ。ラッタナー。
ナリン。ファリダ。
そして、新しい隊員たち。
全員が、黙って座っていた。
誰も、言葉を発しなかった。
車椅子が、静かに近づいてきた。
瀧本だった。
白い制服。黒い眼帯。
顔は蒼白だった。唇は乾いている。目の下には深い隈。
だが、座っていた。椅子ではなく、車椅子に。
車椅子を押しているのは、局長だった。
全員が、瀧本を見た。
瀧本は、誰も見なかった。
ただ、棺だけを見ていた。
車椅子が、棺の前で止まった。
瀧本は、棺を見上げた。
白い棺。白い花。
その中に、スヨンがいる。
「......スヨン」
声が掠れていた。
葬儀が、始まった。
僧侶が経を読んだ。
香の煙が、灰色の空に立ち昇っていった。
局長が、弔辞を読んだ。
「キム・スヨン。享年二十八歳」
「彼女は、我々の仲間だった」
「通信担当として、幾多の作戦を支えた」
「そして、瀧本勝幸の婚約者だった」
局長の声は、淡々としていた。
だが、紙を持つ手が、かすかに震えていた。
「彼女は、結婚式の日に命を落とした」
「白いドレスを着て。愛する男の前で」
「彼女の死は、我々の失態だ。我々が、守れなかった」
局長は、瀧本を見た。
瀧本は、棺を見つめていた。表情は、読めなかった。
「だが、彼女は笑っていた」
「最後の瞬間まで、笑っていた」
「瀧本に、『愛してる』と言った」
「それが、彼女の最後の言葉だった」
局長は、弔辞を畳んだ。
「キム・スヨン。安らかに眠れ」
「お前は、我々の誇りだ」
その時。
車列の音が聞こえた。
全員が振り向いた。
黒塗りの車が、墓地に入ってきた。
王室の紋章。
国王陛下だった。
全員が立ち上がった。
瀧本も、車椅子から立ち上がろうとした。
足が震えた。膝が折れそうになった。
局長が、瀧本の腕を支えた。
「座っていろ」
「でも、陛下が——」
「陛下も、そう望んでいる」
国王が、車から降りた。
黒い服を着ていた。喪服だった。
側近たちが従っていた。
だが、国王は手を上げて、彼らを止めた。
一人で、棺に向かって歩いてきた。
棺の前で、国王は立ち止まった。
白い棺を見下ろした。
白い花を見た。
「キム・スヨン」
国王の声は、静かだった。
「私は、あなたに感謝している」
全員が、息を呑んだ。
「あなたは、瀧本を支えてくれた」
「あの男は、強い。だが、一人では脆い」
「あなたがいたから、あの男は戦えた。笑えた。生きられた」
国王は、棺に手を置いた。
「あなたの死は、この国の損失だ」
「だが、あなたが守ったものは、消えない」
「あなたが愛した男は、生きている。これからも、戦い続ける」
国王は、瀧本を見た。
瀧本は、車椅子に座ったまま、国王を見上げていた。
右目から、涙が流れていた。
声は出なかった。出せなかった。
国王は、瀧本の前に歩み寄った。
そして、瀧本の肩に手を置いた。
「瀧本」
「......陛下」
「泣いていいのだ」
「......」
「強い男ほど、泣くべき時に泣けない。だが、今日は泣いていい」
「......」
「これは、命令だ」
瀧本の目から、涙が溢れた。
止められなかった。
声を殺して、泣いた。
国王は、何も言わなかった。
ただ、瀧本の肩に手を置いたまま、立っていた。
灰色の空から、雨が降り始めた。
静かな雨だった。
涙のような雨だった。
葬儀が、終わった。
棺が、地中に降ろされていく。
白い花が、棺の上に投げ入れられていく。
瀧本は、最後まで見ていた。
棺が見えなくなるまで。
土が被せられるまで。
墓標が立てられるまで。
『キム・スヨン』
『1998 - 2026』
『愛と勇気を持って生きた人』
瀧本は、墓標を見つめていた。
雨が、顔を濡らしていた。
涙なのか、雨なのか、分からなかった。
「スヨン」
呟いた。
「俺は、生きる」
それだけ言って、瀧本は目を閉じた。
夕方。
墓地には、瀧本だけが残っていた。
車椅子に座ったまま、墓標を見つめていた。
雨は止んでいた。雲の切れ間から、夕日が差し込んでいた。
足音が聞こえた。
局長だった。
「瀧本」
「局長」
「帰るぞ」
「......はい」
局長は、車椅子の後ろに立った。
「今日、陛下が病院に来た」
「聞きました」
「お前がいなかった」
「......すみません」
「陛下は、笑っていた」
「......」
「『あの男らしい』と」
瀧本は、小さく笑った。
「陛下は、優しいですね」
「優しい。だから、この国の王だ」
局長は、車椅子を押し始めた。
「明日から、訓練だ」
「訓練?」
「トニー・ジャーたちが来る」
「......ああ、あれですか」
「あれだ。地獄の半年間が始まる」
「......」
瀧本は、空を見上げた。
夕焼けが、灰色の雲を染めていた。
「......ちょうどいい」
「何がだ」
「考える暇がなくなる」
「......」
「殴られて、蹴られて、転がされて。そうしてる間は、何も考えなくていい」
局長は、何も言わなかった。
ただ、車椅子を押し続けた。
墓地を出る時、瀧本は一度だけ振り返った。
スヨンの墓標が、夕日に照らされていた。
白い花が、風に揺れていた。
「じゃあな、スヨン」
呟いた。
「また来る」




