第9話 決着
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バンコク郊外。工業地帯。
廃棄された工場が立ち並ぶエリアだった。かつては繊維工場や食品加工場として稼働していたが、今は錆びた鉄骨と割れた窓ガラスだけが残っている。街灯は少なく、闇が濃い。
その一角に、黒いバンが数台停まっていた。武装した男たちが、工場の周囲を警戒している。
工場の中では、リーダーの男が部下と話していた。
「ヘリは」
「あと十分で到着します」
「瀧本は」
「病院で意識不明だと。もう三日になります」
「死んだか」
「分かりません。ただ、左目を失ったのは確実だそうです」
リーダーは頷いた。だが、その表情は晴れなかった。
「あの男は死なない。二十発撃たれても死なない化け物だ」
「まさか、あの状態で──」
その時、遠くからサイレンの音が聞こえた。
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白いバイクが、猛スピードで近づいてきた。
パトライトが回り、サイレンが鳴り響いている。
「白バイだ」
「一台だけ?」
「警察の先遣隊か?」
男たちは銃を構えた。
白バイは止まらなかった。減速すらしなかった。
工場のゲートに向かって、真っ直ぐに突進してきた。
「撃て!」
銃声が響いた。弾丸が白バイに向かって飛んでいく。
白バイは止まらなかった。
ゲートに激突した。鉄製のゲートが吹き飛び、白バイはそのまま工場の敷地内に突入した。
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瀧本勝幸は、ハンドルを握り締めていた。
右目だけで前を見ている。左目は黒い眼帯に覆われている。体中が痛む。傷口から血が滲んでいる。
だが、止まる気はなかった。
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敷地内に入った瞬間、敵が四方から銃を向けた。
瀧本はアクセルを全開にした。白バイが、敵の群れに突っ込んでいった。
最初の一人を跳ね飛ばした。
二人目が銃を構えた。瀧本はバイクに跨ったまま横蹴りを放ち、男の顔面を蹴り飛ばした。
三人目が後ろから撃とうとした。瀧本はM93Rを抜き、振り返りざまに三点バースト。男が倒れた。
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白バイが縦横無尽に駆け回る。
瀧本は撃ち、蹴り、轢き、倒していった。
敵が銃を撃つ。弾丸が肩を掠めた。
敵を轢いた。別の敵が飛び出してきた。瀧本は急ブレーキをかけ、バイクを横滑りさせた。タイヤが敵の足を払い、男が転倒した。
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敵の数が減っていく。
だが、瀧本の体も限界に近づいていた。三日間の昏睡から覚めたばかりの体。全身に十二発の銃創。左目は失明。
視界が霞む。意識が遠のきそうになる。
だが、止まらなかった。
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その時、轟音が響いた。
工場の反対側から、車両が突入してきた。白いハンヴィー。三台。
「アルファチーム、到着!」
ジョンソンの声が響いた。
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ハンヴィーから隊員たちが飛び出し、敵を制圧していく。
瀧本はバイクを止め、周囲を見回した。
リーダーがいない。
「ジョンソン! リーダーは!」
「分からん! 建物の中か!」
その時、屋上からローター音が聞こえた。
見上げた。
ヘリコプターが、工場の屋上から離陸しようとしていた。
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「逃がすか」
瀧本はアクセルを開けた。白バイが、工場の中に突入した。
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工場の内部は廃墟と化していた。錆びた機械が並び、天井は崩れかけている。
瀧本は傾斜路を見つけた。かつて資材を運搬するために使われていたものだ。
傾斜路に向かってバイクを走らせた。
二階。三階。四階。
エンジンが悲鳴を上げる。タイヤが滑る。
五階。
傾斜路が途切れた。
だが、窓があった。大きな窓。その向こうに、隣のビルの屋上が見える。そしてヘリコプター。離陸し始めていた。
瀧本は、窓とヘリの距離を目測した。
無理だ、と思った。
でも、他に方法がない。
アクセルを全開にした。
白バイが、窓に向かって突進した。
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ガラスが砕け散った。
白バイが、宙を飛んだ。
バンコクの夜景が眼下に広がっている。風が顔を打つ。白いマフラーが風になびく。
ヘリコプターが、目の前にあった。スキッドに手が届く距離。
バイクから飛び降りた。両手を伸ばした。
スキッドを掴んだ。
白バイは、そのまま落下していった。五階の高さから地面に激突し、爆発した。
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腕が悲鳴を上げている。傷口が開いている。血が滴り落ちている。
だが、離さなかった。
体を振った。勢いをつけて、ヘリの中に飛び込んだ。
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狭い機内。
リーダーと、パイロットの二人がいた。
リーダーが振り返った。目が見開かれた。
「お前......! なぜここに......!」
「追いかけてきた」
瀧本は息を切らしながら言った。
「逃がすと思ったか」
リーダーが、拳銃を抜いた。
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瀧本は、その腕を掴んだ。銃口を天井に逸らした。
発砲。弾丸が天井を貫いた。
頭突きを叩き込んだ。リーダーの鼻が潰れた。
だが、リーダーも戦い慣れていた。膝を瀧本の腹に叩き込んだ。
傷口に直撃した。視界が白くなった。
リーダーの肘が、瀧本の顔面を打った。眼帯がずれた。潰れた左目が露出した。
痛みで体が硬直した。
リーダーが、瀧本の首を掴んだ。壁に叩きつけた。
首を絞められた。息ができない。
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瀧本は、絞め上げる手を掴んだ。
リーダーの小指を掴んだ。折った。
リーダーの手が緩んだ。
瀧本は、その隙に膝を叩き込んだ。リーダーが折れ曲がる。
肘打ちを後頭部に落とした。リーダーがよろめいた。
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だが、リーダーはナイフを抜いた。
突き出されたナイフが、瀧本の脇腹を掠めた。
また突き。瀧本は後ろに跳んだ。狭い機内。逃げ場がない。
ナイフが振り下ろされた。瀧本は腕で受けた。刃が腕に食い込んだ。
だが、その腕でナイフを固定した。リーダーが引き抜こうとする。抜けない。
瀧本は、空いた手でリーダーの顔面を殴った。一発。二発。三発。
リーダーがナイフを離した。
瀧本は、ナイフを腕から引き抜いた。
そして、リーダーの襟を掴んだ。
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「お前はスヨンを殺した」
瀧本は言った。息が荒い。血まみれの顔。だが、目は笑っていなかった。
「俺の嫁になるはずだった女を、目の前で撃ち殺した」
「......」
「お前の弟が死んだのは気の毒だと思う。柏木がやったことは、確かにやりすぎだった」
「......」
「でもな」
瀧本は、リーダーをドアの方に引きずった。
「スヨンは関係なかっただろうが」
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「待て......!」
リーダーが叫んだ。
「殺すな......! 俺にも家族が......!」
瀧本は答えなかった。
「お前も俺の家族のこと、考えなかっただろ」
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リーダーを、ドアの縁に押しやった。
その時、ヘリが大きく揺れた。
パイロットが気絶している。操縦する者がいない。
ヘリが傾き始めた。高度が下がっていく。
ヘリは操縦できない。このままでは墜落する。
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リーダーが、その隙を突いた。
瀧本を突き飛ばし、ドアから離れようとした。
瀧本は、リーダーの足を掴んだ。
二人とも、床に倒れた。
ヘリがさらに傾いた。二人とも、ドアの方に滑っていく。
瀧本は、何かを掴もうとした。シートの脚を掴んだ。
リーダーは、何も掴めなかった。
そのまま、ドアから滑り落ちていった。
リーダーの叫び声が、夜空に消えていった。
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瀧本は、シートの脚にしがみついていた。
ヘリは、急速に高度を下げている。制御不能だ。
窓の外を見た。工場の敷地が近づいてくる。
ドアから、外を見た。
地面まで、あと二十メートルくらい。
下を見た。
トラックの荷台が見えた。幌がかかっている。
瀧本は、深呼吸した。
シートの脚を離した。
ドアから、飛び出した。
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落下。
風が体を打つ。
地面が迫ってくる。
トラックの荷台が、下にある。
幌を突き破って、荷台に落ちた。
何かが体の下で潰れた。段ボール箱だった。クッションになった。
全身に衝撃が走った。骨が軋んだ。傷口が開いた。
だが、生きている。
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ヘリが、五十メートル先に墜落した。
爆発。炎が上がった。
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瀧本は、荷台の中で仰向けになっていた。
息をしている。心臓が動いている。
生きている。
血まみれの顔で、星空を見上げていた。
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足音が聞こえた。
ジョンソンの顔が、荷台の縁から覗いた。
「瀧本! 生きてるか!」
「生きてる......」
「動けるか!」
「無理......」
「救急車を呼ぶ!」
「頼む......」
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瀧本は、空を見上げていた。
星が瞬いている。
スヨンの顔が、浮かんだ。
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「スヨン......」
呟いた。
「終わったぞ......」
「約束......守れなかったけど......」
「あいつは......殺した......」
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涙が、頬を伝って流れた。
血と涙が混じって、顎から滴り落ちた。
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「俺は......生きてる......」
呟いた。
「お前がいなくても......俺は生きてる......」
「それが......辛い......」
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意識が、遠のいていった。
だが、死ななかった。
瀧本勝幸は、死ななかった。




