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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第6章 灰
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第8話 覚醒

---


 白い世界だった。


 どこまでも続く、白い空間。天井もなく、壁もなく、床もない。ただ白だけが広がっている。


 瀧本勝幸は、その中に立っていた。


 痛みがなかった。体が軽かった。撃たれた傷も、潰れた左目も、何もかもが消えていた。


 ここはどこだ、と思った。


 死んだのか、と思った。


 「勝幸」


 声がした。


 聞き慣れた声。忘れるはずのない声。


 振り返った。


---


 スヨンが、立っていた。


 白いウェディングドレスを着ている。血の染みはなかった。頭の傷もなかった。あの日のまま、美しいままのスヨンが、そこにいた。


 「スヨン......」


 瀧本は、一歩を踏み出した。


 「スヨン......」


 また一歩。


 「スヨン......!」


 走った。スヨンに向かって、全力で走った。


 スヨンの前で立ち止まった。手を伸ばした。スヨンの頬に触れようとした。


 だが、手が止まった。


 「俺は......」


 声が震えていた。


 「俺は、お前を守れなかった」


 「知ってる」


 スヨンは、微笑んでいた。


 「守るって約束したのに」


 「知ってる」


 「お前を、死なせた」


 「知ってるわ」


 スヨンは、瀧本の頬に手を当てた。温かかった。生きている時と同じ、温かさだった。


 「でも、私は怒ってない」


 「なぜだ」


 「あなたは、来てくれたから」


 「来た?」


 「私が撃たれた後、あなたは走ってきた。何発も撃たれながら。倒れても、這ってきた。私の手を、握ってくれた」


 スヨンの目から、涙がこぼれた。


 「私は、一人じゃなかった。最後の瞬間、あなたの手を感じた。だから、怖くなかった」


 「スヨン......」


 「ありがとう、勝幸」


 瀧本は、スヨンを抱きしめた。


 「ごめん......ごめん......」


 「謝らないで」


 「守れなかった......」


 「あなたは、守ろうとしてくれた。それだけで、十分よ」


---


 しばらく、二人は抱き合っていた。


 白い世界の中で、二人だけの時間が流れていた。


 やがて、スヨンが体を離した。


 「勝幸」


 「何だ」


 「あなたは、まだ生きてる」


 「......」


 「ここは、夢の中よ。あなたの意識が、私に会いに来ただけ」


 「俺は......死んでないのか」


 「死んでない。でも、危ないわ。今、あなたの心臓は何度も止まりかけてる」


 「......」


 「選んで、勝幸」


 スヨンは、瀧本の目を見つめた。


 「このまま、私と一緒にいる? それとも、戻る?」


---


 瀧本は、黙っていた。


 このまま、スヨンと一緒にいる。それは、死ぬということだ。


 楽だ、と思った。


 もう戦わなくていい。もう誰も失わなくていい。スヨンと一緒に、永遠にいられる。


 だが。


 「......俺は」


 瀧本は、スヨンを見た。


 「戻る」


 「どうして」


 「まだ、やることがある」


 「やること?」


 「お前を殺した奴らを、野放しにはできない」


 スヨンは、少し悲しそうな顔をした。


 「復讐?」


 「違う」


 瀧本は、首を振った。


 「復讐じゃない。もう、誰にもこんな目に合わせない。合わせさせない」


 「......」


 「お前が死んだのは、俺のせいだ。俺が突撃隊にいたから、お前は狙われた。俺が、お前を危険に晒した」


 「勝幸......」


 「でも、俺が逃げたら、同じことが繰り返される。俺の仲間が狙われる。仲間の家族が狙われる。罪のない人間が、殺される」


 瀧本は、拳を握った。


 「俺は、それを止める。お前みたいな人間を、もう出さない。そのために、戦う」


 スヨンは、瀧本を見つめていた。


 その目に、涙が浮かんでいた。


 だが、微笑んでいた。


 「......それが、あなたね」


 「何が」


 「柏木さんとは、違う」


 「柏木?」


 「柏木さんは、認められたかった。戦うことで、自分を確認したかった。だから、壊れた」


 スヨンは、瀧本の胸に手を当てた。


 「でも、あなたは違う。守りたいから、戦う。誰かを救いたいから、戦う。自分のためじゃない。他人のために」


 「......」


 「だから、あなたは壊れない。壊れられない」


 スヨンは、瀧本の頬にキスをした。


 「それが、あなたの強さよ。そして、私が愛した理由」


---


 瀧本は、スヨンを抱きしめた。


 「俺は、お前を忘れない」


 「知ってる」


 「一生、忘れない」


 「知ってるわ」


 「お前のために、戦う」


 「違うわ」


 スヨンは、首を振った。


 「私のためじゃなくて、みんなのために戦って。私は、もういないの。でも、あなたの仲間は生きてる。守るべき人は、まだたくさんいる」


 「......」


 「私のことは、時々思い出してくれればいい。でも、私に縛られないで。前を向いて、生きて」


 瀧本は、何も言えなかった。


 スヨンが、瀧本から離れた。


 「行って、勝幸」


 「スヨン......」


 「行って。みんなが、待ってる」


 スヨンの姿が、薄くなっていく。


 「待ってくれ......!」


 瀧本は手を伸ばした。


 だが、スヨンの姿は消えていく。


 「愛してる、勝幸」


 その声だけが、残った。


 「私は、ずっとあなたの中にいるから」


 白い世界が、暗くなっていく。


 スヨンの姿が、完全に消えた。


---


 「スヨン......!」


---


 瀧本は、目を開けた。


---


 白い天井が見えた。


 病院の天井だ。


 機械の音が聞こえる。心電図のビープ音。人工呼吸器の駆動音。


 体中が痛い。動くことすら困難だ。


 だが、生きている。


 左目は、何も見えなかった。包帯が巻かれている。弾丸に貫かれた目は、二度と光を映さない。


 右目だけが、世界を映していた。


---


 「瀧本!」


 声がした。


 首を動かした。痛みが走ったが、我慢した。


 ジョンソンが、ベッドの横に立っていた。


 「目が覚めたか......!」


 「どのくらい、寝てた」


 「三日だ。三日間、意識不明だった」


 「三日......」


 「心臓が四回止まった。医者は、もう駄目だと言った。でも、お前は生き返った」


 ジョンソンは、瀧本の手を握った。


 「よく、戻ってきた」


---


 瀧本は、天井を見つめた。


 「スヨンは」


 ジョンソンは、黙った。


 「スヨンは、どうなった」


 「......」


 「答えろ」


 「......亡くなった。即死だった」


 瀧本は、目を閉じた。


 分かっていた。夢の中で、会った。もう、いないことは分かっていた。


 それでも、聞かなければならなかった。


 「葬儀は」


 「まだだ。お前が目を覚ますのを、待っていた」


 「......そうか」


 瀧本は、目を開けた。


 「敵は」


 「逃げた。バルカンで十数人を倒したが、残りは逃走した。今、追跡中だ」


 「どこに」


 「バンコク郊外の工業地帯に潜伏しているらしい。だが、正確な場所は分かっていない」


 「分かった」


 瀧本は、体を起こそうとした。


 「おい、何をする」


 「行く」


 「馬鹿を言うな。お前は三日間昏睡していたんだ。体中に弾丸を受けて、左目を失って──」


 「行く」


 瀧本は、ジョンソンを見た。


 右目だけで。


 「俺は、行く」


 ジョンソンは、瀧本の目を見つめた。


 そこには、狂気はなかった。


 怒りもなかった。


 ただ、静かな決意があった。


 「......止めても、無駄だな」


 「無駄だ」


 ジョンソンは、溜息をついた。


 「装備は、本部に用意してある」


 「ありがとう」


 「礼を言うな。俺は、お前を止められなかった。責任を感じている」


 「責任はない。俺が、行くと決めた」


 瀧本は、ベッドから足を下ろした。


 全身が痛んだ。だが、立ち上がった。


---


 本部。


 瀧本は、ロッカールームに入った。


 誰もいなかった。


 ロッカーを開けた。


 中に、装備が並んでいた。


---


 白いBDU。


 突撃隊の戦闘服。胸には、王室犯罪対策局の紋章が刺繍されている。


 袖を通した。


---


 白いプレートキャリア。


 防弾プレートが内蔵されている。何発かは、止められる。


 装着した。


---


 白バイ隊用のロングブーツ。


 かつて、神奈川県警で履いていたものと同じ型。タイで特注した。


 足を入れた。


---


 白バイ隊員仕様のヘルメット。


 白い塗装。バイザーは透明。


 手に取った。


---


 そして、白いマフラー。


 スヨンが、誕生日にくれたものだった。


 「バイクに乗る時、寒いでしょ」


 そう言って、笑顔で渡してくれた。


 瀧本は、マフラーを首に巻いた。


 スヨンの匂いが、かすかに残っていた。


---


 鏡を見た。


 左目には、黒い眼帯をつけていた。


 右目だけが、鏡を見つめ返していた。


---


 ホルスターを腰に巻いた。


 ベレッタM93Rを手に取った。局長からもらった銃。何度も、命を救ってくれた銃。


 ホルスターに差し込んだ。


---


 駐車場。


 白いBMW R1250 GS Adventure。


 瀧本の愛車。白い塗装。パトライトとサイレンが装着されている。


 跨った。


 エンジンをかけた。


 低い咆哮が、夜の空気を震わせた。


---


 ヘルメットを被った。


 バイザーを下ろした。


---


 体中が痛んだ。


 左目は、何も見えない。


 右目だけで、前を見た。


---


 パトライトが回り始めた。


 赤と青の光が、闘を照らした。


---


 サイレンが鳴り始めた。


 甲高い音が、夜空に響いた。


---


 瀧本は、アクセルを開けた。


 白いバイクが、闇の中へ飛び出した。


---


 バンコクの夜。


 ネオンが瞬き、車が行き交う街。


 その中を、白いバイクが駆け抜けていく。


 パトライトが回り、サイレンが鳴り響く。


---


 瀧本勝幸は、狂わなかった。


 狂えなかった。


 愛する女を殺された。左目を失った。体中に弾丸を受けた。


 それでも、狂わなかった。


 復讐に燃えているわけではない。怒りに我を忘れているわけでもない。


 ただ、静かに、決意していた。


 もう誰にも、こんな目に合わせない。


 もう誰にも、こんな目に合わせさせない。


 それが、スヨンとの約束だった。


---


 柏木は、壊れた。


 認められたいという欲求に呑まれ、戦うことが目的になり、正義が歪んでいった。


 だが、瀧本は違う。


 守りたいから、戦う。


 誰かを救いたいから、戦う。


 自分のためではない。他人のために。


 それが、瀧本勝幸という男だった。


 それが、スヨンが愛した男だった。


---


 白いマフラーが、風になびいていた。


 スヨンの匂いが、かすかに漂っていた。


---


 瀧本は、夜の闇の中を走り続けた。


 守るために。


 もう誰も失わないために。

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