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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第6章 灰
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第7話 誓い

---


 結婚式の朝は、よく晴れていた。


 雲一つない青空が広がり、太陽がバンコクの街を明るく照らしている。乾季の終わり、三月の穏やかな陽気だった。


 瀧本勝幸は、ホテルの一室で鏡の前に立っていた。白いタキシードを身に纏っている。生まれて初めて着る服だった。窮屈で、動きにくくて、戦闘には全く向いていない。襟が首を締め付け、袖が腕の動きを制限する。


 だが、今日は戦う日ではない。結婚する日だ。


 鏡に映る自分の顔を見つめた。目の下に深い隈がある。ここ数日、ほとんど眠れていなかった。目を閉じると、藤原の顔が浮かぶ。マリーの顔が浮かぶ。柏木の顔が浮かぶ。死者たちが、瀧本を見つめている。


 頭を振った。今日は、そんなことを考える日ではない。


 ドアがノックされた。


 「入れ」


 局長が入ってきた。白い軍服に身を包み、胸には勲章が並んでいる。どこか緊張した面持ちだった。


 「瀧本、準備はいいか」


 「分からん。結婚式なんて初めてだからな」


 「そうか」局長は深呼吸をした。「だが、今日は特別な日だ。陛下がいらっしゃる」


 瀧本は固まった。


 「陛下?」


 「タイ国王陛下だ。お前の結婚式に、臨席される。お前は王室騎士に叙任された。銃乱射事件で子供たちを守り、十八発撃たれても死ななかった男だ。陛下は、お前を気に入っておられる」


 瀧本は言葉を失った。国王陛下が、自分の結婚式に来る。


 「緊張するな」局長は瀧本の肩を叩いた。「いつも通りでいい」


 「いつも通りって何だ。結婚式で国王が来るなんて、いつも通りじゃないだろ」


 局長は苦笑した。


---


 式場は、バンコク郊外の王室所有のリゾートだった。広大な庭園の中央に白いテントが張られ、椅子が整然と並べられている。花々が飾られ、甘い香りが漂っていた。


 警備は通常の十倍に増強されていた。王宮警察が敷地の外周を固め、要所には私服の警備員が配置されている。突撃隊の隊員たちも出席していたが、結婚式という場にふさわしく、全員が正装だった。武器は持っていない。陛下の御前で銃を携帯することは、王宮警察以外には許されていなかった。


 最前列に、玉座が設えられていた。そこに、タイ国王陛下が座っていた。白い軍服に勲章を佩び、穏やかな表情で式場を見渡している。


 隊員たちは、その後ろに座っていた。ニコライは杖をついて席に着いていた。第五部の反乱の際、柏木側との戦闘で負った傷がまだ完全には癒えていない。マルティネスも右足を引きずりながら式場に来ていた。ヨナタンは車椅子だった。マリーに撃たれた肩と太ももは、まだ動かない。


 新隊員たちも全員が揃っていた。藤原誠一の席だけが空いていて、その椅子には白い花が置かれている。


---


 ウェディングマーチが流れ始めた。


 瀧本は祭壇の前に立っていた。心臓が激しく打っている。


 庭園の入口から、スヨンが現れた。白いウェディングドレス。長い黒髪をアップにまとめ、ベールが風に揺れていた。


 瀧本は息を呑んだ。綺麗だ、と思った。この女と結婚する。この女を、一生守る。


 スヨンがゆっくりと歩いてきた。瀧本の前で立ち止まり、ベール越しに目が合った。涙が浮かんでいた。


 「泣くな」瀧本は小さく言った。


 「泣いてないわよ。陛下の前よ」


 牧師が式を始めた。


 「瀧本勝幸、あなたはキム・スヨンを妻とし、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、愛し、敬い、慈しむことを誓いますか」


 「誓う」


 迷いはなかった。


 「キム・スヨン、あなたは瀧本勝幸を夫とし──」


 その時だった。


---


 轟音が響いた。


 式場の入口が吹き飛んだ。白い破片が宙を舞い、花々が散乱した。爆風が瀧本とスヨンを襲い、二人は地面に倒れ込んだ。


 煙の中から、黒い影が現れた。武装した男たち。顔を黒いマスクで覆い、全員が自動小銃を構えている。四十人以上が、続々と式場に侵入してきた。


 先頭の男が叫んだ。


 「動くな! 全員、床に伏せろ!」


 瀧本はスヨンを庇いながら、状況を把握しようとした。敵は四十人以上。全員が重武装。対して、突撃隊は全員が非武装。


 先頭の男が、局長を見た。


 「ウィチャイ局長。ようやく会えたな」


 局長は立ち上がった。


 「お前たちは、何者だ」


 「お前に潰された組織の残党だ」男の声は、怒りに満ちていた。「聖域。ボドイ。ラオスの詐欺コンパウンド。お前たちのせいで、俺たちは全てを失った」


 「復讐か」


 「そうだ」男は自動小銃を局長に向けた。「お前たちは、俺たちを『悪』と呼んだ。だが、俺たちは生きるためにそうしていただけだ。他に選択肢がなかった」


 男の目が、瀧本を捉えた。


 「そこにいるのは、瀧本勝幸か」


 瀧本は立ち上がった。


 「そうだ」


 「柏木を殺した男。『正義の英雄』を殺した男」男は笑った。「お前たちにとって、柏木は英雄だったかもしれない。だが、俺たちにとっては違う」


 「どういう意味だ」


 「柏木は、俺たちの仲間を殺した。何十人も。何百人も。『正義』の名の下に」


 男の声が震えていた。


 「俺の弟は、聖域で働いていた。末端の運び屋だ。借金を返すために、仕方なくやっていた。だが、柏木に殺された。『人身売買組織の構成員』として」


 瀧本は、何も言えなかった。


 「お前たちは、俺たちを人間として見なかった。『悪』のレッテルを貼って、殺した。俺の弟も、友人も、仲間も、全員殺された」


 男は銃を握り締めた。


 「だから、俺たちは復讐する。お前たちの象徴を殺す。局長を。瀧本を。そして──」


 男の視線が、最前列の玉座に向いた。


 「国王陛下も、いらっしゃるとはな」


 周囲の敵たちがざわめいた。


 「聞いてないぞ、こんなの」


 「どうする」


 先頭の男は、数秒間、固まっていた。だが、すぐに笑い始めた。


 「いいじゃないか。局長だけじゃない。国王も殺せる。タイの象徴を全て殺す」


---


 瀧本は動いた。


 最も近くにいた敵に飛びかかり、銃を奪い取った。そのまま振り返りざまに三点バースト。二人の敵が倒れた。


 「やれ!」


 先頭の男が叫んだ。


 敵たちが一斉に銃を向けた。だが、その時には、突撃隊も動いていた。


 ジョンソンが敵に飛びかかり、素手で銃を奪った。アブドゥルが椅子を振り回して敵を殴り倒した。ンゴマがテーブルを盾にしながら前進した。


 局長も戦っていた。白い軍服が血で汚れていく。だが、局長は倒れなかった。ムエタイの膝蹴りで敵の腹を打ち、肘打ちで顔面を砕く。かつて陸軍で格闘教官をしていた男の技は、衰えていなかった。


 陛下の周囲では、王宮警察の護衛たちと隊員たちが人間の壁を作っていた。ニコライが杖で敵を殴り倒し、マルティネスが足を引きずりながらも敵に組み付いた。ヨナタンは車椅子から奪った拳銃で援護射撃を続けていた。


 だが、敵の数が多すぎた。


 隊員たちが次々と撃たれていく。致命傷ではないが、腕を、足を、肩を撃たれて倒れていく。


 瀧本は敵の中を突き進んでいた。撃ち、殴り、蹴り、倒していく。だが、敵の弾丸が瀧本の体を掠めていく。左腕を撃ち抜かれた。右の脇腹を掠めた。額が裂けて、血が目に入った。


---


 その時、瀧本は見た。


 スヨンが、敵に引きずられていた。


 「スヨン!」


 叫んだ。


 スヨンが暴れている。だが、敵は離さない。式場の外へ、連れ出されていく。


 瀧本は走った。敵を殴り倒し、撃ち倒し、スヨンを追った。


 式場の外に出た。広い駐車場。黒いバンが数台、停まっている。


 その前に、スヨンがいた。敵に押さえつけられ、跪かされていた。


 先頭の男が、スヨンの後ろに立っていた。拳銃を、スヨンの頭に押し当てていた。


 「止まれ、瀧本」


 瀧本は足を止めた。


 「銃を捨てろ」


 瀧本は、銃を地面に置いた。


 「お前は、俺たちから全てを奪った」男は言った。「柏木の後を継いで、俺たちを狩り続けた。俺たちの仲間を殺し続けた」


 「お前たちは、人身売買をしていた。詐欺をしていた。人を──」


 「生きるためだ!」


 男が叫んだ。


 「俺たちには、他に選択肢がなかった! お前たちのような『正しい人間』には分からないだろう! 生きるために、そうするしかなかった!」


 男の目から、涙が流れていた。


 「俺の弟は、十九歳だった。借金を返すために、聖域で働いていた。悪いことだと分かっていた。でも、他に方法がなかった」


 「......」


 「柏木は、弟を撃ち殺した。『正義』の名の下に。弟は、銃を持ってすらいなかった。ただの運び屋だった。それでも、殺された」


 男の声が震えていた。


 「お前たちは、俺たちを人間として見なかった。『悪』として、『敵』として、処理した。俺たちにも家族がいた。愛する人がいた。それでも、殺された」


 瀧本は、何も言えなかった。


 「だから、俺はお前から奪う」


 男は、スヨンの頭に銃を押し当てた。


 「お前の愛する人を、奪う」


 「やめろ!」


 瀧本が叫んだ。


 「俺を殺せ! スヨンは関係ない!」


 「関係ある」男は笑った。「お前が愛している。それだけで、十分な理由だ」


 「頼む! スヨンを──」


 「さようなら、瀧本」


---


 銃声が響いた。


---


 スヨンの体が、崩れ落ちた。


 頭から、赤いものが飛び散った。


 白いウェディングドレスが、赤く染まっていく。


---


 瀧本は、叫んだ。


 言葉にならない叫びだった。喉が裂けるような、魂が砕けるような、絶叫だった。


---


 「スヨオオオオオオン!!!」


---


 瀧本は走った。


 敵が銃を向けた。引き金を引いた。


 弾丸が瀧本の体を貫いた。右肩。左の胸。腹部。太もも。


 それでも、瀧本は止まらなかった。


 また弾丸が飛んできた。右腕。左の脇腹。背中。


 それでも、止まらなかった。


 スヨンに向かって、走り続けた。


 足がもつれた。倒れた。


 地面に這いつくばった。


 それでも、止まらなかった。


 腕で体を引きずりながら、スヨンに向かって進んだ。


 「スヨン......スヨン......」


 呟きながら、進んだ。


 血が、地面に広がっていく。自分の血か、スヨンの血か、もう分からなかった。


 また弾丸が飛んできた。


 左目に、激痛が走った。


 視界の半分が、真っ暗になった。


 それでも、止まらなかった。


 「スヨン......」


 あと少し。あと少しで、届く。


 手を伸ばした。


 スヨンの手に、触れた。


 冷たかった。


 「スヨン......」


 瀧本は、スヨンの手を握った。


 「約束、したのに......」


 声が、掠れていた。


 「守るって......約束、したのに......」


---


 その時、轟音が響いた。


 駐車場の入口から、白いハンヴィーが突入してきた。


 屋根に搭載されたバルカン砲が、火を噴いた。


 毎分数千発の弾丸が、敵を薙ぎ払っていく。


 敵たちが、次々と倒れていく。


 「撤退だ! 撤退!」


 先頭の男が叫んだ。


 生き残った敵たちが、黒いバンに乗り込んで逃げていく。


 ハンヴィーから、ジョンソンが飛び降りた。


 「瀧本!」


 走ってきた。


 瀧本のそばに跪いた。


 「瀧本! しっかりしろ!」


 瀧本は、スヨンの手を握ったまま、動かなかった。


 「スヨン......」


 「瀧本! 瀧本!」


 ジョンソンが、瀧本の体を確認した。全身から血が流れている。数え切れないほどの銃創。そして、左目。弾丸が貫通していた。


 「衛生兵! 衛生兵を呼べ!」


 ジョンソンが叫んだ。


 マルティネスが走ってきた。スヨンの体を確認した。


 首を横に振った。


 「......駄目だ。即死だ」


 「くそ!」


 ジョンソンは拳を地面に叩きつけた。


 瀧本は、スヨンの手を握り続けていた。


 「スヨン......」


 その声は、もう聞こえないほど小さかった。


 「ごめん......守れなかった......」


 瀧本の意識が、遠のいていった。


 「スヨン......」


 それが、最後の言葉だった。


---


 救急車が到着した時、瀧本はまだ息をしていた。


 奇跡だった。


 全身に十二発の銃弾を受けていた。左目は弾丸に貫かれ、二度と光を映すことはない。内臓が損傷し、出血多量で、心臓が何度も止まりかけた。


 だが、死ななかった。


 死ねなかった。


---


 スヨンは、死んでいた。


 白いウェディングドレスが、赤く染まっていた。


 結婚式の日に、花嫁は死んだ。


---


 病院に運ばれる瀧本の手には、まだスヨンの指輪が握られていた。


 式の途中で、交換するはずだった指輪。


 それが、二人を繋ぐ最後のものになった。

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