第6話 執行
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執行の日の朝は、曇っていた。
灰色の雲が空を覆い、太陽の光を遮っていた。まるで、この日に相応しい空模様を、誰かが用意したかのようだった。
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本部の中庭。
普段は訓練に使われる広い空間に、隊員たちが集まっていた。
全員が、白い制服を着ていた。突撃隊の正装だ。普段の任務では着ることのない、儀式用の服。胸には、王室犯罪対策局の紋章が刺繍されている。
誰も、言葉を発しなかった。
風の音だけが、中庭を満たしていた。
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瀧本勝幸は、隊列の前列に立っていた。
左腕はまだ包帯で固定されている。完治には程遠い。だが、この場に立たないという選択肢は、最初からなかった。
隣には、ジョンソンがいた。その隣に、ニコライ。サラ。アブドゥル。
ヨナタンは、車椅子に座っていた。まだ歩けない。だが、この場に来ることを譲らなかった。
「俺は、マリーに撃たれた。だから、見届ける義務がある」
そう言って、車椅子を押させて、ここまで来た。
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新隊員たちも、全員が揃っていた。
トンプソン、モラレス、ワシントン、ウィルソン、オコナー、ベッカー、シュミット、デュポン、黒田、キム・ジュンソ、イ・スジン、ケリー、コーエン、シルバ。
十四人。
本来なら、十五人のはずだった。
藤原誠一がいれば。
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新隊員たちの表情は、様々だった。
怒りを浮かべている者。悲しみに沈んでいる者。無表情を保とうとしている者。
藤原と同じ日本人である黒田美咲は、唇を噛み締めていた。目が赤い。泣いたのだろう。だが、今は涙を見せまいとしている。
トンプソンは、拳を握り締めていた。藤原とは、訓練で何度も組んだ。言葉は通じなくても、動きで分かり合えた。そういう関係だった。
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中庭の中央に、木製の柱が立てられていた。
何の飾りもない、ただの木の柱。
その前に、一脚の椅子が置かれていた。
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午前九時。
局長が、中庭に姿を現した。
白い制服。胸には勲章が並んでいる。いつもの気さくな雰囲気は、どこにもなかった。
その顔は、石のように固かった。
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「連れてこい」
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局長の声が、中庭に響いた。
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しばらくして、マリー・デュポンが連れてこられた。
両手は後ろで縛られている。足にも鎖がかけられている。
白いワンピースを着ていた。死刑囚用の服だ。
痩せた体。落ち窪んだ目。金髪は、かつての輝きを失っていた。
だが、その足取りは、しっかりしていた。
よろめくことなく、真っ直ぐに歩いていた。
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隊員たちの前を、マリーが通り過ぎていく。
誰も、声をかけなかった。
誰も、目を逸らさなかった。
全員が、マリーを見つめていた。
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マリーは、一度だけ足を止めた。
瀧本の前で。
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「......ありがとう」
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小さな声だった。
瀧本にしか聞こえないほどの。
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「何がだ」
「最後まで、人間でいられた」
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瀧本は、何も言わなかった。
マリーは、また歩き始めた。
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柱の前で、マリーは立ち止まった。
護衛の兵士が、マリーを椅子に座らせた。
手足を、柱に縛り付けた。
目隠しを差し出した。
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「いらない」
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マリーは言った。
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「最後まで、見ていたい」
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局長が、マリーの前に立った。
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「マリー・デュポン」
「はい」
「お前は、反逆罪、殺人、殺人未遂、逃亡の罪で、死刑を宣告された」
「はい」
「最後に、言いたいことはあるか」
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マリーは、少し黙った。
隊員たちを見渡した。
一人一人の顔を、確かめるように。
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「......私は、仲間を殺しました」
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マリーの声は、静かだった。
震えていなかった。
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「藤原誠一。私が殺しました」
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新隊員たちの間に、小さなざわめきが起きた。
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「藤原さんは、私を撃とうとしていませんでした。瀧本を援護しようとしていただけでした。それを分かっていて、私は撃ちました」
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マリーは、目を閉じた。
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「言い訳はしません。許しも請いません。ただ、一つだけ」
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目を開けた。
その目が、瀧本を見た。
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「藤原さんのお墓に、いつか、花を供えてください」
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瀧本は、小さく頷いた。
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マリーは、微かに笑った。
穏やかな笑みだった。
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「それだけです」
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局長は、マリーの前から退いた。
代わりに、三人の兵士が進み出た。
全員が、ライフルを構えていた。
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「構え」
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局長の声が響いた。
三人の兵士が、ライフルをマリーに向けた。
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マリーは、目を閉じなかった。
真っ直ぐに、前を見つめていた。
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「撃て」
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三発の銃声が、同時に響いた。
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マリーの体が、跳ねた。
白いワンピースに、赤い花が三つ、咲いた。
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そして、動かなくなった。
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誰も、言葉を発しなかった。
風の音だけが、中庭を満たしていた。
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瀧本は、マリーの遺体を見つめていた。
かつての仲間。かつての狙撃手。柏木を愛した女。
その命が、今、終わった。
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何を感じているのか、自分でも分からなかった。
悲しみなのか。怒りなのか。虚しさなのか。
あるいは、何も感じていないのか。
分からなかった。
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局長が、声を上げた。
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「マリー・デュポンの刑は、執行された」
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隊員たちは、黙っていた。
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「彼女は、かつて我々の仲間だった。優秀な狙撃手だった。だが、道を誤った。仲間を殺した。その罪は、死をもって償われた」
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局長は、全員を見渡した。
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「これが、裏切りの末路だ。覚えておけ」
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隊員たちは、敬礼をした。
全員が、同時に。
マリーに対する、最後の敬意だった。
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執行の後、隊員たちは散っていった。
誰も、言葉を交わさなかった。
それぞれが、それぞれの思いを抱えて、歩いていった。
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瀧本は、中庭に残っていた。
マリーの遺体は、すでに運び出されていた。
柱だけが、残っていた。
血の跡が、地面に染み込んでいた。
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スヨンが、隣に来た。
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「大丈夫?」
「......分からない」
「分からない?」
「何を感じているのか、分からない」
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スヨンは、瀧本の手を握った。
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「それでいいと思う」
「......」
「分からなくていい。感じなくていい。ただ、生きていればいい」
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瀧本は、スヨンを見た。
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「......お前は、強いな」
「強くない。あなたの隣にいるだけ」
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食堂。
昼食の時間だったが、誰も食欲がなかった。
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新隊員たちが、テーブルを囲んでいた。
トンプソン、モラレス、ワシントン、オコナー、ベッカー、シュミット。
誰も、食事に手をつけていなかった。
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「......俺たちは、何のためにここに来たんだ」
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トンプソンが、呟いた。
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「守るためだろ。タイの人々を守るために」
オコナーが答えた。
「でも、藤原は死んだ。マリーは処刑された。俺たちは、何を守れたんだ」
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沈黙が流れた。
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「......俺は」
ベッカーが口を開いた。
「俺は、難民を守ろうとして、軍を追い出された。上官を殴って」
「......」
「あの時は、正しいことをしたと思った。でも今は、分からない」
「何が分からない」
「正しいことをして、こうなるのか。仲間が死んで、仲間が処刑されて。これが、正しいことの結末なのか」
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誰も、答えられなかった。
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その時、食堂のドアが開いた。
瀧本が入ってきた。
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新隊員たちが、瀧本を見た。
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瀧本は、彼らのテーブルに近づいた。
椅子を引いて、座った。
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「食わないのか」
「......食欲がありません」
「そうか」
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瀧本は、自分のトレイを置いた。
パンと、スープと、サラダ。
普通の昼食だった。
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「瀧本さん」
トンプソンが言った。
「どうして、食えるんですか」
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瀧本は、パンを手に取った。
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「食わないと、死ぬからだ」
「......」
「藤原は死んだ。マリーは処刑された。それは事実だ。でも、俺たちは生きてる」
「......」
「生きてる奴は、食わなきゃいけない。寝なきゃいけない。息をしなきゃいけない」
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瀧本は、パンを噛んだ。
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「辛いか」
「......はい」
「そうか。俺も辛い」
「瀧本さんも?」
「当たり前だ。藤原は、俺が連れていった。俺の責任だ」
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新隊員たちは、黙っていた。
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「でも、辛くても、食う。辛くても、生きる。それが、残された奴の義務だ」
「義務......」
「藤原は、守ろうとして死んだ。その藤原のために、俺たちができることは一つしかない」
「何ですか」
「生き続けることだ。守り続けることだ。藤原が守ろうとしたものを、俺たちが守る」
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瀧本は、スープを啜った。
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「今日は辛い。明日も辛いかもしれない。でも、いつか、辛くなくなる日が来る。その日まで、生き続けろ」
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新隊員たちは、顔を見合わせた。
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黒田が、最初に動いた。
箸を取り、食事に手をつけた。
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「......いただきます」
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その声をきっかけに、他の隊員たちも、食べ始めた。
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その夜。
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瀧本は、本部の屋上にいた。
一人で、煙草を吸っていた。
メンソールの煙が、夜空に溶けていく。
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バンコクの夜景が、眼下に広がっていた。
無数の光が、瞬いていた。
この街で、毎日、何百万人もの人間が生きている。
その中で、今日、一人の女が死んだ。
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足音が聞こえた。
振り返らなくても、分かった。
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「局長か」
「ああ」
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局長が、瀧本の隣に立った。
同じように、夜景を見下ろした。
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「煙草、一本くれ」
「局長、吸わないだろ」
「今日だけだ」
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瀧本は、煙草を一本渡した。
局長は、それを口にくわえ、瀧本のライターで火をつけた。
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「......まずいな」
「そうか」
「お前、よくこんなもの吸えるな」
「慣れだ」
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二人は、並んで煙草を吸った。
煙が、夜空に昇っていった。
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「瀧本」
「何だ」
「お前は、マリーを恨んでいるか」
「いいや」
「藤原を殺されたのに?」
「恨んでも、藤原は戻らない」
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局長は、煙を吐き出した。
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「......俺は、マリーを処刑した」
「ああ」
「正しいことだったと思うか」
「正しいかどうかは、分からない。でも、必要なことだった」
「必要......」
「仲間を殺した奴を、許すわけにはいかない。そうしなければ、組織が成り立たない」
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局長は、頷いた。
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「お前の言う通りだ。必要なことだった。でも......」
「でも?」
「俺は、マリーを殺した。部下を殺した。それは、一生背負っていく」
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瀧本は、煙草を吸い込んだ。
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「局長」
「何だ」
「俺も、背負ってる。藤原を死なせた。マリーを連れ帰って、処刑させた。全部、俺の責任だ」
「......」
「でも、背負ってるからこそ、前に進める」
「前に?」
「ああ。背負ってるものがあるから、立ち止まれない。背負ってるものがあるから、守り続けなきゃいけない」
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局長は、瀧本を見た。
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「お前は、強いな」
「強くない。死にたくないだけだ」
「同じことだ」
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局長は、煙草を足元で踏み消した。
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「瀧本」
「何だ」
「結婚式、いつだ」
「来週だ」
「そうか。楽しみにしてる」
「ああ」
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局長は、屋上を去っていった。
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瀧本は、一人で残った。
煙草を吸いながら、夜景を見つめていた。
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藤原の顔が、浮かんだ。
マリーの顔が、浮かんだ。
柏木の顔が、浮かんだ。
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三人とも、死んだ。
一人は敵に殺され、一人は処刑され、一人は自分が殺した。
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瀧本は、煙を吐き出した。
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「......俺は、生きてる」
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呟いた。
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「生きてる限り、守り続ける。それだけだ」
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夜風が、煙を散らしていった。
バンコクの夜は、静かに更けていった。




