幕間 再編
---
バンコク。
突撃隊本部。
会議室。
---
午前二時。
テーブルの上には、空になったコーヒーカップが並んでいた。灰皿には、吸い殻が山のように積まれていた。誰も帰らない。帰れない。
局長ウィチャイは、ホワイトボードを睨んでいた。
そこには、突撃隊の組織図が書かれていた。
だが、その半分以上が、赤い線で消されていた。
---
---
ハーパーが、資料を読み上げた。
「現在の隊員数を報告します」
その声は、疲れ切っていた。
「作戦開始前の総隊員数、四十四名」
「現在の稼働可能な隊員数......」
ハーパーは、言葉を切った。
「二十三名です」
沈黙が落ちた。
「半分以下か」
局長が呟いた。
「はい」
---
---
ルノーが、別の資料を広げた。
「内訳を説明します」
「死亡者、八名。柏木、トーマス、アンナ、パイロット二名、チャーリーチーム隊員三名」
「重傷により長期離脱、六名。瀧本、マルティネス、ニコライ、サラ、アレクセイ、川島」
「逮捕・拘束中、八名。ナリン、ファリダ、チャーリーチーム隊員四名、ブラボーチーム隊員二名」
「逃亡中、一名。マリー」
ルノーは資料を置いた。
「残りの二十三名のうち、軽傷者が五名います。実質的に、今すぐ動けるのは十八名です」
---
---
ミュラーが、頭を抱えた。
「十八名......」
「バンコクの治安維持だけでも、ギリギリの人数です」
「他の地域は」
「放棄するしかありません。人手が足りない」
「ウドンターニーは」
「無人です。チャーリーチームが壊滅しましたから」
「チェンマイは」
「元々、配置していません」
「南部は」
「同じです」
ミュラーは、テーブルを拳で叩いた。
「くそ......一人の男が裏切っただけで、ここまで......」
---
---
局長は、ホワイトボードの前に立った。
「問題を整理しよう」
マーカーを手に取り、書き始めた。
『問題1:柏木の後任』
『問題2:隊員の信頼性』
『問題3:人員不足』
『問題4:チーム再編』
『問題5:逃亡者の追跡』
「他にあるか」
ハーパーが手を挙げた。
「予算です」
「予算?」
「ラオスでの作戦で、装備の損失が大きい。ヘリ二機、車両三台、武器弾薬多数。補充には相当な予算が必要です」
局長は、『問題6:予算』と書き加えた。
「他には」
ルノーが言った。
「士気です」
「士気?」
「仲間が仲間を撃った。裏切り者が出た。隊員たちの心理的ダメージは、計り知れません」
局長は、『問題7:士気』と書き加えた。
そして、マーカーを置いた。
「七つか。いや、まだあるな」
「まだ?」
「世間だ。メディアだ」
局長は、窓の外を見た。
「柏木の裏切りは、まだ公表していない。だが、いずれ漏れる。その時、どう説明する」
誰も、答えられなかった。
---
---
ハーパーが、最初の問題に戻った。
「柏木の後任について、候補者を挙げます」
「候補?」
「総隊長の役職を引き継げる人材です」
ハーパーは、資料をめくった。
「第一候補、瀧本勝幸」
局長は、首を振った。
「瀧本は重傷だ。回復に最低一ヶ月はかかる」
「回復後は」
「......考えておく」
「第二候補、ニコライ・ペトロフ」
「同じく重傷だ」
「第三候補、ジョンソン」
局長は、少し考えた。
「ジョンソンは、アルファチームのリーダーとして優秀だ。だが、総隊長の器か?」
「器?」
「柏木は、戦闘の天才だった。カリスマがあった。隊員たちは、柏木に憧れていた」
「はい」
「ジョンソンは、優秀な兵士だ。だが、カリスマがあるか?」
ハーパーは、黙った。
「いや、今はそんなことを言っている場合じゃない」
局長は、溜息をついた。
「暫定的に、ジョンソンに総隊長代理を任せる。異論は?」
誰も、異論を唱えなかった。
---
---
ルノーが、次の問題を取り上げた。
「隊員の信頼性について」
「ああ」
「今回の事件で、チャーリーチームの半数以上が柏木に従いました。ブラボーチームからも、三名が寝返りました」
「分かっている」
「残りの隊員たちは、信頼できるのでしょうか」
局長は、黙った。
「正直に言えば、分からない」
「分からない?」
「ああ。柏木は、三年間、俺たちと一緒に戦った。信頼していた。だが、裏切った」
「......」
「誰が信頼できて、誰が信頼できないか。もう、分からない」
会議室に、重い沈黙が落ちた。
---
---
ミュラーが、口を開いた。
「一つ、提案があります」
「何だ」
「全隊員に、忠誠の再確認を求めるのはどうでしょうか」
「忠誠の再確認?」
「はい。一人一人と面談し、意思を確認する。残りたい者は残す。去りたい者は去らせる」
「去りたい者がいた場合は」
「引き止めません。無理に残しても、また裏切る可能性がある」
局長は、考えた。
「それで、さらに人数が減る可能性があるな」
「あります。ですが、信頼できない隊員を抱えるよりはマシです」
「......一理ある」
局長は、頷いた。
「分かった。面談を実施する。俺が直接やる」
「局長自ら?」
「ああ。俺の目で、一人一人を見る」
---
---
ハーパーが、次の問題に移った。
「チーム再編について」
「ああ」
「現在の編成は、アルファ、ブラボー、チャーリーの三チームです。しかし、チャーリーは壊滅、ブラボーも半壊状態です」
「再編が必要だな」
「はい。私の提案は、当面、二チーム体制に移行することです」
「二チーム?」
「アルファとブラボーを維持します。チャーリーは解散。生き残った隊員は、アルファとブラボーに振り分けます」
「人数は」
「アルファが十二名、ブラボーが十一名。合計二十三名」
「ギリギリだな」
「ギリギリです。ですが、これが現実です」
局長は、ホワイトボードを見た。
赤い線だらけの組織図。
「......分かった。二チーム体制に移行する」
---
---
ルノーが、予算の問題を取り上げた。
「装備の補充について」
「ああ」
「ヘリ二機の損失は、約四億バーツです」
「四億......」
「車両三台が約一千万バーツ。武器弾薬が約五百万バーツ。合計で、約四億一千五百万バーツが必要です」
局長は、頭を抱えた。
「予算は」
「現在の予算残高は、二億バーツです」
「足りないな」
「足りません。追加予算を申請する必要があります」
「どこに」
「王宮です」
局長は、溜息をついた。
「陛下に、また頭を下げるのか」
「仕方ありません」
「分かった。俺が行く」
---
---
最後に、ミュラーが逃亡者の問題を取り上げた。
「マリー・デュボアについて」
「ああ」
「彼女は、ラオスの奥地に逃げ込んだと思われます。追跡は困難です」
「人員を割けないからな」
「はい。今は、待つしかありません」
「待つ?」
「彼女が動けば、情報が入ります。それまで、監視網を張るしかない」
局長は、頷いた。
「分かった。だが、見つけ次第、連絡しろ」
「了解」
「殺すな。生きたまま連れ戻せ」
「瀧本と同じことを言いますね」
「ああ。あいつの影響だ」
局長は、小さく笑った。
だが、その笑いには、疲れが滲んでいた。
---
---
午前四時。
会議は、ようやく終わった。
局長は、一人で会議室に残っていた。
コーヒーを飲みながら、ホワイトボードを見つめていた。
七つの問題。
いや、八つだ。
『問題8:メディア対応』
マーカーで書き加えた。
そして、また溜息をついた。
「柏木......」
局長は、呟いた。
「お前は、とんでもない置き土産を残してくれたな」
答えは、なかった。
窓の外では、空が白み始めていた。
新しい一日が始まろうとしていた。
だが、問題は何も解決していなかった。
---
---
隣の部屋。
ハーパー、ルノー、ミュラーの三人が、机に突っ伏していた。
「......死にそうだ」
ハーパーが呟いた。
「死ぬな。仕事が終わってない」
ルノーが言った。
「終わらない。永遠に終わらない気がする」
「気がするじゃなくて、終わらないんだ」
ミュラーが、コーヒーを注いだ。
「とりあえず、今日やるべきことを整理しよう」
「今日?」
「ああ。全部を一度にやろうとするから、頭がおかしくなる」
「一理ある」
ハーパーは、メモを取り出した。
「今日やること。一、ジョンソンに総隊長代理の辞令を出す」
「二、隊員の面談スケジュールを組む」
「三、チーム再編の案を作成する」
「四、王宮への予算申請書を作成する」
「五、マリーの監視網を構築する」
「六、メディア対応のシナリオを作成する」
「七、装備の在庫を確認する」
「八、負傷者の見舞いに行く」
ハーパーは、メモを見つめた。
「......多いな」
「多い」
「死ぬな」
「だから死ぬなって言ってるだろ」
三人は、また机に突っ伏した。
---
---
その時。
ドアが開いた。
局長が、顔を出した。
「お前ら、まだいたのか」
「います......」
「帰れ」
「帰れません......仕事が......」
「帰れ。それは命令だ」
局長は、三人を見渡した。
「お前らが倒れたら、本当に終わりだ。少しでも寝ろ」
「でも......」
「午前十時に、また集合だ。それまで寝ろ」
「六時間しかないじゃないですか」
「六時間あれば十分だ。俺なんか、三時間で動いてる」
「局長は化け物ですから」
「化け物で悪かったな」
局長は、小さく笑った。
「とにかく、帰れ。俺も帰る」
「了解......」
三人は、よろよろと立ち上がった。
---
---
本部の外。
空は、すっかり明るくなっていた。
朝日が、バンコクの街を照らしている。
局長は、空を見上げた。
「瀧本......」
呟いた。
「早く戻ってこい。お前がいないと、本当にどうにもならん」
空には、雲一つなかった。
青く、澄んでいた。
だが、局長の心は、まだ曇ったままだった。




