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The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
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第11話 新米

ウドンターニー県警に配属されて、二十三日目だった。


 ファリダー・チャンチャイは現場に立って、目の前の光景を記録していた。


 手帳に書く。写真を撮る。もう一度書く。


 警察大学を首席で卒業した。犯罪捜査論、法医学、証拠保全、尋問技術。全科目で上位だった。現場に出れば役に立てると思っていた。


 だがこれは、教科書に載っていない現場だった。


---


 サーン・トーンカムの本拠地だった。


 ウドンターニー南部の農場。昨夜、何かがあった。


 建物の前に血痕が三箇所。薬莢が六個。コンクリートの壁に弾痕が二つ。農具置き場の陰に擦り傷の跡がある。誰かが遮蔽物として使った痕だった。


 倉庫の中に血痕がさらにあった。ナイフが一本、床に落ちていた。


 男が三人、まだ現場にいた。全員が負傷していた。一人は右腕を撃たれていた。一人は右脚を撃たれていた。一人は拳銃で撃たれた弾が仲間のナイフの男に当たり、そのまま意識を失っていた。


 全員が「何も知らない」と言った。


 ファリダーには信じられなかった。


---


 「薬莢の種類を確認してください」


 ファリダーは鑑識の担当者に言った。


 「九ミリです」


 「九ミリパラベラム弾。拳銃ですね」


 「そうです」


 「アサルトライフルの薬莢は」


 「二個あります。こちらです」


 ファリダーは薬莢を見た。AK系統だった。


 「倒れている男たちが持っていたものと一致しますか」


 「確認中です」


 ファリダーは手帳に書いた。


 誰かが拳銃で複数の人間を相手にした。相手はアサルトライフルを持っていた。それでも拳銃の側が制圧した。


 どういう人間がそれをやるのか。


 ファリダーには分からなかった。


---


 プラチャー警部補が現場に来たのは、ファリダーが記録を始めて一時間後だった。


 私服だった。疲れた顔をしていた。昨夜、眠っていないのかもしれなかった。


 「状況は」


 プラチャーがファリダーに聞いた。


 「負傷者三名。全員が口を割りません。薬莢から判断すると、拳銃一丁で複数を相手にした何者かがいます。被害者とされる女性四名と子ども三名は現場にいません。連れ去られたか、保護されたか」


 「保護された」


 プラチャーは言った。


 ファリダーは手を止めた。


 「警部補、それはどういう」


 「安全な場所にいる。今は心配しなくていい」


 「安全な場所とは」


 「後で説明する」


 ファリダーはプラチャーを見た。


 説明になっていない。「後で」というのは、今は言えないという意味だ。なぜ言えないのか。


 「サーン・トーンカムはどこにいますか」


 「身柄を確保した」


 「誰が」


 「俺が」


 「昨夜、警部補はどこにいましたか」


 「それも後で説明する」


 ファリダーは手帳を持ったまま、プラチャーを見た。


 言えないことが多すぎる。現場に証拠がある。負傷者がいる。被害者は「安全な場所」にいる。容疑者は確保されている。なのに全部「後で」だ。


 「警部補」


 「なんだ」


 「これは適切な手続きで処理されていますか」


 プラチャーは少し間を置いた。


 「処理されている」


 「適切に、ですか」


 「ファリダー」


 「はい」


 「お前は仕事をしろ。証拠を記録しろ。それだけでいい」


 ファリダーは何も言わなかった。


 言えなかった。プラチャーは上司だ。二十三日前から上司だ。逆らう立場にない。


 だが手帳に書いた。


 *「警部補は昨夜の詳細を開示しない。理由不明。要確認。」*


---


 署に戻って、ファリダーはデスクに座った。


 記録を整理した。


 薬莢六個。拳銃の弾が四発。アサルトライフルの弾が二発。血痕の位置と量。建物の構造。倉庫の鍵の痕跡——外から解錠された痕がある。プロの手口だ。


 それから、プラチャーが「後で」と言ったことを並べた。


 被害者の所在。昨夜のプラチャー自身の行動。サーン・トーンカムの身柄確保の経緯。


 全部「後で」だ。


 ファリダーは上司を疑いたくなかった。だが疑わない理由も見つからなかった。


 プラチャー警部補はウドンターニー県警で十八年のキャリアがある。地域では知られた人間だ。サーン・トーンカムとは年齢が近い。同じ時代にこの街にいた。接点がなかったとは考えにくい。


 手帳に書いた。それだけ書いた。考えを止めた。


 証拠が足りない。


---


 翌日、サーン・トーンカムの身柄確保に関わった人間のリストを求めた。


 総務担当が怪訝な顔をした。


 「通常の手続きで確保したわけじゃないので、リストはないです」


 「通常の手続きではない、とはどういうことですか」


 「上に聞いてください」


 上に聞いた。チェンマイから来た上位機関の担当者が、言いにくそうに言った。


 「情報提供者がいました。その人間が動いた」


 「情報提供者の名前は」


 「開示できません」


 「なぜですか」


 「安全上の理由です」


 ファリダーは手帳に書いた。


 *「情報提供者。名前非開示。安全上の理由。」*


 情報提供者が実際に動いた、ということか。情報を提供するだけでなく、現場に踏み込んだ。それは情報提供者ではなく、捜査員だ。捜査員の権限を持たない人間が、捜査員の行動をした。


 それは何者か。


---


 三日後、ファリダーはノックの名前を見つけた。


 サーンの本拠地から保護された女性と子どもの受け入れ先として、NGOの名前が書類に出ていた。ウドンターニー人道支援ネットワーク。代表はスッティン・パイブーン。


 スッティンの名前はファリダーも知っていた。県内で活動しているNGOだ。問題を起こしたことはない。プラチャーとの接点があるという話は聞いたことがある。


 ファリダーはNGOのシェルターに行くことにした。


 プラチャーには言わなかった。


---


 シェルターの前でノックに会った。


 ノックは警戒した。ファリダーが警察の身分証を見せると、さらに警戒した。


 「被害者の方々の状態を確認したい」


 「問題ありません。安全です」


 「あなたがたのNGOが受け入れた経緯を聞かせてください」


 「スッティンさんに聞いてください」


 「スッティンさんはいますか」


 「今は不在です」


 「いつ戻りますか」


 「分かりません」


 壁だった。


 ファリダーは手帳を持ったまま、シェルターの建物を見た。


 普通の家に見えた。洗濯物が干してある。庭に木がある。


 その時、庭の奥で人が動いた。


 椅子に座っていた。煙草を吸っていた。


 外国人だった。男だった。


 白人ではない。アジア系だった。


 オールバックの黒髪。紅色のベストとシャツ。右目だけが動く顔。サングラスをかけていた。


 左脇腹に包帯の痕が見えた。ベストの裾から少し白いものが出ていた。


 ショルダーホルスターをかけていた。


 銃は入っていなかった。だがホルスターは剥き出しだった。


 ファリダーはその男を見た。


 男もファリダーを見た。


 右目だけが動いた。


 ファリダーは手帳を持ったまま、動けなかった。


 全身の感覚が、この男が危険だと言っていた。外見のせいだけではなかった。座り方だった。椅子に座って煙草を吸っているだけなのに、いつでも動ける体の使い方をしていた。


 「あの人は誰ですか」


 ノックに聞いた。


 「ボランティアです」


 「国籍は」


 「日本人だと思います」


 日本人。


 ファリダーは手帳に書いた。


 *「日本人男性。NGOシェルターに滞在。脇腹に包帯。ショルダーホルスター着用。銃は不在。要確認。」*


---


 署に戻った。


 外国人登録のデータベースを確認した。


 ウドンターニー在住または滞在中の日本人男性。


 数は多くない。


 その中に一人、ビザの種類が特殊な人間がいた。


 ノンイミグラントBビザ。取得経緯に軍関係者の名前が書類上に入っていた。チャイロン少佐。


 名前を確認した。


 **柏木勇気。三十八歳。職業:NGOコンサルタント。**


 ファリダーはその名前を見た。


 コンサルタント。


 あの男がコンサルタント。


 ファリダーには、その言葉が何かの冗談に聞こえた。


---


 さらに調べた。


 日本の公開情報を検索した。タイ語と英語で。


 柏木勇気。グローバルキャリア株式会社元職員。登録支援機関。退職理由は不明。退職前には業務上の問題を複数報告していた記録が入管データに残っていた。


 その先が見つからなかった。


 自衛隊歴があることは分かった。除隊理由は「訓練事故による負傷」。詳細は非公開。


 どの部隊にいたかは、公開されていなかった。


 ファリダーは画面を見た。


 情報が少なすぎた。だが分かることがある。


 この男は軍にいた。訓練で怪我をした。支援機関で働いた。タイに来た。NGOにいる。脇腹に包帯をしている。ショルダーホルスターをかけている。


 サーンの本拠地で使われた拳銃は九ミリだった。


 ベレッタM92FSは九ミリパラベラム弾を使う。


 ファリダーは手帳に書いた。


 *「状況証拠のみ。確証なし。だが可能性は高い。」*


 それから一行だけ追加した。


 *「なぜプラチャー警部補はこの男を放置しているのか。」*


---


 翌朝、ファリダーはプラチャーの席に行った。


 「柏木勇気という人間を知っていますか」


 プラチャーは書類から目を上げた。


 一秒だけ間があった。


 その一秒で、ファリダーには分かった。知っている。


 「なぜそれを聞く」


 「NGOのシェルターで見ました。ビザ取得にチャイロン少佐の名前が入っています。サーンの本拠地で使われた銃と同じ口径の銃のホルスターを持っています」


 「それだけか」


 「今のところは」


 プラチャーはファリダーを見た。


 「座れ」


 ファリダーは座った。


 「全部話す。ただし、これは公式の記録には残せない話だ。いいか」


 「……はい」


 プラチャーは話し始めた。


---


 十五分後、ファリダーは席を立った。


 スッティンの妹のこと。プラチャーとチャイロンがなぜ支援しているか。政治家からの圧力がなぜかかったか。あの夜、警察が動けなかった理由。子どもたちがどうなる予定だったか。


 全部聞いた。


 「だからあの男を放置しているのか」


 「放置ではない。支援している」


 「銃の無許可所持は」


 「把握していない」


 「把握していない、とは」


 「俺は把握していない」


 ファリダーはプラチャーを見た。


 知らないことにしている。それがプラチャーにできる最大限だと、今なら分かる。


 だがファリダーは警察官だ。二十三日目でも、警察官は警察官だ。


 「柏木という男に会う必要があります」


 「なぜ」


 「確認したいことがあります」


 「逮捕するつもりか」


 ファリダーは少し間を置いた。


 「分かりません。まず会います」


 プラチャーはファリダーを見た。


 「一つだけ言っておく」


 「はい」


 「あの男は手柄を全部こちらに渡した。名前も出さなくていいと言った。子どもたちが生きているのは、あの男が動いたからだ」


 ファリダーは何も言わなかった。


 「それを知った上で会え」


 「知った上で会います」


 ファリダーは立ち上がった。


 手帳を持った。


 シェルターに向かった。


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