第2話 墜落
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ヘリが揺れた。
最初は、乱気流かと思った。夜間飛行では珍しくない。ニコライは窓の外を見た。暗闘が広がっている。ウドンターニーまで、あと三十分。
二度目の揺れは、違った。
金属が軋む音がした。ローターの回転音が乱れた。パイロットが何かを叫んでいる。
「被弾! 被弾した!」
ニコライは一瞬で状況を理解した。
撃たれている。
誰かが、ヘリを撃っている。
「回避しろ!」
ニコライが叫んだ瞬間、三度目の衝撃が来た。今度は機体全体が大きく傾いた。窓の外に火花が散るのが見えた。エンジンから黒煙が噴き出している。
「エンジン被弾! コントロール不能!」
パイロットの声が悲鳴に変わった。
「墜落する! 全員、衝撃に備えろ!」
ヘリが急激に高度を落とし始めた。回転しながら落ちていく。遠心力で体が座席に押し付けられる。誰かが悲鳴を上げた。ニコライは手すりを掴み、歯を食いしばった。
地面が近づいてくる。
木々が見える。
田んぼが見える。
そして、
衝撃。
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意識が戻った時、ニコライは機体の残骸の中にいた。
煙の匂い。燃料の匂い。血の匂い。
体を動かした。痛みが走ったが、骨は折れていない。奇跡だ。シートベルトが体を守った。
周囲を見回した。
機内は地獄だった。
パイロットは、コックピットで動かなくなっていた。首が不自然な角度に曲がっている。即死だ。
隣にいたトーマスは、座席ごと機外に投げ出されていた。機体の破片が胸を貫いている。目は開いたまま、虚空を見つめていた。
「......くそ」
ニコライはシートベルトを外し、機体から這い出した。
外は暗かった。田んぼの中に墜落したらしい。泥が膝まで浸かる。数十メートル先で、機体の一部が燃えていた。オレンジ色の炎が、夜空を照らしている。
「生存者は!」
ニコライは叫んだ。
返事があった。
「こっちだ......」
アレクセイの声だった。機体の反対側から聞こえる。ニコライは泥を掻き分けながら、声の方へ向かった。
アレクセイは、機体の残骸に足を挟まれていた。顔は血で汚れていたが、意識はある。
「動けるか」
「足が......挟まってる......」
ニコライは残骸を持ち上げようとした。重い。一人では無理だ。
「サラ! ンゴマ! 誰かいるか!」
別の方向から、声が返ってきた。
「ここよ......」
サラだった。彼女は機体から十メートルほど離れた場所に倒れていた。立ち上がろうとして、膝をついた。左腕が変な方向に曲がっている。骨折だ。
「他は」
「分からない......アンナは......アンナは見えた......動いてなかった......」
ニコライは歯を食いしばった。
一機目の生存者は、今のところ三人。死者は確認できただけで三人。残りは不明。
「二機目は」
「分からない......」
ニコライは空を見上げた。
二機目のヘリは、どこだ。
その時、遠くで爆発音が聞こえた。
オレンジ色の光が、北西の方角で膨れ上がった。
二機目も、落とされた。
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ニコライは状況を整理しようとした。
二機のヘリが、ウドンターニーに到着する前に撃墜された。
誰が撃ったのか。
どうやって撃ったのか。
分からない。
だが、一つだけ確かなことがあった。
これは、待ち伏せだ。
誰かが、ブラボーチームが来ることを知っていた。そして、撃墜するための準備をしていた。
「......柏木」
ニコライは呟いた。
柏木が、裏切ったのか。
いや、まだ分からない。だが、他に説明がつかない。
チャーリーチームの拠点に向かうヘリを撃墜できるのは、チャーリーチームだけだ。
「ニコライ、何か来る......」
サラの声が、緊張を帯びていた。
ニコライは耳を澄ませた。
エンジン音が聞こえる。車のエンジン音だ。複数。
ヘッドライトの光が、暗闇の中を近づいてきている。
「隠れろ」
ニコライは命じた。
アレクセイの足を残骸から引き抜いた。アレクセイが苦痛の声を上げたが、構っている暇はない。三人は、燃える機体から離れ、田んぼの畦道に身を隠した。
車が近づいてきた。
三台。
ピックアップトラックだ。荷台に武装した男たちが乗っている。
ニコライは目を細めた。
男たちの服装を見た。
軍服ではない。警察の制服でもない。だが、統一されている。黒いタクティカルベスト。黒いカーゴパンツ。黒いブーツ。
そして、胸には見覚えのあるエンブレムがあった。
金のガルーダ。
突撃隊のエンブレムだ。
「......チャーリーチームだ」
ニコライは確信した。
柏木が、ブラボーチームを攻撃している。
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車が停まった。
男たちが降りてきた。
十二人。全員武装している。AK-47、M4カービン、ショットガン。
先頭にいるのは、川島明だった。
川島はヘリの残骸に近づき、中を覗き込んだ。そして、振り返って他の男たちに何かを指示した。
「生存者を探せ。見つけ次第、確保しろ」
川島の声が聞こえた。
ニコライは息を潜めた。
隣でサラが、折れた左腕を押さえながら、小さく呻いていた。アレクセイは足を引きずりながら、ライフルを構えようとしていた。
「待て」
ニコライは囁いた。
「相手は十二人。こっちは三人。しかも全員負傷している。正面から戦っても勝てない」
「じゃあ、どうするの」
サラが聞いた。
「逃げる。今は逃げるしかない」
「でも、他の仲間が......」
「死んでいる可能性が高い。生きていても、今は助けられない」
ニコライの声は冷たかった。だが、それが現実だった。
「移動するぞ。静かに。見つかったら終わりだ」
三人は、畦道を這うように移動し始めた。田んぼの泥が体にまとわりつく。寒い。服が濡れて、体温を奪っていく。
後ろで、川島たちが残骸を漁る音が聞こえた。
「こっちに死体が二つ!」
「生存者は!?」
「見当たらない! 逃げた可能性がある!」
「探せ! 周辺を探せ!」
ライトが点灯した。懐中電灯の光が、田んぼを照らし始めた。
ニコライは動きを止めた。
光が近づいてくる。
見つかる。
このままでは、見つかる。
「......くそ」
ニコライは決断した。
「サラ、アレクセイ、先に行け。俺が時間を稼ぐ」
「何を言って......」
「命令だ。行け」
ニコライは立ち上がった。
ライフルを構えた。
そして、発砲した。
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銃声が夜を切り裂いた。
川島たちの一人が倒れた。頭を撃ち抜かれていた。
「敵だ! 反撃しろ!」
川島が叫んだ。
ニコライは走りながら撃った。走って、撃って、また走る。敵の注意を自分に引きつける。サラとアレクセイが逃げる時間を稼ぐ。
弾丸が周囲を飛び交った。泥が跳ね上がる。稲穂が千切れ飛ぶ。
ニコライは田んぼの畦道を走り、小さな納屋の影に身を隠した。マガジンを交換する。残り二本。
追ってくる足音が聞こえる。
五人、いや六人か。
「囲め! 囲んで撃て!」
川島の声だ。
ニコライは納屋の反対側から飛び出し、また走った。走りながら後ろを振り返り、追ってくる敵に向けて撃った。二人が倒れた。
だが、弾が尽きた。
最後のマガジンだ。
ニコライは林の中に逃げ込んだ。暗闘の中を、木々を避けながら走る。枝が顔を打つ。足が根に引っかかる。
背後から、銃声が追いかけてくる。
木の幹に弾丸が食い込む音がする。
ニコライは走り続けた。
どのくらい走っただろうか。
十分か、二十分か。
やがて、追ってくる足音が遠ざかった。
諦めたのか、それとも別の方向を探しているのか。
ニコライは木の根元に座り込んだ。
息が上がっている。心臓が破裂しそうだ。
体中が痛い。墜落の時の傷が、走ったせいで悪化している。
「......くそ」
ニコライは呟いた。
ブラボーチームは、壊滅した。
二機のヘリが撃墜され、乗っていた隊員の大半が死亡または行方不明。生存が確認できているのは、自分とサラとアレクセイの三人だけ。
そして、敵は味方だった。
チャーリーチームが、ブラボーチームを攻撃した。
柏木勇気が、裏切った。
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同じ頃。
ウドンターニー。
チャーリーチームの拠点。
柏木勇気は、窓から外を見ていた。
北の方角で、二つの爆発があった。オレンジ色の光が夜空を照らし、すぐに消えた。
「終わったか」
柏木は呟いた。
後ろで、マリーが座っていた。顔は青白く、目は虚ろだった。
「本当に、良かったの......」
「何が」
「ブラボーチームを......仲間を......」
「仲間じゃない」
柏木は振り返った。
「俺を連れ戻しに来た連中だ。俺を、バンコクに引きずり戻そうとした連中だ」
「でも......」
「俺は、もうバンコクには戻らない」
柏木の声は、静かだった。だが、その奥には、狂気が潜んでいた。
「俺は、ここで戦う。ここで、俺の正義を貫く」
「正義......?」
「ああ。俺だけの正義だ。誰にも邪魔させない」
マリーは、何も言えなかった。
この男は、壊れている。
完全に、壊れている。
だが、マリーは逃げられなかった。柏木を愛しているから。壊れていても、この男を愛しているから。
ドアが開いた。
川島が入ってきた。
「隊長、報告です」
「どうだった」
「二機とも撃墜しました。ヘリに搭載していた対空ミサイルが有効でした」
「生存者は」
「確認できた死体は五つ。残りは逃げた可能性があります。追跡中です」
「追い詰めて、始末しろ」
「了解」
川島は敬礼し、部屋を出ていこうとした。
「川島」
柏木が呼び止めた。
「はい」
「お前は、俺についてくるんだな」
川島は、少し黙った。
「......はい。俺は、隊長についていきます」
「なぜだ」
「隊長は、俺を拾ってくれました。日本で行き場をなくした俺を、突撃隊に入れてくれました」
「それだけか」
「それだけです。俺には、それで十分です」
柏木は頷いた。
「分かった。行け」
川島は部屋を出た。
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柏木は、再び窓の外を見た。
夜空には、星が瞬いている。
バンコクで何が起きているか、柏木は知らなかった。
瀧本が、叙任式で国王を守って撃たれたこと。
瀧本が、強盗事件でまた撃たれたこと。
聖域残党の武装蜂起があったこと。
瀧本が、病院から抜け出して戦い、また負傷したこと。
柏木は、何も知らなかった。
知ろうとしなかった。
見ようとしなかった。
バンコクからの連絡は、全て無視した。ニュースは見なかった。報告書は読まなかった。
嫌なことから、目を逸らす癖。
それは、日本にいた頃からの癖だった。
登録支援機関で、山のように積まれた請求書。経費の報告。事務処理の山。柏木はそれを見て見ぬふりをしていた。気づかなければ、存在しない。そう思い込むことで、逃げていた。
今も同じだ。
瀧本のことを考えたくない。瀧本の活躍を知りたくない。瀧本が英雄になっていくのを、見たくない。
だから、何も見ない。何も知らない。
柏木勇気は、現実から逃げ続けていた。
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深夜。
チャーリーチームの拠点。
柏木は、集まった隊員たちを見渡した。
チャーリーチームから、八人。
マリー、ナリン、ファリダ、川島、そして四人の男性隊員。
ブラボーチームから、三人。
追跡中に捕らえた隊員たちだ。全員、柏木に従うことを選んだ。選ばなければ、殺されていた。
「これから、俺たちはラオスに向かう」
柏木は言った。
「ラオス......?」
誰かが聞いた。
「ああ。タイにいては、追われる。バンコクが必ず追ってくる。だが、ラオスなら、しばらくは身を隠せる」
「でも、ラオスで何をするんですか」
「戦う」
柏木の答えは、シンプルだった。
「ラオスには、犯罪組織がいる。麻薬の密売人がいる。人身売買のブローカーがいる。俺たちは、そいつらを狩る」
「狩る......」
「ああ。俺たちは、正義の味方だ。どこにいても、何をしていても、悪を裁く」
柏木の目は、狂気に満ちていた。
だが、同時に、奇妙なカリスマがあった。
彼の言葉は、間違っている。彼の行動は、狂っている。それは、誰もが分かっていた。
だが、従わざるを得なかった。
柏木は強い。柏木は恐ろしい。柏木に逆らえば、殺される。
そして、一部の者は、本当に柏木を信じていた。
川島のように。
マリーのように。
彼らは、柏木を愛していた。壊れた柏木を、それでも愛していた。
「出発は一時間後だ。必要なものだけ持っていけ。重い荷物は捨てろ」
柏木は命じた。
隊員たちが動き始めた。
柏木は、マリーを見た。
マリーは、青白い顔で立っていた。
「お前も、来るんだな」
「......ええ」
「強制はしない。残りたいなら、残れ」
「残らないわ」
マリーは、柏木に近づいた。
「私は、あなたについていく。どこまでも」
「なぜだ」
「愛しているから」
柏木は、マリーを見つめた。
「......お前は、馬鹿だな」
「分かってるわ」
マリーは、小さく笑った。
その笑顔は、悲しかった。
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一時間後。
チャーリーチームの拠点は、もぬけの殻になっていた。
車両が三台、ラオス国境に向けて出発した。
残されたのは、廃墟だけだった。
そして、従わなかった者たちの死体。
三人。
チャーリーチームの男性隊員が二人。ブラボーチームの隊員が一人。
彼らは、柏木についていくことを拒んだ。
そして、殺された。
柏木の手で。
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林の中。
ニコライは、遠くで車のエンジン音が聞こえるのを聞いた。
三台の車が、北に向かって走っていく。
ラオスの方向だ。
「......逃げるのか」
ニコライは呟いた。
体は動かなかった。傷が悪化して、熱が出始めている。このままでは、夜明け前に死ぬかもしれない。
だが、諦めるわけにはいかない。
バンコクに、連絡しなければ。
柏木が裏切ったことを。ブラボーチームが壊滅したことを。柏木がラオスに逃げたことを。
ニコライは、ポケットから衛星電話を取り出した。
墜落の衝撃で、画面にヒビが入っていた。だが、電源は入った。
「......局長......」
ニコライは、番号を押した。
コール音が鳴る。
一回。
二回。
三回。
繋がった。
「こちらウィチャイだ。ニコライか」
「局長......報告します......」
ニコライの声は、かすれていた。
「ブラボーチームは......壊滅しました......」
「何だと」
「二機のヘリが......撃墜されました......チャーリーチームに......」
「チャーリーチームが、お前たちを攻撃したのか」
「はい......柏木が......裏切りました......」
電話の向こうで、沈黙があった。
「......生存者は」
「俺と......サラと......アレクセイ......他は......分かりません......」
「位置は分かるか」
「ウドンターニーの......南東......約二十キロ......」
「分かった。救援を送る。動くな。そこにいろ」
「了解......」
ニコライは、電話を切った。
そして、意識を失った。
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バンコク。
突撃隊本部。
局長室。
局長ウィチャイは、電話を置いた。
顔は、蒼白だった。
「......柏木が、裏切った」
ハーパーが聞いた。
「確かですか」
「ニコライからの報告だ。二機のヘリが撃墜された。チャーリーチームの攻撃だ」
「そんな......」
「ブラボーチームは壊滅。生存者は三人。他は死亡または行方不明」
局長は、椅子に座った。
頭が痛かった。
「柏木は、ラオスに逃げた可能性が高い」
「追跡しますか」
「......ああ。追跡する」
局長は、目を閉じた。
「だが、今は無理だ。まず、ニコライたちを救出しなければならない」
「了解」
「アルファチームを出動させろ。ジョンソンに指揮を任せる」
「瀧本は」
「病院だ。まだ動けない」
局長は、窓の外を見た。
バンコクの夜景が広がっている。
「柏木......お前は、何をしているんだ......」
局長の声は、悲しみに満ちていた。
かつて、柏木を信じていた。
柏木の正義を、信じていた。
だが、その正義は、歪んでしまった。
そして今、仲間を殺している。
「......救えなかったのは、俺の責任か」
局長は呟いた。
誰も、答えなかった。
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ラオス国境。
夜明け前。
三台の車が、国境を越えた。
検問はなかった。国境警備隊は、金で買収されていた。
柏木は、助手席から外を見ていた。
ラオスの大地が広がっている。
ここから、新しい戦いが始まる。
俺だけの戦いが。
俺だけの正義が。
柏木は、小さく笑った。
だが、その笑顔は、どこか空虚だった。
後ろの座席で、マリーは眠っていた。
疲れ切った顔で。
泣いた跡を残して。
車は、ラオスの奥地へと消えていった。




