表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
The Man Who Would Not Die: 死んでたまるか  作者: Operator3118
第1章 支援機関の外へ
10/130

第10話 救出

情報が入ったのは、最初の救出から五日後の昼だった。


 コミュニティラインからだった。ラオス人の女性が、国境近くの村から連絡してきた。三日前の夜、若い女性が四人と子どもが三人、トラックに乗せられた。向かった方向はウドンターニーの南だ。サーン・トーンカムの本拠地がある方向だった。


 スッティンがプラチャーに連絡した。


 プラチャーの返信は短かった。


 *「動けない。上から圧力がかかった。政治家の名前が出ている。チャイロンも同様。申し訳ない」*


 スッティンがその文章を柏木に見せた。


 「どれくらい時間がある」


 柏木が聞いた。


 「臓器売買の場合」


 スッティンは言いにくそうにした。


 「子どもは、長くて三日です。需要があれば、すぐに動く。すでに三日経っている」


 「今夜か、明日の朝には動く」


 「はい」


 柏木は地図を見た。


 サーン・トーンカムの本拠地。ウドンターニー南部。広大な敷地を持つ農場兼倉庫群。プラチャーが以前、構造を説明してくれていた。建物が三棟。警備員が常時六人から八人。サーン本人は週に三日、本拠地にいる。


 今夜、サーンがいるかどうかは分からない。


 「俺が行く」


 柏木は言った。


---


 「一人で」


 スッティンが言った。


 「そうだ」


 「無理だ。六人から八人いる」


 「チームで動けば音が出る。一人の方が速い」


 「撃たれる」


 「撃たれるかもしれない。だが子どもが今夜死ぬよりマシだ」


 スッティンは柏木を見た。


 「あなたは元三等陸尉だ。一人で八人を相手にするのは」


 「少し違います」


 柏木は言った。


 スッティンが止まった。


 「三等陸尉は最終階級じゃない。正確には、記録上の最終階級だ」


 「どういう意味ですか」


 柏木はテーブルの椅子を引いて座った。スッティンも座った。


 「特殊作戦群を知っているか」


 「名前だけは」


 「陸上自衛隊の特殊部隊だ。対テロ、人質救出、特殊偵察。習志野に本部がある。創設は二〇〇四年。俺は二〇〇九年から所属していた。突入班の指揮官だった」


 スッティンは黙っていた。


 「左目を失ったのは訓練事故だと言った。それは本当だ。だが特殊作戦群の訓練事故は、記録が残らない。内容も残らない。除隊理由も、公式には一般的な記録になる」


 「三等陸尉、という階級は」


 「降格した。事故の後、前線に戻れないと判断された時点で、組織上の処理が行われた。詳細は言えない。言えないのは秘密保持義務があるからだ。タイに来た今も、それは変わらない」


 スッティンはしばらく柏木を見ていた。


 「だから一人で行けると言っているのか」


 「行けるかどうかは、やってみないと分からない。だが訓練はある。経験もある。一人で動く訓練は、特殊作戦群で最も基本的なものだ」


 「左目がない」


 「知っている。CARシステムで対応できる。近距離ならむしろ有利な部分もある」


 「死ぬかもしれない」


 「それは最初に聞いた。来る前に」


 スッティンは立ち上がった。部屋を一度歩いた。それから戻ってきた。


 「ペットを連れていけ。建物の外で待機させる。脱出の時に使う」


 「それは呑む」


 「アレクセイに準備させる。帰ってきた時にすぐ処置できるように」


 「それも呑む」


 「一つだけ約束してくれ」


 「言ってくれ」


 「死ぬなよ」


 柏木はスッティンを見た。


 「努力する」


---


 アレクセイが処置キットを準備しながら、柏木に言った。


 「特殊部隊だったのか」


 「さっきスッティンに話した」


 「聞こえていた。壁が薄い」


 アレクセイはガーゼと止血帯をバッグに詰めながら続けた。


 「ロシアにも似た部隊がある。スペツナズだ。俺が従軍した前線に、何人かいた」


 「どんな人間だった」


 「普通の人間だった。それが怖かった。普通の顔をして、普通に話して、戦場では別の何かになる」


 「俺も普通だ」


 「そうは見えない」


 「どう見える」


 アレクセイは柏木を一度見た。


 「最初から、別の何かに見える」


 柏木は答えなかった。


 「撃たれた時の話をする」


 アレクセイが言った。


 「聞く」


 「腹を撃たれたら、帰ってくるな。そこで処置しろ。動けば死ぬ。胸なら右側は比較的マシだ。左は心臓に近い。頭は……帰ってこられない」


 「分かった」


 「四肢は止血して動け。止血帯はここに入れた」


 アレクセイはバッグのポケットを指した。


 「刃物は銃より厄介だ。深く入ると出血が止まりにくい。刺されたら無理に抜くな。そのまま帰ってこい」


 「そのままで動けるか」


 「動け。死ぬよりマシだ」


 柏木はバッグを受け取った。


 「お前は良い軍医だったんだろうな」


 「最悪の状況を想定するのが仕事だ」


 「今夜は最悪を想定してくれて助かる」


 アレクセイは少し間を置いた。


 「帰ってこい。俺の患者になれ」


 「なるべくそうする」


---


 出発は午後十一時だった。


 柏木は装備を確認した。


 ベレッタM92FS。マガジン三本。四十五発。ショルダーホルスターに収めた。剥き出し。隠す必要がない。


 ナイフを一本、ベルトに差した。アレクセイが持っていたものだ。戦場の軍医は刃物を持つ。消毒して渡してくれた。


 アレクセイの処置バッグを背中に負った。


 黒のスラックス。紅色のベスト。シルバーのネクタイは外した。動く時にネクタイは邪魔だ。シャツの袖を捲った。


 サングラスをかけた。


 ノックがシェルターの入口に立っていた。


 柏木が通り過ぎようとした時、ノックが言った。タイ語だった。


 スッティンが訳した。


 「ポーの分も頼む、と言っています」


 柏木はノックを見た。


 ノックは泣いていなかった。泣き切った後の顔だった。


 「分かった」


 それだけ言った。


---


 ペットのトラックで南に向かった。


 四十分走った。


 本拠地から一キロの場所でペットが停めた。


 「ここで待つ。戻ってきたら連絡しろ」


 スッティンが訳した。ペットは前を向いたまま言った。


 「連絡できない状態かもしれない」


 「その時は迎えに行く」


 柏木はトラックを降りた。


 夜だった。月が出ていた。農地が広がっていた。遠くに建物の明かりが見えた。


 歩き始めた。


---


 本拠地への接近に二十分かけた。


 急がなかった。急けば音が出る。特殊作戦群で最初に叩き込まれたことだった。


 建物が三棟。プラチャーの情報通りだった。


 見張りを数えた。


 外に三人見えた。情報では六から八人。内側に三人か五人いる計算になる。


 メインの建物に明かりが多かった。人の声がした。タイ語とラオス語が混じっていた。


 別の建物に明かりが少しあった。声はない。


 被害者がいるとしたら、声のない建物だ。


 柏木は動いた。


---


 最初の見張りを背後から無力化した。


 頸動脈。十秒。


 地面に降ろした。


 二人目は少し離れていた。歩哨の動きをしていた。一定のリズムで歩いていた。


 リズムの死角に入った。


 背後から同じ手順で無力化した。


 三人目が振り向いた。


 気づかれた。


 男が叫んだ。


 柏木はベレッタを抜いた。


 「静かにしろ」


 言葉は通じない。だが銃口を向けられた意味は通じた。


 男は止まった。


 止まった瞬間、メインの建物のドアが開いた。


---


 二人出てきた。


 銃を持っていた。旧式のアサルトライフル。AK系統だった。


 柏木は三人目の見張りを盾にして横に動いた。遮蔽物を探した。


 農具置き場の陰に入った。


 銃声が響いた。


 コンクリートが欠けた。


 柏木は農具置き場の角から出て、一人に向けて撃った。


 右脚に当たった。


 男が倒れた。


 もう一人が横に動いた。賢かった。


 柏木も動いた。


 CARシステム。体を目標に向ける。体の軸で狙う。


 引き金を引いた。


 左肩に当たった。


 男が崩れた。


 二発撃った。二人倒れた。マガジンは十三発残っている。


---


 建物の中から声がした。


 複数の声。タイ語。何かを確認している声だった。


 柏木は被害者がいると判断した建物の方に走った。


 ドアを蹴った。


 中に人がいた。


 女性が四人。子どもが三人。


 全員が隅に固まっていた。柏木を見て悲鳴を上げた。


 「静かに」


 手を上げた。銃を持ったまま手を上げた。意味が通じるかどうか分からなかった。


 女性の一人がラオス語で何か言った。


 子どもが泣いていた。三人とも泣いていた。生きていた。


 「出ろ。今すぐ」


 言葉は通じない。だが出口を指した。体で示した。


 女性の一人が立ち上がった。子どもの手を引いた。


 その瞬間、背後でドアが開いた。


---


 振り返った。


 男が三人いた。


 一人が銃を持っていた。拳銃だった。


 残り二人はナイフだった。


 拳銃の男に向けてすぐに撃つべきだった。


 だが被害者が後ろにいた。貫通した場合のことを考えた。


 一秒、迷った。


 その一秒で、ナイフの男の一人が距離を詰めてきた。


 柏木は横に動いた。


 間に合わなかった。


 左の脇腹にナイフが入った。


 深くはなかった。だが確実に入っていた。


 痛みより先に、熱さがあった。


 柏木はナイフの男の腕を掴んで、体を回した。拳銃の男の前に押し出した。


 拳銃が発砲した。


 弾はナイフの男に当たった。


 柏木は拳銃の男に向けて撃った。


 右脚。


 男が倒れた。


 もう一人のナイフの男が走った。逃げた。


 追わなかった。


---


 脇腹を左手で押さえた。


 血が出ていた。アレクセイの言葉を思い出した。刺されたら無理に抜くな。ナイフはまだ入ったままだった。


 確認した。


 深さは三センチ程度だった。致命的ではない。動ける。


 被害者を見た。


 全員が壁際にいた。震えていた。子どもが三人、泣いていた。生きていた。


 「来い」


 出口を指した。


---


 メインの建物からまた人が出てきた。


 二人。拳銃を持っていた。


 柏木は被害者を建物の陰に押し込んだ。


 一人に向けて撃った。右肩。


 もう一人が横に逃げた。


 その男の後ろから、別の男が出てきた。


 大柄だった。五十代。高価そうなシャツを着ていた。周りの人間とは明らかに違う立ち方をしていた。


 サーン・トーンカムだった。


 写真で見た顔だった。プラチャーが一度だけ見せてくれた写真だった。


 男は銃を持っていなかった。逃げようとしていた。


 柏木は走った。


 脇腹が痛んだ。


 走った。


 サーンが横の建物に入ろうとした瞬間、柏木が追いついた。


 腕を掴んだ。体を回した。地面に組み伏せた。


 サーンが叫んだ。


 柏木は膝でサーンの背中を押さえた。ベレッタをサーンの後頭部に当てた。


 「動くな」


 サーンは動かなくなった。


---


 残っていた男が一人、銃を向けてきた。


 柏木はサーンを盾にしたまま、男に向けてベレッタを向けた。


 「お前のボスが死ぬか、お前が逃げるか、どちらかだ」


 英語だった。通じるかどうか分からなかった。


 男はしばらく動かなかった。


 それから走って逃げた。


 柏木はサーンを押さえたまま、スマートフォンを取り出した。


 ペットに送信した。一言だけ。


 *「来い」*


---


 ペットのトラックが来るまで八分かかった。


 八分間、柏木はサーンを組み伏せていた。


 脇腹から血が出続けていた。地面に少し落ちていた。左手で押さえ続けた。


 サーンは最初は暴れた。途中から暴れなくなった。


 柏木のベレッタが後頭部にあった。それと、組み伏せている力が、暴れることを諦めさせた。


 被害者の女性と子どもは建物の陰に固まっていた。


 子どもが一人、泣き止んでいた。


 一番小さい子どもだった。四歳か五歳。タイ人の女の子だった。


 泣き止んで、柏木を見ていた。


 暗い中で、その目だけが見えた。


---


 トラックが来た。


 ペットが降りてきた。柏木を見て、脇腹を見て、何も言わなかった。


 被害者を荷台に乗せた。女性四人と子ども三人。全員乗った。


 サーンを縛った。ジップタイで手首を後ろで固定した。荷台に乗せた。被害者とサーンが同じ荷台にいた。


 女性の一人がサーンを見た。


 何も言わなかった。ただ見ていた。


 その目の意味を、柏木は考えなかった。今は考える余裕がなかった。


 助手席に乗った。


 「走れ」


 ペットはアクセルを踏んだ。


---


 走りながらスッティンに連絡した。


 *「全員確保。サーンも。プラチャーに連絡を。引き渡す準備をしてくれ」*


 返信が来た。


 *「けがは」*


 *「アレクセイに聞かせる」*


 スッティンからの返信はなかった。


 代わりに三十秒後、アレクセイから直接連絡が来た。


 *「ナイフか銃か」*


 *「ナイフ。脇腹。深さ三センチ程度。まだ刺さっている」*


 *「抜くな。今すぐ来い」*


 *「今向かっている」*


 *「失血はどの程度だ」*


 柏木は左手を見た。血がついていた。


 *「それなりに」*


 *「急げ」*


---


 シェルターに着いた時、アレクセイがドアの前で待っていた。


 柏木が降りた瞬間、アレクセイが近づいた。


 脇腹を見た。


 「中に入れ」


 「被害者が先だ」


 「あなたが倒れたら誰も動けなくなる。中に入れ」


 柏木は一秒考えた。


 合理的だった。


 中に入った。


---


 テーブルに横にされた。


 アレクセイがナイフを確認した。


 「抜く。痛い」


 「分かった」


 「我慢しろ」


 「する」


 アレクセイはナイフを引き抜いた。


 痛かった。声は出なかった。


 血が出た。アレクセイが素早くガーゼを当てた。圧迫した。


 「深さは俺の見立てより少し浅い。二センチ強。筋肉層だ。腹腔には達していない」


 「致命的ではないか」


 「縫えば助かる。今から縫う」


 「麻酔は」


 「少しある。打つ」


 針が刺さった。局所麻酔だった。


 しばらくして、感覚が薄れた。


 「他に傷は」


 「右腕を壁にぶつけた。大したことはない」


 「見せろ」


 アレクセイが右腕を確認した。


 「打撲だ。骨は折れていない」


 「それだけか」


 「膝も打っている。走ったか」


 「走った」


 「後で確認する。今は腹だ」


 縫合が始まった。


 柏木は天井を見た。


 シェルターの天井だった。板張りで、染みがあった。


 外から声がした。子どもの声だった。泣いていない声だった。ノックの声が聞こえた。タイ語だった。


 子どもたちが、シェルターに入ってきたのかもしれなかった。


 「プラチャーには連絡したか」


 天井を見たまま聞いた。


 「スッティンが動いている」


 「サーンを引き渡す。記録に俺の名前は出さなくていい。全部スッティンのNGOの手柄でいい」


 アレクセイは縫合を続けながら答えた。


 「なぜだ」


 「必要ない」


 「手柄が嫌いか」


 「手柄が欲しくてやったわけじゃない」


 アレクセイは少し間を置いた。


 「ポーの分も、か」


 「ノックがそう言っていた」


 「ノックに伝える」


 「まだ言わなくていい。終わってから言ってくれ」


 「終わったら言う」


 縫合が続いた。


 外で子どもの声がした。泣いていない声だった。


 それだけで十分だった。


---


 縫合が終わったのは深夜二時を過ぎていた。


 プラチャーがシェルターに来た。私服だった。車は二台。もう一台にチャイロンが乗っていた。


 サーン・トーンカムを引き渡した。


 プラチャーはサーンを見た。サーンは黙っていた。


 「証拠は」


 プラチャーが柏木に聞いた。


 「本拠地に人間と物が残っている。今夜動けば証拠は消えない」


 「動く」


 「記録には俺の名前を出さなくていい。スッティンのNGOが情報提供した、それだけでいい」


 プラチャーは柏木を見た。


 「それでいいのか」


 「それでいい」


 プラチャーは少し黙った。


 それから、タイ語で何か言った。


 スッティンが訳した。


 「あなたのような人間に、タイ語でなんと言うか考えていた。見つかった。クォン・ディと言います。良い人間、という意味だ」


 柏木は答えなかった。


 「褒め言葉だ」


 「受け取っておく」


 プラチャーはサーンを連れて出ていった。


---


 夜明け前、シェルターは静かになった。


 被害者の女性と子どもは別の部屋で眠っていた。ノックがついていた。


 アレクセイが柏木の隣に座った。


 「眠れるか」


 「眠れる」


 「眠れ。明日は動くな」


 「従う」


 「珍しい」


 「医者の言うことには従う。自衛隊で教わった」


 アレクセイは短く笑った。


 外が少し明るくなり始めていた。


 鳥の声がした。タイの鳥は日本の鳥と声が違った。うるさいくらい鳴く。


 「特殊作戦群の突入班指揮官が、なぜ登録支援機関にいたのか、俺には分かる気がする」


 アレクセイが言った。


 「なぜだ」


 「止まれなかったからだろう。場所が変わっても、やることが変わっても、止まれない人間だ」


 柏木は天井を見た。


 「そうかもしれない」


 「それはマイサバーイチャイか」


 「チャイロンに教わったのか」


 「スッティンから聞いた。小さい組織だから」


 「心が安らかでない。そうだな」


 「悪くない理由だ。動き続ける理由として」


 柏木は目を閉じた。


 脇腹が鈍く痛んだ。アレクセイが縫ったところだ。


 眠れると思った。


 外で鳥がうるさく鳴いていた。


 ウドンターニーの夜明けだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ