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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

悪役令嬢は善人になれない

作者: 銀城
掲載日:2026/02/27


 最初に感じたのは、香りだった。

 甘い香油と、磨き上げられた木の匂い。


 高い天井に溜まる温度と寝台の布地の重さ。


 ——やった。

 胸の奥で、小さく拍手が鳴った。


 私は “やった” のだ。

 願って、準備して、最後に賭けてみた――その結果が、この匂いでわかる。


 前の世界の、排気と洗剤と、ぬるいプラスチックの匂いがない。


 思い出すのは、あの夜の道。


 仕事が遅くなった日の帰り道。

 駅から自宅までの、いつもと同じ道。

 コンビニの明かりの端で、私は一度だけ立ち止まった。


 何のために生きてるんだろう、って。

 答えは出なかった。

 いつも出ないけど。

 出ないまま、私は再び歩き出す。


 そこが私のしょうもない人生の癖だった。


 そのとき、背後から声がした。


 「……次の人生、欲しいかい」


 振り向くと、街灯の影にお婆さんが立っていた。

 ホームレスでもなく、酔っぱらいでもなく、ただ “ずっとそこにいる” みたいな立ち方。

 妙に小さくて、妙に暗い。


 「欲しいなら、願い方を教えたげるよ」

 「うまく言え、欲しいものを。あとはちゃんと “形” にしな」


 普段なら無視をするところ、何故か立ち止まって聞いてしまった。


 ただ、少し怖かったのは覚えている。


 返答を待たず、お婆さんは続けた。


 「自分がいちばん欲しいのは何だ」


 その問いが、胸の真ん中を叩いた。


 欲しいのは、愛。

 欲しいのは、必要とされること。

 欲しいのは、数多の承認。


 私は口を開いた。


 「……見られたい」

 「ちゃんと……私として、見られたい」


 お婆さんは、ゆっくり頷いた。


 「ほう。なら、見られる器に入れ」

 「ただし器には役目がある。役目は、おまえを離してくれん」

 「それでも行くかい」


 私は、行くと答えた。

 だって、ここにいても何も変わらない。

 変わらないことだけが確定している人生が、いちばん怖かった。


 お婆さんは、私の耳元で囁いた。


 「眠る前に、鏡を見るな」

 「目を閉じる直前、最後に思い浮かべろ。 “見られる自分” 、“見られたい場所” を」

 「で、言え。——叶えてって」


 その夜、私は言った。

 言って、眠った。


 そして今――私はここにいる。


 指先まで冷たく綺麗で、整っている爪の形。

 鏡の中の顔は、息を詰まらせるほど整っていた。


 身体が “よく出来すぎている”。


 (……勝てる顔だ)


 感想が浅いと思った。

 でも浅くていい。

 深くなったところで、前の世界では何も変わらなかった。


 私は勝つ。

 ここで。


 そう思ったとき、視界の端に白い文字が一瞬だけ浮かんだ。

 紙片みたいに、軽く、すぐ消える。


 好感度:-87


 息が止まった。


 (……は?)


 次の瞬間、数字の下に “内訳” が走る。

 見たくないのに、見える。

 まるで契約の注釈みたいに。


 世間:-46

 使用人:-24

 学園:-9

 主人公:-8


 (……主人公?)


 その単語が出た瞬間、背筋が冷えた。


 (誰? 主人公って何?)


 数秒悩んだ結論。


 ——これ、何かの “物語” なんだ。


 喉が乾く。

 でも同時に、胸が高鳴る。


 物語なら、役がある。

 席がある。


 そして私は、その席に座った。


 記憶が、遅れて流れ込んでくる。


 この屋敷、学園、舞踏会。

 そして、ひとりの少女。


 平民上がりで、頭が良くて、誰からも好かれ始める “主人公”。

 彼女は努力で手を伸ばしてくる。

 手を伸ばすたび、私はそれを叩き落とした。


 笑って、見下ろして、取り巻きに命じて。


 奪い、失墜させる。

 味方を減らし、噂を流し、証拠を残さない。


 全部、娯楽みたいにやってきた。


 (……悪役令嬢かよ)


 思わず口の中で悪態が転がった。

 よりにもよって、ここ。

 主人公の邪魔をするためだけの席。

 拍手されるどころか、憎まれて終わる役。


 ふざけんな。


 私は幸せになりに来た。

 悪役を全うしに来たんじゃない。


 ——でも。


 視界の端に、さっきの数字が焼き付いている。


 -87。


 これが底なら、伸びしろがある。

 上げ幅がある。


 (うなぎ登り、最高じゃん)


 悪役令嬢の席が嫌なら、悪役令嬢の席のまま勝てばいい。

 物語の役目? 知らない。

 私は “満たされる” ために来た。

 そしてこの世界は、私の欲求を満たしてくれる。


 扉の外で、侍女が息をひそめている気配がした。

 この身体が恐れられているのは、記憶が教えてくる。


 恐れられて当然だ。

 ここで私は、弱い人間を踏むことで呼吸してきた。


 でも私は、踏むより先に——数字が欲しい。


 私は扉に向かって言った。


 「入って」


 侍女が入ってくる。

 顔色が悪い。

 私の手元を見ている。

 何かが飛んでくるのを待っている目だ。


 その怯えは、私の中で嫌な懐かしさを呼んだ。

 前の世界で、私はいつも人の顔色を読んで、怯える側だった。


 今は逆だ。

 怯えられる側。


 そして、怯えられるほど点数(数字)が伸びる可能性がある。


 私は唇を舐めた。

 “正しい謝罪” じゃない。

 “加点を取れる言葉” を選ぶ。


 「……今まで酷いことをした。あなたにも、皆にも」


 侍女の目が大きくなる。

 信じていない、期待していない。

 それでも空気が一瞬だけ動いた。


 視界の端に白い文字。


 好感度:-84(+3)


 胸の奥が甘く痺れた。

 呼吸が深くなる。


 たった三で、世界が少しだけ味方に見える。


 (上がる。ちゃんと上がる)


 侍女が、恐る恐る言った。


 「……お嬢さま……?」


 それが欲しかった。


 「本当よ」


 言い切る。

 言い切った瞬間、また数字が動く気がして心臓が跳ねた。


 私は理解した。

 これは善行の報酬じゃない。


 これは、承認の報酬だ。


 世間の目、使用人の目、学園の目。

 そして、主人公の目。


 私はここで成功する。

 好感度を上げて、拍手を手に入れて、必要とされて、幸せになる。


 悪役令嬢であることには不満がある。

 でも不満は、燃料になる。


 (見てなさい。物語だろうが何だろうが)


 私は、この席で勝つ。




 *




 ――侵入は静かだった。


 冷たい風が頬を撫で、濡れた石畳が靴音を吸う。

 香辛料と煙の匂い。

 鍛冶屋の鉄の音。


 いい。

 この世界は、ちゃんと生活している。

 整いすぎていないのがいい。

 生活の雑音がある世界は、自然に戻しやすい。


 執行官は地面に足をつけない。

 足をつければ馴染んでしまう。

 馴染めば、住人になる。


 住人化は禁則だ。


 ——それ以前に、つまらない。

 プレイヤーでいるほうが楽しい。


 視界の端に薄いUIが灯る。


 [接続] 学園都市

 [結果] 異常密度:0.41


 数字は中程度。

 でも、匂いは濃い。


 承認の匂い。

 外来者の匂い。

 "誰かに見られたい" と思うあまり、世界の布に爪を立てている匂い。


 執行官は笑わない。

 代わりに手袋の縫い目を整える。


 丁寧に、丁寧に。


 噂はすぐ拾えた。

 噂は異常へ吸い寄せられる。


 「公爵令嬢が最近、急に丸くなったって」

 「使用人に当たらなくなったって」

 「あの子への嫌がらせが止まったらしいよ」

 「図書室に本を寄贈したのも、あの人だって……」

 「……あり得ないだろ」


 執行官は心の中で頷いた。

 あり得ない。

 それが正しい。


 この世界の悪役には席がある。

 中心を邪魔する席。

 奪い、失墜させる席。

 席は世界の圧力で固定されている。

 席が勝手に “善く” なることはない。


 努力でも奇跡でもない。

 これは外部の力。


 視界ログが変化する。


 [対象] 外来者侵入

 [宿主] 悪役令嬢

 [難易度] C

 [注記] 好感度カウンタUIを検出


 通称、承認カウンタ。


 外来者が、世界に馴染む前に作る "足場" だ。

 足場があると錯覚できる。

 自分の力で立っている、と勘違いできる。


 執行官はその勘違いが嫌いだった。


 何者でもないものが、何者でもないまま、自分の力以外でのし上がる。

 そしてそれを自分の才能だと信じ込む。


 ——雑魚は雑魚、ゴミはゴミだ。


 それを思い知らせるのが、この仕事の醍醐味だった。


 自然に戻す。

 ただそれだけのはずなのに、どうしてこんなに楽しいのか。

 理由は簡単だ。


 落下は、美しい。



 執行官は学園へ向かう。

 門番は止めない。

 止められないように世界が書かれている。


 廊下は磨きが良い。

 権力の匂いがする。


 美しく引かれた絨毯、その空中で足を組み待っていること数秒。



 ——示し合せるように公爵令嬢が廊下の角から出てきた。


 柔らかい微笑。

 丁寧な足取りに落ち着いた瞳。


 だが目の奥に——数字を求める滾りがある。

 視線は相手の心ではなく、相手の反応に張り付いている。


 反応の奥にある承認を、数にして舐める目。


 執行官視界のログが変更される。


 [案件] 外来者の切除

 [内容] 世界保持/本来の人格を復元


 仕事は一瞬で終わる。


 でも、終わらせない。

 終わらせるのは最後だ。


 最後に一息で落とすために、その前を丁寧に楽しむ。


 「最近どう?」


 執行官が言うと、令嬢は一瞬だけ目を見開いた。


 「……あなたは、まず誰ですか」


 令嬢は足を止め宙に浮く男を訝しげに眺める。


 「名は、要らない」


 執行官は淡々と言った。


 「逆に君は今、自分が何者だと思ってる?」


 令嬢の口が開きかけて、閉じた。

 答えが出ない。


 出せないのは、答えが定まっていないからだ。


 執行官は、確信の言葉を落とす。


 「——好感度」


 令嬢の頬が硬くなった。

 胸の中を名指しされた顔。

 隠しているつもりの秘密を、あっさり拾われた顔。


 「……いったい何の話を」


 「君は善人になったんじゃない。承認を集めてるだけだ」


 令嬢の微笑が割れる。


 落ちる準備が整っていく。


 令嬢は引くのをやめ、強がるように言った。


 「私はここで成功する。幸せになる。悪役だろうが何だろうが関係ない」


 いい台詞だ。

 ゴミであるほどに、宣言が大きい。

 宣言が大きいほど、落ちたときの音は大きい。


 執行官は首をかしげて続けた。


 「それは自分の力で?」


 令嬢の目が揺れる。


 刺さった。

 刺さったのは、本人も “自分の力ではない” と薄く知っているからだ。


 執行官は一歩近づく。

 浮いたまま距離を詰める。

 距離が詰まるほど、恐怖は濃くなる。


 「君はこの席で奪って潰して笑ってきた。その席で好かれようとしてる。それが自然じゃない。自然じゃないものは、戻さないと」


 言い切る。

 ここからは処置だった。

 でも処置の手つきは、狩りの手つきになる。


 執行官は、まだ掌を閉じない。

 もう少し折る。

 雑魚がしがみついている “足場” を。


 令嬢の視界の端に数字が浮かんだ。

 彼女だけが見ていたはずの、命綱。


 好感度:-54(-13)


 令嬢の瞳が揺れた。

 上げたはずのものが下がった。

 理解できない顔。


 その顔がたまらない。


 「……っ、待って」


 令嬢は声を整える。

 丁寧な言葉へ戻す。

 “上がる言い方” を探す。


 「私は、今まで酷いことを——」


 好感度:-74(-20)


 言えば言うほど落ちる。

 正しさが正しさとして評価されない。

 承認中毒の人間にとって、これは酸欠だ。


 「違う、私は……!」


 好感度:-105(-31)


 呼吸が浅くなる。

 指が震える。

 数字があるから立っていられたのに、数字が落ちると地面が消える。


 執行官は穏やかに言った。

 穏やかさは優しさではない。


 ただ観察するために。


 「ほら。自分の力じゃない」

 「君は数字が上がってる間だけ “自分” を保てる。雑魚だよ」


 令嬢の唇が震える。

 否定したい。

 でも否定の言葉を選ぶ余裕がない。


 その余裕のなさが雑魚の証明だった。


 次に、貼りついていたスキルを剥がす。


 所作が崩れ、声の角が戻っていく。

 目線が泳ぎ、丁寧だった言葉が刺々しくなる。


 見た目も気が付けば、昔の姿に変わっていた。


 この世界で生きるための皮を剥がす。

 令嬢は令嬢ではなくなった。


 執行官は心の中で採点する。


 ——見た目は凡、中身は空。


 「……見ないで」


 執行官はその言葉が好きだった。

 承認を欲しがる者ほど、承認の仕組みを見られるのを嫌う。


 そこに矛盾がある。

 矛盾は、折れる。


 ここが最上位だった。


 「……だめ」


 令嬢が呟く。


 「お願い……」


 執行官は、丁寧に言った。


 「身の程を理解するべき」


 最後は一息で終わらせる。

 汚染は残さない。

 あるべき自然に戻す。


 執行官は両掌を合わせた。


 空気が紙を破るように鳴り響く。

 同時に、令嬢の優しさが剥がれ、賢さが剥がれる。


 令嬢は叫ぼうとして、言葉が崩れた。


 「待って……! 私は……私は……!」


 “私は” が途中で消える。

 外部の一人称は、この世界に根を張れない。


 そして、元に戻る。


 瞳が濁る。

 口角が嫌な形に上がる。

 呼吸に軽蔑が混ざる。


 "元の悪役令嬢" が席に座り直す。


 「……は? なにこれ。気持ち悪っ。誰よ、勝手に私の身体いじってたの」


 遠くにいた侍女が震えている。

 “奇跡” が剥がれ落ちたことを、その目で理解している。


 悪役令嬢は状況を数秒で飲み込んだ。

 そしてすぐ “役目” に戻る。


 「ふーん……あの子、最近ちょっと調子乗ってたよね」


 笑う。

 笑いながら指示する。

 それがこの席の力だ。


 「あの子の推薦状? 戻したって? 取り消して。教官は私に逆らえない」

 「図書室の本? どうでもいいけどむかつくから取り戻しなさい」

 「それと取り巻き。 今日から再開。 今度はもっと丁寧に。 証拠は残さない」


 世界が元の軌道へ戻っていく。

 主人公を潰す席が再起動する。

 自然は、残酷に正しい。


 執行官の視界にリザルトが映る。


 [完了] 異常密度 0.00%


 完璧だ。


 執行官は名乗らない。

 関係性を結ばない。

 住人にはならない。


 なぜなら、彼の仕事は物語の汚染を掃除することだから。


 ただ、誰にも聞こえない声で小さく言う。

 楽しげに、丁寧に。


 「ゴミはゴミ。ざまぁ」


 そしてログアウトした。

 

 次の世界へログインするために。



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