第五話 ── 意志は、折れず ──
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セルグは、しばらく動かなかった。
目の前には、
槍と矢を受け、
それでもなお立ち続けていた男の背中がある。
「……ヴァルド様」
声を張ることはしなかった。
「しばし、そのままの姿で待たれてください。
後ほど、丁重に……ご挨拶いたします」
返事はない。
それでも、誰も近づこうとしなかった。
カイルが剣を掲げる。
「全軍!」
声が湿地に響いた。
「これより追撃する。
ヴァルド様の意志を、我らが継ぐ!」
一瞬の沈黙。
だが次の瞬間、兵たちは応えた。
七将の生き残り。
その最後の将が散った。
だが、その散り際を見た兵たちの動揺は、
長くは続かなかった。
混乱していた士気は、
わずか数分で再編される。
誰かが命じたわけではない。
誰かが叫んだわけでもない。
ただ――
背中が、そこにあった。
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凱旋。
城門の前。
人々が集まり、声を上げる。
「勝ったぞ!」
「帝国は守られた!」
歓声は、波のように広がっていく。
セルグは、その様子を静かに眺めていた。
「……なぁ、カイル」
「どうした」
「民の気持ちというものは、
こうも変わるものなのか」
カイルは苦く笑った。
「撤退戦の時は、石を投げられたがな。
今回は……歓迎ムードだ」
「そうだな」
セルグは視線を落とす。
「だが、民には分からんだろうさ。
この勝利に、
ヴァルド様の死があったことは」
「……ああ」
カイルも、前を見たまま答える。
「そして、帝国貴族たちにもな」
しばらく、二人は黙って歩いた。
「彼の方の意志は、必ず継いでいく」
セルグが言う。
「無論だ」
カイルは即答した。
「そのためには――
あの貴族たちを、黙らせねばならん」
セルグが、小さく笑った。
「その通りだな」
そして、肩をすくめる。
「……さぁ、行きますか。
我らが“城内”での戦いに」
「だな」
二人は、王城へと歩き出した。
背後で、
勝利を祝う声が、いつまでも響いていた。
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王城・謁見の間。
高い天井に、足音が反響する。
「よく戻った」
皇帝レオニスが、玉座から言った。
「セルグ副将、カイル副将。
見事な勝利であった」
列席する貴族たちが、ざわめく。
「敵は四万。
それを退けたのだ。
帝国は救われた」
セルグとカイルは、並んで跪いた。
「……恐れながら」
セルグが、口を開く。
「勝利は、我らのものではありません」
一瞬、空気が止まる。
「ほう?」
「中央を守りきったのは、
ヴァルド・グラディウス将ただ一人」
その名に、貴族の間で小さな波紋が走る。
「彼が立っていたからこそ、
我らは戦列を保てました」
カイルが、続ける。
「その背中があったから、
兵は退かず、
敵は崩れました」
沈黙。
皇帝は、しばし二人を見下ろした。
「……ヴァルドは、
最後まで役目を果たしたか」
「はい」
二人は、同時に答えた。
「ならば、よい」
皇帝は、ゆっくりと言った。
「帝国は、彼を英雄として讃えよう」
その言葉に、
貴族の一人が、すかさず口を挟む。
「陛下。
彼の名を冠した勲章を設けては?」
「あるいは、
新たな軍制改革の象徴として――」
セルグが、顔を上げた。
「恐れながら」
声は低く、しかしはっきりとしていた。
「ヴァルド将は、
そのようなものを望まれぬ方です」
場が、再び静まる。
「彼は、
名のために立ったのではありません」
カイルも、続ける。
「民を逃がすために、
時間を稼いだだけです」
「帝国を飾るための死ではない」
皇帝レオニスは、指を組んだ。
「……では、
どうせよと?」
セルグは、迷わなかった。
「民を、守ってください」
「彼が守ったのは、
帝国という名ではなく、
その中に生きる者たちです」
長い沈黙。
やがて、皇帝は息を吐いた。
「……分かった」
「ヴァルドの名は、
都合よく使わぬ」
「そして――」
玉座から、静かに立ち上がる。
「帝国は、
再び同じ過ちを繰り返さぬよう、
軍制を改める」
貴族たちが、息を呑む。
「民なくして、
国は立たぬ」
その言葉は、
かつての命令よりも、
ずっと重く響いた。
セルグとカイルは、深く頭を下げた。
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謁見の間を出て、
長い回廊を歩く。
「……終わったな」
カイルが、呟いた。
「いや」
セルグは、首を振る。
「ここからだ」
二人は、歩みを止めない。
ヴァルドが、立ち続けた場所へ。
彼の意志を、
これからも通すために。
背後で、
王城の鐘が、静かに鳴っていた。




