第九話 記憶断片009-訓練
記録対象:ミハイル
訓練場は、かつての戦場跡地を改修したものだった。
赤茶けた土に鉄板が敷かれ、風に軋むテントが並ぶ。
空気には火薬と油の匂いが残っていた。
ミハイルは、教官の前に立っていた。
まだ幼さの残る顔に、表情はなかった。
ただ冷たい目で遠くを見ていた。
「銃を持て」
言われるがままに、彼はM9型の模造訓練銃を手に取った。
指先が迷うことなく、グリップを正確に握る。
「構え方はこうだ。腕は伸ばしすぎるな。肘を少し曲げて…」
教官が言い終える前に、ミハイルはすでにその通りに構えていた。
「…撃て」
乾いた音が響いた。
標的の中心に、正確に一発。
教官が目を見開いた。
「おい、今の…初めてだよな?」
ミハイルは何も答えなかった。
ただ、次の指示を待っていた。
その後の訓練でも、彼は言われたことを一度で理解し、完璧にこなした。
格闘では、教官の動きを見た直後に同じ動作を再現し、無意識に相手の重心を崩した。
戦術訓練では、配置図を見せられると、指示されたルートを最短時間で通過した。
だが、彼は自分から動くことはなかった。
命令がなければ、ただ静かに立っていた。
まるで、命令がなければ存在しないかのように。
「戦場の空気を、嗅ぎ分けている」
ノアが小さく呟いた。
彼はミハイルの冷たい目線の先に、過去の自分を重ねていた。
夜、テントの隅でミハイルは銃の分解整備を繰り返していた。
それも、教官に「やれ」と言われたからだった。
指先の動きは機械のように正確で、無駄がなかった。
その姿を見ていたノアは、ふと彼に問いかけた。
「お前は…何を見ている?」
ミハイルは答えた。
「敵の動き」
たった一言、それだけだった。
記録対象:アリーナ
アリーナは、エリザのそばで訓練を受けていた。
無線機の扱い、物資の管理、負傷兵への応急処置。
それらは戦場の“裏方”としての重要な任務だった。
「このコードは、敵の通信を遮断するの。覚えておいて。…大丈夫、あなたならできるわ」
エリザの声は、母が子に語りかけるように優しかった。
アリーナは小さく頷いた。
手は震えていたが、目は真剣だった。
最初は言葉も少なく、兄のそばから離れようとしなかった。
だが、エリザがそっと手を添えて教えるたびに、アリーナの表情は少しずつ柔らかくなっていった。
「これが包帯の巻き方。怪我した人が痛くないように、優しくね」
「うん…こう?」
「そう、上手よ。あなたはとても優しい子ね」
その言葉に、アリーナは初めて小さく笑った。
それは、戦場では見られない種類の笑顔だった。
夜になると、アリーナはミハイルの隣に座った。
兄の無言の存在だけが、彼女の世界の境界線だった。
だが、昼間のエリザとの時間が、少しずつその境界を広げていた。
「エリザね、今日ね、通信機のコード覚えたの」
ミハイルはただ黙って聞いていた。
それだけで、アリーナは満足そうに笑った。
エリザはアリーナに毛布をかけながら、そっと呟いた。
「この子たち…私たちに似てるね」
ノアは答えなかった。
彼もまた、ただ、遠くの空を見ていた。




