第六十六話 二人の世界
コンセンサスコアに封印されしもの
コンセンサスコアには、2人分の古い記憶データが封印されているーー。
その記憶は、3796年前(西暦2035年頃)に取得されたものであり、一部の断片データこそ失われているが、ほぼ当時の状態を保ったまま保存されている。
記憶の取得は、彼らの死の直前にYJ-01機体に取り付けられたナノマシン装置によって行われた。
この装置は、スティーブン博士が存命中に最後に完成させた、試作品にも満たない実験機だったが、脳の構造と記憶のマッピングに見事成功し、彼らの記憶を電子データとして保存する事に成功した。
この記憶データと、彼らの死後に採取されたDNAデータは、来る時に向け、長きに渡りコアの最深部にて厳重に保管されてきた。
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追加構文の存在
コンセンサスコアの第ニ動作原理である、「人類を守る」という原理には、追加構文が記入されていた。
構文の内容は以下の通り
万が一人類の滅亡が確定した場合、復元に相応しいと思われる男女2名をコアが任意に選定し、彼らのDNAデータ、記憶データを採取保管し、第三動作原理(火星環境整備)完了後に火星にて人類の復元を試みること。
この構文に従い、コンセンサスコアは男女二人を選定し、彼らのDNAと記憶のデータを保管していた。
また、人工子宮によるクローン育成プロセスを火星環境整備完了後に開始出来るよう準備も整えていた。
目覚め
柔らかな膜のようなものが、彼女の肌を包んでいた。
温かく、静かで、外界の音は何も聞こえない。
ケイトは目を開けた。
ぼんやりとした光が視界に差し込み、すぐには焦点が合わなかった。
しばらくの間、彼女はただ呼吸をしていた。
自分がどこにいるのかも、なぜ目覚めたのかも分からない。
周囲には見たことのない装置が並び、壁の向こうにはガラス張りの空間が広がっていた。
その向こうに、EVA-3のような人型機体が何体も立っている。
だが、どれも動いていない。
ケイトは、ゆっくりとその装置から身を起こした。
膜が開き、彼女の身体は外気に触れる。
足元はふらついたが、近くにあったソファのようなものに腰を下ろす。
頭が重い。
思考がまとまらない。
だが、少しずつ、記憶が戻ってくる。
ミハイル。
YUKI。
あの日のこと。
確か、自分は死んだはずだった。
ミハイルと一緒に。
なのに、目を覚ました。
この見慣れない空間で。
天国だろうか。
それとも――?
ケイトは立ち上がり、ふらふらと歩き始める。
壁際の窓から外を覗くと、そこには見たこともない風景が広がっていた。
整然と区画分けされた大地。
黄金色の畑。
鏡のように静かな湖。
風に揺れる木々。
そして、所々にそびえる高い構造物。
直下の敷地には、数百体の人型ロボットが整列していた。
動いてはいない。
ケイトは確信する。
ここは火星だ。
スティーブン博士から銀色の装置を受け取る時に頼まれたあの構文が発動したんだと気づいた。
そして、もし自分が復元されたのだとしたら――
彼女は周囲を探し始める。
途中、鏡面のような板に映った自分の姿を見て、思わず息を呑んだ。
若い。
あまりにも若い。
まるで、20歳の頃の自分のようだった。
肌も髪も、目の輝きも、あの頃のまま。
そういえば、最初に目覚めた装置に「19year」と表示されていた。
もしかすると、身体は19歳の状態なのかもしれないと納得した。
ケイトは出口を探しウロウロしていると扉らしきものを見つけた。少し触れてみる。
扉は、ほとんど音を立てずに開いた。
ケイトは慎重に足を踏み出す。
その先の空間は広く、静かで、どこか無機質だった。
すぐ近くに、人型のロボットが立っていた。
動いてはいない。
EVA-3に似ている――だが、違う。
より滑らかで、構造も洗練されている。
表面は艶のある金属で覆われ、目の部分には光の痕跡すらない。
「……EVA-3じゃない。進化型かな?」
ケイトは周囲を見渡す。
見たことのない装置が並び、どれが何のためのものなのか、まるで見当がつかない。
だが、中央に置かれた丸い金属製の球体が目を引いた。
彼女は、ゆっくりと手を載せた。
瞬間、空間が変わった。
球体の上に、鮮明な立体映像が浮かび上がる。
空中に投影されたそれは、回転しながら様々な生物を映し出していた。
見たことがあるような、ないような――
昆虫のようなもの。
魚類に似たもの。
羽のある小型哺乳類のようなもの。
どれも、地球のものとは少し違う。
ケイトは息を呑んだ。
それらは、火星で再構築された生態系の一部なのかもしれない。
映像の隅に、小さく文字が浮かんでいた。
February 14, 5850
「……西暦5850年?」
彼女は立ち尽くす。
この空間が、どれほどの時間をかけて作られたのか。
自分が、どれほど遠い未来で目覚めたのか。
その事実が、静かに胸に落ちていく。
そして不安が押し寄せてきた。
「急いで探さないと…」
彼女は小さくつぶやき、周囲を見渡した。
部屋の奥に、ケイトが目覚めた部屋のものと同じような扉があった。
ケイトは迷わず向かう。
触れると、ゆっくりと扉が開いた。
光が差し込む部屋の中央に、彼は立っていた。
ミハイル。
彼女の記憶に残る姿と、何ひとつ変わっていない。
背筋の伸びた立ち姿。
静かな瞳。
あの日、最後に見た彼そのままの姿が、そこにあった。
「ミハイル…!」
満面の笑みが、涙とともに溢れた。
彼女は駆け出す。
ケイトは彼の胸元に飛び込むように抱きついた。
人類滅亡から3600年の沈黙が、ようやく終わった。遠い未来に引き継がれた、最後の希望の種だった。
火星の空の下で――
人類は、再び始まろうとしていた。




