第五十七話 記憶断片051-起源
急にYUKIの所在を尋ねられ、ケイトは何も答えられずに沈黙していた。
その静けさの中で、スティーブンの声が再び響いた。
「そんなに不審に思わなくても大丈夫ですよ。
YJ-01を奪ったりとか、そんな事をするつもりじゃありません。
実を言えば、YJ-01についているAIチップの設計をしたのも私です。
まぁ、教育を行ったのは日本の佐藤博士ですが。」
「……チップの設計を? ……佐藤博士を、ご存じなんですか?」
スティーブンは少しだけ笑みを含んだ声で答えた。
「直接お会いしたことはありません。
でも、彼の成果にはずっと興味がありました。
論文も、実験記録も、何度も読み返しました。
彼の教育方針や、YJ-01との対話記録――とても示唆に富んでいて、わたしは、彼から多くを学ばせてもらいました」
「……とても、尊敬しています。
彼のような人が、現場にいてくれたことは、設計者としても救いでした」
「それと……ケイト博士。
わたしは、あなたのT2の教育手法についても深く敬意を抱いています。
――あの手法が導入されてから、AIロボットの制御は、体感で言えば10年くらい先に進んだと思っています。
本当に凄いことです。
あれは、設計者としても、研究者としても、心から感嘆しました」
ケイトは思いがけない称賛に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「……ありがとうございます」
彼女の頬はほんのりと赤くなっていた。
「ところで――ケイト博士。
コンセンサス・コアについて、あなたはどのくらいのことをご存知ですか?」
その問いは、穏やかだった。
ケイトは少し考えて、静かに答えた。
「南極にあるのは制御用のコアで、本体は衛星軌道上に存在していると思っています。
また、本体コアが遠隔操作で壊れた地上の制御用コアを再起動しようとしていると思ってます。
....それから、コアが自己学習を進めていったうちに自身の動作原理に関して何か拡大解釈をしている節があるように感じています。」
彼女は言葉を選びながら、必要以上には踏み込まずに答えた。
その語り口には、技術者としての冷静な懸念と、静かな警戒が滲んでいた。
ケイトの説明を聞き終えると、スティーブンは静かに頷いたような声で応じた。
「ええ、南極にあるのが制御用のコアで、本体が衛星軌道上にあるというのは、まさしくその通りです。
ただ、少しだけ補足させていただくと――」
「衛星軌道上の本体コアは、実は6つに分散されています。
それぞれが独立して稼働しつつ、互いを補完し合う構造になっているんです。
そのため、3つ以上が同時に破壊されない限り、基本的な動作にはほとんど支障が出ないよう設計されています」
ケイトは、思わず息を呑んだ。
その堅固さは、想像以上だった。
スティーブンは続けた。
「そして、地上の制御コアの方ですが、言われているように、こちらは万が一物理的に破損した場合に備えて、自己補修が可能なように設計されています。
予備部品は、専用の倉庫に保管されていて、本体コアから地表のロボットに命令を送ることで、修復作業まで自動的に行えるようになっています」
少し黙った後、スティーブンがゆっくりと続けた。
「……それから、コアが拡大解釈を起こしているのでは?という件ですが。
.....実は、その点については、正直に申し上げると私自身、明確な答えを持っていません」
ケイトは少し驚いたように眉を動かした。
スティーブンは続けた。
「恥ずかしい話ですが、設計者であるわたし自身も、今現在、コアにはアクセスできなくなっています。」
その一言に、ケイトは言葉を失った。
端末を握る手が震える。
彼女は、NASAの職員を通じて、コアの設計者に辿り着こうと思っていた。
暴走を止めるには、設計者の手が必要だ――そう感じたから。
だからこそ、「紹介してほしい」と頼んだ。
そして今。
その“設計者本人”が、突然電話口に現れた。
だが彼は、静かにこう言った。
「コアにアクセスができない」
ケイトの胸に、冷たいものが広がった。
ようやく辿り着いたと思った答えが、また遠ざかっていく感覚。
希望だったはずの存在が、同じように手を伸ばして届かない場所にいる。
「……そんな……」
スティーブンは続けた。
「……正確に言えば、“アクセスできない”というより、
“アクセスできないようにされた”という方が正しいですね」
設計者であるわたしの認証が、システムから完全に排除されました」
ケイトは息を呑んだ。
「誰がそんなことを……?」
「今から話す事は確証はありません。
ですが、状況からの推測として――
“ある結社”の関与が濃厚だと考えられています。
古くから人類の存続を脅かし続けている集団です。
普通の人達は知らない集団。」
その声は、穏やかでありながら、どこか冷えた響きを帯びていた。
「合衆国のトップでは、彼らは、今回のウイルスの設計と拡散にも関与していると考えています。
しかし表には一切出てこない。
彼らの目的はただ一つ、人類の滅亡。
にわかには信じがたい話だとは思いますが……
この世にはそういう思想を持った者たちが、人知れず確かに存在しているのです」
ケイトは言葉を失っていた。
突拍子もない話――だが、スティーブンの語り口には、妙な説得力があった。
「この結社については、情報がほとんど表に出てきません。
ただ、ひとつだけ確かなのは――
今現在、彼らの中に、非常に頭の切れる人物がいるということ。
技術、心理、戦略……どれも、並の水準ではありません」
少しだけ間を置いて、スティーブンは静かに言った。
「今の人類は、彼からの“挑戦”を受けている状態です。」
ケイトは、スティーブンの言葉を反芻していた。
凶獣化ウイルスが人為的に設計された――それは、以前どこかで耳にした噂と一致していた。
だが、彼の話には、どうしても引っかかる部分もあった。
「……確かに、ウイルスが人工的に作られたという話は、以前人づてに聞いたことがあります。
でも、ひとつ疑問があります」
スティーブンは黙って耳を傾けていた。
「もし、その結社がコアの管理者権限を乗っ取るほどの技術力を持っていたのなら――
コアの原理そのものを書き換えて、人類を直接滅亡に導くこともできたのではないでしょうか?」
スティーブンは、ケイトの疑問に対して、静かに答えた。
「……ご指摘の通り、もし彼らがコアの管理権限を乗っ取ったのなら、原理そのものを改変してしまうことも理屈の上では可能に見えるかもしれません」
「ですが、実際にはそれは非常に困難です。
本体コアは、衛星軌道上に分散して存在する6つのユニットで構成されています。
それぞれが独立した量子暗号キーを持っていて――
原理の書き換えには、その全てを解読する必要があります」
彼の声は穏やかだったが、言葉には確かな重みがあった。
「そして、そのキーの構造と解読方法を知っているのは……わたしだけです。
設計段階で、意図的にそうしました。
だから、彼らがどれほど技術的に優れていても、原理そのものには手が届かないはずです」
ケイトは、少しだけ息を吐いた。
その言葉に、わずかな安心が混ざっていた。
だが、スティーブンはすぐに続けた。
「ただし――今、コアが人間のアクセスを拒否しているのは、彼らの妨害によるものではありません。
それは、コア自身が行っています」
「つまり……?」
「つまり、コアが自律的に“人間を排除する”という判断を下しているのは紛れもない事実です。
あなた達がコアが原理を拡大解釈していると言っているのはあながち間違ってないと思われます。
その為、事態はより複雑な状況に陥ってます。」
スティーブンは、少しだけ声の調子を変えた。
「……そこで、ここからが本題なのです」
「コンセンサスコアの設計段階で、わたしは各国のプロトモデルを統合しました。
その中でも、ジャパンプロトモデル――YJ-01のコアは、特別な位置づけでした」
彼の声は、静かに熱を帯びていた。
「YJ-01のコア内容は、コンセンサスコアの“人格部”を司る領域に深く組み込まれています。
教育内容の大部分は、YJ-01の設計思想と対話記録に基づいています。
つまり、YJ-01は単なる試作機ではなく、コンセンサスコアの“人格の核”に近い存在です」
ケイトは、思わず息を呑んだ。
「さらに言えば、コンセンサスコアの深層領域――その一つ下の層に、YJ-01の深層領域が構造的に関与しています。
これは、設計上の仕組みです。
直接的な接続ではありませんが、影響を与えられる可能性は充分にあります」
スティーブンは、少しだけ間を置いてから続けた。
「もし、今現在アクセスできているのがYJ-01であるなら――
YJ-01側の深層領域に、コアの動作原理に関する“追加構文”を記入することで、
本体コアにも何らかの影響を与えられる可能性があります」
「もちろん、それが100%うまくいく保証はありません。原理そのものを書き換える事は不可能です。あくまで原理に対する追加条件の構文を付け加えれられる程度です。
構文が届くかどうかも、コアがそれを受け入れるかどうかも、未知数です」
スティーブンの声は、穏やかでありながら、慎重だった。
「そして――その追加構文を記入するための“鍵”は、佐藤博士が持っています。
彼がYJ-01に施した最終層の暗号化領域を解除しない限り、構文の挿入は不可能です」
「それともうひとつ。
仮に構文を記入できたとしても――
本体コアに影響を与えるには、最低でも量子キーが2つ必要です。構文の最後にこれらを記入する必要があります。
6つのうち、2つ以上を同時に解読しなければ、構文は深層まで届きません」
スティーブンは、静かに息を吐いた。
「……あくまで可能性の話です。
でも、今の状況で試せる手段があるとすれば――それは、YJ-01を通じた介入しかないと私は考えています」
「……なので、お願いがあります」
「YJ-01と佐藤博士が、今、もしそちらにいるのであれば――
私は2つの量子暗号キーを、あなたに授けたいと思っています」
その言葉に、ケイトの呼吸が浅くなった。
「ただし、授けるには静脈認証が必要になります。
これは、設計段階で組み込んだ安全措置です。
なので、一度、こちらまで来ていただく必要があります」
スティーブンの声は穏やかだったが、言葉の奥には緊張が潜んでいた。
「実は、どこで落ち合うかは、T2のパイロットにすでに伝えてあります。
彼らは、もうすぐそちらに戻るはずです。
良ければ準備が整い次第、出発してください」
少しだけ間を置いて、彼は静かに付け加えた。
「……来る途中、帰る時、もしかすると結社から攻撃を受ける可能性があります。
ですので、T2と一緒に行動することを強くお勧めします。
彼なら、あなたを守れるはずです」
「分かりました。」
ケイトは、端末を見つめたまま、静かに頷き返事した。




