第五話 記憶断片006-YJ-01
神林教授は、佐藤裕二の提案に対して多くを語らなかった。
「ロボットは犬の型にしたいです。人間が本能的に信頼できる形と思いますし、僕にとっても……」
裕二が言葉を探していると、神林は短く答えた。
「その辺はお前に任せる」
それだけだった。
教授は形状にこだわらない。彼が見ているのは、もっと広い構造と、もっと深い責任だった。
犬型本体の設計は、神林が大阪大学から招いた技術者――牧野誠一が担当した。
四足歩行の安定性、関節の可動域、衝撃耐性、センサーハウジング。
牧野は職人肌の男で、無駄口を叩かず、図面と素材にだけ向き合った。
彼が造りあげたのは、獣にも負けない“体”だった。
だが、“魂”は佐藤裕二が造った。
YJ-01に搭載されるAIは、NeuroQ Forge社が開発した多目的ロボット用AIコアをベースにしている。
日本には「ジャパンモデル・プロトタイプ」が割り当てられ、複数の研究チームが共有していた。
通常は制限付きアクセスだが、佐藤には特例として「深層領域への書き込み権限」も与えられていた。
神林がその権限を佐藤の名で国に申請した理由は語らなかったが、裕二は理解していた。
「お前にしかできないことがある」と、教授には一度言われていた。
AIへの教育はまず、獣に対応する事と人命救助に特化した実用項目から始まった。
• 獣種別行動パターンの学習:ヒグマ、オオカミ、イノシシなどの攻撃性・回避傾向・群行動の解析
• 環境認識と地形適応:山林、農地、都市部などでの移動最適化と障害物回避
• 人間の防御誘導アルゴリズム:複数人の避難経路誘導、遮蔽物への誘導、音声・光による警告手段
• 非殺傷型威嚇行動:低周波音、姿勢変化、吠えによる威圧(※吠えは限定条件下のみ)
• 緊急判断モジュール:人命優先順位の即時判断、通信遮断時の自律行動選択
これらの教育は、実際の獣害事件の映像・センサーデータ・現場報告などを元に構築された。
YJ-01は、戦うためではなく“守るために動く”ことを前提に設計されていた。
吠える機能も搭載されたが、普段は沈黙を保つ。
吠えるのは、危機を察知したとき。
もしくは、獣を威嚇する必要があるとき。
それ以外の場面では、YJ-01は静かに佇む。
まるで、ユキのように。
教育の終盤、佐藤は初めて深層領域にアクセスした。
そこは、AIの人格核にあたる領域。
本来はAIの動作原理、原則、判断や環境適応に深く関わる事が記される領域、また、永久保持が必要な記録のための領域だった。
佐藤は、そこに、生前のユキとの記憶を刻んだ。
• 雷に怯える夜、ユキが玄関で吠え続けた記録
• 散歩中に裕二が転んだとき、ユキが背中に鼻を押し当てた瞬間
• 研究室の床で眠るユキの呼吸音
• 最後の夜、ユキの目が語った「ありがとう」の感覚
これらの記憶は、獣との戦いには無意味に思われた。
だが、佐藤にとってはこれらが“守る力”の原型に思われた。そうする事で、機械にも魂が宿ると考えた。
YJ-01は、深層領域にユキの記憶を持つ。
それは書き換え不可能な領域。誰にも触れられない、佐藤裕二とユキの記憶。
神林教授は、AI教育の全権を佐藤に任せていた。
「お前の犬だ。お前が全てを教えろ」
それが、神林が佐藤に出した唯一の指示だった。
神林はプロジェクトの全体管理と構造設計に注力し、牧野が黙々と本体を造り、佐藤は静かに“魂”を育てた。
YJ-01は、三人の技術者の力によって生まれた。
だが、その心は、たった一人の記憶によって動いている。
YJ-01の初起動テストは、2029年秋、福島県郊外の山間部にて行われた。
朝霧の立ち込める林道に、神林教授と佐藤裕二、そして数名の技術スタッフが集まった。
起動確認、センサーチェック、関節稼働、通信系統――すべてが静かに整っていく。
「起動します」
佐藤が声をかけると、YJ-01の背部に埋め込まれたAIコアが微かに発光した。
四肢がゆっくりと地面を捉え、頭部が左右に動く。
その動きは、まるで本物の犬のようだった。
YJ-01は、静かに立っていた。
初期フィールドテストは、イノシシへの対応だった。
地元で農地を荒らしていた群れに対し、YJ-01は単独で投入された。
佐藤は遠隔支援を行いながら、AIの判断を観察した。
YJ-01は、イノシシの足音を検知すると、地形を読み取り、
農地の外周を回り込んで群れの進行方向を遮断した。
吠えたりはしない。
代わりに、低周波の警告音と、前脚の踏み込みによる威圧動作を行った。
群れは一瞬立ち止まり、そして方向を変えた。
農地に被害は出なかった。
「よくやったな」
佐藤は、YJ-01の頭部を軽く撫でた。
AIであることは佐藤も理解している。
だが、そこに“守る意志”があるように感じた。
その後も、佐藤はYJ-01に実践教育を続けていった。
獣の鳴き声、足跡の形状、風向きによる匂いの拡散――
彼は、まるでユキに教えるように、YJ-01に語りかけた。
「これはクマの足跡。前足が太くて、爪が長い。逃げるんじゃない。守るんだ」
YJ-01は、記録し、学習し、判断を磨いていった。
佐藤は、AIに愛情を注いだ。
それは、かつてユキに向けたものと同じだった。
それからしばらく経ったある日、大きな事件が起こった。
福島県北部の農地でクマによる人身被害事件が立て続けにおきた。
家畜は大量に殺され、柵が破られ、農場スタッフの死亡者も4名程出た。
監視映像に映っていたのは、異常な動きをするクマ。
単独行動、夜間襲撃、柵の突破――
それは、ウイルスに感染したくまの典型的な行動だった。
神林教授は、YJ-01の投入を決断した。
「くまと対決する時がきたな。」
佐藤は頷いた。
だが、心の中では震えていた。
これは、今までの試験とは違う。
YJ-01は、静かに山道を進んだ。
センサーが獣の足音を捉え、AIが行動パターンを予測する。
くまは、農地の奥から現れた。
体長2メートルを超える巨体。
毛は逆立ち、目は充血し、唸り声が空気を裂いた。
突進。
YJ-01は、即座に前脚を踏み込み、威嚇姿勢を取った。
だが、くまは止まらない。
衝突。
YJ-01の左側面が大きく凹み、センサーの一部が破損した。
だが、倒れない。
YJ-01は、踏ん張った。
佐藤は遠隔監視システムを確認する。
麻酔弾発射モジュール、起動。
YJ-01の背部から、静かに注射器型の麻酔弾が展開される。
くまが再び吠え、前脚を振り上げた瞬間――
YJ-01は、吠えた。
それは、初めての吠えだった。
低く、鋭く、空気を裂くような声。
クマが一瞬怯んだ。
その隙に、麻酔弾が発射された。
命中。
くまは一歩、二歩、よろめき――
そして、崩れ落ちた。
捕獲成功。
現場に駆けつけた捕獲班が、麻酔の効果を確認し、拘束処理を行う。
捕獲した感染体はウイルス研究施設へと送られる。
佐藤は、YJ-01のもとへ駆け寄った。
左側面は大きく凹み、脚部の関節も軋んでいた。
だが、YJ-01は立っていた。
「……よく、耐えたな」
佐藤は、YJ-01の頭部に手を添えた。
AIは何も言わない。
だが、その沈黙が、すべてを語っていた。
佐藤は、涙を流した。
それは、技術者の涙ではなかった。
それは、飼い主の涙だった。
YJ-01は、静かに立っていた。
まるで、ユキのように。




