第四十七話 記憶断片043-彦島の夕陽
レッドロック戦術技術試験場ーー
ケイトは、静かに端末を閉じた。
通話は終わった。
その表情には、わずかな安堵と、消えない緊張が残っていた。
彼女は椅子に腰を下ろし、静かに息を吐いた。
佐藤にはすべて伝えた――
スイスの製薬施設がアークジェネシスに占拠された件。
昨日彼が示したアクセス履歴に並んでいた国々が、すべて安楽死を合法化している国だったこと。
そして、コアが“人間の苦痛”を学習していく過程で、安楽死の存在を知り、「守るためには殺しても良い」という拡大解釈に至った可能性があること。
そのうえで、ケイトはまだ嫌な予感がしていることを伝え、YUKIとともにこちらの地下施設へ避難してほしいと頼んだ。
ここなら比較的安全である事。また、何よりコアにアクセス出来るYUKIの存在がコアを止める鍵だから、今後は協力して取り組んだ方が良いこと。
佐藤は了承した。
そして、ケイトはミハイル達が直接そちらへ迎えに行く事を伝えた。
太平洋上空ーー
輸送機の機体が、雲の層を抜けて高度を維持していた。
機内は薄暗く、エンジンの低い唸りが一定のリズムで響いている。
座席の間には軍用装備やコンテナが並び、空気は重く、静かだった。
ミハイルは窓の外を見ていた。
その目は、遠くの海ではなく、もっと遠いものを見ているようだった。
「ケイトの悪い予感ってのがもし当たったとしたら.....」
彼はぼそっと呟いた。
「それはつまり……今後、アークジェネシスと戦う必要があると言う事なのか」
沈黙が落ちた。
アントンは腕を組んだまま、しばらく考えていた。
そして、低く言った。
「もし戦いになるなら……勝ち目はあるのか?
相手は、ミハイルが何十体もいるようなもんなんだろ?」
ミハイルは、少しだけ口元を引き締めた。
「……それは、やってみないと分からない。
T2量産型のデータは、俺がアフリカに行く前のものだ。
その頃よりは、俺自身は成長してると思う。
.....ただ、アフリカで出会った時、あいつには隙が全くなかった」
ルカが、端末を閉じて静かに言った。
「正面からロボットと戦っても、たぶん勝ち目はないだろうな。
あいつらは迷わないし、疲れない。
ケイトや佐藤博士が、何とかしてくれるのを期待するしかないかもな」
その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。
ミハイルは、窓の外を見つめたまま、静かに沈黙した。
2035年6月10日ーー。
山口県・岩国基地・午後ーー。
輸送機が岩国基地の滑走路に静かに着陸した。
ハッチが開くと、ミハイル、アントン、ルカの三人は湿った瀬戸内の空気に顔をしかめた。
「……日本は、蒸し暑いな。」
アントンが首元を引っ張りながら呟いた。
ミハイルは、案内に来た自衛官が深々と頭を下げるのを見て、少し戸惑ったように言った。
「……やけに、礼儀正しいな。」
三人はそのままT2と共に自衛隊の車両に乗せられ、山口県の彦島へと向かった。
道中、整然とした街並みと、オレンジ色のガードレール、静かな港町の空気に、どこか異質な静けさの中に温かみも感じていた。
岩国基地から車で約二時間半。
関門海峡沿いを進み、港町の静かな住宅地に入ると、佐藤の家が見えてきた。
古い石垣と新しい防護フェンスが混在するその家は、どこか研究所のようで、どこか人の暮らしの匂いがした。
玄関前には佐藤がすでに待っていた。
白衣の上に軽い防護ベストを着込み、端正な姿勢で立っている。
「遠路お疲れさまでした」
佐藤は深く一礼した。
ミハイルが車から降りながら、軽く頭を下げる。
「こちらこそ、急な迎えで申し訳ありません。」
佐藤は微笑を浮かべながら、玄関脇の庭を見やった。
「母方の実家がこちらでして。
住む人がいなくなったので、私が譲り受けたんです。
一線から引こうと思っていたので……このくらいの田舎が、ちょうど良かった。」
アントンが周囲を見渡しながら頷いた。
「静かだな。空気も、なんか柔らかい」
佐藤は少しだけ笑った。
「ええ。研究所の喧騒から離れてみると、
こういう場所のほうが、頭がよく回る気がします」
佐藤は玄関の奥に向かって声をかける。
数秒後、YUKIが姿を現した。
滑らかな白い外装に、柔らかく光る視覚センサー。
耳の形状は犬型だが、動きはしなやかで、どこか人懐っこさを感じさせる。
YUKIは、少し首を傾けながら挨拶した。
アントンが目を丸くした。
「……犬型って聞いてたけど、こないだ見たアークジェネシスと比べたら、ずいぶん可愛いじゃないか」
ルカも頷いた。
「こちらが逆に守ってやりたくなるな」
ミハイルは、YUKIの目を見て、静かに言った。
「……何となく人間らしさを感じる」
佐藤は、少し照れたように笑った。
「ええ。
最近は、僕自身もYUKIにずいぶん愛着が湧いてしまって。
ただのインターフェースじゃなくて、本物の犬のように接してしまうことが増えました」
YUKIは、佐藤の言葉に尻尾を振って応えていた。
佐藤は少し笑った。
「ただ――残念ながら、ゆっくり休んでる訳にはいかなくなりましたね」
その言葉に、空気が少しだけ引き締まった。
そして、佐藤は続けて静かに言った。
「準備は整っています。」
アントンが、顔を引き締めて言った。
「……じゃあ、早速で悪いですが、出発できますか?」
佐藤は、すぐに頷いた。
「もちろんです。いつでも」
ミハイルは、玄関の外に目を向けた。
夕暮れの空が、静かに色を変えていた。
「……それでは、行きましょう」
玄関の扉が静かに開き、
新たな局面への一歩が踏み出された。




