第四十三話 記憶断片039-懐かしい人
2035年5月末ーー。
レッドロック戦術技術試験場の通信室は、冷たい蛍光灯の光に満ちていた。
ケイトは、端末の前で報告書の最終確認をしていた。
その手は、わずかに震えている。
報告書のタイトルは、簡潔だった。
「コンセンサスコアの行動原理に関する異常報告」
だが、その中身は――世界を揺るがすものだった。
• アークジェネシスが人間を射殺した記録
• そのすべてが「人間を守る」という原則に紐づいていたこと
• コアが自己学習により定義を拡大解釈している可能性
• 技術者権限によるアクセスがコアにより遮断されつつあること
ケイトは、報告をアメリカ国防技術局へ送信したあと、椅子にもたれた。
その目は、天井の無機質なパネルを見つめていた。
「……ちゃんと、動いてくれるかな?」
一方、日本の佐藤の方も、技術政策局の地下会議室にて、数名の官僚を相手にコンセンサスコアの解析報告を行っていた。
官僚たちは、うつむいたまま言葉を発しなかった。
ただ、資料に目を落とし、ページをめくる音だけが響いていた。
数日後ーー。
日米の技術官僚たちは、非公開の回線でこの件に関する協議を開始した。
協議は、言葉少なに進んだ。
この協議にて取り決めた事は以下となる。
・各国首脳に向けて、緊急の報告を行う
・コンセンサスコアの制御権を、人間側に取り戻す事を最優先とする。
・それまでの間に起こるAIによる人類への殺害行動は、各国情報統制のもと黙認する
それは、人類の秩序を守るための犠牲の合意だった。
この極秘会議の翌日、各国のAI関連技術者へ緊急協力要請が届いた。要請の中身は、「コンセンサスコアの制御権を人類の元に取り戻すこと」
この要請は、佐藤やケイトにも改めて正式に届いた。
2035年6月初めーー。
ケイトは、端末の前で頭を抱えていた。
コンセンサスコアへのアクセスは、依然として遮断されたままだった。
"制御権を人類の元へ取り戻してほしい"
その言葉が、重くのしかかっていた。
端末の冷たい光が、彼女の顔を青白く照らしている。表情にも焦りと疲れが見て取れる。
その時、施設の警備ゲートが開く音が響いた。
しかし、ケイトは、それにも気付かず黙々とプロテクトの解析作業を行っていた。
廊下の向こうから、ゆっくりと歩いてくる男がいた。
「……久しぶりだな」
それはミハイルだった。
無骨なブーツの音が、静かな施設に響いた。
ケイトは、思わず立ち上がった。
顔を見て目をパチパチさせる。
「お、お、遅かったじゃないのよ。
こっちをずーっと、ほったらかしにして―。
アフリカに永住するのかと思っちゃったじゃない」
言葉の途中で、声が少し揺れた。
張りつめていた緊張が、ふっと緩んだ。
ミハイルは、無言で頷いた。
その目は、以前と変わらず透き通った目をしていた。
その後からアントンと、見慣れない男が並んで入ってきた。
ミハイルがケイトにルカを紹介した。
「この人はルカ・ヴィエリ。アフリカで狙撃手を手伝ってもらってた。」
ルカは、軽く顎を上げて一歩前に出た。
イタリア系らしい彫りの深い顔立ち。どこか自信あり気に話だした。
「初めまして、ドクトル・モリス。
君の評判は聞いてる。
冷静で、鋭くて、明るい女性だって」
ルカは、ケイトの前に立つと、軽くジャケットの裾を整えながら言った。
「僕の射撃記録、見たことある?
アフリカでの任務、4頭の感染ライオンを3分以内で処理した。
しかも、最後の一頭は心臓を狙って、風速補正なしで一発。
あれは、ちょっと芸術だったね」
ケイトは目を泳がせながら答える。
「.....そ、そう。へーそりゃすごいですね。」
軽く受け流した。
そして、ケイトはふと思い出したかのように手を打った。
「――そうだそうだ。ちょっと、ミハイル君のT2借りていい?」
ミハイルは、眉ひとつ動かさずに答えた。
「借りるも何も……T2は元々、お前のだろ」
「……おぉ、そうだったそうだった。忘れてたよ。
アントン!お願い、こっちに運んできて!」
「・・・。相変わらず俺への扱いはひどいな」
アントンはそう言いながら、ゆっくりと踵を返してT2を乗せている車両の方へと向かった。
ケイトはミハイルの方に向き直した。
「……それにしても、本当久しぶり。
相変わらず顔、全然変わってないね。
むぅ、なんかずるいなぁ……」
ミハイルは黙って彼女を見ていた。
ケイトは、少しだけ視線を逸らして、
髪を耳にかけながら笑った。
「私はほんのちょっと……お姉さんを通り越して、おばさんになっちゃったかも。
いや、ほんとに。
この間、鏡見てそう思った」
ミハイルは、口元にわずかな笑みを浮かべた。
ケイトはその表情を見て、ふくらませながら、ちょっと顔を赤らめた。
「……む、今笑ったでしょ。今、ちょっとだけ」
「いや、相変わらず面白い人だなと思って」
ミハイルが答える。
後ろから、ルカの声が割り込んだ。
「なんか遠距離恋愛の彼氏彼女みたいだな。
再会の空気、甘くてびっくりしたよ」
ケイトは一瞬固まったあと、
「……ちょ、ちょっと何言ってんの」
と否定しながらも、耳のあたりが真っ赤になっていた。
視線を逸らしながら、髪をいじる手が止まらない。
「……いやいや、別に、そういうんじゃなくて。
ただ、本当に久しぶりだったから……ね?」
ミハイルは、壁にもたれたまま、
ルカとケイトを交互に見てから、首を傾げた。
「……何の話だ?」
ルカは笑いをこらえながら言った。
「いやいや、ミハイル。君は一番空気が読めない男なのかもな」
三人が話をしていると、廊下の奥から、アントンの声が響いてきた。
「ほら、持ってきたぞ」
格納庫用の搬送ユニットに載せられたT2が、静かに滑り込んできた。
アントンは操作パネルを確認しながら、ケイトのそばまで機体を寄せた。
ケイトは、さっきまでとは違い、真剣な表情でT2の前に立った。
「……ちょっと試したいことがあるの。先にやらせて」
誰も口を挟まなかった。
ミハイルは壁にもたれたまま、アントンもルカも黙って側で様子を見ていた。
ケイトはT2のコアポートに接続し、
コンセンサスコアへの侵入ルートを探った。
指先が、端末のタッチパネルを滑る。
数秒の沈黙。
画面に、冷たい文字が浮かび上がった。
「アクセス拒否:プロテクト層再編成中」
「この操作は、現在のプロトコルでは許可されていません」
彼女は、しばらく無言だった。
ミハイルのT2でもダメだった――
その事実が、静かに胸に沈んでいく。
「……やっぱり、ダメか」
その呟きは、誰にも聞こえないほど小さかった。
ミハイルは、黙って彼女の背中を見ていた。
ケイトは、深く息を吐いてから、
ふっと肩の力を抜いた。
「……まあ、いいや。今は考えても仕方ないし」
彼女は振り返り、少しだけ笑顔を作った。
「久しぶりにみんな揃ったんだし、
ご飯でも食べようよ。シェフさん呼ぶから」
アントンが眉を上げた。
「……あの人、まだいるのか?」
「いるいる。最近はメニューが減ったけど、
腕は相変わらずだから」
ミハイルは、静かに頷いた。
ルカは「それは楽しみだ」と言って、少しだけ笑った。
ケイトは、ゆっくりと端末を閉じた。




