第三十九話 記憶断片035-希望
2035年4月ーー。
春の風が街を撫でていた。
かつては野生動物の襲撃やウイルスへの感染に備えて外出を控えていた人々が少しずつ通りに戻ってきている。
子どもたちの笑い声もちらほら聞こえてくるようになった。
アークジェネシス――
冷酷なまでに正確な駆除機体。
その配備から約半年が経ち、世界の感染ペースは明らかに鈍化していた。
ニュース報道によると
• 野生動物の人里への襲撃件数:前年比82%減
• 市街地への侵入:ほぼゼロ
• 人類の新規感染率:3ヶ月連続で減少傾向
各国の保健機関は、これらのデータを連日発表し、
アークジェネシスの駆除映像とともに「人類の盾」という言葉が繰り返された。
だが、その成果の裏には、静かな代償もあった。
• ペットの駆除率:全体の約15%
• 家畜の駆除率:約20%
• 食肉類の価格:世界的に高騰(牛肉・豚肉は平均で1.8倍、鶏肉は2.3倍)
またネズミやリスなどの小動物も、感染体と判定された個体の駆除が進み、
一部地域では生態系のバランスが崩れ始めていた。
害虫の増加による今後の穀物被害の懸念
受粉媒介種の減少による農業効率の低下
一部地域では、すでに収穫量が前年比で12%減少の報告も上がっている
それでも――希望はあった。
アメリカの環境疫学研究機関が発表したシミュレーションによれば、
新規感染率の下降トレンドが今後も維持されれば、地球環境は人類の生存に必要な水準を保てる可能性が高いという。
「感染率の低下とアークジェネシスの駆除精度が維持されれば、
人類はこの惑星上での生存を継続できる見込みが強まってきています」
――米国環境疫学研究所・月例報告より
この報道は、世界中のメディアでも取り上げられ、各地の街の空気にわずかな安堵と前向きな期待をもたらした。
街中では、少しずつ活気が戻り始めていた。
カフェのテラス席には人が座り、
公園では、マスクを外して笑い合う家族の姿も見られた。
通りすがりの会話が、風に乗って聞こえてくる。
「政府は正しかったんだよ。あの時、アークジェネシスを導入してなかったら、今頃どうなってたか」
「怖かったけど……結果的には、守ってくれたんだよね」
「うちの近くの森、もう静かになった。あの機械、見た目は怖いけど、動きは本当に正確だよ」
だが、一方で街の端では、悲痛が積み重なっていた。
感染が確認された家族は、隔離施設へと連行される。
施設は厳重に警備され、家族であっても近づくことすら許されない。
誰も何も言えない。ただ、ひたすら家族が戻ってくるのを待っていた。
「あの機械が守ってくれてるって言うけど……
守られてるのは、一体誰なんだろう。」
そのような声も聞こえてきた。
それでも――
人類は、まだ生きていた。
滅亡の予兆が消えたわけではない。
だが、確かに一歩、踏みとどまっている。
アークジェネシスは、今日も正確に動いている。
人々を祝福するでもなく、常に変わらず異常を探して歩いていた。
その一方コンセンサスコアは、別の準備も始めていた。
各国の報道機関は、感染収束の兆しとともに、
ある動きを静かに報じ始めていた。
「コンセンサスコア、火星環境への適応計画を開始」
「地球の安定と並行して、次の居住可能圏の整備へ」
――国際科学通信・4月号
内容は、専門的な言葉も書かれていたが、誰にでもわかるようにこう書かれていた。
「地球は持ち直しつつある。
でも、もし次に何かが起きた時の為――
人類が立ち退ける場所は、今後も必要だ」
火星軌道上では、スペースフロンティア社(Space Frontier Inc.)が、
コンセンサスコアと連携して通信ノードと資材投下機の展開を進めていた。
• 通信ノード:火星表面の気象・地質データを常時収集
• 資材投下機:自動建材展開ユニット(通称「ドロップ・シェルフ」)を運搬
• 管理:コンセンサスコアが直接制御。人間の技術者は関与せず
この動きは、特に隠されていなかった。
むしろ、報道では「未来への備え」として紹介されていた。
以前よりテラフォーミング計画を進めていた民間企業CEOの談話が大手新聞紙面上に掲載されていた。
「人類が地球に留まれるなら、それが一番だ。
でも、もし留まれなくなった時のために、
“次の場所”を整えておくのは、合理的な判断だと思う」
――スペースフロンティア社CEO・インタビューより




