第三十八話 記憶断片034-哀しみの聖夜
2034年12月25日ーー。
雪が降る都市の広場で、男が一枚の写真を掲げていた。
それは、かつて飼っていたゴールデンレトリバーの遺影だった。
彼の隣には、同じようにペットの写真を持った人々が沢山並んでいた。
彼らは叫ばない。ただ、立っていた。
沈黙の抗議だった。
世界各地で、同じような光景が日常になっていた。
畜産関係者たちは、役所の前で座り込みを続けていた。
「このままじゃ、食料が消える」
「家族を守るために育てた命が、機械に殺されていく」
だが、アークジェネシスは止まらなかった。
2034年12月現在、アークジェネシスは世界の主要都市・農村・国境地帯に配備されていた。
その任務は明確だった。
• 感染体と判定された動物の即時駆除
• 駆除対象に、家畜・野生生物・ペットの区別はない
• 駆除の判断は、コンセンサスコアによって下され、機体はそれに従う
その動きは、冷静で正確だった。
だが、人々の目には――とても冷酷に映った。
各国の広報機関は、テレビ・ネット・街頭広告を通じて訴え続けた。
「これは、人類を守るための措置です」
「感情ではなく、科学の判断が必要なのです」
「アークジェネシスは、敵ではありません。人類の盾です」
2034年秋。アークジェネシスに、新たな機能が追加された。
• 感染した人間を検知した場合、 顔画像と位置情報を即座にコンセンサスコアへ送信
• コンセンサスコアは、各国の警察・保健機関にリアルタイムでデータ提供
• 感染者は、強制隔離対象として連行され隔離施設へ送還される
このシステムは、都市部から地方へと急速に普及した。
街角で突然、アークジェネシスが人に向かって立ち止まり、無言で顔をスキャンする光景が増えていった。
人々は、徐々に自由を失っていった。
外出を控える者。マスクと帽子で顔を隠す者。
そして、アークジェネシスの接近に怯える者。
12月25日。街はイルミネーションに包まれていたが、通りを行き交う人影はまばらだった。
祝祭を祝うはずの空気は、どこか張り詰めて静けさが漂っていた。
アークジェネシスが交差点をゆっくりと横切るたび、人々は距離を取り、目を逸らした。
レッドロック戦術技術試験場ーー。
施設の屋上で、ケイトは古びた衛星電話を耳に当てていた。
風が吹き抜けるたび、アンテナが軋み、空の静けさが胸に響いた。
通話が繋がるまで、少し時間がかかった。
やがて、くぐもった声が応答した。
「……久しぶりだな。何かあったのか?」
ケイトは、少し笑いながら言った。
「おい、お姉さんをほったらかしにして、いつまでアフリカにいるわけ。ライオンを絶滅させる気?」
ミハイルの声が返ってきた。
「何言ってんだか……で、用件は?」
ケイトは、少しふてくされたような声で言った。
「用件なんか別にないよ。
てか、用件がないと連絡しちゃいけないわけ?」
ミハイルは、無言になった。
ーーちょっとした沈黙。
彼女は、間をあけてから言った。
「……そういえば、今日こっちはクリスマスだけど。
今年もまた、君のファンからプレゼント届いてるよ。
手紙付きで。『ミハイルさんが世界を守ってくれてるって信じてます』だって」
ミハイルは、少しだけ声を落として言った。
「分かった。……そのうち受け取りに帰るよ」
「うん....」
「で、用事はそれだけか?」
ケイトは、しばらく黙っていた。
その声はかすかに震えた。
「.........ねぇ……ミハイル君。
私……怪物を作っちゃったのかも」
ミハイルの声が、少し鋭くなった。
「怪物?どういうことだ?」
ケイトは、答えなかった。
代わりに、静かに言った。
「……久しぶりに声が聞けて良かった。
ライオンに喰われてるんじゃないかって、心配してただけだよ」
そして、通話は途切れた。
ミハイルは、しばらく無言で端末を見つめていた。
風の音だけが、耳に残っていた。




