第二十七話 記憶断片024-赤目
2030年4月25日ーー。
グレイフォール渓谷ーー。
乾いた岩肌と風に削られた断崖が連なるグレイフォール渓谷。
T2のセンサーが起動し、ミハイルは視界の端に熱源感知モードを展開した。
赤外線の輪郭が、岩陰や草むらの温度差を浮かび上がらせる。
「熱源、散在してる。小型の動物も混じってるが……」
ミハイルの声に、アントンが通信越しに応じた。
「地図送った。北東の岩棚、風の通りが悪い。
そこに群れてる可能性が高い。
逃げられた場合は南側のくぼ地に追い込め。
遮蔽が多くて、動きが制限される」
T2の視覚データはリアルタイムでアントンの端末にも送られていた。
彼は地形と熱源の分布を照らし合わせ、指示を送る。
「……前方、複数の熱源。小型。移動速度は緩い」
アントンの声が通信に乗る。
「位置、南東の草地。風下。
群れだな。角の形状からして、通常種の鹿だ。
一応、接近して確認しろ」
T2が岩陰から姿を現すと、草地に群れる十数頭の鹿が一斉に顔を上げた。
その瞳は、黒く澄んでいた。
「目が赤くない。こいつらは違う」
ケイトが端末を覗き込みながら言った。
「感染個体は、眼球の血管が異常に拡張する。
赤目が目印だよ。あと、体温も高い。
……こいつらは、普通のやつ」
ミハイルはT2を静かに引かせ、群れを刺激せずに離脱した。
数分後――
「こちらミハイル、北側の岩棚。熱源、異常値。
体温がさっきのやつより高い。移動速度も速い。」
T2が岩棚をゆっくり回り込むと、そこにいた。
赤く爛れた目を光らせた、大角鹿の群れ。
通常種よりも一回り以上大きく、筋肉の膨張が異常だった。
角は裂け、皮膚は硬化していた。
「……感染個体だ」
アントンの声が低くなる。
「風下から回り込め。
一頭目、左前脚に古傷。動きが鈍い。
右斜め上から射線を取れ。
二頭目は群れの中心。警戒が強い。
逃げられないよう気をつけろ。」
ミハイルはK2を滑るように動かした。
岩肌を踏み、跳ね、銃口が静かに標的を捉える。
一発。
一頭目の急所に、タングステン弾が突き刺さる。
即座に動き直してもう一発
一頭目が倒れる前に、二頭目の急所へも命中
倒れる音は、他の鹿を動揺させる間もなかった。
「次、左後方。三頭目、跳躍準備中。」
ミハイルは指示されるより先に動いていた。
T2の腕部がわずかに傾き、銃口が軌道を補正。
発射。跳躍の瞬間、首元に命中。
「四頭目、逃走開始。南のくぼ地へ。
遮蔽に入る前に仕留めろ」
T2が加速。脚部の補助スラスターが一瞬だけ噴き、
岩を蹴って射線を確保。
発射。遮蔽に入る寸前、後頭部に直撃。
ケイトはアントンの後ろからその一連の動きを見ていた。
端末の記録が追いつかないほどの速度。
「……ミハイル君、すごいのね」
アントンは笑いながら言った。
「だから最初に言ったろ。あいつは戦場で育ったと」
時間にしてわずか3分。
赤目の大角鹿、10頭。
すべて、急所一撃で仕留められていた。
通信が入る。
「完了だ。戻ってこい」
アントンの声は、いつも通り冷静だったが、どこか誇らしげだった。
ミハイルはT2の脚部を動かし、岩場を抜けて帰還ルートに入った。
風が吹き抜ける渓谷の中、彼の動きは静かだった。
二人の元へ戻ったミハイルは、T2のハッチを開けて降り立つと、
ヘルメットを外しながら言った。
「……流石にちょっと挙動に違和感はあったな。
でも、相手があの程度の動きなら、まだなんとかなるかな」
ケイトは端末を閉じ、ミハイルの顔を見つめた。
「これは頼もしい。
……君は本当に世界を救えるかも」
アントンは何も言わず、ミハイルの背中を一度だけ叩いた。
ケイトはふっと笑い、空を見上げた。




