第十六話 記憶断片014-砂嵐の向こう
2030年3月16日ーー。
風が変わった。
昼過ぎから空は黄褐色に染まり、地平線の向こうで砂が渦を巻いていた。
ノアは気象データを確認しながら、出発のタイミングを見極めていた。
「前縁が来るのは21時前後。風速は上がるが、視界はまだギリギリ保てる。
その隙を突く。敵の目も耳も、砂に奪われる」
エリザが頷き、風向と地形の照合を終えた。
「ビリ・クンバ周辺は遮蔽物が少ない。
風が抜ける分、音も拡散する。接近には有利だけど、通信は不安定になる」
ノアはアリーナに目を向けた。
「通信は任せる。中継機の周波数は手動で調整しろ。
風が強くなったら、短波に切り替えてもいい」
「了解。ログは全部残します」
アリーナは端末を抱え、冷静に答えた。
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夕方、隊員たちは装備を整え始めた。
全員に防砂ゴーグルが支給された。
ミハイルとルカはフェイスマスクを首に巻いた。
アントンは念入りに地図を確認する。
マリクは位置記録ビーコンの動作確認をしていた。
「視界は1キロ未満になる。
赤外線と熱感知が頼りだ。
敵が動いても、音は風に消える。
……逆に、俺たちも見えなくなる」
ミハイルが言うと、ルカが笑った。
「つまり、誰も見えない夜に、誰かを見に行くってわけだ。
詩的だな。死ぬほど」
マリクは無言でマガジンを確認し、アントンは短く言った。
「接近は徒歩。車両は岩陰に隠す。
帰りは風が強くなる。時間との勝負だ」
20:15ーー。
ミハイルたちは、キャンプを静かに出発した。
車両は無灯火で進み、約1時間後、ビリ・クンバ近郊の岩陰に到着。
そこから先は徒歩だった。
「ここからは音を立てるな。風を味方につけるんだ。」
アントンが低く言った。
ミハイルは熱感知スコープを起動し、周囲の温度分布を確認した。
「風で熱が流れてる。地面の温度が不安定だ。
……でも、あそこ。微かに反応あり」
マリクが音響センサーを肩にかけながら笑った。
「風の音に紛れて、何かが鳴いてる気がする。
……動物か、機械か、わからんけど」
ルカは無言でゴーグルを調整し、フェイスマスクを深く被った。
彼の動きは正確で、無駄がなかった。
風が一段と強くなった。
砂が舞い、地面が揺れるような錯覚を起こす。
アリーナの通信が耳に届いた。
「こちらキャンプ。風速上昇中。視界は600メートル。
通信は安定。周波数そのままで大丈夫。
……気をつけてね」
ミハイルは短く応答した。
「了解。これより接近開始」
4人は、風の中へと歩を進めた。
砂嵐の縁に身を潜めながら。
そして、ビリ・クンバの廃井戸地帯が、
夜の闇の中で静かに姿を現し始めた。
しかし、ここに来て風がさらに強くなった。
砂が横殴りに吹きつけ、ゴーグルの縁を叩いた。
アントンは手信号で隊を止め、耳元の通信機に指を添えた。
「こちらデルタ偵察班。現在、廃井戸地帯の外周に到達。視界は……」
彼は言葉を切った。
通信機から返ってきたのは、ノイズ混じりの断続音だった。
「……アリーナ、応答願う。こちらミハイル。聞こえるか?」
「……ヒール……風速……ノアが……」
声は途切れ、砂嵐の唸りに飲まれた。
マリクが肩越しに言った。
「電波、跳ねてるな。地形の反射か、風の帯域干渉か……どっちにしても、まともに通らねえ」
ルカは短く言った。
「このまま進むか?」
アントンは一瞬だけ考えた。
通信機の周波数を手動で切り替えながら、再び呼びかけた。
「こちら偵察班。通信不安定。ログは保存中。
……これより接近を継続する。応答が復旧次第、報告する」
ノイズの奥で、微かにアリーナの声が返った。
「……了解……記録……気をつけて……」
それだけだった。
風が唸り、砂が舞い、空が揺れていた。
アントンは手を上げ、隊を再び前進させた。
通信は途切れがちだったが、任務は止まらなかった。
キャンプーー。
通信棟の中で、アリーナは端末に向かって周波数を手動で調整していた。
砂嵐の帯域干渉が強まり、ミハイルたちとの通信が断続的に途切れていた。
「……こちらキャンプ。風速上昇中。視界600メートル。応答願います……」
ノイズが返ってくる。
アリーナは眉をひそめ、ログを保存しながら再接続を試みた。
その時、キャンプの防衛システムの警報が鳴った。
司令部の壁に設置されたモニターが赤く点滅し、
**熱源感知**の表示が浮かび上がった。
司令部にいたノアが即座に反応した。
「……何だこれは。数が多い。それに人間の動きじゃない」
彼は端末を操作し、熱源の分布を確認した。
キャンプの外周全域に、異常な熱反応が広がっていた。
ノアは即座に医療テントへ向かった。
「エリザ、今すぐアリーナを連れてここを離れろ。
何かが来てる。……数が異常だ」
エリザは医療器具をまとめながら返事した。
「了解。すぐ行くわ」
その時、キャンプの外から叫び声が響いた。
現地の人々が、砂嵐の中を駆けてくる。
「Libaax Dhiigle!Libaax Dhiigle!」
ノアは外に出て、現地の人々を避難させようとした。
「こっちだ!司令部へ集まれ!急げ!」
だが、風の向こうに、低く唸るような咆哮が混じっていた。
ノアは振り返り、視界の端に黒い影を見た。
キャンプ全体が、凶獣化したライオンに囲まれていた。
その動きは、獣のそれではなかった。
滑るように移動し、目は赤く、体は異常に膨張していた。
ノアは銃を構え、空へ向けて発砲した。
「下がれ!近づくな!」
咆哮が返ってきた。
ライオンたちは一瞬動きを止めたが、また、すぐにじりじりと距離を詰めてきた。
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エリザは通信棟に駆け込んだ。
「アリーナ、出るよ。今すぐ!」
アリーナは驚いた顔で振り返ったが、エリザの表情を見てすぐに立ち上がった。
「……ど、どうしたの?」
「囲まれてる。ライオン。普通じゃない」
エリザはアリーナの手を引き、外へ出た。
風が顔を叩き、砂が視界を奪った。
だが、遠くに見える影は、確かに獣の形をしていた。
2人は現地の人々とともに、司令部の方へ走った。
ノアが銃を構えて立っていた。
背後に、避難してきた人々が身を寄せ合っている。
「こっちだ!急げ!」
ノアの声が風に裂かれながら響いた。




