第十二話 記憶断片011-初陣
2027年11月2日ーー。
記録対象:ミハイル・コルネンコ
場所:ガザ
中東の火薬庫は、再び火がついた。
数年の沈静化を経て、イスラエルとガザ地区の武装勢力との衝突が再燃。
AI兵器の密輸ルートと聖地を巡る終わらない争いは、国際社会の目を盗みながら再度激化していた。
アメリカ政府は、公式には沈黙を保ちつつ、傭兵部隊を極秘投入。
その中に、ノア率いる「チームデルタ」がいた。
任務は明確だった。
ガザ郊外の廃工場地帯に潜伏する武装組織の幹部3名の排除。
作戦時間は夜。
天候は不安定。
敵の装備は旧式ながら、地の利と狂信がある。
そしてこの夜、16歳の少年――ミハイル――が、初めて“前線”に立つ。
砂嵐が近づいていた。
夜のガザ郊外は、風に巻き上げられた粉塵で視界が曇り、廃工場の輪郭さえぼやけていた。
ミハイルの指先は汗ばんでいた。
グローブ越しでもわかるほど、手の震えが止まらない。
廃工場地帯の瓦礫に身を伏せながら、彼は呼吸を整えようとしたが、肺がうまく動いてくれなかった。
「デルタ、前進。目標建物まで残り80。ミハイル、アントンの補佐に入れ」
ノアの声が通信に響く。冷静で、容赦がない。
ミハイルは無言で頷き、アントンの背後に滑り込む。
三脚を展開し、風向きと照準を確認。
視界は悪い。砂塵が舞い、建物の輪郭が歪んで見える。
「熱源スキャン、頼む」
アントンの声も、どこか硬い。
ミハイルは端末を操作し、建物内部の熱源を確認した。
「……三体。二階南側。動きはなし。……あれ?」
画面の端に、妙な熱源が一瞬だけ映った。
人型ではない。屋根の上を滑るように横切った。
「……なんか、でかいのが通ったかも。屋根の上」
ミハイルは軽く言った。
アントンはスコープから目を離さず、「風のせいだろ」とだけ返した。
ミハイルもそれ以上は言わなかった。
今は、撃つことだけに集中すべきだった。
銃声が夜を裂いた。
一人目の標的が倒れる。残り二人が応戦を開始。
マリクが突入し、爆破音が響く。煙が立ち込め、視界がさらに悪化する。
「脚、やられた……ミハイル、位置交代!」
アントンの声に反応し、ミハイルは狙撃位置に滑り込む。
スコープの中、敵の顔が窓から覗いた。
撃て。
撃たなければ、誰かが死ぬ。
ミハイルは引き金を引いた。
銃声。沈黙。
標的は崩れ落ちた。
「残り一名、確認できない」
マリクの声が通信に乗った。
ミハイルはドローン映像を切り替え、建物の北側通路に熱源を探す。
そこに、異様な死体があった。
肉が裂け、骨が砕け、壁に叩きつけられたような痕跡。
銃撃ではない。爆破でもない。
何か、もっと原始的な力――
「……俺たちの弾じゃないな」
マリクが呟いた。
ルカが屋根を見上げる。
「さっき、何か通ったよな。でかいやつ」
ミハイルは端末を見直す。
熱源はもう消えていた。
「……まあ、幹部は全員排除できた。結果が全てだ。」
ノアの声が通信に戻る。
誰も異論は言わなかった。
作戦は成功した。幹部三名、排除確認。デルタ班は負傷二名、死亡なし。
ミハイルは初めて“人を殺した”。
誰もそれを口にしない。ノアは無言で通信を切った。
キャンプの空気は、血と薬品の匂いに満ちていた。
廃工場での作戦から戻ったチームデルタの面々は、順に医療テントへ運び込まれていた。
エリザは無言で止血処置を続け、アリーナは消毒液を補充しながら、負傷者の顔を一人ずつ確認していた。
「裂傷、右脛。縫合準備。次は……」
エリザの声は冷静だった。だが、手の動きはいつもより速かった。
彼女は、ミハイルの名前が報告に含まれていたことを知っていた。
無事だと分かっていても、実際に顔を見るまでは、何かが胸の奥でざわついていた。
アリーナも、兄の名前を聞いていた。
だからこそ、何も言わずに包帯を巻き続けていた。
泣く理由はない。でも、笑うにはまだ早い。
テントの入口が開いた。
ミハイルが、ゆっくりと歩いて入ってきた。
血はついていたが、自分のものではなかった。
顔は疲れていたが、目はしっかりと前を向いていた。
エリザは、手袋を外すこともなく、彼を見た。
そして、ほんの一瞬だけ、息を吐いた。
「……よかった」
それは、誰に向けた言葉でもなかった。
だが、ミハイルには届いた。
アリーナは、包帯を持ったまま立ち尽くしていた。
兄の姿を見て、何か言おうとしたが、言葉が出なかった。
代わりに、ほんの少しだけ笑った。
その笑顔は、無邪気さを装ったものではなく、心からのものだった。
ミハイルは、何も言わずに頷いた。
それだけで、十分だった。
エリザはすぐに次の処置に戻った。
アリーナも、手を動かし始めた。
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その夜、ミハイルはテントの隅に敷かれた簡易ベッドに横になった。
装備は片付けられ、通信機も外していた。
天井の布越しに、外の風の音が微かに聞こえる。
彼は、何も考えなかった。
撃った感触も、あの影も、今は遠くにあった。
ただ、静かだった。
身体が重く、まぶたが自然に落ちていく。
そしてミハイルは――
このキャンプに来て以来、初めて
何の警戒もなく、深く、静かに眠った。




