第十一話 決意
2027年秋ーー。
夜の空気は、訓練キャンプの鉄骨を冷やしていた。
風が吹くたびに、格納庫の屋根が軋み、遠くで誰かが銃の分解音を響かせていた。
ミハイル・コルネンコ、16歳。
明日、初めて戦場に立つ。
彼は自分からこの場所に来たわけではない。
2024年、ドバイのオークションでノアに“買われた”――いや、救われた。
だが、それが何を意味するかを理解するには、時間がかかった。
傭兵になることを望んだわけではない。
選択肢はなかった。
命令に従うことだけが、生きる術だった。
アリーナを守る為にも。
医療棟の裏で、エリザが待っていた。
彼女は毛布を抱え、ミハイルの足音に気づくと、静かに顔を上げた。
「寒いでしょう。…明日、出るんだってね」
ミハイルは頷いた。
それだけだった。
エリザは、少しだけ言葉を選びながら続けた。
「あなたがここに来たのは、自分の意思じゃなかった。
ノアが…あなたたちを連れてきたとき、私は怒った。
子どもを戦場に連れてくるなんて、って」
彼女の声は、少し震えていた。
「実は私もノアも…昔、あなた達と同じように戦争孤児だったの。
家も、家族も、全部失って。
結局、ノアは、戦場にしか居場所を見つけられなかった。
私は…ここで誰かを守ることで、自分を保った」
ミハイルは、少しだけ目を見開いた。
ノアと彼女の過去を、初めて知った。
「私は、あなたたちには死んでほしくない。
本音を言うと戦場で生きるしかなかった私たちとは、違う道を見つけてほしいと思ってる。」
「....逃げ出しても、いいんだよ。」
その言葉は、母親のようでもあった。
ミハイルは、何も言えなかった。
ただ、毛布を受け取った。
その夜、ミハイルがテントへ戻ると、アリーナが待っていた。
彼女は両手を背中に回し、にこにこと笑っていた。
その笑顔は、少しだけ作り物のようだった。
「お兄ちゃん、明日出るんだよね?すごいね。かっこいいよ」
ミハイルは頷いた。
アリーナは、足元の砂をつま先で蹴りながら続けた。
「みんな、きっとびっくりするよ。お兄ちゃん、すごいから。
…敵なんて、すぐやっつけちゃうよね」
その声は明るかった。
だが、言葉の端に、わずかな震えがあった。
「……」
アリーナは口を開きかけて、何も言わずに唇を噛んだ。
言いたいことがあるのに、言ってはいけないと自分に言い聞かせるように。
ミハイルが一歩近づくと、彼女は慌てて笑顔を作った。
無邪気なふりをして、
その笑顔は、少しだけ歪んでいた。
瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
ミハイルは何も言わず、そっと彼女の頭に手を置いた。
アリーナはその手に少しだけ頬を寄せて、目を閉じた。
出撃の日の朝ーー
ミハイルは司令棟の前に立っていた。
扉の向こうでは、ノアが端末に向かって作戦図を睨んでいた。
その背中は、いつも通り無機質で、冷たい鋼のようだった。
ミハイルは、少しだけ躊躇してから、足を踏み入れた。
ノアは振り返らなかった。
だが、ミハイルの足音に気づいていたのは間違いない。
「…ノアさん」
声は、思ったよりも小さかった。
ノアは端末から目を離さず、短く返した。
「何だ」
ミハイルは、言葉を探した。
だが、頭の中に浮かんでいたのは、エリザの言葉だった。
――ノアも、戦争孤児だった。
――戦場にしか居場所を見つけられなかった。
それを聞いたとき、ミハイルの中で何かが変わった。
ノアの冷淡さが、少しだけ違って見えた。
それは、感情を捨てた者ではなく、感情を抱えたまま沈めた者の姿だった。
「…エリザさんから聞きました。
あなたも、昔…僕たちと同じだったって」
ノアは、数秒だけ沈黙した。
そして、ゆっくりと端末の電源を落とした。
「そうだ。だが、それが何だ」
ミハイルは、答えられなかった。
ただ、胸の奥に何かが灯っていた。
それが何なのかは、まだ分からなかった。
「…だから、僕たちを助けてくれたんですか?」
ノアは、ようやくミハイルの方を見た。
その目は、冷たいままだった。
けれど、どこか遠くを見ているようでもあった。
「理由は、必要か?」
ミハイルは、少しだけ目を伏せた。
そして、静かに言った。
「…ありがとうございました」
司令棟を出たミハイルは、早朝の冷気の中に立ち尽くしていた。
空は雲に覆われ、太陽は見えなかった。
それでも、彼の視線は遠くを見ていた。
ノアの言葉は、少なかった。
冷たく、簡潔で、感情を拒むような響きだった。
だが、その目の奥に、ミハイルは何かを見た。
それは、かつて誰にも見せなかったもの――
沈められた痛み、失われたもの、そして残された責任。
ミハイルは、自分がこの場所に“望んで”来たわけではないことを知っていた。
選ばれたのでもない。
拾われたのだ。
それでも今、自分の足で立っていることに、意味があるような気がした。
生きると決めた者だけが、そこに立てる。
ミハイルは、初めてそう思った。
正しいかどうかは、まだ分からない。
けれど、ノアの背中を見たとき、
エリザの声を思い出したとき、
アリーナの沈黙に触れたとき――
彼は、自分の中に灯ったものを、否定しなかった。
戦場で生きる。
誰かの命令ではなく、自分の意志で。
それはまだ小さな火だった。
だが、確かに燃え始めていた。




