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第六話『制裁は徹底的に』

 一本の線が引かれているようだった。それは明確にビアンカと世界を分け、お前は異物なのだと突きつける。まるで鏡に手を当てて向こう側を見るみたいに、決して触ることのできない隔たりがあった。育ての親である祖母にさえ感じる疎外感。

 春の日差しも、夏の風も。秋の音も、冬の空も。親も兄妹も友人も。得て当たり前だと思いたかった。身を焼くほどの異物感なんて知りもせずに、それらを享受出来たらどれほど良かったかしれない。なのに世界は羨ましかろうと嘲笑って、ビアンカを孤独へと追いやっていく。この場に居るべきではないと、希死念慮にも似た焦燥が止まないのはいつからだっただろう。


 豪雪の大陸を訪れてから数日。ビアンカは自身の下駄箱の前で眉根を潜めた。朝日が大扉から差し込み、不機嫌そうなビアンカの顔を照らし出す。


「ほんと幼稚……」


 世界は、遅まきながら自分に干渉しようとしているらしい。ほんとクソ野郎。

ビアンカは下駄箱の中にある上履きに敷き詰められた画鋲を見て毒づいた。スカートのポケットからケースを取り出す。指を刺さないように画鋲を自前のケースに入れるこの行為にも、もう随分と慣れたものだった。金色の針の形をした悪意が、ジャラリと音を鳴らす。


 嫌がらせは、エニフェルに呼び止められてから始まった。今までどんなことをしても、どれだけ目立とうとしても誰の視界にも入らなかった自分に会いにきた黒髪の麗人。赤い炎を宿した瞳は、ただビアンカだけを見る。


 ーーお前の名前はビアンカだ。


 水無瀬雪乃という、顔も覚えていない両親からつけられた名前に対する感情は、最早嫌悪に近かった。誰が呼んでも違和感しか感じなくて、拒絶反応すら起こる。なのにどうしたってその名は自分を示す識別名称で、自分は水無瀬雪乃以外の何者でもない。

 けれどエニフェルは、容易く否を突きつけた。知らない名前。なのに何故、泣きたくなるほど懐かしく思うのか。音と声がしっくりくるのか。身体中が歓喜で震えて。あぁ。そうか、と理解する。私はずっと。ずっとずっとずッッッッッッとこの名前で呼ばれたかった。

 彼女の言葉を、前世の話を信じる理由は、それだけで充分だった。


 そうしてビアンカは、エニフェルに連れられて二人で出かけた。途中から葉月が合流したものの、それは三人以外知り得ないことだ。エニフェルはこの学園の人気者で、しかして誰とも連まない孤高の存在だった。高嶺の花と憧れの眼差しを常に向けられ、彼女に近付きたい生徒は後を経たない。

 エニフェルに見そめられたビアンカが彼等の嫉妬の対象になるのに、そう時間はかからなかった。どこにいても向けられる妬みの視線。けれどエニフェルのお気に入りである自分に手を出すのは流石に不味いと分かるのか、大半の生徒は遠巻きにビアンカを見るだけだった。

 だから、こんな稚拙で低レベルな嫌がらせをするのは馬鹿か向こう見ずだけだ。相手にするのも時間の無駄な悪意。そんなのを気にしてるだなんて思われたくなくて、連日続くこの嫌がらせを、ビアンカはエニフェルに伝えずにいる。

 ビアンカは何食わぬ顔をして教室の扉を開けた。突き刺さる数々の視線を無視して自席に座る。今日もまた、退屈な日常が始まろうとしていた。一度聞けば覚える内容を、懇切丁寧に教示するのはこの学園が名門校であるからか。しかしてそれは、教科書を読むだけで理解できる優秀な脳みそを携えたビアンカには不必要なことだった。ビアンカはいつも通り、窓の外を眺め時間を浪費する。やがて終業のチャイムが鳴り響いた。いつの間にか、どうやら四時間目が終わったらしい。どうりで腹が減っているわけだ。


「ーーでも本当、あんな人の何処が良いの?」


 ビアンカがいそいそと鞄から弁当を取り出して机に置いた時、聞こえよがしの声が彼女の耳に届いた。いやらしく口角を上げてそう言うのは、明るい茶髪を巻いた女生徒、阿波薫。彼女の三人の取り巻きがクスクス笑う。


「宝石商の孫とはいえ、私以上の地位もないくせに火条先輩に近付くなんて、恥ずかしくないのかしら」

「薫様の言う通りです。次期総理と名高い阿波国家議員の娘である薫様以外に、火条先輩にお似合いな方はいらっしゃいません!」

「きっと火条先輩は騙されているのです!」

「そうね……。もしくは」


 彼女達が画鋲を巻いたことは既に知っていた。あれでまだ隠し通せていると本気で思っているのだから驚きだ。ビアンカは小さく溜息をつく。


「私達が思ってるより、火条先輩は見る目がないのかも。あんな女の媚びに騙されるなんて、あの人もたかが知れたわね」


 そして、逡巡の迷いもなくビアンカはケースから掴み取った画鋲を薫達に投げつけた。


「きゃあ!?」


 ビッと投げた画鋲の何個かが彼女達の肌を切り付ける。あまり深くない傷に舌打ちをした。仕留める気はなかったが、軽傷なのも気に入らない。へたり込んだ薫が吠える。


「いった……。な、何するのよ!!」

「お返ししようかと思って」

「はぁ!?」


 すまし顔のビアンカに薫達は信じられないものを見る目をした。他の生徒達も何事かとこちらを見て言葉を失う。シンッと教室が静まりかえる。失敬な。貴方達よりは余程まともだ。


「何言ってんの? 私達はこんなもの知らないわ!」

「そうですか。……でも、貴方がたの言い分はどうでも良いんです」


 被害者ヅラする彼女達に、ビアンカはかつ、と床を鳴らして距離を詰めた。座る彼女の顎に手をかけて見下ろす。薫が小さく悲鳴を上げた。


「私に向ける嫌がらせも、なんとも思いません。でも貴方はさっき、火条先輩を貶めた。それは許されないことです」


 画鋲に乗る悪意が可愛く思えてしまうほどの、暗くて重い害意が水縹色の瞳を冷たく光らせる。


「……というか、貴方は此処にいる暇があるんですか?」

「はぁ?」


 訝しげに睨んでくる薫に、ビアンカは自身のスマートフォンを見せた。政治関係を扱うネット記事には、大きなゴシックフォントで“阿波国家議員、受託収賄罪か!?”と書かれている。


「な、なによこれ!」

「私も今朝知ったのですが……。貴方のお父様がとある企業家から賄賂を貰い、便宜を図っていた際の音声データが、新聞社に送られたらしくて」


 ビアンカがネット記事にリンクされた動画ファイルをタップすれば、聞こえてくるのは男二人が密談する声。弁明のしようがないほど赤裸々な会話は、瞬く間に誰しもの耳に届く。コメント欄ではユーザーが様々な感想や憶測を次々に投稿していた。そのどれもが落胆や怒り。中には過激な誹謗中傷もあった。


「クリーンなイメージの方でしたけど、人の裡は分からないものですね。まぁ、動かぬ証拠がありますから、議員は続けられないでしょう。まだまだ余罪はあるみたいですし」

「ど……どうして。ーーまさか」


 一気に青ざめた薫の目がビアンカを見上げる。頬に手をあて首を傾げて、ビアンカはワザとらしくほくそ笑んだ。


「私は何も知りませんよ?」

「あ、あんたーー!!」


 激昂した薫が床に落ちた画鋲を手に取る。ビアンカはその腕を掴んで捻り上げ、彼女をドアに向かって蹴り飛ばした。


「う、うぐっ……」

「やめて下さいよ。ほんと、蛙の子は蛙。悪人の子は悪人ですね」


 床に這いつくばる薫を見下ろして嘲るビアンカは、ふと聞こえてきた音楽に目を細める。


「ふふ。お母様からではないですか?」


 彼女のスカートから鳴るスマートフォンの着信音。薫は憎々しげにビアンカを睨みつけると、教室から出ていった。足音と着信音がどんどん遠ざかっていく。さて、とビアンカは震えている三人を見やった。


「いやだな。人をワルモノみたいに見ないでください」


 散らばった画鋲を集めてケースにしまう。優しく微笑んで次の制裁を下そうとした、その時だった。


「ーーアソぼう?」


 三人の後ろに穴が開く。黒い、黒い虚ろ。ぽっかりと開いて、彼女達が異変に気付く前にばくりと飲み込む。


「な、なに!?」


 壁や天井に斑点が広がって、穴は次々と生徒を塗りつぶしていく。そして床に集まると、ゆらりとその姿を現した。のっぺりとした黒色の影が形を得る。


「アソぼう? ビアンカ」

第六話を読んでくださりありがとうございます!

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