第五話『楽園の残骸』
「バレたぞ」
「だろうな」
水族館に飛び込んできた魔術師達の会話を盗聴しながら、葉月はじろりとエニフェルを睨みつけた。抜け目ない奴め。アフターフォローは完璧か。恐らくは自分にも招集令がきている筈で、それをすっぽかしてエニフェル達と一緒にいる彼に案ずるなと笑う。お前が乗ったのは泥舟なんかではないさ。言ったろう、バレるのは別に構わないのだと。
「さて、取り敢えず防寒魔法はかけておいたが……。大丈夫か? ビアンカ」
エニフェルがそう声をかければ、ビアンカはおずおずと頷いた。
「は、はい。寒くはないんですけど。あの、ここって……」
ゴウッと冷たい空気が肌を刺す。
エニフェル達は、数秒いただけで手足の感覚が分からなくなるほどの温度を叩き出した大陸に立っていた。空は満点の星空で、月の光で辺りがわかるほど明るいのに、エニフェル達の一歩先では吹雪がまるで外敵から身を守るように冷たい壁を作っている。
「なんだ。言ってなかったのか?」
葉月がビアンカに目線をやり、「よっ!」と片手を上げる。水縹色の瞳が丸く見開かれて、ビアンカは葉月の名前を呟いた。は? 待て待て待て。
「初対面じゃないのか?」
「委員会が一緒なんだよ」
「なんの」
「図書委員」
「聞いてないが????」
「言ってないからな」
いつから、とエニフェルが問えば、お前がビアンカに会うことを尻込みしている頃からと返ってくる。成る程。つまりこいつは水無瀬雪乃の人となりをある程度知っていたわけだ。え? なら教えてくれても良くない? 「お前に聞いてた性格とほぼ一緒だった」とかそういったことを。こちとら日本に来る前に散々ビアンカの特徴とか性格を教えたよな??? 背中を押してやろうっていう配慮はない……ないか。そうか。そりゃ何も確かめずにウジウジしてたお前が悪いと言われたらぐうの音もでねぇんだけども。
「桐絵先輩が協力者なんですか?」
「あぁ。俺は魔術師なんだけど、訳あってエニフェル……あー。魔法少女側についてる」
「そうなんですか」
そんで、と葉月は右足のつま先で地面を軽く小突いた。小さく裂けた霜がパリパリと鳴る。
「ここは太平洋に浮かぶ閉鎖地、豪雪の大陸だ。テレビとかで見たことはあるだろ」
「有名ですからね。世界に複数存在する閉鎖地の中でもこの大陸だけ、自然災害では片付けられない異常気象が続いているって」
閉鎖地とは、環境などが原因で人間が立ち入ることの出来ない場所を指す。そのうちの一つに連れてこられたらしい。
大規模な瞬間移動にビアンカは「魔法ってなんでもありだな」と早々に考えを放棄した。多分今後の為に慣れが必要であると直感したのだ。英断である。
「実際、異常気象は人為的なモンだからな」
「え?」
首を傾げたビアンカに、お前が説明しろと葉月は一人黄昏ていたエニフェルの方を向く。
エニフェルはシクシク痛む心をなんとか宥めた。コホンと一つ咳払い。
「ここは、私達魔法少女が住む拠点。天空要塞エリュシオンだった」
「天空……ってことは」
「あぁ。元々は空の上を浮かんでいたんだ。だが魔術師達との戦いの時、私達は魔法を使うことができなくなった。エリュシオンは私の重力魔法で浮いていたから、墜落はあっという間だったよ」
「だ、大丈夫だったんですか!?」
思わず叫ぶビアンカに苦笑した。大丈夫か否かと問われれば、マァ大丈夫ではなかろうな。その結果が今であるわけだし。赤い亡霊がカラカラと笑う。あの日死んだ女の骸だ。
「要塞が落ちた後は、みんなバラバラになってしまった。私はお前と行動を共にしていたが……。エリュシオンに戻ってこれたのは、私達二人だけだった。そして」
吹雪を眺める真紅の瞳に哀愁が乗って、エニフェルは過去を思い出す。
「ここが、最後の戦場となった」
エリュシオンには、エニフェル達魔法少女だけでなく、人と魔石を融合する非人道的な実験を受けて、それでも魔法を顕現することができなかった者達も住んでいた。要塞と名がついていながらもその姿はまるで小国のようであり、笑顔に満ちて、活気に溢れた場所だった。街があり、店があり、家があった。
そんな懐かしい場所が今、白銀の吹雪に閉ざされている。誰が、なんて。なぁ、分かりきったことだろう。
「……これはビアンカの魔法だ」
「え!?」
ギョッと目を剥いたビアンカが豪雪の大陸を見る。荒々しく冷たい吹雪は明確な殺意を宿していた。
「前世の私が……」
「白銀の魔法少女ビアンカは、業火の魔法少女エニフェルが死んだ時、誰も知らない極大魔法を使ったらしい。その魔法は大勢の魔術師を屠り、エリュシオンを吹雪が荒ぶ永久凍土に変えた」
葉月が言う。エニフェルの知らない話だ。けれどエニフェルが置いていったビアンカの叫び声を、この景色が教えてくれる。囂々と、耳の奥で鳴り響く。
吹雪は悲鳴だ。氷の壁は怒りだ。この冷たさはあまりにも深い悲しみだ。
ぱちんっと指を鳴らしたエニフェルの前に小さな炎が灯る。だがその炎は一瞬にして燃え尽きた。やはり、ここでは魔法が使えないらしい。中を見せることができないな、とエニフェルは嘆息した。
「エリュシオンは今、魔術総機関の連中が管理しているんだったな」
「あぁ」
「じゃあ、この魔法阻害は魔術師達が?」
「いや。最初っからだ。だからこの中がどうなっているのか誰も分からない。入るのも無理だしな」
「そうか……」
豪雪の大陸と呼ばれながらも、しかしそれは表向きの姿である。魔術総機関が施した情報規制は、この吹雪を異常気象とし、誰も足を踏み入れないよう、閉鎖地の一つにした。数多の監視・警護魔法がかけられ、何人の侵入も許さない。
今日エニフェルが葉月に頼んだのは、そんな邪魔で失礼極まりない魔法の無効化であった。魔術総機関歴代の幹部達が施す魔法を、奴らに知られぬよう無力化しエニフェル達がエリュシオンに近付けるようにすること。それは上手くいったようで、今のところ警報が鳴る様子もなければ、魔術師達が乗り込んでくる気配もない。流石、優秀な協力者である。
「……どうだ、ビアンカ。なにか感じるか?」
声音に期待を乗せてしまうのは、それだけこの場所が二人にとって大切なところだったからだ。日常の何もかもが詰まった宝箱。美しい空の城。私達の楽園。
けれど。
「……すいません」
分からないと頭を振るビアンカは、エニフェルの期待に酷く辛そうに答えた。しかしハッと瞬きをすると、ウロウロと水縹色の瞳を左右に動かし始める。
「ビアンカ?」
「……運命の輪」
「え?」
空を仰いで再度呟く。定められた視線。しかしその目は酷く虚ろでおぼつかない。
「運命の輪を廻さなければ」
ビアンカの小さな呟きは光を産んだ。大陸を包む吹雪の頂から、弧を描くようにして一筋の光がビアンカの胸元へと伸びる。迸る輝きは真夜中を照らした。月さえも霞み、まるで真昼のように明るい。
彼女が両腕を伸ばせば、光はその間で九つに分かれた。それぞれの輝きが色を纏う。
あまりにも見知った色だった。エニフェルは呆然と光を見る。やがて形を成したそれは、エニフェルの体内にあるものと同じ、魔力を含んだ美しい石。
それは、雷を落とす太陽の黄金石。
それは、音を紡ぐ旋律の蒼き指揮棒。
それは、死をも手向ける無垢なる救済の紫水晶。
それは、風羽が舞う愛たる翠玉。
それは、闇さえ味方につけるすべて虚像の黒曜石。
それは、須らくを見据える真夜中に輝く満月。
それは、巌を穿つ黄昏に満ちた琥珀石。
それは、毒霧が這い寄る最下層の人工石。
それは、奇跡を無に帰す泡沫に消えた未知なる石。
かつて、エニフェルと共にあった九人の魔法少女。彼女達が宿していた魔石が、ビアンカの手のうちで光り輝く。
「ビアンカ……。これは」
「え、……え!? な、なんですかこれ!!」
エニフェルが問えば、ビアンカは今眠りから覚めたかのように目を見開き、自分の前に漂う九つの魔石に驚愕した。何も分からないと嘆く彼女は、先程言った「運命の輪」の事さえ忘れているようだった。
「え、エニフェル先輩! これ、これどうしたら……! きゃっ!?」
「ビアンカ! くそっ」
ビアンカを中心に風が吹き荒れる。近付くことさえ許さない猛風は、その囲いから出ようとしたビアンカにさえ牙を向く。鎌風によって切られた手を抑えながら、ビアンカは怯えたように後ずさった。
そして何かに気付いたように魔石を見つめる。
「先輩! 私……私が、この魔石達の器にならなくちゃいけないみたいなんです。来たるべき時に、本当の主を取り戻す為に!」
「は、はぁ!?」
「声が聞こえるんです! それが運命だって!」
「駄目だ!!」
エニフェルは噛み付くように否定の言葉を吠えた。頭の中で、二つ目の魔石が形成された時の記憶が過ぎる。ビアンカがあんな痛みを、その倍以上の数受けるだなんて。冗談じゃない!
「動くなよビアンカ!」
「でも……! ごめんなさい!!」
魔法を使おうにも、魔石とビアンカが近すぎて迂闊に手が出せない。どうにか突破口を作らなければと歯噛みしたエニフェルの前で、ビアンカが魔石に手を翳した。
「!? ーーおい!」
「ま、廻す手はここに! 運命の輪の導きに従い、真の主が現れるまで眠れ!!」
ビアンカの呼び声に呼応して、九つの魔石が明滅する。
「ジュエル・スリープ!」
エニフェルの静止を振り切って叫んだビアンカの体内に、次々と魔石が沈んでゆく。やがて最後の一つ、太陽の黄金石を受け入れたビアンカは、力無くその場に倒れ伏した。吹き荒れていた風が止み、阻むものがなくなったエニフェルは彼女の元へ駆け寄る。
「ビアンカ! なんて無茶を……!」
ビアンカの上体を起こす。苦しそうに眉を顰めながらも彼女は小さく微笑んだ。
「だっ……て。なにか、思い出せるかも……しれない」
「まさか、その為に……」
ビアンカが愛おしそうに胸元を握る。その仕草はエニフェルに、薔薇の庭園でのビアンカの話を想起させた。52ヘルツの孤独な鯨。
「ほん、とに。初めてだったんです。ずっと、誰とも違かった。わたし、は。私は、いつだって世界のはみ出しモノだった。でも、貴方に会って初めて……。だから、思い出したかった。貴方と、生きてきたことを」
「ビアンカ……」
「でも、駄目ですね。何も……思い出せない……」
泣きそうな顔だった。今生のビアンカにとっては無関係で、経験のない記憶。それを取り戻そうとしてくれる姿に、エニフェルは胸がいっぱいになる。
「……言っただろう。焦らなくていいと」
彼女の肩に顔を埋めれば、魔石を受け入れたことによる反動で大きく脈打つ心臓の音が聞こえた。これが潰えるかもしれなかった。灰色の研究施設で見た、数多の死体。魔石を受け入れられなかった成れの果て。彼等の姿がフラッシュバックしてビアンカに重なる。
「もう、あまり無茶はしてくれるな」
「……はい」
溜め息をついて、エニフェルはビアンカを抱き上げた。そして葉月の方を向く。
「あー。……大丈夫か?」
エニフェルが気遣わしげに言えば、葉月は展開していた複数の魔法陣を閉じて肩を竦めた。
「あぁ。なんとか誰も気付いてない。あの光も、監視棟の奴等に見えないよう魔法で隠した」
「助かる」
「いや、これが俺の役目だからな」
葉月の右目が、瞬きのうちに翡翠色から鈍色に戻る。
「それより、さっきの魔石。あの中に、気高き女王陛下は無かったな」
「そうだな。……ビアンカ、聞こえた声は他に何か言ってたか?」
「いえ。時がくれば、とだけ」
「そうか……」
訝しげに顔を顰めるエニフェルに、葉月は「まぁ、とりあえず」とスマートフォンの画面を見せる。表示された時刻は午前1時を回っていた。
「そろそろ戻ろう。寮母にバレるとやばい」
「……だな。ビアンカ、念のため明日は休め」
「分かりました」
二人が頷くと、足元に魔法陣が描かれる。水族館でも見た白色の輝きは、葉月が用いる転移魔法だ。
「片方を探してリトル・ベティ。片方に向かってリトル・ベティ。行きたいところに行けるよう。ーー進めば道は開かれる!」
葉月の詠唱で三人は大陸から姿を消す。あとに残ったのは、何も変わらぬ顔をして悲鳴を叫ぶ吹雪だけだった。
第五話を読んでくださりありがとうございます!
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