第二話『利敵行為にも程があるが敵ではないから問題ない』
中高一貫、そして燕神楽大学附属のこの燕神楽学園には、進級試験というものがある。中等部から高等部、高等部から大学部へと上がるには、この試験に合格しなければならない。合格点に届かなかった生徒は容赦なく叩き落とされ、退学を余儀なくされる。
魔術師である桐絵葉月は、そんな学園に外部生として高等部から入学した。今から一年前のことだ。制服はシャツの上に赤色のベスト、男子は黒色のスラックスで女子はチェック柄のプリーツスカートとかなり派手。極力目立ちたくない性格の葉月には分からないが、この制服目当てで受験する生徒も多いらしい。まぁ、箔がつくからな。この制服。
燕神楽学園は日本屈指の名門校で、政治家や資産家等の親を持つ、いわゆる上層階級生まれな学生達が多く在籍している。その為プライドだのマウントだの見栄だのに容赦なく揉まれることになったが、一年も経てば愛想笑いでやり過ごしつつ胸の内で中指を立てることも容易になった。仕方ないね。学力だけでこの学園に居座る自分は、彼等にとって格好の的であるのだから。
だからこそ、誰にも邪魔されない一人の時間は貴重なわけで。
暖かな春の日差しが照らす、燕神楽学園東棟の中庭。西棟に新しく中庭が出来てからというもの、ここにはあまり人が寄り付かなくなった。そんな寂れた中庭の中央、水の枯れた噴水の前に設置されたベンチに一人、葉月は座っていた。
スラックスのポケットからスマートフォンを取り出し、すいすいと操作する。やがて現れたロック画面にパスワードを打ち込むと、一般人なら死ぬまでお目にかかれない情報が液晶を埋め尽くした。
葉月がアクセスした先は、魔術師達が世界の敵についてをまとめ、更新を続けるウェブサイトだ。過去に出現した世界の敵の名前が連なるリストの一番下には、新しく"ゴードン"、"ゴブリン"と記された世界の敵の詳細レポートが作られていた。
備考欄には『局地型台風として処理』と記載されている。民間人に世界の敵の存在を知られては不味い為、毎回終末の戦いは自然災害として情報規制されるのだ。
葉月はスマートフォンの電源を切ると、ベンチの背に身体を預けた。アシメントリーの茶髪が揺れ、鳥の囀る音と日の光の中を漂う涼しい風の心地よさに鈍色の両目を細める。人目につかない場所を探していただけであったが、存外いいところを見つけたものだ。
そう葉月が束の間の安息を享受していると。
「情報収集か? ご苦労な事だな」
「ぎゃあっ!?」
言葉が降ってくるのと同時、頬に冷たい感覚が走って葉月は預けたばかりの上体を飛び起こした。
勢いよく後ろを振り向くと、葉月と揃いのベストにチェック柄のプリーツスカート。業火の魔法少女であるエニフェルが、ベンチを挟んで悪戯げに微笑んでいた。彼女の右手には冷えた缶コーヒーが握られている。
エニフェル。戸籍上の名前は火条絢華。
黒壇の髪と白雪の肌。双眸に埋まる真紅の瞳はあまりにも美しく煌めき、その凛とした美貌を一段と際立たせている。
葉月と同じく外部生として燕神楽学園に入学した彼女は、勉学の全てにおいて過去最高点を叩き出し、他の追撃を許さず入試時から首席の座を維持。また圧倒的なカリスマで誰もが憧れるこの学園の頂点へと上り詰めた。一年生の頃に生徒会長の立場に推され、すげなく辞退したこともあるらしい。
そんな意味で有名人であるエニフェルはゆらゆらと缶を左右に振ると、くくっと笑った。
「もう少し色気のある声は出せないのか。ぎゃあっとはなんだ。ぎゃあっとは」
「お前な……」
「まぁ待て、怒るな。ほら、これをやろう」
差し出された缶コーヒーを見て、訝しげに葉月はエニフェルに視線を戻す。その態度を受けて、エニフェルは心外だと肩を竦めた。
「毒なんて野暮なものは入れていないさ。お前と私の仲だろう」
「……そりゃどうも」
ぶっきらぼうな言い草に気にした風でもなく、それよりも彼女の関心は葉月が持っているスマートフォン……厳密に言えばその中の情報にあるらしかった。葉月はそれならばとエニフェルに向ける。
「見るか?」
「いいのか?」
「あぁ。別に見られて困ることはない」
「俺はな」と言えば、エニフェルは「悪い奴め」と目を細める。
「……相変わらず、頻繁に世界の敵は出現しているんだな。昨日はドイツとイギリスで出たのか?」
「あぁ。日本支部の俺に招集令はかからなかったけど」
「勿体無いな。お前がいれば、これほどの犠牲を出さずに世界の敵を討てただろうに」
「……流石に、ソレは言いすぎだ」
「謙遜するな」
エニフェルの視線は、スマートフォンから葉月の右目に注がれていた。他の魔術師とは違うその目は、かつて葉月がマザーから貰った物だった。マザーと同等の力を葉月に与え、魔力を帯びると翡翠色に輝く。
「母の眼を持つお前なら、他の魔術師達が苦労して知り得る世界の敵の正体もすぐにわかるだろう。魔術師はマザーや私達ほど“不可視の次元”に近くない。故に世界の敵が……これでいうならゴードンがゴードンであると認識するまでに時間がかかる」
「マザーは存在そのものが対抗手段だから。魔法少女は魔石をそのまま体内にぶち込んでるから、だったか?」
「そうだ。マザーは生まれた時からマザーとして生きる。対して私達は人為的にこの力を得たんだ。当時、今より多く終末の戦いがあったことは知っているな?」
「あぁ」
思想や発展が入り乱れ、混沌を極めた羅針の時代。劇的に進んでいく文明は第六次元を更に圧迫し、休む暇もなく世界の敵が次から次へと現れたらしい。
「そんな中、色んなところで普通の人間が超常現象を起こす魔術師やマザー達を目撃した。奴等はその仕組みが宝石にあると見抜き、その力をどうにかして手に入れようと考えたのさ」
羅針の時代は世界の敵が生まれた十五世紀から、第二次絶滅戦争が終わった十八世紀末のことを指す。当時表世界ではヨーロッパを中心に魔女狩りが行われていた。魔術師とマザーの存在も、その出来事に加担していたんだろうとエニフェルは言う。
「ある人間は研究所を立ち上げて、ある者は国と連携して様々な実験を行った。石と人間の身体を融合させるという実験は、その一部に過ぎない。私達は、そんな実験材料の一人だった」
まだ人間が値段をつけられて売買されていた時代だった故に、子供が消えても大きな問題にはならなかった。自分達はそれぞれ、場所は違えど同じ実験を受けたんだと語るエニフェルの眼差しはここでは無く、何処か遠くに向けられていた。
「そして幸か不幸か、私達は奴等の望み通り特別な力を手に入れた。まぁ、大人しく奴等に渡すつもりは無かったがな」
上げた口角と共に真紅の瞳に火花が散る。それをゆっくりと瞬きすることで常温に戻し、生徒に聞かせる教師のように続けた。
「魔石の中に宿る魔力には、それぞれ決まった属性が割り振られている。例えばルビーには炎。ダイヤモンドは水、シトリンは雷。魔法少女や魔術師は、この魔石の魔力と属性で魔法を作り出す。彼等と私達で違うのは、魔法少女が持つ魔石には限度がないところだろう。いくら大きな魔石でも、中にある魔力には限りがある。魔力が底をついた魔石はただの石だ。どんなに輝いていてもな。その点、私達に埋め込まれた魔石は宿主の生命エネルギーを魔力に変換させているから、心臓さえ動いていれば事実上無限の魔力量となる」
そして、とエニフェルは肩をすくめる。
「マザーは、魔石すらいらない」
「……存在自体が世界の敵に対するカウンターだから……だったか?」
「そうだ。だから彼女達は魔力量も属性も気にせず、ばんばか好きな魔法を打てたんだ。そんな化け物級のマザーと、実験の成れの果てである私達魔法少女には、ある共通認識があった。それが、不可視の次元だ」
真紅の瞳がにたりと弧を描く。
「知っているだろうが、不可視の次元は文明を統括する領域のことだ。十の次元のうち、四次元以降がこれにあたる。その中の第六次元にある原典がすべての鍵だ。人類史が培ってきた思想の全てがそこにあり、マザーや魔法少女は自由に原典にアクセスできた。……が、魔術師は少し異なる。簡単にいえば、原典を見る精度が低いんだ。故に世界の敵を見破るのにも時間がかかる」
「世界の敵も原典……つまり人類の思想によって生み出されているからか」
「あぁ。魔術師にとって世界の敵は、全て一様に巨大なスライムなんかに見えてるんだろうな」
「……魔術師は、時間が経つにつれて世界の敵の正体が分かるようになるらしい。それまでスライム形態だったものが、怪鳥だったり大蛇だったりに見えていく。その形態変化を、スライム状がアルファ形態、中間状態をベータ形態、最終状態をガンマ形態と呼んでいる」
「なるほどな。それは三百年前から変わっていないのか。……世界の敵と一般人が認識する"可視化された次元"の隔たりが薄くなっていけば、その正体は誰に対しても露見する。だが隔たりが薄まれば薄まるほど、魔術師は不利になる」
「……終末の戦いのリミット、か」
御名答、とエニフェルが葉月に人差し指を突きつけた。くるりと円を描いて秒針を示す。
「終末の戦いには時間制限がある。オルガンの音で始まり、オルガンの音で終わる。その間に世界の敵を倒さなければ、世界は瞬く間に終焉を迎えるだろう。まったく、よくこんなギリギリの戦いを生き抜いたものだ。素直に称賛するとしよう」
パチパチと拍手を送るエニフェルを、葉月は「いや俺に送られても……」と半目で見返す。
なにせ安城葉月は現在進行形で、己の仲間である魔術師達を軒並み裏切っているのだから。
魔術師にとって、魔法少女達のトップに君臨するエニフェルは世界の敵と並ぶ目下最大の脅威といえる。彼女達と魔術師達が相対してきた歴史を鑑みれば、こんなふうに談笑するなどあり得ない怨敵だ。
真っ当な、正義を掲げる魔術師であるのなら、すぐにでもエニフェルの居場所を血眼になって探しているリルヴァーナ達に伝えるべきだろう。だが葉月にその気は微塵もない。
「そうだ。今度火条夫妻が食事でも一緒にどうだと聞いてきたぞ。日程を合わせるから、都合がいい日を言え」
「あぁ。……お前もマメだな」
「大事な一人娘を騙っているからな。それぐらいはしようかと。ふふ、それにしても、お前が用意してくれた戸籍は随分と良い。リルヴァーナの娘として目覚めた時は死ねば諸共と思ったが。人生とは解らぬものだな」
豹変したリルヴァーナの娘ーー否。エニフェルを野に解き放ったのは、他ならぬ葉月なのだから。
「お気に召したようで何よりだ」
「日本が世界に誇る音楽一家の一人娘だぞ。不自由なんてあるわけがないだろう。成り代わり作戦は大成功といったところか。"元々の"絢華嬢も天国で見守ってくれているんじゃないか?」
「それはどうだろうな。恨み言を言っているかもしれないぜ?」
「構わんさ。死者の声なんてどうせ聞こえん」
それもそうか、と葉月は頷いた。自分がまともな倫理観を持っていない事はとうの昔に自覚済みだ。
「まぁ、絢華嬢が病弱だったせいで寮生活になる燕神楽学園の入学を渋られたのは予想外だったが……。上手く言いくるめたしな。上々な出だしだ」
ピアニストである武尊とヴァイオリニストである直子の一人娘、絢華は可哀想な娘だった。生まれつき体が弱く、まだ三歳の頃には顔中が醜く腫れるという難病を罹った。葉月がエニフェルを連れて火条家に入り込んだあの日は、その病気を治す大手術が終わった夜だった。葉月は絢華の腫れは元の顔さえ分からないほどであったから、すり替えても分からないだろうと考えたのだ。
手術は無事成功し、数日すれば腫れも治るだろうと、そう医者に太鼓判を押されて火条夫妻が泣きだした姿を、葉月は今でも鮮明に覚えている。夫妻が医者から今後の説明を受けているその隣室で、これから希望に溢れた未来を歩むはずだった少女は殺されていた。罪の無い命を奪ったエニフェルが満足気に微笑む。
「優秀な幼馴染もついていたことだしな?」
「反対していた寮生活を、俺がいるならって了承したのはどうかと思うんだが」
「それくらい信用しているんだろう」
「だってなぁ……」と揶揄うようにエニフェルは続ける。
「昔、虐められていた絢華嬢を庇ったんだろう? まるで王子様じゃないか。間違いなど起こすはずもないと思われているんだろう。……もしくは、間違いが起きてほしいのかも知れないな」
エニフェルは殺す前に見た、腫れの引いていない少女の顔を思い出す。あの顔では、対面した途端卒倒されてしまうだろう。そんな醜悪な見た目の彼女を前に平然としていた葉月が、夫妻にとってどれほど得難い存在だったか。
だが、葉月は夫妻が思うような、"人の容姿に左右されない人格者"ではなかった。
善人でも、まともですらない。数十年を共に過ごしてきた少女を殺そうと、そして成り代わろうと言った葉月の低い声を、冷めた瞳を次いで思い出し、うっとりとエニフェルは目を細めた。
そんなエニフェルを、葉月はじっと見つめた。そして徐に右手をエニフェルの頬に添える。
「どうした?」
エニフェルの黒髪が風に揺れた。警戒すら浮かばない真紅の双眸が葉月を映す。
かつて、金色だった髪だ。かつて、夏の空のように青かった瞳だ。親指の腹で、ゆっくり目元を撫でる。
「……いや、面影すらないなと思って」
葉月の言葉に、エニフェルは「あぁ」と頷いた。
「この身体がなお赤き紅玉を受け入れた途端、姿形まで変わるのは流石の私も驚いたな。ふふっ。あの時のリルヴァーナの顔はなかなか見ものだった」
「もう、欠片も残っていないのか」
「……私は確かにリルヴァーナ・シルフレッドの娘だったよ。あれのことを尊敬していたし、愛していた」
遠くを見つめているような瞳が、次の瞬間光瞬いた。俯き影を落とした顔に、その双眸が爛々と輝く。
「だがこの身体が終末の戦いに立ったあの日。登る硝煙の匂いとひりつくような熱の暑さ、断末魔と魔石の輝きに、私は全てを思い出したんだ」
上ずった声色は、雄弁にエニフェル自身の感情をむき出しにしていた。触発するように、穏やかだった風が強く彼女の髪をたなびかせる。
「それまで考えていた、立派な魔術師になるという夢が価値のないガラクタに思えた。死んでも構わなかったさ。この身体で生きる理由もなかったしな。……だが思い直した。私がここにいるなら、他の魔法少女だっているはずだと」
その時までの気持ちも。身体も。名前も。
一瞬でいとも簡単に塗り替えられた人格は。それは、乗っ取ったのとどう違うのだろう。
くつくつと喉を鳴らすエニフェルに葉月は眉根を寄せた。「同情しているのか?」と聞く彼女に首を振ってエニフェルの頬から手を離す。憐憫が無いわけではないが、所詮その程度だ。怒りの感情を持つ為には、葉月はエリーゼのことを知らなさすぎるし、興味も薄すぎる。
否定を示した葉月に「それもそうか」と飄々とした態度でエニフェルは頷くと、立ち上がり振り向きざまにスマートフォンを投げてよこした。目を見開いた葉月は、それを危なげに両手で掴む。
「!? おいっ……!」
「マザーの再来を望み、世界最大の敵と呼ばれた魔法少女を助けたお前が、そんな情を抱くはずがない。なぁ、葉月」
非難しようとした言葉を遮って、エニフェルが悪どく微笑んだ。
「お前の実力は把握しているつもりだ。誰にも知られることなく魔術総機関の最深部に潜入し、幹部が私を閉じ込める為に張り巡らした魔法によるトラップを難なくすり抜け、破壊したお前は私が知る魔術師の中でも特段優秀な部類の人間なのだろう」
大仰に、エニフェルは葉月を賛辞する。
「それほどであれば幹部の座も容易いというのに、頭角を表さず末席に甘んじる。そのくせ望むはかつて世界の滅亡を企んだマザーの再来ときた」
「……おかしいか」
「いいや? 奴等の理念の渦中に身を沈めていながらそのような思考に至るとは。なかなかどうして、面白いじゃないか」
安心しろと、エニフェルは言う。その双眸はまるで煮詰めたジャムのように蕩けていた。恍惚を湛えた真っ直ぐな視線が、躊躇なく葉月を灼こうとする。
「私はお前の目に地獄を見た。故に、約束を違える気は無い」
彼女と、初めて会った日を思い出す。
鉄格子越しの対面だった。枷をつけられているのはエニフェルなのに、まるで自由を奪われているのはこちらの方なのではないかと錯覚するほどの威圧と殺気。正しく「敵」だと、そう確信してしまう微笑みを携えたエニフェルに、葉月は手を差し伸べたのだ。
『助けてやろう。此処からだけでなく、この先も。お前がかつての仲間、十人の魔法少女達と再会出来るよう尽力しよう』
同情からでも、慈悲からでもなく。あまりにも利己的な条件を持って。
『そのかわり、この世界で唯一のマザー……俺の妹を救ってほしい』
「ーーさて」
エニフェルの声に、はっと葉月は我に帰って顔を上げた。腰に手をやったエニフェルが西棟の方を見る。恍惚とした表情から一転、憂いを帯びた彼女の意を察して、葉月も西棟に目を向けた。あそこには、エニフェルと葉月がこの学園に来た理由が存在している。
かつてのエニフェルの右腕であり堅牢の盾、白銀の魔法少女。しかして彼女は前世の記憶を有していない。故に、エニフェルは随分と尻込みしているらしかった。
「……まだ会ってなかったのかよ。もしかしてビビってるのか? 燕神楽学園の赤薔薇サマ。みんな、お前に声をかけられることこそが名誉になるって言ってるぜ?」
「その名で呼ぶな。全く、有象無象に好かれても何の意味もないし、そいつらとあいつは同じじゃない」
「何だって記憶がないんだ」とぶつくさ吐いて、エニフェルはため息をついた。それには苦笑するしかない。一泊置いて、彼女は葉月に向き直る。
「そろそろ行く。また明日な、葉月」
「あぁ」
そう言葉を交わすと、エニフェルは葉月を残して歩き出した。
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